第6章 密室と殺しの動機
「
「
森岡が頭を掻く。
「ちょっと直球すぎたんじゃないかと」
「いや、しかしですね。聞けば聞くほど、犯行が可能なのは室谷以外にはないですよ。廊下で
「室谷さんの証言は嘘だということですね」
「もちろんそうです。昨夜は室谷の証言を鵜呑みにしまいましたが、冷静に考えれば密室でも何でもない。これは
当の
「しかしですね森岡さん。室谷さんがひとりで庭に回ったのは、保坂さんの発言があってのことですよ。保坂さんが自分も一緒に行くと言い出したら、どうしたんでしょう」
「それは、何か理由をこしらえて保坂を残したんでしょう」
「それに、大道さんの異変に気づいたのは保坂さんです。もし昨夜保坂さんがトイレに起きなかったら? 大道さんの部屋の前に近づかなかったら?」
「それは、たまたまなんですよ。保坂から大道の異常を聞いて、ここがチャンスだと思い立った」
「かねてから大道見星殺害の機会を狙っていたということですか? そもそも大本の原因である大道さんを襲った異変とは何なんでしょう? それも偶然起きたことなんでしょうか? まだあります。大道さんは剣で致命傷を受ける前に首を絞められています。最初は絞殺しようとしたが、なかなか死なないので剣による刺殺に切り替えたとも考えられますね。すぐに保坂さんが来るかもしれない一刻を争うときに、そんな手間を掛けるでしょうか。最初から剣で一気に殺害したほうが早い」
「……うーん」
見る見る森岡刑事の表情が萎んでいく。
「お気を悪くなさらないで下さい。私はまだ犯人を断定するには材料が足りないと言いたいだけなんです。森岡さんの推理を否定しているわけじゃありません」
「では、安堂さんも室谷が怪しいことに異論はないと」
「それとこれとは別ですけれど……動機も皆目検討が付きませんしね」
「犯行動機ですか」
「そうです。室谷さんは大道さんが亡くなっては仕事を失ってしまいます。
「確かに。でも、外部からの侵入犯という線もあります。その場合、密室の謎が残るわけですが……」
森岡刑事の表情がさらに萎む。
「まあ、まだ全員に話しを聞いたわけじゃありません。捜査はまだまだこれからですから。次は
理真が言い終わるちょうどそのタイミングで、ノックの音がした。次の証言者、峯のものだった。
「零時半頃におしゃべりを切り上げて、部屋に戻りましたよ。顔を洗って歯を磨いて床につきましたが、ノックの音で起こされましてね。隣の部屋の
峯の声は終盤に近づくにつれ段々とトーンダウンしていった。
「ドアに鍵は確かに掛かっていたんですね」
念を押すような理真の質問に峯は「間違いない」と答えた。部屋の中から開錠する音がして、室内から室谷がドアを開けてくれたという。
次に呼ばれた藤見
藤見もドアノブを回しており、確かにドアが施錠されていたという証言が増えた。
最後の一人、本名プロデューサーの証言はごく簡単に終わった。
私と理真を除けば一番最初に座を辞し、また一番最後に現場に現れたためだ。食堂を出たあとはまっすぐ部屋に向かい、理真と室谷が起こしに行くまでずっと眠っていたという。
「まだこの別荘にいなきゃならないんですか? 参ったな、今日は夕方から東京で会議があるんですよ。先生がこんなことになって、これからの番組の事も話さなきゃならないってのに……」
そんなことをぼやきながら本名は退室した。
大道見星の死を悲しむより、仕事と番組の心配が優先されるようだ。勤め人の鑑である。
ひと通り全員から話を聞けた。
あとは軽井沢南署と長野県警が調べている各人の身辺状況の結果を知りたいと
森岡刑事が報告のため一旦署へ戻ったが、制服警官数名が邸内を出入りし、別荘周りでも鑑識捜査や聞き込みが続けられているため緊張は切れない。
警察は外部からの侵入者による犯行の線も当然捨ててはいない。現場となった寝室と外の庭の捜索は夜が明けた直後に成されていた。もう部屋の中のものに触ったりしても大丈夫だということだった。
とはいえ、
私と理真だけになった犯行現場の寝室。理真がドアの鍵を掛けてみたいと言い、私が部屋に残り理真は廊下に出た。
「掛けるよ」
私はドアノブの上にある、縦になっているつまみを施錠すべく九十度回して水平にしたが、なかなか容易にはいかなかった。鍵が固いのか、つまみを回すのには少々力を要した。
「掛かったわね」
ドア越しに理真の声がし、ノブが震えた。廊下から理真がドアノブを回そうとしているのだろう。ドアを前後に揺するような音もした。
