第10話

 さて、そんなことがあって、わずかに一刻ばかりののち。

 騎士宣言ふくめていいたいことをいって飯賀をとびだし、もはやお尋ね者にまで指定され、ゆえに飯賀者は血まなことなって彼をさがしだそうとしだしているのに——当の薬師黄太夫は、平然と舞い戻ってきていた。

 ……しかも、万里庄兵衛、長谷寺丈馬、千倉織之助、社甚左の四人までつれて。

「桃じいも、耄碌したものだ」

 その桃地丹羽の屋敷の屋根で、声を殺すでもなく、黄太夫がいった。

「わしが首だけもってかえったといって、そのあとが身体だけとはかぎるまいに」

「しかし、驚きましたな。蘭丸めが、切れば切るほど増えるとは」

 これは、庄兵衛だ。

「道理で、あのとき『五人』などとぬかしたわけだ」

 丈馬が思い返して、うなづく。

「しかも、きゃつ、『まことのお蘭』をめぐって、蘭丸同士で争いだすというではないか」

 織之助が含み笑った。となりで、遠くを眺めていた甚左が、そのとき「おっ」と声をあげた。

「あれではないか?――それ、来なすった」

 遠く――というほどでもない、刃隠れ谷を囲む山やまのあたりに、かすかに地面が脈うっているように見えるところがある。一方向だけではない。東西南北、さすがに川はさけているが、あとはほとんど隙間なく、ずずぐろい肌が密集している。

「ずいぶんと増えたなあ。まあ、出水からここまで、相争ってきたのなら無理もあるまいが」

 感慨深げに、丈馬がいったが、はたしてそれが「感慨」の対象たるにふさわしいものであったか――

 飯賀の地をかこんで、ざわざわと押し寄せてきているのは、無数の匪土蘭丸であった。五人は、これこそを見にもどったのである。

 刃隠れの忍者たちも、異変に気づいて、蘭丸でうずまった四方をゆびさし、口々に騒ぎだした。

「丹羽さま! 丹羽さま!」

 平蔵、五左衛門の二人が屋敷にふたたびすっとんできて、

「蘭丸どのが――帰っておいでのようですが……」

「お一人ではありませぬ。いかがいたしましょう」

 丹羽も、匪土蘭丸たち(匪土蘭丸の複数形)を見た。半開きとなった口のはたから白い泡がふきこぼれ、眼がぐるりとひっくりかえって、彼は直立したまま失神した。さっきのトラウマもあるかもしれない。

「立ち往生、ならぬ立ち気絶とは恐れ入る」

 屋根のうえでは、社甚左がにやにやして、

「あの爺い、ひとが修行しておるときにはやれ気合が足りぬ、念力が足りぬとぬかすくせ、蘭丸ごときでこのざまとは」

「しかし――どうして蘭丸は刃隠れに戻ってきたものか? いかが思われる、黄太夫どの」

 織之助が、まじめくさって尋ねた。

「帰巣本能ではないか?……あるいは、わしを取り殺すとかぬかしておったから、飯賀をすてたとは思いもよらずに捜しに戻ったのかもしらん」

 と、黄太夫はいいかげんな返答をした。

「それより、見ろ」

 ……といったのは、津波のごとくおしよせた蘭丸の群れに恐惶をきたした一部の忍者たちが、あろうことかそれを刀で斬り、鎌で断ち、棍棒で叩きつぶしている光景だ。当然、血肉は飛び散って、あたりは阿鼻叫喚の様相を呈しているが、それでも死人がひとりも出ない、どころか人は増える一方だから始末に負えない。さらには――

「ひいいぃ、おぞましや。これ、これを拭いてたもれ」

「無礼者! 何をしやる、左様なまねを、このお蘭にいたすか」

 血を厭い、攻撃に憤る蘭丸の声が、増えたぶんだけ音量をましてあたりに響く。はや刃隠れの谷は、蘭丸に埋め尽くされていた。物質的にも、ひろがらなければ次がつかえるのも確かではあるが、

