第4章 密室の死体
殺害現場は
私と
保坂は寝間着にガウン姿だが、室谷は食事会の時に着ていた普段着のままだ。
見星が絶命しているのは誰の目にも明らかだった。
仰向けになり、両目を見開いた苦悶の表情を顔に張り付かせ、そして何より……
「剣……ですか?」
理真の問いに誰も答えない。
寝間着姿で仰臥した大道見星の胸には、長さ一メートル以上はあろうかという西洋剣が深々と突き刺さっていたのだ。胸の上から露出している部分のバランスを見る限り、剣が遺体の背中も貫通して、絨毯ごしに床にまでその切っ先をめり込ませているのは間違いないと思われる。
「警察に連絡は?」
「ぼ、僕がしました……先生の携帯で……」
室谷が小さく手を挙げ、机の上にある携帯電話に視線を移す。
「ここにいるのは全員ですか? ……
理真は部屋と廊下の外を見回し人数を数えた。
「寝ているんじゃないでしょうか。あの人の部屋、一番奥だから」
「じゃあ起こしてきて下さい。あ、室谷さん、私も一緒に行きます。
理真は室谷とともに廊下に消えた。お願いと言われても何もしようがない。
残されたのは私以外、全員精霊会のメンバーだ。
峯と藤見もいつの間にか入室していた。この寝室に敷かれた厚い絨毯は、足音をかき消してしまう。足音だけでなく、全ての音をも絨毯が吸い込んでしまったかのように、部屋は静寂に支配された。誰も一言も口をきくことなく、剣を突き立てられた教祖の遺体を見下ろしている。
改めて皆を見ると、全員同じ寝間着とガウンを身につけていた。違うのは模様の花びらだけ。峯のものは黄色く、藤見は青、保坂は赤、どんな花か確認する余裕などない。
皆が揃いの衣装を着て教祖の遺体を囲んでいる。私には、これ自体が何か宗教的な儀式であるかのように思われた。そして、私も同じガウンを羽織っていることが、とてもおかしなことだと感じられた。どうして信者ではない私が皆を同じ服を着ているのだろう?
途端、私は、自分が儀式を汚す許されざる異教徒でもあるような感覚に襲われた。私は目を伏せ、絨毯の模様を凝視し続けるしかなかった。精霊会の全員が私を見つめているのではないかという恐怖に捕らわれ、目を上げることが出来なかった。
そしてその目はこう告げているのだ。先生を殺したのはお前だろう、と。
理真、早く戻ってこい。いや、分かっている。理真が室谷に付いていったのは、もし室谷が犯人だった場合に逃亡を阻止するためだということが。
廊下に足音が響き、理真と室谷が本名ディレクターを連れて戻ってきた。
本名は見星の遺体を見るなり、大きくのけぞり廊下の壁に背中をぶつけた。
「先生! 先生!」
「駄目です!遺体に触れないで。部屋の中のものにも一切手を触れないで下さい。皆さんも」
遺体に駆け寄ろうとする本名を制して、理真は全員に告げた。
かすかにサイレンの音が聞こえる。その音は次第に大きくなってくる。
「思ったよりも早く来てくれたわね。後は警察に任せましょう」
安心したようにため息をついた理真は改めて部屋を見回し、壁に掛かった絵に目を止めた。それは鎧を付けた白馬に跨り、槍を構えた騎士のイラストだった。馬も騎士も、体全体から白いオーラを発していて、ただの人馬ではないことがうかがえる。
「これは?」
「それは先生自身の守護精霊、北欧神話の主神オーディンです」
室谷が答えた。
軽井沢南署から駆けつけた数名の警官と鑑識係が見星の寝室を占拠した。
現場を調べる間、私たちは全員ロビーに集められた。
ロビーで座っている間、誰も口を利くものはいない。見張りとして一人警官が付いているからかもしれない。このロビーからはそう近くないはずの見星の寝室で行われている現場調査の警官の動く音、カメラのシャッター音までもが聞こえてくるほどだった。
やがて数十分も経っただろうか、大勢の足音が近づいてきた。調査が終わり鑑識が引き上げるのだろう。鑑識員たちの最後に、担架に乗せられた大道見星の遺体が運ばれてきた。白いシーツで全身が覆われている。
俯いていた私たちもこの時ばかりは顔を上げ、物言わぬ身となった見星を見送った。
別荘に残ったのは数名の警官と二名の私服刑事のみとなった。
これから私たちは食堂にひとりずつ呼ばれ話を聞かれるという。要は取り調べである。
室谷、保坂、峯、藤見、本名の順に呼ばれていき、最後に私と理真の二人が残された。
話が終わった者はそのまま自室に戻って眠りにつくことを許可されたようだ。別荘の周囲は警官で固めてあり、逃亡されることはないと判断したのだろう。食堂から出てきた皆は憔悴しきっており、とてもこの深夜に逃亡など計る気力はないように見えた。この中に犯人がいるのか?
