呉で作ってる宇宙船と江田島の家

さわだ

呉で作ってる宇宙船と江田島の家

地鳴りの様な音が聞こえた。

ゴロゴロと何か古めかしい内燃機関が動いているような規則的な連続音。

寝ていたハルカは目を開けると、その音を鳴らしている白い物体が目の前に立っていた。

「なんだまたビートさんか・・・・・・」

まるで巨大な毛玉のような丸く肉付きが良い白い猫はハルカの言葉に動じること無く、枕元に座り込んで喉を鳴らしていた。

「朝?」

窓から差し込む光、古い木造家屋の畳敷きの部屋は明るく、少し埃が舞っているのが見えた。

「ビートさんお腹空いたの?」

声に反応したのか、白い巨大な毛の塊はさらに地鳴りを部屋に鳴り響かせた。

「時計、時計・・・・・・」

枕元に置いた黒い手の平に収まるサイズの円柱にさわるとホログラム時計が空中に表示される。時計はセットしたタイマーまで若干時間に余裕があることを示していたが、もう一度布団を被るには危険な残り時間だった。

ボサボサの長い髪をそのまま、上半身を起こしてハルカは腕を組んで考え込む。

枕元で丸くなっている猫のビートが鳴く。

「わかりました」

布団から出てハルカは立ち上がり、襖を開けて廊下に出て台所に行く。

開けっ放しの襖から、テコでも動かないと思われていたビートさんは短い足で立ち上がり、あまり代わり映えのしない毛玉の塊のような姿のままハルカの後を追う。

台所に立ってビートさん用のドライキャットフードをお皿に入れて、別の皿に水道の水を入れる。

居間にはテーブルと椅子、ソファーなどに衣服が雑多に掛けてあったり、クッションが床に乱雑に転がっていたりと綺麗に整理された様子は無い。

「テレビ」

ハルカが呟くとテレビの電源が自動的に入った。

画面のキャスターは、暴風雨が近づいて全国的に大雨警報が出ているという事を伝えていた。

ハルカは画面を一瞥すると居間のカーテンを引いてない窓の外を見る。

暖かな光が差し込んで、窓に近づいて空を覗き込むと小さな雲が幾つか浮かんでいる穏やかな青空が広がっていた。

「いつのニュース?」

ハルカの言葉に反応してディスプレイには「二千百二十年五月」と表示された。

「なんで千年も前のニュース流したの?」

画面には「ランダム設定+千年」と表示された。

画面に過去千年の朝のニュースからランダム表示する設定したのはハルカだったので、テレビにしてみれば貴方の指示ですと言いたいようだった。

百年前後だと暗いニュースというか、映像付きのニュース自体が減っているので流す物が無い。

地球上のニュースが毎朝色々な映像、解釈付きで流れていたのはもうハルカが生まれる百年も前の事だった。

今、ハルカの住んでいる地球では毎日ニュースは世界を駆け巡っていなければ、誰も興味を持ってニュースというものを日々見ていなかった。

それでもハルカが朝ニュースを見ようとするのは、何も音が無いとまた寝てしまうからだ。ニュースというのは程よく音が出て、関係ありそうで関係ないことが流れて来てれば良い。そうするとこのニュースは自分に関係ある関係ないと判別しようとして頭が働き始めるので、朝起きる頭の準備運動としてはちょうど良いのだ。

椅子に座ってテーブルに肘を付き、昔のニュースを見ながらハルカは頭を働かせる。どうやら自分は暴風雨の映像には若干興味があった事が分かった。

「ねえビートさん、ハリケーンってどれくらい凄いのかなあ?」

映像で荒れる海を見ながらハルカが呟く。

ハルカは台風を見た事が無かった。知識としては南の暖かい海で発生した暴風雨が北上してこの列島に沢山の雨をもたらすものとして、昔の人は恐れたらしいということは知っている。

だが寒冷化の始まった地球では活発な気象活動は既に止まっていて、台風など季節風に影響される気象現象は殆ど発生していない。

「ニャア」

身体に似合わず可愛い声でビートさんが鳴いているので再び台所にハルカが戻ると、すでに餌の皿は空っぽだった。

「よく食べるねビートさんは」

ハルカが喉を撫でるとビートさんは目を細めてまた鳴いた。

「さて、私も準備するか」

まだ餌が足りないのかビートさんはハルカの足に擦りよったが、ハルカは気にもせず顔を洗いに洗面台の方へと向かった。

誰も居なくなった居間ではまだ千年前のニュースが流れていた。






「あー寒くなったなあ」

ハルカが引き戸を開けて家を出ると、目の前には海が広がっていた。

少し入り組んだ小さな湾があって、海を挟んだ対岸には山がある。ハルカの住む一軒家の裏側も山があって、山と海の間の狭い土地に人が住む家がある典型的な瀬戸内海の風景。

茶色を基調としたセーラー服は女の子らしい赤いタイが胸元を飾っているが、ハルカはその上にカーキ色の軍放出の実用のみ追求した大きめなコートを着て、スカートの下には紺色のジャージのパンツを履いていて完全防備していた。

顔は綺麗な顔立ちをしているのに、髪はボサボサのまま、実用的なスタイルは女の子らしさを十分に欠けていた。

また朝日が反射して輝いている海、肌寒いが風が無いのでまだ寒さに身動き取られる程では無い。

呉港の対岸にある江田島の海岸線上にある、昔の人達が作った道路は殆ど閉鎖されたり、山から崩れた土砂に埋もれているが、海岸線に沿った道路だけは今も大小様々な四角形のオートボット(自動自律型環境維持用機械)で維持がされている。

人が居ない分、街の「現状維持」にはオートボットが忙しなく呉の街で働いている。

大きなモノは運搬車両サイズ、小さなものは手の平サイズの様々な種類の大きさで、ハルカが住む江田島と対岸の呉の街を千年前の二十一世紀初頭の姿のままで保存、維持に努めている。

なんで二十一世紀初頭の姿で維持されているのかは諸説あってよく分かっていないのだが、働き者のオートボットのお陰で道路も草に覆われることなく使う事が出来る。

「もう少ししたらコイツも辛くなるなあ」

家の玄関の前に止めてある二輪の電動スクーターに跨がってハルカはスタータースイッチを押す。

この街では数少ない人間が操縦する乗り物だった。

ハルカを乗せて電動スクーターは殆ど音も無く前に進み始める。

冷たい空気を頬に感じながら、ハルカはコートの裾を靡かせて海岸通りを北上して、一番近い呉港の対岸にある小用港を目指す。

古い家は殆ど取り壊されていて、今この江田島に住んでいる人はハルカを含めて数えるほどだ。

殆どの人は対岸の呉港の近くにあるアースポートに住んでいる。

ハルカは毎日休息日を除いてアースポートに通っている。それがハルカに課せられた唯一無二の義務だった。

昔だったら「学校」と呼ばれた施設が形態としては一番近いのだろうが、生憎ここ百年内戦に明け暮れた環境で育ったハルカ達には教育という制度が崩壊していた為「学校」というものがどんなものか知らない。