「確かにびくともしないわ。もういいわよ開けて」
開錠するためつまみを回すのにも、また施錠するのと同じくらいの力を要した。室内に入った理真も鍵の状態を確かめる。
「うーん、これは固いね」
さらにドアを半開きにして、隅々まで入念に調べる。
「糸や針金を通した跡も全くなし。この鍵の固さといい、外から機械的な手段で施錠するのはちょっと無理ね」
同感だ。外から施錠するには、当然つまみ自体に力を加えねばならないが、とうのつまみはきれいなもので、テープを貼ったり接着剤を付けたような痕跡もなかった。
続いて庭に面したサッシも調べたが、窓にも半月錠にも何の痕跡もなし。左側の半月錠の上のガラスが割られているだけだ。もちろんこれは室内に入るため、
「ふむ、なるほど」
ドアと窓を調査した上での理真の感想はその一言だけであった。
犯人が煙のように消え失せたのでもない限り、今のところ見星殺害の機会は森岡刑事が言ったように、室谷以外には持ち得ないように見える。もちろん理真が指摘したような幾多の偶然をクリアした上で、であるが。
「何か分かりそう? 密室トリックの謎」
理真に水を向けてみた。
「密室トリック……密室ねぇ……何でわざわざ密室? 密室のトリックを解くというよりも、なぜ大道見星は密室で殺されなければならなかったの? どう見ても自殺や事故に見せかける殺し方じゃないのに。そっちのほうが不可解だわ」
言われてみて、見星の死体の様子を思い出す。
「仰向けに倒れ胸に突き刺さった剣は床まで貫通し、首には絞められた跡……」
「そう、そんな死体を見て、自殺か事故と判断してくれるような刑事も探偵も世界中探してもどこにもいないでしょ」
確かにそうだ。理真は続ける。
「幽霊の仕業に見せかけるとか、そんな類の事件でもなさそうだしね。でも、これから先そんな話しが出てくるのかしらね。『大道見星は何か悪い霊に取り憑かれていたんです』とか」
「うーん、それはちょっと考えがたいけど」
「そうよね。故人を悪く言いたくないけど、むしろ大道見星は人にそういうことを言ってた側の人間だものね」
「ドアかサッシに施錠したのは大道見星自身だったんじゃ? 犯人に襲われて寝室に逃げ込んで、追っ手の侵入を防ぐために施錠を……」
私は咄嗟に思いついたことを言ってみたが、すぐにそんなことはありえないと気付いた。
「駄目ね。星見は即死よ。しかも、長い剣で胸を突き刺されるという殺され方から、死亡時に犯人が室内にいたことは間違いない。万が一、即死を免れていて、犯人が立ち去ったあとに星見が鍵を掛けた、ということも不可能よ。床に串刺しにされていたんだもの。立ち上がることは出来ないわ」
私が気付いたことを理真が代弁してくれた。
ふと壁に掛かったイラストが目に入る。大道見星自身の守護精霊オーディンだっけ。見星の守護精霊なんて、言ってみれば守護精霊たちの大将ではないか。最強の力を持ちながら、お前は主人を守ってやることが出来なかったんだね。この密室に名前を付けるなら、守護精霊の密室とでも付くのだろう。
「守護精霊の密室……」
私はその言葉を口に出していた。
「ふうん、守護精霊の密室、ねぇ……」
理真もそう口にし、私と同じように最強守護精霊のイラストを見つめた。
私と理真も含め別荘に残ったメンバーは昨日の残りとインスタント食品で軽く昼食を取り、再び各々の部屋に戻って休んでいた。
室谷は仕事を片づけたり、本名は東京に電話で会議に参加したりと、こんな状況でも忙しくしているらしい。精霊会会員の三名もそれぞれ仕事場や自宅に電話を入れているようだ。
昼食も終わった昼下がり午後一時ちょうどだった。署から戻った森岡刑事が、理真に耳打ちするように、
「外でお話しませんか。他の方たちに聞かれたくない情報もありますので」
森岡刑事の運転する車に乗せてもらい、私たち三人は軽井沢駅前にある喫茶店へ場所を移した。
三人分のアイスコーヒーがテーブルに置かれるのを待って、森岡刑事は鞄から書類の束を取り出して、
「今朝、安堂さんと、大道見星を殺す動機が誰にもないという話しをしましたよね。それがいたんですよ、動機のある人物が」
「誰ですか?」
理真がグラスにシロップとミルクを入れながら訊くと、
「室谷
そう答えて森岡刑事は、これから話すための燃料を注入するかのように、ストローも使わずにアイスコーヒーをブラックのまま一気に半分以上ぐいと飲み込んだ。
「室谷は両親をすでに亡くしているんですが、生前の母親が新興宗教〈朝の光団〉の熱烈な信者だったんです」
