第3章 それぞれの守護精霊
「まあまあ」
と、そこにプロデューサーの
「実に興味深い議論ではありますが、先生、今日の目的をお忘れですか? そろそろ発表しようじゃないですか。皆さんもお待ちかねのはずだ」
「そうですね。精霊会の大切なゲストの方々を放っておいてしまって、大変申し訳ない」
私と
途中プロデューサーの本名が補足を入れたりする。
どうやら室谷は内容の半分も教えてくれていなかったようだ。アニメ映画、小説、グッズ販売、有名料理店とのコラボレーション、呆れたことに子供向けカードゲーム化まで視野に入れているということだった。これは『ケンセーランド』なんていうテーマパークを作るとか言い出すんじゃないの? と冗談で考えていたら。
「行く行くはミドルスペースを疑似体験していただけるような、アミューズメント施設の開設も考えております」
と、本名が言い出したものだから、ビールを吹き出しそうになった。
精霊会と室谷拍手。私と理真も手を打ち合わせるしかない。
「一番最初に皆さんにお届けできるのは、ミドルスペースを舞台にした小説になるでしょう。本日ご出席いただけませんでしたが、人気作家の
タイトルのみ決まっているらしく、本名がパネルを掲げる。『精霊国物語~第一章~ソーマの誕生』と書いてある。刊行日は今から半年後だ。そんな期間で長編(だろう、やっぱり)小説を一本書き上げることができるのか。私は知らない。不破先生はもう執筆に取りかかっているのだろうか。
「私としては」大道がこちらを向いて、「
「いえ、私のような無名作家では、先生のブランドを汚してしまいます」
丁寧に断ったようにみえるが受ける気ゼロである。本名プロデューサーが怖い顔で見ている。先生のご機嫌を損ねるなよ、と訴えているようだ。精霊会の面々の視線も感じる。室谷ひとりだけがにこにこと笑っている。
「この情報はまだどこにも出ていませんの? ブログに載せてもいいかしら?」
精霊会の女性メンバー
「一般の方でご存じなのはあなた方だけです。どうぞ、ブログにでもホームページにでも載せて、いっぱい宣伝して下さい」
本名の答えに、藤見は「帰ったら早速みんなに教えるわ」などとはしゃいでいた。大道見星がらみのビッグニュースを先んじて知り仲間に教える。それは彼らにとって最高のステータスなのだろう。
その後見星は精霊会の輪の中に加わり、食事をつまみながら歓談に興じた。
本名も入り、番組のファンの声を拾おうとしているようだった。
「料理は楽しんでいただけましたか」
あらかた自分たちの食べる分を片づけた私と理真のもとに、室谷がコーヒーを持ってきてくれた。
「とてもおいしかったです」
私と理真の異口同音だ。理真もこれは本心だろう。
「よかった。安堂さんはどう見ましたか。今日の発表を」
「お金の匂いがプンプンします」
コーヒーにミルクと砂糖を入れながら、顔色のひとつも変えずにこの人は。
「本当に安堂さんにはかなわないな」
室谷は苦笑するしかない。
見星を囲んだ一団も食事を済ませ、円卓から離れた小テーブルにコーヒーカップを置いて陣取っており、ここの会話が向こうに聞こえないのが幸いだ。
「実際、この企画はほとんどが本名プロデューサー発案によるものなんですよ」
室谷はコーヒーを飲みながら教えてくれた。中身はブラックのままだ。
「先生をここまで大きくしたのは本名さんですよ。名プロデューサー本名
室谷の視線の向こうにいる名プロデューサーは、小さいコーヒーカップに角砂糖を三個も入れてスプーンをかき回していた。
「室谷さんはどれくらいになるんですか? 大道さんのマネージャー歴」
私は、このどこか厭世的な雰囲気を纏う男に少し興味を持った。
「先生がテレビに出始めたころからですから、もう二年近くになりますね。それまでは普通のサラリーマンでした。先生のことを知ったのも、当時深夜枠だった番組を見てからですし。『守護精霊の寝室』を作っている番組制作会社にたまたま知り合いがいて、僕も会社を辞めた直後だったので、大道見星がマネージャーを探しているがやってみるか? と声を掛けられたのがきっかけです」
会社勤めの経験があるのか。私も少しだけある。あまりいい思い出はないけれど。
「マネージャーがガチガチの見星信者じゃなくて、意外でしたか?」