毎日態々建物に顔を出さなければ行けないなんて、なんて面倒な仕組みなのだろうとは思いながらも、義務なので毎日アースポートと呼ばれる施設に通っていた。

「あら?」

港までもう少しという所で電動スクーターは徐々にスピードを落とし始めた。スクーターのハンドルの根元にあるメーター表示にはバッテリー切れのマークが点灯していた。

「電池切れかぁー」

ハルカは昨日スクーターを充電しておくのを忘れていた。

「やばいなぁ」

最後の坂を登り切った所で電池切れとなったので、あとは重力に任せてスクーターは坂を下っていく。

「もうちょっと、もうちょっとだから」

港が見えて来て、対岸へと橋渡しのフェリーが入港しているのが見えた。

無人運転で自動的に運行されているフェリーだ。

「動けぇ〜」

ついにハルカのスクーターは坂の頂上で得た運動エネルギーを使い切って道の途中で停止した。

「やばい、時間ギリギリじゃん」

スクーターを必死に押しながらハルカはフェリーを目指す。

「ハルカ、あんたなにやってるの?」

ハルカのスクーターより一回り大きいものに二人乗りで乗っている女の子に声を掛けられた。

「ああちょっとタスキにミヤビ、助けてよ」

同じアースポートに通う同年代の女の子で、ハルカと同じ江田島に住む「変わり者」の姉妹だ。

ハルカが着込んでいる制服と同じ姿だが、スカートの下は厚手の黒いタイツで上着には厚手のPコートを着ているので、少しハルカより歳上に見えるが女の子らしい姿だった。

「うーんどうするミヤビ?」

前でハンドルを握っている黒いショートカットのタスキが後に座っているミヤビに声を掛けた。

「このスクーターって二人乗りだよタスキ?」

茶色い髪を肩口で揃え、目が大きくて活発そうなミヤビが態とらしく質問に質問で返す。

「そうだったな」

無表情のままタスキはハルカを置いて港へと進んでいく。

「ということでハルカ、先に行ってるぞ」

「ちょっとタスキ、ミヤビ!?」

後ろに乗っているミヤビが手を振る。

「置いてくな!」





「ああ乗り遅れるかと思った・・・・・・」

動き出す直前のフェリーに滑り込んで、ハルカは下層に設けられた駐輪場でバッテリー切れのスクーターの横に座り込んで、息を切らせていた。

ハルカはコートの前を開けて冷たい空気を身体の中に送り込んだ。

「良かったな間に合って」

タスキは冷たく言い放つ。

「あんた達ね、良くも裏切ってくれたわね?」

「何がだ?」

タスキは裏切ったつもりは無いので本気でハルカの怒りが分からなかった。

「私達だってフェリーに乗り遅れてアースポートに遅刻したくないものねぇタスキ?」

「そうだなミヤビ」

ミヤビの方はからかっているのが分かった。

「だからって置いてく事ないじゃないの!」

「ちゃんと出る前にバッテリーチェックしないハルカが悪いだろ? なあミヤビ?」

「そうねだねタスキ」

「あーもう確かに私が悪いですよ!」

駐輪スペースに胡座を組んでハルカは座り込んだ。

「まあ、次から気をつける事だ」

「そうだよ、はいこれ飲んで」

そう言ってミヤビは鞄からサーモスタット付き保温瓶を取り出して、カップに暖かいコーヒーを注いだ。

「ありがとう」

湯気を立てたコーヒーは熱いかと思ったが、外気の寒さに押されてすぐにハルカの口に染みこんだ。

昔はトラックなどの車両を運ぶ用に作られたフェリーの駐車スペースは広いのだが、今はハルカとタスキとミヤビが乗っていた二台のスクーターしか無いので余計に風が流れて来て寒かった。