朝の光団といえば、少し前にちょっとニュースを騒がせた教団だ。この手のご多分に漏れず信者に多額の寄付を募らせ問題となった。確か教祖が信者の少女に性的暴行を行っていた事実が発覚し逮捕され、その後解散となっていたはずだ。
「何でも三年ほど前に室谷の父親が失業しまして、なかなか再就職も決まらずにいるうちに母親のほうが宗教にかぶれてしまったらしいんです。最初はほんの気晴らしのつもりで知り合いに連れられて集会に顔を出す程度だったんですが、次第にのめり込んで行ったようです。
近所の人の話では亭主の就職が決まらないことで精神的に不安定になっていたらしいと。そこをうまくつけ込まれたんでしょう。少ない資財を少しずつ教団に貢ぎ出して、ただでさえ苦しい生活がさらに逼迫。父親も自分が失業している身であることもあり、あまり強く言えなかったようです。元々気の弱い男だったそうですし。それで急場の生活費を稼ぐため、正社員に再就職なんて悠長なことは言っていられなくなり、父親は慣れない力仕事や深夜のバイトを色々掛け持ちするようになったんです。
それがある日、父親は仕事の帰り道に事故で亡くなってしまいました。道を歩いている途中、ガードレールを乗り越えてしまい、数メートル下のアスファルトの道路に落下したことによる転落死でした。目撃者の話では、足取りもおぼつかなく、ふらふらと倒れ込むようにガードレールを乗り越えてしまったということでしたから、連日の激務が祟ったのではないかと思われています」
森岡刑事は一息ついた。
「三年前というと、室谷さんはもう働いていた年齢だと思うんですが」
私は尋ねた。室谷の年齢は知らないが、見た目二十代後半くらいなので、三年前なら立派な社会人のはずだ。
「ええ、室谷亮は現在二十八歳、三年前は二十五歳です。言い忘れましたが室谷の実家は岩手県で、彼は地元の高校を出て埼玉の大学へ進学、そのまま東京でサラリーマンをしていました。大学生の時分から実家へはほとんど帰らず、電話連絡も年に数回する程度だったそうです。それに加えて父親が息子に心配かけたくなかったためか、実家の状況を一切教えなかったというんです。
母親は息子も入信させるつもりだったようですが、父親がそれをくい止めて、母親と話しをさせないようにしていたらしいんです。息子には、家のことは何も心配ないからと言い続けて。盆や正月に、たまに室谷が実家へ帰ろうかという話しをすると、電車賃がかかるからいいと来させないようにしていたそうなんです。これは近所に住んでいる人たちの証言から分かったことです」
森岡刑事は残りのアイスコーヒーを飲み干し、話を続ける。
「父親が事故死した日の翌日です、母親が死んだのは。近所のビルの屋上から飛び降り自殺でした。室谷は警察からの連絡を受けて初めて全てを知ったんです。それから室谷は会社を辞め、職を転々として、大道見星のマネージャーになったのが二年前と言うわけなんです」
森岡刑事の話は止まり、理真はそこで初めてアイスコーヒーのストローに口を付けてから、
「それで、室谷さんの殺害動機というのは?」
「……だから、新興宗教に対する恨みですよ。室井は両親を死に追い込んだ新興宗教を憎んでいた」
「大道見星は過去〈朝の光団〉に所属していたんですか?」
「いえ、そのような事実はありませんが、室谷は新興宗教というもの全般に恨みを抱いていたんじゃないでしょうか。大道見星といえば、そういった拝み屋全般の総大将みたいなものじゃないですか。テレビに出まくったりして。私も聞いたことありますよ、大道見星のよくない噂」
「新興宗教全てを憎んでいた室谷亮は、大道見星のマネージャーになる機会を得て、その座についた。そして見星殺害のタイミングを虎視眈々と狙っていた。というわけですか」
「そうそう、そうです」
「そして昨夜、思いがけずにその機会が巡ってきた。大道見星に異変が起こる。同時にそれを発見した
「そうそう、まったくその通り」
自身の推理を理真が余すところなく披露してくれた興奮からか、森岡刑事は喉を潤そうとグラスを手に取ったが空であることに気づく。刑事は手を挙げてアイスコーヒーのお代わりをウェイトレスに注文した。
「それだとちょっとおかしな点が」
新しいアイスコーヒーのグラスが森岡刑事の前に置かれ、ウェイトレスが去るのを待ってから理真は口を開いた。
「と言いますと?」
森岡刑事は今度はコーヒーにシロップとミルクを入れ、かき混ぜながら問うた。