いたずらっぽく私と理真二人に尋ねる。
「いえ、そんなことは」
何て答えたらいいんだか。理真はうんうんと頷いている。
「先生のリクエストだったんです。冷静に自分の仕事を見られるように、自分のことに興味のない人間を紹介してくれって」
それを聞いた理真は、
「いい考えです。マネージャーが自分の熱狂的なファンっていうのは、とてもやりにくそうです」
「おや? すると
そうだった。私は理真のマネージャーということになってるんだった。
「そうなんです。
「あはは、本当に面白い人たちだ」
室谷は腹を抱えて笑う。理真も笑っている。私は何て対応していいのか分からない。理真の書いた甘い小説(自分で言うか?)は全部読んでいるし、そもそもマネージャーではないのだから。
だいたい、ミステリなら理真も同じくらい読んでいるだろう。素人探偵としても活躍する以上、偉大な先輩方が活躍した過去の事件の記録小説を読むのは当然だ。
「僕も探偵小説は読みますよ。特に、エラリー・クイーンが好きですね」
室谷が好きなレジェンド探偵の名前を、理真が飼い猫に付けているとは言えない。
「ちょっと失礼。クロの様子を見てきます」室谷が腰を浮かし、「そうそう、この家に猫がいることは他の皆さんには内緒にしておいて下さいね。どうやら
私と理真は了解した旨を告げる。明日の昼にはここを出るスケジュールだから、クロの監禁期間はそれまでということになる。あとで遊びにいこう。
室谷が部屋を出たあと、こちらから無理にアウェイ感を感じることもないかなと思い、私たちは見星、本名、精霊会の語らいに加わることにした。加わるといっても、椅子を寄せて話しを聞くだけだ。
ちょうど大道星見が話し始めたところだった。
「私は冷房はほとんど使いませんね。寝るときは寝室の窓を少し開けるだけで十分です。夏が暑いのは今に始まったことじゃありませんからね。冷房のなかった昔から夏は暑かった。江戸時代に冷房はありませんでしたが、それでも人は今と同じように働き、生きていたんですから。
冷房があるほうが異常だと思えばいいんですよ。特にここ軽井沢の夜風は最高です。これを冷房の機械の風でかき消してしまうなんて、何とももったいない話です」
「しかしですね先生。軽井沢のような避暑地ならともかく、東京のビル街の暑さは、それこそ異常ですよ。私など、クーラーなしでは夏を生き延びられる気がしませんなあ」
プロデューサーの本名耕太が星見の持論に異を唱える。
「先生の守護精霊論は文明批判も含んでいますものね。精霊会の一員としては、身に沁みるお言葉です」
「私もクーラー控えようかしら」
藤見陽子も頬に手を当てて神妙そうな顔をする。
「無理をすることはないんですよ。過度に文明に頼りすぎることは良くないと私は言いたいだけなんです。本名さんがおっしゃったように、確かに都会の暑さは命に関わりますからね。死んでしまっては何にもなりません」
「先生にそう言っていただけると助かりますな」
と、これは本名ではなく精霊会員の峯
「それに、江戸時代にもし冷房があったら、みんな喜んで使うと思います」
大道見星のこの言葉に場は湧いた。
「ところで藤見さん、それはあなたの守護精霊ですか?」
歓談も一段落ついたところで、テーブルに置かれた藤見陽子の携帯電話に下げられたストラップを指さしながら、峯四郎が訊いた。見ると確かに何かのイラストが描かれた厚ぼったい携帯クリーナーが、キラキラ光る豪華な紐で携帯電話と繋がれている。
何だろう。若い女性キャラクターだ。平安時代を思わせる着物を着ている。
「ええ、私の守護精霊、
私は椅子からずり落ちそうになった。歴史上の人物もあり? だからそんなことをしていいのだろうか。本名ディレクターと他の精霊会の二人は、にこにこしながら聞いている。
「こうしていつも一緒にいて、私のことを守ってくれているんですよ」
藤見はストラップを人差し指で撫でた。携帯電話の画面を汚れから守るのが彼女の真の使命だ。
「そういえば、まだお互いの守護精霊を紹介していませんでしたね。私はですね、これです」
峯四郎が懐から立派な万年筆を取り出した。美しい光沢の木目に、これまた何かしらの人物が印刷してある。漫画の
先ほどのストラップといい、特別に作ってもらったものなのだろう。いくらしたのだろうかとかは考えない。
