ラーメンハンター
めらめら
ラーメンハンター
「この店が『
じっとりと生温かな空気が肌に張り付く様な、梅雨曇の午後。
あたしは、人通りもまばらな路地裏に佇む、小さなラーメン屋の店先に立っていた。
営業時間の短さもあって、ラーメンマニアの間では今、ちょっとした『幻の店』として評判なのだ。
正直、平日昼間の営業しかない店のチェックは、学生の身分では結構ハードルが高い。
それでも今、気鋭の女子高生ラーメンブロガーとして人気急上昇中のあたしにとって、この店は、絶対に押さえておかないといけない
軽快なフットワークと鉄の胃袋、そして、ブログでの露出にも耐えるちょっとした貌立ちの良さが、あたしの強みだというプライドもある。
ここで一気に知名度を上げて、今をときめく『麺聖十二神姫』の二期メンバーとして、ラーメンシーンに華々しくデビュー! 夢は膨らむばかりだ。
そんなわけで、放課の鐘が鳴り終わるのも聞かない内に学園を飛び出したあたしは、息を切らせて
それにしてもこの店……HPで店構えを見た時から、何かが気になった。
うなじの毛が、幽かにチリチリする。そう、『奴ら』が近くにいるときに感じる、『あの』の感じに似てるような……?
「まあでも……まさかラーメン屋なんかでね――!」
あたしは一人そう呟くと、妙な疑念を頭から振り払った。
今はラーメンに集中! あたしは味への期待と、今夜のブログのアクセス数に胸を高鳴らせながら、店の入口の引き戸を開けた。
#
「へいらっしゃい!」
カウンター十席の狭い店内で、厨房から
あたしは店内を見回す。店構えこそ古いけど、客席も厨房も掃除が行き届いている。うん、まずは合格だ。
カウンターには先客が三人。みんな、周りには目もくれずに、一心不乱にラーメンを啜っている。
ズゾゾゾゾ。
ズゾゾゾゾ。
ズゾゾゾゾ。
「醤油ラーメン。」
あたしは着席しながら、躊躇いなく基本メニューを注文する。
「へい、醤油いただきました!」
店主が朗らかに復誦。
あたしは厨房の方に目を遣った。店主が麺を茹で始める。
白髪まじりで、もう、お爺ちゃんと言っていい齢の店主だけど、調理の身ごなしは素早く、動きに全く無駄がない。
これは……期待以上かも。
ん……? 厨房を見渡したあたしは気付いた。
調理師免許証のすぐ脇に掲げられた、軸装された全懐紙に。
『一魂一麺』……店主の直筆だろうか?
気合入ってんなー。あたしは嬉しくなった。
そうこうしているうちに、手際良く調理を終えた店主が、あたしの席にラーメンを運んできた。
透明なスープに強めの細縮れ麺。悠々とスープを泳ぐ大きな巻きバラチャーシューは二枚。
あれ……? あたしは首をかしげた。このラーメンのルック、かつて一世を風靡した東京の御当人ラーメンに酷似したスタイル。
インスパイア系? まあいいか。問題は味の方……あたしはレンゲでスープをすくって、口に運んだ。……え?
「これは……! イ、イケてる!!」
あたしはびっくりした。牛骨、鶏ガラの動物系
自家製と思われる麺も、隙の無い茹で上がり。一見凡庸な低加水の縮れ麺だけど、ハキハキとした食感で、スープとの絡みも文句のつけようがない感じだ。
でも……それだけじゃない!
味の決め手、それはタレ! 強めに効かせた醤油ダレに潜んだ『何か』が、端正なスープに独特の野趣と迫力を与え、ダシのうまみを何倍にも引き立たせている!
「『ししびしお』……ね?
あたしはそう確信して、店主に訊ねた。
「へへ……どうですかね……」
店主がニヤリと笑う。こいつ、できる! なかなかに喰えない男! でも……!