「寒いから中に入ろうよ」

フェリーは二段構造になっていて下部が艀に繋げる車庫部分、上部が客室、と言ってもベンチシートが置いてあるだけの簡易なものだが雨風は防げる。

「あー私はもうちょっとここに居るよ」

「そうか、相変わらず物好きだな」

「風に当たってばかりだと風邪引いちゃうよ?」

「大丈夫、私はいつも着込んでるからね」

そう言ってハルカは制服のスカートの下に履いたジャージを見せつける。

「そうか」

「ちょっとそれ格好悪いわね」

ミヤビがハルカが履いてるジャージを指差して冷やかす。

「えーそうかな? スクーター乗ってたりする時には暖かくて良いんだけど」

「ハルカはアースポートから遠い所に住んでるけど、不便じゃ無いの?」

「うーん別に不便は感じたこと無いよ」

「何も毎日フェリーに乗ってアースポートに通わなくても良いだろうに?」

「それはタスキ達も一緒じゃん」

「私達はこの島の管理担当だからな、しょうがないのさ」

タスキとミヤビはアースポートに通う少女達の中でも年長組で、江田島にある施設の管理担当に任ぜられている。

といってもアースポートのある呉と違って江田島には大して施設は残っていないのでたいした仕事があるわけでは無い。

呉港と江田島を結ぶフェリーは自動運航で朝と夕方と夜の三回運航されている。

これは少ないエネルギーの中からたった数人を何の施設もない島への行き渡しにフェリーを運航するのに必要最低限な回数だった。

「何も好きこのんで一人離れて暮らすこともなかろうに?」

タスキとミヤビは呉の対岸小用港の近くに住んでいる。

「うーん、でも私はあの家見た時から彼処で暮らしたいと思ったからなぁ」

「あのボロボロの木造の家?」

ミヤビが心配そうに聞く。

「そうよ」

ハルカは胸を張って応える。

「まあ好きにするといいさ」

「ありがとうタスキ」

「でもバッテリー切れとか気をつけてね。本当に江田島にはもう人もオートボットも少ないから、何か事故があっても誰も駆けつけられないからね?」

「うん、気をつけるよミヤビ」

ハルカは飲み干したカップをミヤビに返して、壁に大きく開いた側面から海を見る。

もう対面の呉港は近くに見えた。

港では空に向かって掲げられた大きなクレーンに囲まれた造船ドックが見えた。

そしてドックの中には一際大きな白い「船」が見えた。

それはこの桟橋に毛が生えたようなフェリーとは違う、どんな荒れ狂う大海すらも乗り越えられる立派な外洋船だった。

少し丸みを帯びた白い艦首は鯨のようで、その長い船体には特に突起物が無く、船体の横にヒレのようなスタビライザーが付いているだけだった。

この港で唯一作られている巨大な船には名前は無く、ただ「宇宙船」と呼ばれていた。

「そろそろ着くな」

「ほんとあっという間に着くんだけど毎日メンドクサイわね」

タスキとミヤビは宇宙船には興味無いのか、自分達のスクーターの方に歩み寄って出発の準備をする。

だが、ハルカは対岸に迫っている造船所で作られている大きな宇宙船から目が離せないでいた。

「ハルカ、おいハルカ?」

「えっなに?」

「もう扉が開くぞ?」

「スクーターをアースポートまで引っ張って来られる?」

「うん、大丈夫、多分」

「授業に遅れるなよ? 江田島組の評価下げるなよ」

「分かったよ」

フェリーは自動的に正確に桟橋に接岸して、船の前方に取り付けられた扉と艀を兼ねた船首を降ろした。

「じゃあ先に行くぞ」

「後でね」

タスキとミヤビはそのまま電動スクーターを勧めて、呉の港を進んで行った。

ハルカは一人でゆっくりとスクーターを手で押しながら呉の港に着いた。

「はぁこれからコイツを押してアースポートまで行かなきゃいけないのか・・・・・・」

桟橋から降りると港の建物が見えた。

簡素なレンガ造りを模したコンクリートの建物とガラス貼りの建物が二つ並んでいる。

一つは古いレンガを基調とした円形のドームが乗っかっているフェリー待合所の建物で、もう一つは昔この港で作られた船を沢山飾っている博物館だった。

待合所の建物はハルカもたまに利用するが、もう一つの博物館は、全ての資料がデジタル化されているこの時代には行く必要も無いので行った事もない。

だが街を維持するようにプログラムされたオートボットのお陰で、未だにその博物館の中にある数々の歴史的遺物は厳密に保管されている。

呉の港にはもう殆ど人が住んでいない。

この街は地球が人類に見捨てられた様にとっくにこの街で生まれた人間達に見捨てられていた。

人間より働き者で命じられた事に疑念も持たずに忠実に働くオートボット達だけがこの街を見捨てずに、様々な歴史アーカイブからこの街の復元と維持を担っていた。

もちろんオートボットのプログラムには見捨てるという選択肢は無い、ただこの街の景観・機能を維持をすると命令さているのでそれに従っているだけだった。

人間だったらとっくに飽きていただろう時間が流れても、街の機能を維持されている。彼らオートボットはここに暮らす人間が居なくなっても、街の機能をプログラムに従って維持し続けるだろう。

機械は人間よりも忠実で無慈悲だ。

「スクーターは待合所に置いていくか・・・・・・」

三階建ての昔の灯台を模したドームが有る待合所のビルの中には電動スクーターを充電するコンセントがあるので、挿しっぱなしにしておけば帰る頃にはもう充電が終わっているだろう。

だがそうするとフェリーの待合所からアースポート間を歩く事になる。

既に選択肢は無いのにハルカは悩みながら、とりあえず誰も居ないビルのロビーでスクーターを押しながら右往左往してしまった。

「こんなところで何をしているのハルカ?」

声を掛けて来たのは同じアースポートに通う少女、ハルカとは対称的に皺一つ無い制服を折り目正しく着ていた。

セーターを着て、上着の類も着ていないが背筋は伸びていて、寒さなんかに屈しない意思の強さを感じる。

栗色の暖かな色の髪を三つ編みを巻いてアップにして、襟首には大きめの青いマフラーを巻いていた。

顔には眼鏡に似た白い縁のアイウェアを着けていて、低く抑えた声と合わさって見た目からして知性的な出で立ちで、ゆっくりと待合室のホールにローハーの靴音を響かせながらハルカに近づいて来た。

「あれミライこんなところでどうしたの?」

待合所のビルの中にハルカと同じアースポートに通う女の子、同級生扱いのミライが入って来た。

「貴方のビーコンがまだ止まっているから気になって来たのよ」

ミライは顔に着けたアイウェアをさした。

視力治療が本格的になる前に付けられた眼鏡と呼ばれていたガラス製の視覚補助具と違って、アイウェアはディスプレイをたえず目の前に展開できる道具として用意されたものだ。

ミライの目の前にあるディスプレイの中には幾つかのメッセージが映っていた。

「えっ私のこと心配してくれたの?」

「違うわよ、偶々エンプティー・アラート出している端末が近くにあるって教えてくれたの」

「ああそう、コイツにそんな機能あるんだ」

ハルカは拳で軽く電動スクーターを叩いた。

「早く移動しないと遅刻するわよハルカ?」

「分かってる、けど歩くの怠くて・・・・・・」

「それでまだグズグズしてるの? 時間の無駄よ?」

「でも、坂とか多くて大変じゃん?」

アースポートは呉の港を覆う山に沿った高台の上にあった。

「だからって行かない選択肢は無いでしょ?」

「まあそりゃそうなんだけど」

ミライのキツイ口調にハルカは愛想笑いを浮かべるだけだった。

「私達がここに居るのはあそこに行くためだけでしょ?」

ミライが少し伏し目がちにしながら言った言葉はハルカにというよりは、自分自身に言い聞かせているようだった。

「了解、了解、遅刻して評点下げても仕方がないものね」

「じゃあとりあえず乗っけていってよミライ」

「いいけれど運転するのはハルカよ?」

「了解」

溜息をついた後、踵を返して外に出ようとするミライ背中にハルカは覆い被さるように抱きついた。

「ちょっとハルカ?」

「ささ早く行こ!」




「ちょっと、自転車って聞いてないんですけど?」

緩い登坂中でハルカは文句を言った。

「早くしないと遅刻するわよ」

後の台座に腰を掛けながらミライは運転手兼動力に文句を言う。

「分かってるって!」

ハルカはペダルを踏み込んで必死に坂を登っていく、パワーアシスト付きの自転車なので少しは楽に進んでいる筈なのだが、二人を軽々と引っ張るほどの出力は出ていないらしい。

