最終章 ヘラクレスの復讐
客人と
その間に、現場となった
「……
保坂に室谷が小さく声を掛けた。
保坂は俯いた顔をちらと上げ、無表情のまま全員の顔を見回し、すぐにまた下を向いてしまった。
廊下は大人二人がやっと並ぶほどの幅しかない。寝室ドアの前に
「さて、皆さん。これから大道さん殺害事件の私の推理をお話しします。このような、関係者全員を集めて一席ぶつようなスタイルは、私はあまりやらないのですが……」
理真がそこで保坂を見る。保坂は、冷たい目でどこともなく廊下の壁を見つめている。
理真は意を決したかのように続けた。
「まずは、昨夜の保坂さんの行動から明らかにします。食事会の席で、まず私と
保坂さんは零時に食堂を出たあと、シャワーを浴び寝間着とガウンに着替え、大道さんの寝室を訪れました、ある重要な話をするために。そして、その話がもとで口論となったのでしょう、保坂さんは大道さんの首を絞めてしまいます。恐らく、着ていたガウンの帯を使って」
保坂は無表情のまま相変わらず廊下の壁を見つめている。理真の話は続く。
「大道さんが絶命したものと思った保坂さんは、凶器となった帯をガウンに締め直し、明かりを消して寝室を出ました。その直後、ドアを閉め、自分の部屋に帰ろうとした、まさにそのときだったんじゃないですか? あなたが室谷さんと顔を会わせたのは」
場がどよめいた。
「そう……なんですか? 保坂さん」
室谷が問うたが保坂は答えない。
「しかも、保坂さん、あなたは閉めたばかりのドア越しに聞いたんですね? 首を絞められはしたが、気絶していただけの大道さんが息を吹き返した音を」
保坂が少し肩を振るわせたように見えた。
「そのときのあなたの心境は想像するに余りあります、保坂さん。一刻も早くこの場を立ち去ってしまいたい。しかし、そのあとで室内からの声に気付いた室谷さんが、大道さんの寝室に足を踏み入れたら、完全に意識を取り戻した大道さんが自分の首を絞めたのが誰なのかを口にしたら、どうなってしまうか。
そして果たして、室谷さんは聞いてしまいました。室内からの大道さんの呻き声を。今、絶対に室谷さんを部屋に入れるわけにはいかない。保坂さんは全力で阻止しました、寝室への入室を。ドアノブをしっかりと握りしめて、ドアに全体重を掛けて、こう言ったんです『鍵が掛かっている』と」
「ああ!」
室谷が声を出した。他の人たちの口からも、ううむ、と、唸る声が聞こえる。
「そうなんです、その時ドアに鍵は掛かっていなかったんです。保坂さんはドアを開けるふりをして、逆に力を込めてドアを押さえつけていたんです。学生時代運動部に所属していて、今も運動を続けている保坂さんの力であれば、華奢な室谷さんでは抗うことは出来ません」
「で、でも、僕一人でノブを回したときも、やっぱりドアは開かなかった!」
室谷が声をあげる。
「室谷さんは、『ノブは回るがドアは開かなかった』と証言しました。ノブから手を離しても、保坂さんは足でドアを押さえつけていたんですよ、こんなふうに」
理真は自分の足でドアを押さえた。
「この寝室のドアが廊下側へ開く構造になっていたからこそ出来た芸当です。通常の室内側へ開くドアだったらこれは出来なかった、なんとしても保坂さんはドアノブから手を離しはしなかったでしょう。冗談みたいな手段ですが、室谷さんが気が付かなかったのも無理はありません。大道さんの様子が気になって平静ではいられなかったでしょうし、自分と同じようにドアを開けようとしている人が、実は開かないように押さえつけていたなんて、考えもしないでしょう。廊下が暗かったため、ドアを押さえる保坂さんの足も見えなかった。いい加減限界だと感じた保坂さんは、室谷さんをこの場から追いやる口実を思いつきます。中庭から寝室へ入ってはどうかと提案したのです。室谷さんはその案に乗り中庭へ向かいます」
理真は一息ついて、皆を見回した。
「続きは部屋の中でしましょうか」
理真は押さえていた足をどけ、ドアを開けた。
全員が入室し、最後に理真が入る。後ろ手でドアを閉めた理真は、さて、と言って話を続ける。
「ここからは時間との戦いでした。まだ息のある大道さんにとどめを刺すべく、保坂さんは寝室へ戻り明かりを点けました。一度失敗した絞殺という手をまた使うのは躊躇われたのでしょう、しかし、速やかに今度こそ確実に大道さんを絶命せしめねばならない。保坂さんは最初に訪れたときに目にしていたあの剣を凶器として用いることにしました」