ずずず……。
あたしは一気呵成にラーメンを啜って、スープを飲み干すと店主にこう言った。
「まったく……がっかりなラーメンだった」
「なん……だと?」
店主の目がギラリと光る。すかさずあたしは畳みかけた。
「この一杯……おそらくは『神道無麺流』の麺技を独学でリスペクトしたもの……たしかに独自の美味さと洗練がある。でも……」
あたしは続ける。
「『オリジナル』にあった強烈な塩味が殺されている! スタイルだけを模倣してスピリットを失った死に体!」
あたしは冷たく言い放つ。
「
一本取ったぞ! あたしは心の中でサディスティックに嗤った。
他にお客もいる中で、傲岸不遜な態度に見えるかもしれない。
でも、まずは一発かまして、その店本来のポテンシャルに辿りつく。
それがあたしのラーメン
「くくく……面白い嬢ちゃんだ。いかにも! このラーメンは駄弱な一見客を試す、ほんの小手技! 喰らってみるかい? 俺のラーメン道40年の精華、『デビルズ・リジェクト』を!!!」
思った通りだ。店主は全く動じない。彼は不敵に笑ってあたしに言った。
「いいでしょう、望むところ!!!」
裏メニュー! これぞラヲタ冥利! あたしは武者震いしながらそう答えた。
#
「へい、スペシャルおまち!」
程なくして供されたラーメンは、真っ黒なスープに縮れ麺の泳ぐ特異な佇まいだった。
チャーシュー、メンマの類は一切乗っていない。
「光麺か……具など飾りに過ぎないってことね? 面白いわ……」
あたしは期待に胸を膨らませてスープを口に運んだ。
んー? 一瞬、強烈な醤油の塩辛さがあたしの舌を震わせる。
追って、とんでもなくふくよかなダシの旨みが、あたしの味蕾をフンワリと包む。
間違いない。『あの店』の味の理想的なブラッシュアップ、この店が目指した、本来の味だ。
「あぁはぁ……」
あたしは思わず、陶酔の声をあげた。美味しすぎる、このスープ……!
でも……ザワワ!
何かがおかしい!
あたしのうなじの毛が逆立った。
いけない! あたしは必死で、スープを飲みこみそうになるのを抑えた。
次の瞬間、ずるん。
丼の漆黒の中で、何かがうごめいた。
ずちゃ! 黒スープを跳ねあげて丼から飛び出したヌルヌル。
「いぅうぅ!」
あたしは引き攣った声を上げる。
麺だった。丼から飛び出して来た麺が、漆黒のスープをたっぷりと滴らせながら、あたしの顔に張り付くと、口や鼻から、あたしの中に這入ってこようとしてる!
「ふぅぐぁあああ!」
たまらずにカウンターから転げて、床にのたうつあたしの体。
熱さと息苦しさで悲鳴をあげたあたしの口の中に、加水率の高いプルプルとした縮れ麺が、容赦なく潜り込んできた。
麺が……ヌルヌルの麺が、あたしの舌と口内を、ウズウズと愛撫していく。
あたしは再び、気が遠くなりかけた。
あ。やっぱり……美味しい……気持ちいい……!
でも……! いけない! しっかりしろ!
間違いない、この店は、『奴ら』の『
グチュ!
あたしは口内を犯してくる『それ』を必死で噛みちぎり、吐き出すと、顔を覆った麺塊を両手で引き剥がした。
「うぁああああああ!!!」
どうにか『デビルズ・リジェクト』を退けたあたしは、絶叫しながら床から跳ね上がると、粘ついた黒汁に塗れた貌を上げて厨房の中の店主を睨みつける。
「おやおや……俺の『洗礼』を拒むなんて……美味いラーメンが喰いたいんじゃなかったのかい?」
店主が、ニヤニヤと嗤いながらあたしに言う。
なんてこと、その店主の瞳に不思議な光。緑色の焔を燃やしてギラギラと輝いているのだ。
あたしは、全身が総毛立った。この男! やっぱり『奴ら』と取引を……!
「悪いわね! 産地『異次元』て知ってたら、ちょっと遠慮してたわ!」
そう言ってあたしは、戦慄きながら厨房の壁を見上げた。
どこからともなく吹きこんできた生臭い風に、『一魂一麺』の掛け軸がハラリとめくれ、床に落ちた。
ああ。掛け軸の下から現われたのは、革張と思しきグニャついた装丁の異様な古書。
『
ガタン、ガタン。
今の今まで、脇目も振らずにラーメンを啜っていた先客たちが、椅子からのっそりと立ちあがった。
「あーうー……」
ああ、うめき声をあげながら、あたしに迫ってくる客達の顔を見て、あたしもまた絶望に呻いた。
……彼らも、既に『洗礼』を……!