「なんでアースポートってこんな高台にあるの・・・・・・」

「知らないわよそんな事」

呉の港は山々に囲まれた典型的な内海の景色で、海と山しかないような土地だった。

人間は海と山の間にある僅かな土地を階段のように整地した土地で暮らして居た。

少し道路が平坦になって来たので、ハルカは立ち漕ぎを止めてサドルに腰を降ろした。

「何見てるのミライ?」

「別に」

ミライは自転車の荷台に片側へ足を揃えてお淑やかに座っている。

ハルカも視線をミライと同じ方へと向くと、眼下にちょうど朝見ていた建造ドックが見えていた。

高台から建造ドックを覗くと、宇宙船の建造は全てが視界に収まった。

前方部が海を向いているので、高台の方から見ると宇宙船後部の推進部がよく見える。

海からは見えなかった後部に装着された円錐状の噴射ノズルが敷き詰められていて、明らかにこの船は海上を進むのではなく、大空を突き抜けて飛んでいくものだった。

ドックには無数の四角いオートボット達が所狭しと走り回り、自動制御の大きなクレーンが巨大な部品を釣り上げて宇宙船に近づけていった。

「宇宙船見てるの?」

「別に見てるわけじゃ無いわ」

この呉の港に人が住むようになって沢山の船が作られて来ただろう。でも今では唯一この港で作られている船だった。

巨大な船とそれを作っている造船所はこの街で一番の存在だった。いや唯一この街がこの寂れた惑星で、往事の街としての姿を残し維持できている理由だった。

「わわっ」

「きゃ」

余所見しながら自転車を漕いでいたら危なく縁石に乗り上げそうになった。

「ちょっと危ないじゃない」

「ごめん、ごめん」

今度は前を見てハルカは自転車を漕ぎ始める。

少し体勢が崩れたのかミライはハルカの背中に手を置いてコートを掴む。

「今更ここであの宇宙船に見とれてどうするのよ?」

「見とれてた分けじゃ無いんだけど・・・・・・」

ミライは呆れたように溜息をついた。

「ここにはあの宇宙船しかないでしょ?」

冷静に言っているようでミライの言葉には寂しさがあるようにハルカには聞こえた。

ハルカは自転車を止めた。

「ねえミライ」

「なによ?」

ハルカが自転車を止めると目の前には勾配のキツイ坂が並木に囲まれて延びていた。

「流石にこの坂は上れないから降りて歩いて行こうよ」

「仕方ないわね・・・・・・」

坂の先には古いレンガ造りの壁や建物が見えて来た。

ハルカやミライが通う「アースポート」がある建物だ。

海の先に見える宇宙船と比べるとレンガ造りの建物はとても時代を感じさせる建物だった。

元々は別の場所にあった建物だったらしいが、この港や宇宙船ドックが見渡せる場所に移設されたのだ。

「あっ」

古いレンガ造りの建物から大きな鈴が鳴る音がした。

「予鈴よ」

「ヤバイ、急ごうミライ!」

自転車のハンドルを握っているハルカがミライの方を振り向いても誰も居なかった。

「ハルカ、早く!」

「ああ、ちょっとミライ、待ってよ、狡い」

ミライは既に坂を駆け上がっていた。

自転車を押しながらハルカは必死に後を追った。





アースポートはこの星に残された唯一の出口だった。

既に地球に興味の無くなった人類が地球に残されてしまった幾人かの人類に宇宙へと脱出する手段として用意したのがアースポートだった。

それは完全に自律型システムで世界各国に設置された自動機械によって資源を集め、ドックにて巨大な宇宙船を作り宇宙船に乗せ、人類の新しい生活圏へと旅立たせる仕組みだった。

最初は作った人間達も驚く位この仕組みは効率的に機能した。

寒冷化を迎え、さらに内戦(これには旧時代の負の遺産と称されるモノは全て使われた)で弱った人類を宇宙に送り続けた。

そんな時代が千年近く続いて、地球にこのアースポートが残っている場所は数が少なくなってきた。

局地は寒冷化が始まり北極の氷河は北米大陸の五大湖の近くにまで迫り、南極大陸は氷でオーストラリア、南米、アフリカの各大陸と繋がり、太平洋と大西洋を繋ぐ海流の動きが止まってしまったので寒冷化は急激に進んでいた。

この時代に地球に残されている人類は既に社会を動かすリソースは殆ど無かった。資源を食い尽くした人類の大半はとっくに新しい場所へと移動していたので、地球に残っている人類はほぼ見捨てられた人間達だけだった。

ほぼ資源らしい資源を食い尽くした地球で人間が生きていくのは難しかった。それこそ生活レベルは産業革命以前のエネルギーを使わない状態にしなければ生きていく事は難しかった。

だから少なくなった人々は少ない耕作地を争いながら、それでも生きようと必死に暮らして居た。

そんな地球でまだアースポートとして辛うじて街として機能しているのが日本という国にあった呉という古い港街だった。

オートボット達は各地で孤児や内戦の被災者達を回収してこの街に集めて地球を脱出する宇宙船を作っていた。

そしてこのアースポートと呼ばれる施設、それは単体では学校の校舎みたいなものだが、全体では呉という街ひとつを完全に制御し、宇宙船の住民となる少女達に宇宙船で暮らしていくための知識を与えていたのだ。

アースポートとは千年前には世界中どこにでもあった学校と呼ばれる施設に近い形で運営されていた。

だが学校が人の手に寄って作られ、先生と呼ばれる人間が授業を行っていたのに対してアースポートでは全てが自動自律制御による機械によって行われていた。

この呉で暮らすという事はアースポートに通う「生徒」になるという事だった。それ以外の人間を養うことをアースポートでは行っていなかった。

「生徒」はとりあえず学習装置の数もあるので大体二十人位ずつを別けて各教室に入れて自習させている。

昔、学校の先生が立っていた教壇はなく、教室の全面には大きなディスプレイで大まかなスケジュールや宇宙船の建造情報が表示されているインフォメーションボードになっていた。