虫の息で仰向けに倒れた大道見星、その胸に渾身の力で剣を突き立てる保坂。誰もがそのシーンを想像したのだろう、一様に苦い顔を見せた。保坂だけが、廊下にいたときと変わらず無表情のままだった。
「『ドアには鍵が掛かっていた』後に行わねばならないこの証言を事実とするためには、当然実際にドアに鍵を掛けなければなりません。ですが、この寝室のドアは外から施錠することは不可能です。保坂さんは室内からつまみを回しドアに鍵を掛ける。自分の指紋が出てはまずいので、つまみはすぐにガウンの裾で拭き取ります。急いで明かりを消すと部屋の暗がりに身を潜めた。あとは中庭から寝室へ侵入した室谷さんが部屋の明かりを点ける前に、自分も、さも室谷さんを追ってきたふうを装い、窓から入り込むふりをすればいい。そのためには、窓のすぐ横のカーテンの陰に隠れているのが一番都合がよかったでしょう」
理真が窓の横で束ねられたカーテンを指さし、同時に保坂を見る。相も変わらずの無表情。反論がないということは肯定の意味の無言なのか。
「保坂さん、あなたの失敗は、窓が施錠されていたことを確かめなかったことです。それとも、室谷さんの足音がしたので、慌てて明かりを消しカーテンの陰に隠れるだけで精一杯でしたか?」
それを聞いて、保坂が初めて口を開く。
「……窓は、開いているものとばかり思ってた。口論しているときは全然気にも止めてなくて……そういえば、あいつは窓を開けて寝るとか言ってたなって、廊下で必死にドアを押さえてる時に思い出して、これならいけると思ったのに……カーテンの陰に隠れていたら、窓がガタガタと鳴る音がして。保坂さんが窓を開けようとしていたんだ。そこで気がついた、窓に鍵が掛かっているって。今更窓のそばまで行って鍵を開けるなんて出来るわけがない。間違いなく保坂さんに見られてしまう。頭の中が真っ白になって、どうしようと考えているうちにガラスの割れる音がして、保坂さんが入ってきて……」
「そう、いけるはずだった。『窓から侵入した外部犯による犯行』に見せかけられるはずだった。しかし、窓には鍵が掛かっていた。室谷さんは外から石でガラスを割り開錠せざるを得なかった。こうして、『守護精霊の密室』が出来上がってしまったというわけです」
密室の謎は解かれた。
「動機は、動機は何なんです? 保坂が大道見星を殺した動機は」
数秒の沈黙を破り、森岡刑事が声をあげた。
理真は保坂を見る。保坂も理真を見返し小さく首を縦に振った。理真は了解したように話し始める。
「原因となったものは、守護精霊です。憶えていますか皆さん、昨夜の食事会の際、自分の守護精霊を紹介しあう場面がありましたね。藤見さんがご自分の守護精霊を教えて、何でしたっけ、ああ、紫式部。その後、峯さんの番になって、しかし、その次、保坂さんは自分の守護精霊を教えるのを拒んだ」
「他人には教えないで力を溜めているとか、何とかいう話だったが……」
峯が言うと、理真は、
「ええ、しかしそれはその場を取り繕うための嘘でした。うまい具合に大道さんが助け船を出してくれましたよね。保坂さんはそれに乗っただけです。峯さん、あなたの守護精霊は何でしたっけ」
「私は、ヘラクレスだよ。ギリシャ神話に出てくる」
「保坂さん、あなたのは? これはあなた自身に答えてもらわなければなりませんよ」
理真は保坂に発言を促した。保坂は俯いたまま、
「……ぼ、僕のも、同じです、僕の守護精霊はヘラクレスでした」
「え? 守護精霊は一人一体、同じ守護精霊が複数の人に付くことはないはずです」
それを聞いた藤見が驚きの声を上げた。大道見星が決めたルールなのだろう。
「そうだよ」保坂が喋り出す。「ヘラクレスは、元々僕の守護精霊だったんだ。それを、あいつが、大道見星が奪った。峯さん、あなたに鞍替えさせてしまったんだ」
保坂は顔を上げまくし立てた。堰を切ったように。
「僕と大道見星はね、あいつがテレビで有名になるずっと前に会っていたんだ。
もう五年前になる。僕が勤めていた会社を辞めて、これからどうしようか悩んでいたときに、繁華街の隅っこに小さな机を置いて、あいつは座ってた。今からじゃ考えられないだろ、あの大道見星が。僕は占いとか全然興味なかったけれど、酔ってた勢いもあって、冷やかし半分にあいつに声を掛けたんだよ。両手のひらを突き出して、手相って右左どっち見るんだよって言ってやったら、自分が見るのは手相じゃない、あなたを守る精霊だ、とか抜かして。今日最初で最後のお客だから、一杯飲みながらじっくり話そうなんて言ってきて。一緒に近くの居酒屋に連れていかれたよ」