食堂から出てきた本名が、次はあんたの番だよ、と私に告げた。彼の場合は憔悴というよりただ単に眠たいだけに見える。本名は小さく、おやすみ、と呟き、大きな体を揺らしながら廊下へ消えた。
食堂に入ると二人の私服刑事が待ちかまえていた。歳の頃は三十代半ばくらい、長身にさわやかな短髪がよく似合うほうが
「あの、お連れの
開口一番、聞かれたのはアリバイより何より先にその質問だった。森岡刑事はじっと私の答えを待っている。
「森岡よ、それじゃわかんねぇだろが。えー、
川中刑事の補足に、そうですそうです、と首を縦に振る森岡刑事。
私も同じように首を縦に振った。
「あなたが安堂理真さんですか。お噂は耳にしていましたが、まさかこんな形でお会いすることになるなんて」
森岡刑事は困惑した表情で理真に握手を求めてきた。川中はちょっと小首をかしげただけだった。
この森岡刑事の耳にしたという噂は、理真の新刊の評判などではない。作家ではない理真のもう一つの顔、素人探偵としての活躍のことを言っているのだろう。
理真は類稀なる推理力で、幾多の不可能犯罪の謎を解いて警察捜査に貢献している実績があるが、もちろん素人の理真が捜査に介入するのは、警察からの依頼があって初めて可能となることだ。
その依頼は理真のホームである新潟県警からのものが多いが、時に近隣諸県からも噂を聞きつけ、理真に依頼がくる場合もある。ここ長野県でも過去に理真は事件を解決した実績があり、森岡刑事はそれを知っていたのだろう。
理真の素性が分かると、森岡刑事は彼女も食堂に招き入れて私の隣に座らせた。
「この事件、いずれ安堂さんに話が行くことになる
熱っぽく語る森岡と対照的に、川中は不機嫌そうに黙りこくったままだ。
警察の中には理真の出馬を有り難がる警官もいれば、素人の捜査への介入を快く思わない警官も当然いる。見たところ森岡刑事は前者で川中刑事は後者のようだ。
私と理真も容疑者のうちには変わりはない。ひと通りのことは聞かれた。夜中に物音で目が覚めたこと。駆けつけると見星が死んでいたこと。理真が室谷と一緒に本名を起こしに行ったこと。私は他の三人と現場に残ったこと。その間誰も現場を離れなかったこと。理真も室谷とは、現場と本名の部屋との往復しかしなかったことを語った。
「ざっとひと通り皆さんからお話を伺ったんですが、どうも妙なんです」
森岡刑事は開いてテーブルに置いたメモ帳を睨みながら腕を組んだ。川中も同じように腕を組み、横からメモ帳をのぞき込んでいる。
「あの、私が捜査情報を聞いてもよろしいんですか」
一応、理真が確認を取る。
「ええ、もちろんです。是非お知恵を拝借したい。いいですよね、川中さん」
川中は渋々といったふうに頷いた。
各人からの聞き込みの結果を統合し得られた、見星死体発見の様子は、以下のようなものだった。
深夜一時を回ったくらいの時刻。
トイレに起きた保坂和志は、部屋へ戻る途中に物音を聞いた。それは大道見星の寝室から聞こえてきたようだ。部屋のドアの前まで行き耳を立てると、室内から微かな呻き声のようなものが聞こえてきたという。
そこへ室谷亮が現れる。彼はこの時間まで仕事を片づけていたが、二階の物置に入れたままにしていた猫の様子を見に行き部屋に戻る途中、保坂が見星の寝室の前にいるのを見かけ近づいたのだと語った。
「どうしました?」
保坂に声を掛けると同時に、室谷も室内から漏れた呻き声を聞いたという。
「中から声が……」
保坂はドアを指さした。
「先生、先生」
室谷はノックをして室内に呼びかけたが、返事はない。代わりに呻き声に混じって、人の荒い息づかいが帰ってきた。