客達の濁った眼玉が、ポコリと外れて床に落ちた。
いや、眼球ではなかった。
虚ろな眼窩から次々と零れ落ちて、コロコロと床を転がって行くのは、由来も解らぬタレでほんのり色付いた、艶やかな『味玉』だった。
その口や鼻からは、ウズウズと蠢く黄褐色の細麺が止めどなく流れ落ちて、床に滴って行く。
その頭部から抜け落ちて行く毛髪の間を断ち割る様に生えて、伸び上がって行くのは瑞々しい『穂先メンマ』だ。
なんてことだ。
この店では、常連客の肉体から『食材』を調達しているのだ。
「マスター! ちょっとマニアックすぎるよこの店! リピートは無し!」
あたしは慌ててカウンターから離れると、店の出口の引き戸を力一杯引いた。でも、ビクともしない。
「嬢ちゃん! さっきは調子コいてくれたな~! なにがスピリットだ~? 聞いた風な事を~!」
店主が憤懣に顔を歪めてあたしに叫ぶ。
「だが、お前さんの舌と、食べ歩きだけは認めてやる! まず、俺のラーメンになる『資格』は有る!」
店主があたしを指差す。
「さあ! おまえもラーメンにその身を捧げろー!」
店主が緑の瞳をギラギラさせながら高笑いする。
客達があたしを取り囲んで、あたしの両手を抑える。
ぺたり。客の口から飛びだして来た厚切りのチャーシューが、あたしの頸筋に張り付いた。
「いや!」
あたしは思わず悲鳴をあげた。
何匹ものチャーシュー達がプルプルとその身をうねらせながら、あたしの頸を這って、胸元まで潜り込んでくる!
ずにゅるるるるる……!
床に撒き散らされた麺達が、あたしの剥き出しの脚を這い上がって来た。
「ひぅう……!」
あたしはおぞましさに体が竦んだ。こいつら…………?!
あたしのスカートの下、ブラウスの下にまで潜り込んで、あたしの皮膚を麺頭で突きさすと、あたしの中に……『這入って』くる!
「ひ……ひぃいやぁああ!!!」
あたしは身もだえして絶叫する。
麺達が、あたしの内で、ヌラヌラと蠢くのが、わかった。
でも……痛くは無かった。
もどかしいような、くすぐったいような、
……だめ、なんだか、ぃイ、 キ、 モ、 チ…………
ジュルン。
あたしの手が、足が、いきなり『
何千本もの細麺に解体されて、床に散乱するあたしの手足。床に転げるあたしのからだ。
「ぎゃはは! い―ぞぉ! おめ―らラヲタの欲望にまみれた魂が、俺にすげーラーメンを創るパワーをくれるのさ―!!」
勝ち誇る店主。
「まずい……どうにかしないと……」
床に撒き散らされたヌラついたスープに頬を浸して、あたしは力なく呟いた。
#
店内を湿った風が渡る。血が香る。闇が熱を持つ。
床に転げたあたしの顔の眼前に、闇が降りてきた。今では、あたしの眼にも、はっきり見える。
厨房を覆った闇の向こうの狭間から、店主を操っている異形が。
地の底のマグマで焙られた巨大な寸胴状の釜の中。幾万束にも寄り集まり、奇怪な歌を喚きながら、蠢き、千切れ、結ばれ、ズルズルとうねった黄褐色の線虫たち。
『淫食の神』、『蛆の王』、『闇喰らう細虫』、『猖獗の
…………『ヨグソグゴス』……!!
びょおびょおびょお。
漆黒の漿液に塗れたあたしの頬を、湿った風が撫でてゆく。
風が、崩れかけたあたしの耳元でおかしな
ふんぐるい~むぐるうなふ~くとぅるう~るるいえ~うがふなぐる~ふたぐん
もういいや……もう『還ろう』……
あたしはなんだか、なげやりな、どうでもいいような、妙に安らいだ気持ちになってきた。
このまま虚ろな世界に還って、闇と静謐と苦痛と呪詛を舐めながら、無限を漂い、永遠にまどろむ。
まあ、それも、悪くない。
……いや。
だめだ。
あたしの中の何かが、それを制した。
誰に誓った? 自分に誓った!