「あーもう飽きた」

「ちょっとハルカ大きな声出さないでよ」

机が並んでいる教室の片隅、ハルカとミライは隣同士で机に置いてあるディスプレイと眺めていたが、ハルカはペン型デバイスを放り投げて机に頭を付けて伏せていた。

「あたしこういう機械学習ダメなの、飽きる」

「はやく規定の問題解かないとまた怒られるわよ?」

「怒られるって言っても画面で成績が悪いって書かれるだけじゃん」

「恥ずかしいでしょ?」

「別に比べられても・・・・・・」

別に機械学習の結果が悪くても、与えられた課題に対して出来が悪くてもそのせいで罰があるわけでは無かった。

アースポート授業とは生きる為の知識であって、それを覚えていなければ宇宙に出て困るのは自分自身だという実学が殆どだった。

だからこのアースポートでは落ちこぼれやエリートという概念は無かった。ただ課題に対する成績は常に誰もが分かるようになっているので、誰が一番頭が良いかは分かる。

ミライは課題達成率ではいつも上位に立っていて、ハルカの成績は下から数えた方が早かった。

「あっ誰か体育の課題やってるよ?」

教室の窓の外には土のグランドが広がっていた。

何人かが動きやすいジャージに着替えてグランドに出てる。

「あっタスキとミヤビだ」

すぐにハルカは教室の扉を開けて、眼下でランニングを始めようとするタスキとミヤビに声を掛ける。

「おお〜いタスキ、ミヤビ!」

気が付いたタスキとミヤビが笑いながらハルカに手を振る。

「ちょっとハルカ何やってるのよ!」

「いや、挨拶?」

急に窓を開けて手を振っているハルカを抑えてミライは注意する。

「みんな静かに学習してるんだから、大きな声を出さないで」

「ああそうか」

何人かの生徒はハルカの方を見て笑っていた。

後の生徒は気にせず自分の課題を黙々とこなしていた。

「ごめんねシライちゃん五月蠅くして」

ハルカは前の席に座っていた小さな背中の少女に話しかけた。

「別に問題ありません」

色素の薄い白髪、白い肌、明らかに北方出身の女の子は青い瞳をディスプレイに向けたまま声だけでハルカの問いに応えた。

「あれ、シライちゃんもうCクラス問題終わったの?」

ハルカは窓際から移動してシライの画面を覗き込む。

「はい、きょうからBクラスです」

「あちゃー抜かれたー」

シライは身体の小ささ、背の低さからハルカよりもずっと年下だった。

だが課題の進み具合はハルカよりも進んでいた。

「シライちゃんは真面目に毎日課題に取り組んでるからよ」

「いえ、私は普通にやっているだけです」

表情一つ変えずにシライは黙々と課題をこなしていた。

「ハルカも見習ったほうが良いわ」

「うーんどうも机に向かって黙々作業するっていうのが根本ダメみたいなのよね〜」

「私も苦手です」

シライは喋りながらも手を止めていない。

「でも私達にはこれしかやることないじゃないですか?」

シライの言葉は妙に教室に響いたのは、クラスに居るほぼ全員の手が止まったからだ。

「そうかな、私達には本当にこれしかやることないのかな?」

ハルカはそう言うと再び窓の近くに寄って外を眺めた。

窓の外、すぐ下にはグラウンドがあってタスキやミヤビ、何人かの生徒が身体を動かしていた。

そのグランドの先には呉の港の全景が見えた、真ん中に白い大きな宇宙船が見える。

その先には清々しく薄く白んだ空の下、ハルカが住んでいる江田島が見えた。

アースポートの学舎からはこの呉の港は一望することが出来る。まるでよく観ておけと言われているのではないかと思うくらいだった。

「何か出来る事があるんじゃない?」

ハルカが笑うと、教室に予鈴が鳴った。





「ちょっとシライちゃん、落ち着いて落ち着いて・・・・・・」

「無理です」

両手で白いセラミック包丁を持ったシライはいつもの無表情のままハルカの方を向く。

「包丁は両手で持つ必要ないからね、あとまな板から離さないで」

「わかりました」

エプロンを身にまとい、包丁を片手に持ってシライは再びまな板を前にして、用意された野菜を切ろうとしたのだが、何をどう手を付けてよいのか分からずにまた固まってしまった。

「ああシライちゃん、皮を剥いたジャガイモはこうやって食べやすいサイズに切っていくんだよ、ニンジンとか玉葱も全部皮向いてあるから適当に切っていってね」

「こうですか?」

「どうして包丁もって振りかぶるの!?」

慌ててハルカがシライを静止する。

「ハルカぁ〜目が痛い・・・・・・」

別のシライと同じくらいの年齢の子供が泣きながらハルカに近づいて来る。

「玉葱は慣れれば目が痛くならないけど、頑張って切ってね」

「えぇ〜」

「ハルカ、ご飯の準備は?」

ハルカはまた別の生徒に声を掛けられた。

「あれ、さっきミライに頼んだけど・・・・・・ちょっとミライまだお米洗ってるの?」

「だってどれ位磨げばいいのかいつも私分からなくて・・・・・・」

「そんなもん適当にやれば良いのよ」

その適当が分からないと制服の袖を巻くって釜に手を突っ込んでいるミライは無言の抗議をするが、ハルカは任せたわよと二十人分クラスに通う人数分のカレーを煮込む為の大鍋の準備をする。

「まったく、なんで金曜日はいつもカレーなんだろうね?」

「伝統らしいからね」

「伝統ね・・・・・・」

ハルカにはどれ位昔から続いて居る伝統か知らないが、確かにアースポートに着いてからは何時も金曜日はカレーだった。

「それにしてもみんな料理慣れないね」

「殆ど寮生活の子達ばかりだからね、自動調理されたものしか食べてないからさ」

シライなど幼年組はアースポートの敷地内の寮で暮らしている、何年かすると希望者は市内の修復された家屋に住むことが出来る。

そこでは当然生活に関しては自炊・自活が求められるが、食品については自動的に冷蔵庫内に保存食をオートボットに届けて貰う事もできるので料理する必要は無い。

だがアースポートでの授業の一環として、なぜか昼食は二十人程のクラス全員での調理が義務づけられていた。

「そりゃ私達年長者組はもう流石にカレー作る位は慣れたしね」

「もう、何回作ったか分からないよ」

ハルカの前で、既に使い終わった調理器具を片付け始めている女の子が応える。

「まあ今まで何回ご飯食べて来たか回数覚えている方がおかしいけど」

「ログ(記録)を見ればすぐ分かるんじゃ無い?」

「見てどうするの?」

「確かに」

笑いながらハルカと年長組の子は手を休めないが、シライなど年少組の女の子は何をして良いのか分からず立ち尽くすが、そういった子を見つけて年長組の子達は仕事を与えて準備を進めていく。

