第19話

天幕の外、本隊では未だ兵たちが勝鬨を上げていた。

全ての報告を聞き、鬨の声を聞いてなお、ジークの表情は晴れない。むしろ、心が沼へと沈んでいくようだった。

当然である。彼の意識はただ、何も出来なかったという無力感に支配されているのだ。初めて総大将を任された。成果を上げずには帰れない理由もあった。しかし、結果は勝利に終わったものの、それはほとんど逆賊タリムを討ち取った初陣のヴァイス、前線で戦い続けたギリアム、戦局を変えたサイガ、そして反省すべき点はあろうが突如現れた一騎当千の武将を同じく一騎当千の力で抑えた紅騎将ソルらの功績である。


「殿下。御目通り願います」

「……入れ」


幕内に入ったサイガが、彼の前に来るなり膝をついた。


「此度の戦。その用兵、調略、そして発生した被害。全て私の責任にございます。采配を完璧に振るうことが敵わず、そのくせ己の配下にはただ一人として死する者も無く、私自身も醜く御前で生き恥を晒しております」


一気にまくし立てるサイガに呆気に取られたジークが声をかけようとするより早く、サイガは更に懐剣を差し出して見せた。


「殿下。どうか、私をお手討ち下さい」

「なっ……!」

「何卒、御慈悲を」


沈んだ心を忘れたジークにふつふつと怒りが沸き上がる。


「馬鹿を申すな! そのようなこと出来るはずがなかろう!」

「ならば自刃し果てます」

「ふざけるな!」

「ふざけてなどおりませぬ!」


サイガは懇願するようにジークを見上げた。


「殿下。これは私の最期の献策にございます。我が首に責をお与え下さい。タリムの謀叛、ソルの暴走、軍の混乱、その全ての原因を一つと出来るのは私しかおりませぬ。七勇将に謀叛など起こってはなりませぬ。兵には最強のリンドヴルム軍である誇りを失わせてはなりませぬ。紅騎将に配下を顧みなかった戦歴を残してはなりませぬ」


いつの間にか外の勝鬨は収まっていた。悲痛な献策は何処へ逸れることも無くジークの耳に突き刺さる。


「某がタリムを懐柔し、ソルに偽報を流し、七勇将の分裂を図ったが殿下に看破され討ち取られたとするのです」


非力な自分のせいで、国のために死ぬとまで言う臣下がいる。

ただ一つ、確かなことはここまで不惜身命を尽くすこの男を、自分は失ってはならないということだった。


「サイガ。お前が死ぬことは許さぬ。俺は、失敗を悔いる者には叱責ではなく再起の機会を与える。死ぬならば、勝ち戦を重ねに重ね、国に尽くしきってからにせよ」

「しかし! 無様な戦の責を負わずして何が軍師、何が大督将でございましょうか!」

「そのくらいにしてくれ大督将。それ以上は我らに立つ瀬が無くなる」


幕内に現れたのは返り血で余計に紅色になっているソルだった。それに続くように、膨れっ面に痣を浮かべたシーナ、人一倍疲れきった顔のギリアム、逆に全く疲れた様子が無くいつも通り白い顎髭を撫でているバルト、そして、気を失っているヴァイスを背負うふらついたクラウスまでもが入ってきた。


「今日の戦、責を負うべきはお主一人ではない。これは我らの中にあった王者故の慢心が形作ったものだ」

「戦とは、女子の心の如くままならぬものよ。ただ一度の失敗を見るより、ここにおる皆が無事であったことを見ること。まあ、命を粗末にしたがるのは若人の特権ではあるがの」


クラウスは何かを思案しているように眉に皺を寄せながら声をかける。バルトが何故か可笑しそうに笑う。


「ワシはお前さんのように頭が回らん。誰が成功したのか失敗したのかもよう分からん。じゃからまあ、勝って生きてるってことで良しとしようや」

「私はお主のことを言える立場ではない。しかし、我等若輩の者どもは天下静謐の時代に生まれ育った。ここまで戦らしい戦は初めてだったと言ってもいい。我等は、これからなのだ。己の未熟さを恥じる心は失せそうにないが、な」

「ま、あたしは前々から大督将なんて大層な名前のわりに大した奴だと思ってなかったし? こんなもんで済んで良かったんじゃない?」


ギリアム、ソル、シーナも口々にサイガのことを責めず、苦笑する。

サイガは観念したように、改めてジークや諸将の前で伏した。


「……忝し。この恥知らずの命、生涯ただ王国のため使わん」

「ーーさて! 辛気臭いのは止めだ! 王都へ帰還するぞ!」


手を叩いたジークに従い、皆頷いた。




時を少し遡る。


レオーネの本陣は慌ただしく撤退の用意に追われていた。

だが、逃げ場が無い。

脅し穴熊はそういった計略なのである。

首領の男はキセルを蒸す。

笑みを崩さず、煙を吐く。


「首領の活路は俺が拓く。貴方にはレオーネに生きて帰って貰わねば」

「そんなに軽い命なら今すぐ丸腰で外出ておっね」


即答で腹心ローエンを詰ると、キセルを返して灰を捨てる。


「策はあるんだよ。ここにいる誰も死にはしない」

「……そうか。この状況すら想定内なら本当に恐ろしい人だ貴方は」

「しかし強かったなリンドヴルム王国は。さて、次はいつ俺の掌上で踊ってもらうか」


遂に余裕を最後まで崩すことがなかったこの男は、この後に遺体が発見される 。

突如火を上げたレオーネ本陣から、『顔もわからないほどの火傷を受けた』遺体が。

証拠はキセル一本。

証言者は投降兵。

王国軍にこの男の顔を見たものはいない。

開戦直後の紅騎将の挑発にも、本陣を出ることがなかったのだから。




かくして天下静謐を破り、このレギンレイヴ平野にて起きた戦は、リンドヴルム王国の勝利に終わった。

しかし、王国がその柱石たる七勇将を二名も喪ったという戦果は、長く続いた平和によって大陸の覇者がいかに弱体化したかを国内外へ知らしめることとなった。


後の世に歴史家は語る。

半日にも満たないこの小さな戦こそが、王国と二頭の龍を動乱の渦へと巻き込む遠因となったのだ、と。




第一章 了

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双龍英傑伝 悪久 @AkuHisa

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