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新春白黒文字打ち合戦

入り浸ってる友人の家に文字を打つだけの機械ことキングジム社のポメラ(二世代くらい前の名機DM100)があって、物欲しそうに見ていると「3万ぐらい出せば買えますよ」っという感じで呆れられたのだが、今時文字を打つだけの道具に3万も出せる心の余裕がある友人がうらやましいと、触りながらいつものようにあたりさわりが無いように照れ笑いしていると、とりあえず今はそんなに出先で使ってないので使ってみては? っと実機を貸して頂いて、年の瀬コミケで友人が買った同人誌読みに押し入っておいて「何か買ってきます?」とか「これおやつにどうぞ」っという気を使うのも悪いかと思って自分で食べる分のじゃがりこだけ買って来たのに、自分視点では快くポメラを貸してもらって、やったーと待望の文字を打つだけの機械を手にしてちょっと「自分は文字打つだけのストイックな人間なんで」という雰囲気を出し、悦に入るために近所の星乃珈琲店に入って、一番安いお菓子と珈琲セットを頼み、客として最低限の注文をしていざ颯爽と文字しか打てない機械「ポメラDM100」を取り出す。
DM100は細長い形をしていて、クラムシェル型のボディーを開けると真ん中だけに液晶画面があり左右に物理ボタンが付いている。
ふとサイズ感や横長のボディーに友達から中古で買った名機VAIO C1を思い出す。
あれも良い文字打ち機械だったけど、バッテリーが持たなすぎて良く出先で勝手にコンセント使ってたりしたなあとおもいだしたり、もっと古くはたぶん中学生ぐらいに親が買ったシャープのワープロ専用機「書院」の事を思い出したが、あれなんか液晶一行しかなくて、何を打ったのかは紙にださないと全体が読めないという、今考えればワープロというよりはタイプライターに近いものだったなあとか老人にありがちのおもいでフラッシュバックに一瞬固まるも、わーい新しい文字打ち機械だ、こんにちはーと画面に向かって早速文章を打ち込んでいきたい所だったけど、モノリスに恐る恐る近く人類のご先祖様のごとく、これは何をするモノなのか? まあ全く何を打てばいいのか解らずにただ懐かしい白黒の液晶画面だ、しかもリフレッシュレートが低い感じで動画とか絶対無理なんだろうなあと思わせる静止した感じが伝わって、自分の思考も停止してるのかなあと思わせる静止状態が数分続いてしまう。
こりゃいかんと何か書かねば、文字打ち機械を広げたのだから文字を打たねばと思ったので、ネタ帳として使ってるスマホを取り出して、メモアプリ「Notion」を開いて何を書こうとしてたんだっけ?っと画面を見ながら、気がつくと青山吉能さんの軽妙なトークで気持ちが重くなるWEBラジオ「ぼっち・ざ・らじお!」を再生し始めて、そこからTwitterを見始めて数分無駄遣いしてしまい、珈琲飲みながらスマホでTwitterって家でやれ家でという気持ちになって、そうだったスマホにメモ取ってると気がつくと文字を打つアウトプットじゃなくて画面に流れてくる情報をインプットばかりしてしまう、「Notion」も結局メモと言いながらただ他人のツイートをタグ付けして保存するだけ、後はTwitterで流れてくる美麗なイラストを作ったデーターベースに登録してるだけなので、アウトプットをまるでしなくなるのが嫌でポメラ良いなあ、あれだけストイックな機械を前にすれば俺ももっと文字が打てるのでは?って物欲しそうに友達の家で見てたんだとおもいだす。
SNSの世界で自分のちっぽけさを思い知って、なにも書けない、何もつぶやけなくなってひたすらに情報を消耗するだけの撤退戦をしない、文字を打つということは何か自分の思った事をキーボードを叩いて訴える、それが消耗しない、何かしているという自分への慰めをする為に文字を打たねばとキーボードにしがみつく。
だが5分立っても10分立っても文字は増えずに、モノクロの画面は文字の黒がなく、バックグラウンドの白っぽいグレーな画面のままだった。
よくよく考えてみればこれは文字を打つ機械なのだから、文字を自動的に打ってくれる機械ではない、画面を開くといい感じの承認欲求を得られる文章を生み出してくれる機械ではない。
そろそろそんな機械は話題のAIで生まれてきそうだけど、残念ながらこのポメラはネットワークにも繋がらないので、強大なクラウドコンピューティングに支えられた執筆補完機能なんてない、自分が文字を打たなければ文字が出てこないのだ。
だからこの空っぽな画面は自分の今の気持ちの投影なのかとシンプルな白黒画面を見ながら、自分には何もないのか・・・・・・・と涙を流すほど悔しいと言うよりはそりゃそうかと納得がいった。
結局自分の文字というのはだいたいコミティアで出すという締め切りがあって、そのためにしかたなく空っぽな自分の中身を埋めるべく、本や漫画やサブスクリプションで無限に湧いてくる他人の情報をなんとなく自分の考えっぽくみえるように加工して、さも自分で考えましたと偉そうにキーボードを叩いて文字に加工して作品として紙に印刷したりネットにアップして、なんとかその都度の締め切りを逃れているだけなのではないか、たぶんそうなんだろうなあと思ってたけど、認めちゃうと自分がやってることというのは正にたくさんのデーターを学習というなのストックをして、それは個性というフワッとした味付けをして他人へオリジナルだと無邪気に提出してるだけなのだろうなあというのは何となく思っていたけど、ポメラという文字しか打てない機械はその事を思い出させてくれた。
ここまで考えて、この自戒を即すためにポメラを貸してくれたとしたら、なんて自分の本質を解ってそれでもつきあってくれる良い友人を持っているのでは? そうだよなあ自分が空っぽでもそこから何か違うものが出てくる可能性だけは残ってるもんなあ、あっ可能性とかポジティブな言葉使っちゃったけど、たぶん可能性というよりは焼け野原みたいなもう何もないから土に帰る行為はできるだろうという事かもしれない。
などポメラのおかげで新年早々暗くなったので、今年も良いことあるかなあと思いながら何も文字を打たずにTwitterみただけで星乃珈琲を後にした。

その後新年会と称する雑な飲み食い場にて友人達に「Spotify」で聴いた「ぼっち・ざ・ろっく」のアルバムで俺の知らないほかのキャラクターの歌が入ってるんですけどこれはどういうことですか?」と聞いたら。
「お前はED見てないのか?」っと怒られたので、その時「Netflixに即されるまま次のエピソードボタンを押してED見てなかった・・・・・・ネット情報の吸収すらも俺は適当で見逃してるのか・・・・・・」っとさらに落ち込んだりしたのですが、まあこれが俺のロックなんでとは後が怖いので友人には言えなかったですね。

ポメラとの対話を想像した小説書きました。

[本文:書くことが無いのに文芸部、遠くに咲く花近くに居る君に見えた。
https://sawada04.notion.site/d04d045877b14c90b0e56972b77d9576

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