大鍋はゴトゴトと音を立て始めて根菜やキノコ類を煮詰め始める。ハルカは鍋の前に立って丁寧にアクを取っていく。

独り暮らしで自炊もしているハルカがクラスでは一番料理が出来るので自然と昼食作りはハルカが中心になっていた。最後の仕上げは自然とハルカの仕事になった。

「まな板の掃除終わりました」

「ありがとうシライちゃん」

「楽しそうですねハルカ」

「そう?」

「ええ」

「シライちゃんは料理が嫌い?」

「面倒です」

「確かにね、材料切ったりとかやること多いよね」

笑いながらも火加減を調整しながらハルカは鍋の中をかき回す。

「でも、なんか全部やろうと思えば自動的にやってくれるのに、お昼だけはこうやってご飯を皆で作らせるのは何となく意味があるような気がするよね?」

「何か意味でもあるのですか?」

「ほら料理するってなんか生きる事に直結してるじゃない?」

ハルカは鍋の火を止めて、カレールウを入れる準備をする。

ルウは沸騰を止めた後入れると溶けやすいので、すこし時間を置く。

「生きる事に直結ってどういうことでしょうか?」

シライは真っ直ぐハルカの方を向いて聞いてきた。

ハルカは鍋から目を離さずに、フレークタイプのカレールウが入った袋を持ちながら入れるタイミングを計っていた。

「あのさシライちゃん」

「なんでしょうか?」

「私カレーって前向きな食べ物だと思うんだ」

そう言ってハルカはカレールウを鍋に入れ始めた。大雑把な目分量での入れ方だったが調理室内にはカレーの臭いが広がる。

鍋を掻き回しながらハルカは再び火を付ける。

「どう言うことですか、カレーが前向きという食べ物とは?」

シライは真面目に考えていたのか、少し経ってから言葉を発した。

「えっああ、まあほら色々と準備が必要だけど適当にやっても何となく料理の形になるし、色んな味付けとか具材で個性でるところかかな?」

ハルカはあまり深く考えずに話していたので、自分で言っておきながらカレーは前向きな食べ物だとは適当な事を言ったなあと思った。

「そうですか、これは前向きなのですね」

シライは寸胴鍋の前に直立不動で立っている。

無表情なので喜んでるのか悲しんでいるのかは良く分からないが、妙に納得してるようだった。

「私はここに来て毎日暖かいご飯を食べられるだけでありがたいと思ってました」

「それは私もよ」

寒冷化の迫った地球ではどこも食料が不足してるが、ハイ・テクノロジーに支えられたアース・ポートでは様々な科学的手段でもって食料は確保されていた。ここに来る前は殆ど調理したものがたべられ無かった子も居る、シライもそうだった。

「私もカレーが作れるようになるのでしょうか?」

「大丈夫、もうできてる」

そう言ってハルカはお玉でカレーを一口分すくってシライの前に差し出した。

「味見して」

シライは顔を差し出して舌を伸ばして味見する。

「美味しいですが、少し辛い気がします」

「えっホント?」

ハルカも口に付けて味見する。

「ちょ〜〜っと年少組には辛いかな?」

シライは真っ直ぐハルカの方を向いた。

「でも美味しいです」

少し怒気が含まれてるのかと思うほどの力強い断言、ハルカは鍋にオタマを戻してすぐにシライとハイタッチして今日のカレーの完成を喜んだ。





「じゃあ出発進行!」

「なんでハルカが後に座るの?」

アース・ポートでの学習は昼ご飯のあとは少し身体を動かしたりしたあと、日が暮れる前に終わった。

殆どの生徒が晩ご飯の準備などをするために寮に戻った。

街に行っても人もいないので、殆どのアース・ポートに通う人間は建物ないで友人と過ごすか、すぐに家に帰ってしまう。

行きと同じようにミライの自転車に二人で乗って帰る事になった。

「いいじゃんどうせ後は坂を降っていくだけだしさ」

「二人乗りで坂を降りてくなんて危ないわよ」

「大丈夫でしょ?」

「変な事しないでよ?」

心配そうにミライはサドルに腰を降ろす。

「ちょっと腰を触らないでよ」

「ええ、だって危ないじゃん?」

ハルカはミライの腰に手を回す。

「くすぐったいわ」

「ミライって腰細いね」

「触らないでって言ったでしょ!」

ミライが文句を言おうと、振り返ろうとしてバランスを崩して、自転車のハンドルは左右に振れてバランスを崩しそうになった。

「静かにしてて」

「ハーイ」

ハルカは下にジャージを穿いているのでそのまま後部の荷台に跨がるように座った。

ミライは少し怒りながらもそれ以上は文句を言わず自転車を漕ぎ始めた。

正門の前の並木通りを何人かの生徒が当番制で掃除をしていた、その中にはシライも混ざっていた。

「じゃあねシライちゃんまた明日〜」

ハルカが手を振るとシライも箒を片手に持ちながら、表情は無表情のままだったが小さく手を振った。

周りはシライも手なんか振って返すのかと少し驚いて居るようだった。

「ハルカはシライと仲が良いのね」

気が付いたミライが声を掛ける。

「ねえシライちゃんてさ、どこ出身?」

端末で調べればすぐに分かる事なのだがハルカは態々ミライに聞いたのはミライの言葉で事実を知りたかったからだ。

「確か大陸の内陸部で一番内戦が激しい地域で育った筈よ」

「そう・・・・・・」

「知らなかったの?」

「知らなかったけど知ってたというか・・・・・・」

ハルカはぼんやりと曇天気味に曇ってきた空を見上げた。

アース・ポートに通うようになるのは色々な手段がある。

ハルカやミライの様に普通の街よりは文化的な暮らしができて、この寂れた星から脱出できると親に勧められて通う者も居れば、難民キャンプから選抜されて送られる子供も居る。

「どうしたの?」

ハルカがミライの背中に顔を預けた。

「宇宙船」

港がある街まで続く丘から宇宙船を作っているドックが見えた。

大きなドックは千年以上前の時代からある歴史的遺物で、まだ人類が地球上で小さな国に別れて戦争を繰り返していた時代に、火薬で弾を撃ち出す機械を沢山積んだ船を作っていたらしい。

そんな船を沢山作って、沢山の人が乗り込んで、沢山の人が戦争で命を落とした。

その贖罪でもなんでもないのだろうが、そんな呉という土地で今度は沢山の命をこの氷に閉ざされようとしている地球という惑星から人間を救う為の宇宙船を作っている。

ミライが漕いでいる自転車はゆっくりと速度を落として、道の脇にゆっくりと止まった。道の横にはガードレールが置かれて、外側は切り立った崖になっていて、その下には幾つかの建物を挟んで宇宙船を作るドックの敷地になっていた。

ミライもハルカも特に言葉を交わさなかったが、自転車を降りて宇宙船を作っているドックが良く見える場所から眼下の宇宙船を見ていた。

自分達は何時かあの鋼鉄の船に乗って星々の大海へと乗り出す。

理屈では分かっているが、目の前の機械によって作られてる大きな機械を見ていてもそんな実感は何一つ沸いてこなかった。

「ハルカは本当に宇宙船が気になるのね」

「うーんそうかな?」

「今朝も気にしてたわ」

隣に立つミライにハルカは微笑んだ後、もう一度目の前に見える宇宙船を見る。

「ねえ。これって本当に作ってるのかな?」

「どういう事?」

「この宇宙船はとっくに宇宙に逃げた人達が残した機械がさ、そのとっくに命令したことを忘れてるかも知れない人達の指示に従ってこんな大きな宇宙船作って、この星のいろんな所から私達みたいな身寄りの無い子供連れてきて、アースポート通わせて詰め込んで宇宙に送り出すってどう考えても効率の悪い仕組みじゃない?」