『あいつ』の魂を見つけて、この手に取り戻すまでは、
この世界は、『同族』の好きにはさせない!
あたしは目を開けた。
「
あたしは叫んだ。
グン。どうにか残った一本足で、あたしの体が、
「なにぃ!」
店主が戸惑いの声を上げた。
「
あたしは、床一面に撒き散らされた、かつてのあたしの手足に命じた。
じゅるんっ!
途端、淫らな麺塊になり果てたあたしが寄り合わさると、あたしに再結合して、元の、しなやかなあたしの手足を形成した。
「
両の脚でスックと立ったあたしは、嗜虐の焔を瞳に灯して、客どもに命じた。
バツンッ! バツンッ!
客達の体が弾けていく。中に巣食っていた、『ヨグソグゴス』の眷属達が、床に飛び出て来た。
「ギシャ~~~!」
汚らわしい線虫の塊が、あたしに吼える。
「
あたしは出来たばかりの右手の二指をパチリと鳴らした。
ぼおお。途端、線虫から噴き上がった漆黒の焔。
「ギシャピキャキチュア~~~!」
汚らわしい線虫の眷属は、瞬く間に黒い氷に覆われて、粉々に砕けた。
「『
店主が、驚愕の声を上げた。いや、もう店主の声ではなかった。
店主の背中から聞こえてくる、幾万もの線虫が寄り合って形成した声帯から発せられた、しわがれた声。
『ヨグソグゴス』の声だった。
「まさか! お前! 『жжжж』?!」
虫どもが、あたしの
「何故だ!『あの御方』の力を身に宿した者が、何故ワレラの邪魔を~~!」
『ヨグソグゴス』の声に、恐怖と混乱の色が浮んだ。
「イカモノ喰い、カニバリズム、スカトロジー、人間の『食』への情念がお前達の『
あたしは投げやりにそう答える。
「ラーメンとは
ぴたり。あたしは店主を指差した。いや、店主の背後の線虫の眷属を。
「悪いけど……『他所』でやってよね!」
そう言って線虫どもを睨みつけ、
「連れていけ!」
あたしは号令した。
すると、バキン。
店主の背後の厨房の景色が砕けて、異界の闇が姿を現した。
「ぐっきゅるっるるる――――ん!!」
闇から這い出て、蒼灰色の燐光を発する汚らわしい粘液を滴らせたケモノ達が、幾匹も店主を取り囲んだ。
あたしの、『飼犬』だ。
「『猟犬』!? そんな! いやだ―――!」
泣き叫ぶ店主。でも、もう遅い。
「ぐっきゅるるっ――!」
猟犬が店主と、彼に巣食っていた線虫の眷属に飛びかかると、店主ごと、『奴ら』を攫って『彼方』へと引きずって行く。
「うぉあぁあああ~~~! ニンニクゥ! アブラカラメ~~~~!!!!」
『ヨグソグゴス』の断末魔。
バキン。
次の瞬間、闇が閉じ、厨房は再び元の景色を取り戻した。
店主も、変なラーメンも、もういないけど。
#
「ふうぅぅ……」
ヌチャ。
あたしは、スープと麺が撒き散らされて、グチャグチャになった店内にぺたりと尻もちをついた。
とんだアクシデントだ。
『夢見の野』や『山脈』での散策中ならともかく、まさか、『食べ歩き』でこんな事故物件に出くわすなんて。
でもまあ、たまにはこうゆうこともある。
あたしは気をとりなおして、床から立ち上がる。
いい店を探し当てるのは、本当に難しい。『あいつ』のいないヒトの世の退屈を紛らわすために見いだした趣味ではあるが、あたしは結構、気に入っているのだ。
「コータ……」
あたしはポツリ、『あいつ』の名前をつぶやいた。
何故なのだろう? 万能なるあたしの視野の外、この世の果てのどこかに飛び去ってしまった『あいつ』の魂を探し当てるまでは、この世界を『お仲間』の好きにさせるわけにはいかないのだ。
それにしても、今日のラーメン
あたしは、暗澹たる気持ちになりながら、店の出口の引き戸を開けた。
ラーメンハンター めらめら @meramera
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