本名に拾われる前の無名時代の大道見星。保坂は続ける。
「何だかやたらと人の話しを聞くのがうまいやつでさ、色々喋らされたよ。会社を辞めたこと、自分でデザインした雑貨を売る店を出すのが夢だってこと。二の足を踏んでる僕に、やってみればいいって言ってさ、守護精霊ヘラクレスもきっと力になってくれるなんて言い出して、その場で自分のノートに器用にイラストを描き始めてね。僕は、うまいもんだねぇ、なんて笑いながら感心してたよ。それでも大道見星は真面目な顔で語り続けて。昔のことだし、酔ってたから何を話したかはよく憶えてないけど、確か今テレビで話してるような守護精霊の世界構想を語ってた気がする。妙に熱心だったよ。僕もだんだんあいつの話しが面白くなってきて、引き込まれていってね。居酒屋の代金は全部僕が出して、帰り際に占い賃だって一万円くれてやったんだよ。あいつ、えらく感謝してね。よくこの辺りで店を出してるから、また来てくれって言われて。
でももう会うことはなかった。次の日から僕は一念発起して起業するために色々準備を始めて、繁華街に遊びに行ってる暇もなくなったんだ。大道見星の言葉を真に受けたわけじゃないけど、後押しをされたような感じだったな。大変だったけど、頑張ることが出来た。」
「その店が、HCファクトリー」
一息ついた保坂のあとを受けるように、理真が言った。
「そう、船出は順調だった。ちょうどその時分、大道見星もテレビに出始めた頃でね。僕も精霊会に入会したよ。店が忙しいのと、彼も有名人になったから会う機会はなかったけれど、もし会えたら一言礼が言いたくてね。本当に僕の店はヘラクレスに守られていたんだ。その証拠に……」
それまで、昔を懐かしむように穏やかに喋っていた保坂だったが、晴天に雨雲が広がるように、その表情に陰が差していった。
「店を始めて二年近く経ったころからか、急に売り上げが落ち始めて、もう今は店を維持していくだけで精一杯。そんな状況になったら、決して安くない精霊会の会費を払い続けることなんで出来やしない。退会しようと思っていたある日、来たんだよ、この発表会参加資格当選の案内が。彼と、大道見星と話す機会が与えられたんだ。僕はまた二人きりで話したかった、居酒屋で差し向かいで飲んだあの日のように」
保坂は自分を落ち着かせるように、言葉を切って大きくため息をついた。そして続ける。
「ここに来てあいつと顔を会わせたとき、あいつ言ったんだ、『初めまして』って。そりゃ、僕のことを憶えてるなんて期待はしていなかったよ。今やあいつは押しも押されもせぬ超有名人。あんな昔のことなんて憶えちゃいないだろうさ。でも二人きりで話せばきっと思い出してくれる。そして聞こうと思っていたんだ、僕のヘラクレスはどうしてしまったのかをね。でも、その答えは意外なところで聞かされた。峯さん、ヘラクレスは僕の元を去って、あなたに鞍替えしていたんですね」
「それで、あのとき、自分の守護精霊を聞かれたあの時、保坂さん、あなたは……」
峯が保坂を見る目に憐憫の情が浮かんだ気がした。保坂は自嘲気味に小さく笑ったあと続ける。
「そう、あのとき、峯さん、あなたの守護精霊がヘラクレスだと聞いたときの僕の衝撃が分かりますか? 僕は全てを悟った。僕が許せなかったのは、それを聞いていたにもかかわらず僕のことを思い出さなかった大道見星です。自分の守護精霊を言い淀んでいる僕に、なんですかあいつは、『力を溜めるために言わないでいる』ですって? 冗談じゃない! 僕の守護精霊を奪ったのはお前じゃないか! 適当なことを言いやがって!」
保坂は目を見開き、歯を食いしばり、怒りに震えていた。大道見星殺害のその瞬間も、こんな顔をしていたのだろうか。
「僕は一足早く食事会を抜け、シャワーを浴びて気持ちを落ち着かせると、食事会が終わっていることを確認して、あいつの寝室を訪れました。あいつは驚いていましたけれど、部屋には入れてくれました。なんだ君か、くらいの口を叩いて。
僕は一気にまくし立てましたよ、五年前、繁華街の片隅であいつと会った時のこと、居酒屋で語ったこと。次第にあいつも記憶が蘇ってきたんでしょう。ああ、君はあの時の客だったのか、なんて笑顔まで見せていましたよ。食堂から酒を持ってきて一杯やらんかなんて言い出してね。