ミライは同意も否定もしなかった。

「なんかさこの大きな宇宙船も実は飛ばなくて、何となくこの冷たくなって人が住めなくなりそうな星に残された人間に、そのうち宇宙に行けるかもって希望みたいなもの持たせるためだけの大きな見せかけの絵じゃないのかなーって最近想うんだけど、どうミライ?」

海の方から少し強い風が吹く、潮のにおいが濃くなった。

「ちょっと露骨にそこまで考えてたのって顔しないでよミライ」

「してないわよ・・・・・・ハルカはいつも何か考えてるとは想ってたけどそんな事考えてるなんて想像もしなかった」

「えっこの宇宙船みてこんな事考えてるの私だけ?」

「ほとんどの子はこの宇宙船を希望と捉えてるでしょ?」

アースポートに連れてこられた生徒にとって宇宙船は希望だった。この氷の塊になりつつある地球で人間が生きて行くには宇宙に旅立つしかない。

「ふむ、じゃあミライはみんなと違うの?」

「どうして?」

「ほとんどの子って今言ったじゃん」

ミライが自分を含めて言っていない事にハルカは気がついてた。

ミライは少しだけしまったという顔をして顔をマフラーに隠す。右手で左肩抑えながら寒そうに、不安げな視線で眼下の宇宙船を見下ろした。

「私には何だかこの白い宇宙船が・・・・・・棺みたいに見えるわ」

白い大きな縦長な物体は確かに棺の様に見えなくも無いだろう。

ミライには目の前で作られている宇宙船が、四方をドックの壁に囲まれて、クレーンで艤装を取り付けられている姿が、まるで納棺の前に死に化粧を施されているようだと思った。