「先生、どうかしたんですか。体調でも……先生」
室谷はなおも呼びかけるが、依然答えは呻き声のみだった。
「鍵が掛かっています」
保坂がドアノブを握りガチャガチャと揺り動かす。室谷もノブを握り回そうとするが、確かに鍵が掛かっているらしく、ノブは回せるもののドアを開くことはできなかった。
「中庭に回って窓から入ったらどうですか」
保坂が提案する。
「しかし窓は……いえ、行ってみましょう」
「私はここに残ったほうがいいでしょうか。先生が回復して鍵を開けてくれるかもしれない」
「そうですね。保坂さん、ここ、頼みます」
「分かりました……先生! 大丈夫ですか! 先生!」
ドアの前で室内に呼びかけ続ける保坂の声をあとに、室谷は中庭に通じる裏口へ向かった。
室谷はサンダルをつっかけ裏口を通り、見星の寝室サッシ窓の前までたどり着いた。部屋の前を離れてから一分も要していなかったという。
サッシ窓を開けようとした室谷だが、そこで案の定な問題に対面した。
見星は猫のクロの侵入を防ぐため、必ず窓に鍵をかけて就寝している。果たして、窓の半月錠は全て施錠されていた。カーテンが引かれているため室内の様子を窺うことも出来ない。
すぐに意を決して室谷は庭に転がっていた手頃な石を掴むと、それを半月錠近くのガラスに打ち当て、割れたガラスの隙間に手を入れ半月錠を開錠しサッシを引き開け入室した。
「先生! 先生! 大丈夫ですか!」
呼びながら暗闇の中を壁づたいに進み、電灯のスイッチを手探りで見つけ押した。蛍光灯が瞬き闇を追い払い、室内の様子が明らかになった。
「せ、先生!」
室谷は自分の足下に無惨な姿で倒れている主人を発見した。
一方ドアの前にいた保坂は、いくら声を掛け、ドアを叩こうが反応がないため、すぐに見切りを付けて室谷の後を追って裏口に向かったという。
「室谷さん! これは……」
保坂も、サッシ窓の敷居を跨ぐなり、その異様な光景に言葉を失った。
「け、警察を……」
室谷は室内を見回し、机の上に見星の携帯電話を見つけると110番通報をした。記録によればこの通報は午前一時二十分に成されている。
通報を済ませ、室谷が携帯電話を机の上に置いた直後、ドアの向こうの廊下に足音が響いた。
「誰かいるんですか? 何かあったんですか」
峯の声がして同時にドアノブが音を立てて揺れる。峯が廊下からドアを開けようとしているのだが開かない。室内側のノブ上に付いている鍵のつまみが水平になっている。施錠されているのだ。
「峯さん。今開けます」
室谷はドアに近づき、つまみを九十度回転させ鍵を開け、ゆっくりとドアを開いた。
「室谷さん……」
廊下にいたのはやはり峯だった。
「物音と、人の声が聞こえて……藤見さんと来てみたんですが」
峯の後ろには藤見陽子も立っていた。
「峯さん……実は……」
室谷が説明する必要はなかった。室内の様子を覗き込んだ藤見が悲鳴をあげた。
「室谷さん! これは……」
峯も目にした。何より雄弁に事態を物語る、室内の惨状を。
以上が各人の証言をもとに構成した、死体発見の経緯だった。私と理真が聞いたのは、このときの藤見の悲鳴だったようだ。
死体発見の経緯と同時に、軽井沢南署の刑事が理真の知恵を借りたいと言った理由が分かった。
今の話では、大道見星はドアも窓も内側から施錠された、いわゆる密室で殺害され、犯人はどこかへ消えてしまったことになるではないか。
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