「ギリシャ神話の英雄ヘラクレスですよ」
これまたメジャーなキャラクターだが、実在の人物に比べればかわいいものだ。いかん、感覚が麻痺してきている。藤見が、まあ素敵などと言って両手を合わせる。
「保坂さんの守護精霊はどなたですの?」
藤見は残る保坂和志に話しを向ける。もう何が出てきても驚かん。織田信長でもジークフリートでも何でもかかってくるがいい。
「……あ、いえ、私のは、ちょっと……」
ところが、保坂は急に元気がなくなったように、曖昧に言葉を濁した。峯と藤見は、早く早くと急かす様子で保坂を見つめる。
「まあまあ」そこへ大道見星が割って入り、「守護精霊は無理に他人同士で見せ合うようなものではありませんよ。なるべく人前に出さずに、願いが叶うまで自分の中だけに留めて力を蓄えるという効用もあるのですから。保坂さんはきっと何かを大きなことを成し遂げようとして守護精霊に力を蓄えている最中なのではないですか」
「……ええ、まあ」
これまた曖昧に保坂が見星を見ながら答える。
「あら、ごめんなさいね保坂さん」
藤見が詫び、峯も同じく申し訳ないと保坂に詫びた。
いえ、そんなことは、と保坂は手を振る。
「でも守護精霊を見られたのは先生なんだから、先生だけは保坂さんの守護精霊を知っているわけだ」
峯が言うと、見星は、もちろん、と答える。
「保坂さん、あなたの願いは、必ずあなたの守護精霊が叶えます」
見星がやさしい微笑みを浮かべながら、保坂の肩にそっと手を置くと、
「ありがとうございます、先生」
保坂は見星の目をしっかり見つめながら答えた。
その後の会は、終始番組の感想だとか、今夜発表された企画に対する質問などに費やされるようだ。
早々に
ドアを閉めた直後、アウェイの試合を戦い終えた達成感からか、双肩が一気に軽くなったような気がした。と言っても私は何もしていないか。
「どう?試合終了の
私の心の内を見透かしたように理真が尋ねてくる。
「私はベンチを温めてただけだよ。ピッチで戦ってたのは理真のほうじゃない。試合は勝利と言えるんじゃない?」
「勝ちも負けもないわよ。さあて、お風呂に入って寝ましょう」
理真は両腕を上げて大きく伸びをし、肩の骨をコキコキと鳴らした。
「うん、でもその前にクロちゃんと遊んでくる」
私は階段のほうを指さした。
「私も行くー」
理真と私は一応精霊会のメンバー達に悟られぬよう、抜き足差し足で階段を昇り、二階へ上がった。
物置の場所はすぐに分かった。
二階の奥に明らかに他とは違う実用一辺倒な無骨な引き戸が見えたからだ。私はゆっくりと引き戸をずらしていく。結構重い。滑るように開くサッシと違いこれならば、いかなクロの力を持ってしても引き開けることは出来ないだろう。
少しずつ徐々に開ける。階下に音が聞こえぬようにという配慮もあるが、戸が開いた拍子に監獄から脱走してやろうと、引き戸の向こうでクロが手ぐすね引いて待ちかまえていないとも限らないからだ。
顔が入るだけの隙間を開け中を覗くと、窓から差し込む月明かりで部屋の隅にある丸い物体を確認できた。もぞもぞと動いている。間違いなく体を丸めているクロであろう。
二人で素早く中に入り戸を閉める。予想外の客の闖入にクロが頭を上げ、耳をぴくり、と動かして反応するのが分かった。理真が照明のスイッチを入れると、クロは蛍光灯の明滅にまぶしそうに目をしばたたかせた。
クロはフローリングに敷かれたペット用マットの上に丸まっていた。目の前には水の入ったものと、空になった二つの皿が置かれている。ごはんは完食したようだ。
「クロー」
小声で呼ぶと、黒猫は立ち上がり、まず前脚を伸ばし、続いて後ろ右脚、左脚の順に伸びをし、顔を二、三度振ってからこちらに近づいてきた。
遊び道具が何もないので、私は携帯電話のストラップを猫じゃらし代わりに振って見せた。ストラップの動きに連動し、クロの頭が右左と小刻みに運動する。前足を揃え体勢を低くし、お尻をふりふり瞳孔が大きく開かれる。獲物を射程に捕らえた証だ。刹那、右前足が繰り出されストラップを弾く。
ストラップの先端に付いているのは、新潟県のご当地キャラクターで
ちなみにトッキッキとは、トッキーとキッピーというニ体の朱鷺のキャラクターのユニット名である。黒猫の爪が、肉球が、二匹の朱鷺を襲う。