「室谷が犯人だとすると、なぜ彼は自分で窓ガラスを割って入室したなどと証言したんでしょう。自分こそが天に代わってペテン師大道見星に天誅を下した。と喧伝するでもなければ変です。室谷さんは犯行を自白してなんかいませんよね」
「当然です。どういうことでしょうか」
「だって、自分に嫌疑がかかるのを回避したいのであれば、『僕が庭に駆けつけたとき、すでに窓ガラスは割られ、窓は開いていた』とでも証言するはずです。そうすれば、この凶事を外部からの侵入者のせいにできますからね。ドアに鍵が掛かっていたのは、保坂さんを始め峯さん、藤見さんの証言からも周知のことです。私も調べましたが、あのドアの鍵を外から掛けることは不可能です。『自分でガラスを割って部屋に入った』なんて、自分が殺したと言っているようなものですよ」
「……うーん、取り調べの段階では、そこまで頭が回らず、思わず本当のことを喋ってしまったんですよ」
「わざわざ密室を作る理由が分からない……」
理真は考え込んでしまった。「密室の理由」今朝理真と話したことを思い出す。
二人とも沈黙……ここは私が助け船を出さねば。
「室谷さんのことはひとまず置いて、他の人の調査結果も聞きたいね、理真」
「そう、そうですね。森岡さん、聞かせて下さい」
「え、ええ、もちろん」
二人とも急に元気を取り戻した。
「誰から行きましょうか。えー、ではプロデューサーの
それは知らなかった。理真も「ほう」と声を漏らす。
「大道見星のいわゆる『守護精霊見』は、五年くらい前から個人でやっていたんだそうです。繁華街の片隅や、ショッピングモールの一角に小さな机を置いて細々とね。もちろんその当時は全くの無名占い師でしたから、今で聞かれるような悪い商売なんかには手を染めていなかったようです。それを見つけた本名が、『これはいける』と判断したのでしょう。深夜番組『守護精霊の寝室』のMCとして大抜擢しました。それが約二年前ですね。
番組の人気は衰え知らずですが、最近は見星と番組のことで意見がぶつかることも少なくなかったようです。方向性の違いというんですかね。大道見星は自身の守護精霊だとかいった占いの内容をですね、もっと崇高なものとして扱ってほしいと意見していたそうなんですね。ところが本名プロデューサーは、とにかく商売っ気のある人だそうで。グッズ販売や見星の著作本など、関連商品を売り出すことに力を入れていたそうです」
今回発表された企画もほとんどが本名のアイディアだと、昨夜室谷も教えてくれた。
「番組が人気で、関連商品の売れ行きも好調だということで、表向いて二人が険悪になるということはなかったそうですが」
「ゆうべも仲の悪い様子は全然なかったですよ」
私が補足した。「そうね」と理真も同意する。
「そうですか。まあ、動機にならないとも考えられません、本名さんにはアリバイがあってないようなものですから」
「一人でずっと寝ていたという話でしたね。アリバイの有無と犯行が可能かどうかはまた別の問題ですけど」
理真が付け加える。
「ええ、何と言っても大道見星は本名にとって貴重なビジネスパートナーですからね。多少の意見の相違くらいで殺してしまうわけがありません」
イソップ童話の金の卵を生むガチョウの話を思い出した。
「次は、精霊会というんですか? 招待された三人の客について。
遺体発見者のひとりの保坂和志から行きましょうか。年齢は三十二歳、栃木県出身。独身。都内の美大を卒業後、会社員をしていましたが四年前に退職。今は都内で雑貨店の経営をしています。自分でデザインした雑貨や輸入雑貨を取りそろえた店だそうです。」
雑貨店の店主さんとは、意外だった。
「続いて
それはすごい。確かに羽振りがよさそうだった。
「最後に
もっとも大道見星のような商売に金を落としそうな層だ。
「ざっとこんなところです。こちらにさらに詳しい資料がありますので、お渡ししておきます」
森岡刑事はクリップで止められた書類の束を理真に手渡す。
「ありがとうございます」
理真はぺこりと頭を下げて資料を受け取った。
「で、これからどうしますか。今のところ動機があるのは室谷、それに本名。私はこの二名を重点的に取り調べようと思っているのですが」
本名の名前を口にするときは、いかにも取って付けたようだった。あくまで室谷犯人説で行こうというわけか。そして我らが名探偵はというと。
「私と
喫茶店を出たころには、時計は午後二時を回っていた。
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