人の想い喰う様虎の如し

 喰わずには生きていけない。


 これは言葉の通りであり、人間にとって生き物にとって一つの摂理である。喰うために食糧を得る手段の確保は欠かせないことであり、故に人間は働くことを必要とするのではないだろうか。


 ある老婆は祝詞を汚してでも明日へと命を繋がねばならなかった。祈禱師が占う言葉の真偽によらず、人の心へ安泰をもたらし、心の変化に救われた者の恩賞に与かることで祈禱師は生きながらえる。人の心にゆとりあり豊かなときは施しも多いが、生活貧窮でゆとりなきときには悪鬼のごとくその当たり外れに厳しくなるものだという。それを鎮めるにも神託というものの都合がいいことをよく知っている老婆は人のため、廻っては己がために祈禱をする。祈禱は聖職性を失い、人として生きるための職へと成り下がっていくとしても、老婆は生きることを続けている。


 ある老夫は猟銃を持ち山へ通い、猟のできない代わりに山賊との取引にて名誉と獲物を得ていた。ただ一度、村に出た虎を仕留めたのみがそれまでの裏付けとして彼をまた生き苦しくさせたことも事実であった。老夫は虚偽の名誉と唯一の手柄のみで生きねばならなかった。だから山賊の捕まった後もその頭領がまだ生きていることにすがる想いで空砲を放つのだった。老夫のそれまでの生活はまったくもって失われてしまったが、それでも老夫は生きることを続けている。


 人は生きる手段をもっているからこそ生きていける。しかしある者は人への想いや極まった感情によって生きていることもある。


 ある女は一人の男に想いを寄せていた。しかしその女は不幸にも山賊捉えられてしまう。はじめただただ捕えられた恐怖しかなかったが、その頭領の好意を知ると己の身に危険があるわけではないと次第に気付いていく。そして頭領は求婚の印に好きなものを狩ってみせようと言いだしてきた。女は求婚を受けるわけにはいかず、不可能と思われる大虎を頼むことにした。直接求婚を断ればすぐさま殺されてしまうか連れ去られてしまうかもしれないと考えたからだ。また頭領が虎を狩れなければ反故されたものとして断ることができるし虎に喰われたとしても女の生活にまったく問題はなかった。その願いを叶えると誓った頭領の真剣さに女は申し訳ない気持ちもあったが何より女には想う男があり、そうでなくとも山賊の生活に対して自尊心が許さなかった。女は想う男のために生きることを続けている。


 頭領は女の願いを叶え、嫁に迎えたいと思っていた。しかし大虎を狩ることは難しく命の危険さえあった。己一つの身ならば命落としても悔いはないかもしれないが、頭領という立場が死ぬことを許さなかった。まだ跡継ぎもなければ頭の切れる者も力の勝る者もない子分たちでは次期争いは想像に容易い。また今の生活はいたって平穏であった。それというのも狩りをすればそれと引換えに老夫が食糧や情報を持ってきてくれたからだった。その生活を終えることも心残りであったのだろう。頭領は死ぬことへの恐怖を覚え始めると女の言葉を疑い出していた。女は己にはじめから死んでほしいから言ったのではないか。いや本当に虎が欲しく、もしくは虎より強い男に添い遂げたいと考えて――。頭領は惚れた女の言葉を疑いきれず次第に狭い思考の中で気を狂わせていく。死ぬならその前に女と寝たい。本能がそうさせたのか男の思考が狂わせただけなのか、頭領は朝早くに山を下りると女が山菜採りをしていた。そこで男は理性を失い獣のごとく女を犯した。気が付いたときには女は視点も合わないままに放心していた。頭領はそれを見て恐ろしさが込上げてくるとその場から逃げだす。後悔とも怒りとも悲しさともつかぬ感情を抑えられずに小屋で悶え、罪を償うにしろ命を賭して罰を受けるにしろ虎を狩らねばならぬと考える。命を惜しむこと以上の感情ゆえに生きることも考えず山へと走り出し、行方知れずのままとなった。


 ある役人は一人の女に想いを寄せられていた。また男も寄せていた。故に二人は結婚の日取りを決めていた。男はそれだけで十分死ぬわけにはいかなかった。山賊が虎が出たと言い、里で虎が出たと聞いたため山中を捜索することになったのだ。しかし虎は見つからず、喰われたと聞く頭領の姿も見つからぬままであった。男はすぐ虎に襲われたと聞いた村娘の、女の家へと向かうも門中にすら入ることを許されぬままに追い返されてしまった。男は女が頭領に犯されたとは露知らずにいたから、門中へすら入れぬ女の想うところなど解るはずもなかった。


 幾人か挙げたがこればかりではない。里の者たちにもそれぞれ生活がある、生きるために喰っているいるのだ。または何かへの想いや極まった感情によって生かされているのだ。

 老婆は里の者を喰い生活を潤した。老夫は山へ行くももうまともに喰っていくことはできない。

 一度人を喰った者は幾度となく人を喰う。それでしか生きていけないとしても、喰わずには生きていけないこともまた事実なのである。

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想喰 狐夏 @konats_showsets

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