私のストラップは藤見陽子のもののように高価な代物ではない。物置に閉じこめられたストレスを思う存分晴らすがいいさと、二匹の朱鷺には悪いが、猫パンチの標的として差しだし続ける。
やがてそれにも飽きたのか、クロは朱鷺に対する猛攻を止め、床に寝そべる。
今度は理真が、クロの腹といい頭といい撫で回し始める。クロはゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
三分ほど経っただろうか。クロは未だ撫で回され続けている。こうなったら理真はしつこい。実家の飼い猫クイーンにあまり好かれていない鬱憤を晴らすかのようだ。
最初はマッサージよろしく気持ちよさそうにしていたクロも、さすがに辟易してきたらしい。その証拠に喉を鳴らすのを止めている。
「理真、もう戻ろう」
私は理真をクロから引き離した。そうしなければ朝までこの行為は続きかねない。ようやく撫で回しから解放された黒猫は部屋の隅のマットまで戻り、来たときと同じく丸くなって目を閉じた。私達の来訪が、いい暇つぶしになったのか、いい迷惑だったのか、それは分からない。
クロ、おやすみ。
「風呂、めちゃ広かったね」
バスタオルで髪を拭きながら理真は上機嫌だ。
「広いのはいいけど、泳ぐのはやめて。特にバタフライはやめて。あのバタフライらしきものは」
「いいじゃない。貸し切りだったんだし」
理真はクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと、メドレーよろしく次々に泳ぎを披露してくれたが、バタフライだけはいただけなかった。もしあれを公共のプールや海水浴場で披露したなら、溺れてもがいてるものと勘違いされライフセイバーが飛んでくること間違いない。
大道見星別邸の浴室は高級ホテルも逃げ出す豪華さだった。私はライオンの口からお湯が出る風呂を初めて見た。実在したんだ。
男女で時間帯を分けてもらって、私と理真は入浴した。もう一人の女性である藤見陽子は到着して早々にお風呂を済ませたこともあり、せっかくの機会、なるべく長く大道見星と話がしたいとの希望で、夜の入浴を辞退することになった。
そのため私と理真の貸し切り状態でライオンの風呂を堪能できる運びとなったのだ。
理真もちゃっかり用意された寝間着を着ている。もちろんバラのやつをだ。ガウンも夏用の薄手のもので、今は二人とも脱いでいるが、湯上がりで火照った体でなければ、羽織っていても十分涼しい。
私たちは、明日は少し軽井沢を散策していこうだとか、せっかくだから新幹線を使わず在来線でのんびり帰ろうだとか、そうすれば新幹線代との差額ですこし儲けられるだとか(これを言ったのは理真である)他愛のない会話をしながら眠りについた。
目が覚めた。
人間というのは不思議なもので、大きな物音で覚醒したとき、実際に音がしたのは眠っている最中であるにも関わらず、目が覚めた理由は音によるものだ、ということを自覚できるものだ。
理真も同じらしく、隣で布団をまくり床に足を付く音がした。
「理真」
私も起きあがる。
「
「うん」
私が答える間にも、人の声、床を踏む音などが、遠くから聞こえ続けている。
「行こう」
理真と私は寝間着の上にガウンを羽織って部屋を飛び出した。
この別荘の構造はよく知らないが、声のするほうへと見当を付けて廊下を走る。
ロビーを抜け、幾つ目かの角を曲がった廊下に人影が見えた。そこはどこかの部屋の前のようだ。左側にあるドアが廊下側に開いている。
廊下に立っている人物は峯四郎、藤見陽子、精霊会員の二人だった。両名とも寝間着姿だ。
二人は私たちが来たことにも気付かないようで、ずっと部屋の中を凝視し続けている。その表情は恐怖、怯え。何か恐ろしいものを見ているかのようだった。
「峯さん」
理真が声を掛けると、
「安堂さん……」
ようやく峯がこちらを向き口を開く。
「何があったんですか」
「安堂さん……」
峯は同じ台詞を繰り返した。
「先生が……先生が……」他の言葉を忘れてしまったかのような峯に代わり、藤見陽子があとを継いだ。「大道先生が、殺されたんです!」
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