でもあいつは一番大事なことをすっかり忘れていました、五年前、僕の守護精霊としてヘラクレスを与えたということをね。その話をすると、上機嫌だったあいつも急に声のトーンを落としてね。自分の失敗にようやく気がついたんです。僕は聞きましたよ、あの峯という男にヘラクレスを与えたのはいつだと。
案の定でした。あいつは言いました、峯さんに守護精霊としてヘラクレスを与えたのは二年前だと。僕の店が傾き始めた時期とちょうど一致する! 店がうまくいかなくなったのは、ヘラクレスが僕の守護精霊でなくなってしまったからだ! 全て繋がった! 僕は問いつめ続けました。この責任をどう取ってくれるんだと。そうしたらあの男、ふざけやがって、『いい歳をして、そんなものを真面目に信じているのか』だと? 僕の店がうまくいかなくなったのは他に原因があるからだなんて言い出し始めやがった! 自分にはいっさいの責任はないとでも思っているのか! もう頭に血が上って……
気がついたらあいつの首を絞めていました……後ろを向いた隙にガウンの帯で……悲鳴をあげる暇もなかったようです……ほとんど抵抗はありませんでした。すぐにあいつの体はぐったりとなって、力を緩めると、そのまま絨毯の上に崩れ落ちました。帯を締めなおして、数分はその場にいたでしょうか。ええ、あいつは死んだと思っていました。興奮が収まって冷静になってくると、すぐにここから逃げなければと思って、部屋の明かりを消して廊下に出て、音がしないようにそっとドアを閉めた、その瞬間だったんです。廊下の角から室谷さんが顔を出したのは。
あとは
保坂は大きなため息をついた。それを見て理真が質問を投げる。
「あの直接の死因となった剣は、大道さんの寝室に始めからあったんですか」
「ええ、壁に立てかけてありました。何だろうと思いましたが。室谷さんをうまく中庭に回らせることに成功し、とにかく一撃で確実にあいつを殺害するには、これしかないと思い、手に取りました……」
携帯電話の着信音が鳴った。森岡刑事が懐から携帯電話を取りだし耳に当てる。保坂の身を制服警官ひとりに預けて、少し離れて通話をしている。一分程度で通話は終わった。
「皆さんのガウンと衣服の鑑識結果が出ました。保坂さん、あなたのガウンに大道さんの血痕が、帯からは皮膚の皮が検出されました」
「僕は、後悔していませんよ」それを聞いた保坂は静かに口を開いた。「これは、天誅なんだ。インチキ霊能者に下った、天誅なんだ……」
保坂のその呟きは、自分に言い聞かせているかのようだった。
「それと、今となっては余談ですが」森岡刑事が再び話し出す。「殺害に使用された剣の出所が判明したんです。あれは、大道見星が購入したものでした。ギリシャの骨董品屋から取り寄せたものです。東京の事務所の方の話では、今日、峯さんにプレゼントするつもりだったそうです」
「私に?」
峯が声を出す。
「何も聞かされてはいなかったんですね。サプライズプレゼントのつもりだったのでしょう。ギリシャから送られてきた伝票にあの剣の名前が書かれていました『ヘラクレスの剣』だそうです」
「ふふふっ」
奇妙な笑い声をあげたのは保坂だった。
「聞いたか? やっぱりヘラクレスは僕の味方だったんだ! ヘラクレスが、あのペテン師大道見星に天誅を下したんだ! 僕の代わりに――」
「違います」
理真が静かだが鋭い声で一喝した。
「大道さんを殺害したのは守護精霊なんかじゃありません、保坂さん、あなたです。守護精霊なんていません。これは天誅なんかでもありません、人間が起こした殺人事件です。あなたは殺人犯なんですよ保坂さん。これからあなたは逮捕、送検、起訴され裁判を受けることになるんです。目を覚まして下さい。それと、さっきあなたはこの犯行を後悔していないと言いましたが、そんなことはないと思います。保坂さん、あなたはきっと後悔します、殺人を犯してしまったという自分の行動を」
保坂は固まったまま動かない。
部屋を支配した静寂を破ったのは廊下からした物音だった。何かドアを擦るような音。理真がそっとドアを開くと、その隙間から黒猫が音もなく侵入した。たいしたものだ、閉じこめられていた物置の引き戸を開けることに成功したのだろう。
クロは顔を上げ、押し黙ったままの人間たちの顔を見回すと、一言、ニャーと鳴いた。
守護精霊の密室 庵字 @jjmac
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