「ミライらしい真面目な感想だね」

「真面目?」

「だってさ、誰だって死んだら棺桶に入ってお墓に埋められるじゃない? 最後はみんな必ずそうなるもの」

茶化してる訳でも無くハルカはガードレールに手を当てながら、宇宙船を見ていた。

「私は考え過ぎなのかしら?」

「考えればそうなるって事だよ」

ガードレールの下にある宇宙船を見ながら二人は立ち尽くしていた。

機械達はハルカやミライの不安など気にせずにただ黙々と宇宙船を組み立ていた。

道路にも呉の街を維持するために大小様々な四角いオートボットが時々超電動モーターの高周波音だけを微かに発しながら、二人の後を無関心に通り過ぎる。

大昔にプログラムされた命令を元に動き続ける港町はどこか静かで寂しげだった。

いつの間にか夕日が差し込み始めてクレーンが影を作り始めていた。

急速に日が沈み始めていて、街は夜に包み来れようとしている。

「あっあ!」

ハルカはガードレールを乗り上げるように港の湾内を指さした。

「ちょっと危ないわよハルカ!」

「夕方のフェリー出ちゃった・・・・・・」

対岸に見える江田島に向かってフェリーが一隻航跡を引いて進んで行った。

「フェリーが私の都合なんか関係なく、時間通りに出て行くって事忘れてたわ〜」

態とらしく足を踏み込んだあと、悔しそうに腕を組んだ。

「次のフェリーまで暇だ・・・・・・」

チラッとハルカはミライの方を見る。

「分かったわよ、次のフェリーが出るまで付き合うわよ」

「へへ、ありがとうねミライ」

「まったく、いつもどこにも寄らずに家に帰っちゃうわよねハルカは」

「やっぱり自分の家が一番落ち着くじゃない?」

「私達の家は自分の家なのかしら?」

ミライが住んでいるのは呉の街、元は街の中心だった電車の駅があった近くのマンションの一室だった。

他には人が住んで無くミライだけが住んでいる。

アースポートに通う女の子達は街の中にバラバラに住んでいる。

「どこでも住めば自分の家だよ」

ハルカは止めた自転車のハンドルを握って、サドルに腰を落とす。

ミライも何も言わずに荷台に腰を降ろした。





それからハルカ達は呉の街で適当に時間を潰した後、港の待合所でフェリーの到着待っていた。

大昔は日々沢山の人間がフェリーに乗って、江田島やその他の街へと移動するために使っていた待合所も今ではアースポートに江田島から通う数人の為だけの待合所だ。

既にハルカ以外の生徒は夕方の便で江田島に渡っているために、待合所でフェリーを待っているのはハルカとそれに付き合わされているミライだけだった。

「ほら来たわよハルカ?」

「はぁ?」

待合室の中、フェリーが停まる桟橋を見ていたミライがハルカに声を掛ける。

隣に座っていたハルカはどうやら寝転けていたようだった。

「ふぁあゴメン寝てたわ・・・・・・」

気が付いたらハルカの首には長いマフラーが、ミライの巻いていた青いマフラーが巻かれていた

首元が寒いと二人で一本のマフラーを巻いていたのだ。

「寝すごしたらどうするつもりだったのよ?」

「いやあミライが居てくれるから大丈夫だって安心しちゃったよ」

「危ないわね」

「でも起こしてくれたじゃん」

「そのマフラー巻いて行きなさいよ」

巻いていたマフラーを外そうとするハルカにミライは戻さなくて良いと手で遮った。

「良いの?」

「もう夜だから寒いわ、私の家はすぐそこだからいいわ」

「へへっありがとう」

頭を掻きながら照れくさそうにハルカは髪の毛の上から青いマフラーをグルグルと巻いて、そのあとコートのポケットに手を突っ込む。

充電が済んだハルカのスクーターは桟橋の手前に置いてある。

「暗くなったから気をつけなさいよ?」

「うん、ありがとう」

ミライも鞄を持って立ち上がった。

「よし、じゃあまた明日ね」

「ええ、また遅刻しないでよ」

二人は淡々と挨拶して待合所を出ようとする。

「ハルカ」

「なにミライ?」

待合所の広いロビーにミライの声が響く。

「どうして江田島の家にしたの?アースポートに通うの不便でしょ?」

コートに手を入れたまま腕を伸ばし、少し口元をマフラーで隠しながらハルカは何度か上を向いたり下を向いたりした。

「うーん私も分かんない、確かに面倒だなあって毎日思うよ」

「私の住んでるマンションだって空いてるし、もっと近くの建物は幾らでも有るわ」

この街は千年前の数万人が暮らす街のままの姿を維持している。そこにたった数百人の女の子だけが暮らして居る。

いくらでも住むところはある。

「ミライもしかして私と一緒に住みたいの?」

「そんなんじゃないわよ・・・・・・」

ミライは顔を背けた。

「そうだねミライと一緒に暮らしたら私が一方的に頼っちゃうね」

「そんな事も無いわ」

「私はすぐ誰かに頼っちゃうから、すこし誰かと距離を置きたいのよ」

「本当にそれだけ?」

「あーあとさ多分アレだと思うよ、アレ」

ハルカは表にガラス越しに見える接岸してるフェリーを指さす。

「私ね船とか好きなんだよ」

ハルカはそう言うと笑いながら手を大きく振った。

マフラーを靡かせて待合所の建物の外に出て、電動スクーターに乗ってそのままフェリーの中へと入っていった。

フェリーは何も発進の音も鳴らさずに、開いた艀兼用の前扉を引き上げると、そのまま動き始めた。

人を渡すためのフェリーなのにフェリーは人に関係なく動こうとするのは、この街にある施設によくある動きだった。

駐車スペースにスクーターを置いて、ハルカは立ったまま外を見る。

朝と同様、フェリーの横には大きな宇宙船の建造が夜も勧められていた。

ライトに照らされた宇宙船の船体と大きなクレーン群、様々なライトが光って賑やかだが、その手前の海は暗く静かだった。

フェリーが進む度に波の音が聞こえる。

呉にあるドックの明るい光から船はゆっくりと離れていって、暗闇の中を進んで行く。

誰も乗ってないフェリーの中で、ハルカは離れていく呉の街を見た。

明るい夜の街は周囲の暗さを引き立ててる。

昔はこの島の海岸線には沢山の灯りがこの島の周囲を覆っていたが、今ではこの辺りでは呉の街と対岸の江田島に少しだけ灯りがあるだけだった。

「寒いなあ」

ハルカは開けっ放しだったコートの前を閉めて手に息を当てる。その後手をマフラーに擦りつけて暖を取った。

もう日が沈めば直ぐに寒くなってしまう。

フェリーの上には簡易な椅子が並んだ船室があって、風を避ける事が出来るがハルカはいつもフェリーの室外から外を眺めるのが好きだった。

だからミライに言ったことは嘘では無い。

こうやって毎日フェリーに乗って移動するのは嫌いでは無い。

ただ、本当に好きなのはこうやってあの宇宙船があるドックから遠くに離れられるからかも知れない。

いずれ自分を星の世界に連れて行く宇宙船の事を呉の街に居るとどうしても意識してしまうからだ。

だから住む場所を対岸の江田島にした。

でもそれも段々と意味が無くなって来てはいるのだ。

この寒い星で、全てが氷に閉ざされ、一歩アースポートのある港から外へ出れば少ない資源を奪い合い争う醜い世界が広がっているのだ。

ハルカは自分が乗っているこの船が沢山の人を運んでいる時代のビデオを見たことがあった。

沢山の人が将来に少しだけの不安を抱きながらも、色々な人が色々な仕事や学校に通いながら、忙しなく移動しながら暮らして居た。

それを見て羨ましいとも大変そうだともハルカには思えなかった。

ただ、今地球からそういう喧噪は無くなって来て静かな星になろうとしているという事実だけを思い知る。

このままここで静かに暮らせるのか、宇宙船が出来てしまえばそんな時間の終わりを告げてしまう。

だからハルカは船は好きだが、呉で作ってる宇宙船は嫌いだった。

「はぁ考えてもしょうが無いのにな・・・・・・」

港に背を向けて壁に寄っかかる。

寒くてコートのポケットに突っ込むと、手元に何かが当たった。

入れっぱなしにしていた通信端末だ。

棒状の通信端末を握るとホログラムのメッセージウィンドウが浮かび上がった。

「今日のカレーありがとうございます。レシピをメモしましたので共有させて頂きます:シライ」

「ハルカ早く来い、夜の便は寒いぞ:タスキ」

「ちょっとハルカ、フェリー出ちゃうぞ!:ミヤビ」

他にも今日のカレー美味しかった、掃除サボるな、明日の体育の授業一緒にやりましょうなどなどアースポートに通う生徒からたくさんのハルカ宛のメッセージが届いていた。

一件もまともにメッセージの返信してなかったので、慌てて返事しようかと思ったが、直ぐにまたポケットにしまった。

どうせまた明日、アースポートで会える。

その時声を掛ければ良い、また明日このフェリーに乗って江田島から呉に通うのだから、別に明日返事すればいいやとハルカは思った。

そう明日もこの海を渡って宇宙船を作ってるあの街に通うのだ。

「あっ」

端末をポケットにしまおうと思った時、また一件のメッセージが入って来る。

「明日マフラー返しなさいよ:ミライ」

ハルカはミライだけには直ぐにメッセージを返した。

「了解」

約束をしたので、これでハルカは明日は遅刻出来なくなった。





「ちょっとビートさんまだ怒ってるの?」

帰りが遅れたハルカを家で待っていた猫のビートさんは、晩ご飯を遅らすという飼い主の怠慢に抗議の意志を示しているのか、なかなかハルカに近づいてこない。

畳敷きの客間で少し寒いが暖房を付けるとエネルギーが勿体ないので、ビートさんでも抱えながら寝ようと思ったのに、目論見の外れたハルカは困ってしまった。

「私が悪かったです、今度はちゃんと遅れないでご飯出します」

寝床の布団の上で、ハルカは土下座しながら謝ったがビートさんは納得行かないのか寝室から出て何処かへ行ってしまった。

ああどうしてビートさんはああもご飯に対しては厳しいのかとハルカは感心してしまった。

「まあご飯は大事よね」

腕を組んで自分に言い聞かせるようにハルカは納得した。

「寝るか」

枕元の端末を握ると、部屋の電灯は消えて家にある家電類もスリープモードに入る。

周囲数キロ人が居ない、玄関を開ければ目の前には海が広がる家なのでもの音が殆ど消えた。

布団に入り込んでハルカは身体を少し丸めた。

まだ布団に入ったばかりなので少し寒かった。

静まりかえった部屋に小さな物音がした、廊下側の引き戸を少しだけ開けっ放しにしてたので、そこを窮屈そうにくぐり抜ける音。

ハルカの背を向けた方からビートさんが入り込んで来た。

「ほらね寒かったでしょう」

ビートさんは鳴きもせず、黙ってハルカの腕枕に抱かれた。

静かな夜。

呉で作っている宇宙船に乗って宇宙に出ても、この江田島の家の様に暖かく、不安もなく、ただ明日が来る事に疑問も持たずにいつの間にか寝ていられる穏やかな日々を過ごす事が出来るのだろうか?


壁の外から波の音が聞こえた様な気がした。


いつか船は港を離れるが、もう少しだけこの布団の中に居たいとハルカは祈る様に背中を丸めて眠りに着いた。


ハルカが眠りにつくとビートさんは寝返りで潰される前にと布団から逃げ出した。



END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

呉で作ってる宇宙船と江田島の家 さわだ @sawada

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