「……やっぱり、わしを捜しておるようでもあるな」

 分断されて、再生途中のやつをのぞいては、できるかぎり刃隠れのすみずみに拡がってゆこうとしているのを見て、黄太夫がつぶやいた。

 とはいえ、蘭丸にしては思わぬ方面からの「攻撃」をうけ、また自分以外の蘭丸を始末しようともしているから、相当、その目的はおろそかにされ、忘れられかかってさえいるようだ。

「しかしここで見つかって、この数に纏いつかれてはたしかに厄介」

 薬師黄太夫は腰をあげた。

「いや、それより、かようなものと正面から闘うのは馬鹿馬鹿しいわ。さっき桃じいに頼まれただけは片付けたから、これ以上手を貸すのもよけいな世話というものであろう――これで飯賀が滅びるとは思わぬ、それほど軟弱な飯賀の忍者とは思わぬ。

 ただ、これを片付けるにかかる丸一日以上を、ずっと見ておるのもちと退屈。……第一、気色わるい。それに、首尾ならばここでなくとも知れること」

 あとの四人も立ち上がって、それにようやく地上の連中が気づいた。

「薬師黄太夫!」

「おお、万里に長谷寺もおる」

「千倉、社、うぬら、薬師にそそのかされおったな!」

「あれ捉えよ!」

 と、威勢はよいが、駆け出そうとしたところで蘭丸に足をとられ、そのままへばりつかれて、どうと転んだ。もともと蘭丸を手足にひきずったまま叫んだやつもいるから、実質追っ手は皆無にひとしいなかを、五人の里をすてた忍者は、ゆうゆうと去ってゆく。


   ***


 さて、もとは相手の奇襲に対抗するため、窮鼠猫を噛むというべき奇襲にこちらもでた出水唐実からさね氏であったが、はからずも、というべきか、調子にのって、というべきか……織部半三はともかく、将軍まで殺してしまったせいで、あとにひけなくなってしまった。

 娘に対する執着から幾度となく曲者をおくりこみ、最後には唐実外記げき自身の落ち度はなにもないのにその城すら攻めたのは、完全に将軍の非であるが、さてそれでは唐実外記に将軍を討つ大義名分があったかというと、……苦しい。

 苦しいから、唐実外記は耶摩門にある将軍の御所まで攻め入り、そこを占拠するよりほかなくなった。毒をくらわば皿まで、彼はひらきなおって、おのれが支配者に――力づくの正義にならんとしたのであった。

 ……それもまた、あまりにむちゃであったが。

 外記に襲撃された際に御所からのがれた義尊よしたかの一子が、将軍襲位を宣言し、それに幕府の重職についていた連中をはじめとして少なからぬ大名が味方し、唐実外記を討つべく挙兵した。

 一方で、幕府とは疎遠の大名たちには外記の味方につく者もあり、我関せずをきめこむ者もあった。

 さらに、あっちこっちでおきた戦の、その混乱に乗じてひたすら私利私欲を追う者もあらわれ、美芳みよし氏の家臣竹永たけなが大忠だいちゅうのごときは、主家をほろぼしてその土地と権利をごっそり奪いとった。

 要するに、世のなか全体が乱れにみだれた。道徳も秩序も、こうなったらあるものではない。

 戦乱のなかで、そのすべてのひきがねたる出水唐実氏もあっけなく滅び、その本拠の出水城は炎につつまれた。――ただ、そのあとに外記の一女・はちす姫らしき遺体はみつからず、かわりに、くずれおちる居館に疾風のごとく飛び込んだ男が姫君装束の美少女をかかえ、従者とみえる四人とともに南へと駆け去ったすがたを、足軽数人が目撃していた。


 おりしも、中秋の明月が青く天上にかかるころ。



【醒之忍法帖 了】

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醒之忍法帖 楊生みくず @yagyu392

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