7 「減った、体重、減ったーーーっ!!」
矢沢さんとのデートは、すっごく楽しかった。ふたりとも照れ屋なせいで、会話がギクシャクした点があったけど、たぶん無問題――。
翌朝、鈴花は目覚めてトイレを済ませた後で、すぐに体重計に乗った。
――頼む
――お願い
――お願いだから、減ってて!
スイッチをオンにして、そーっと足を乗せる。そーっと……。そうやって乗ったからって減るわけじゃないけど、そーっと……。
――61・08
じゃじゃーん!!
じゃじゃじゃじゃーん!!
減った、体重、減ったーーーっ!!
「室井さま、やりましたね。おめでとうございます」
突然、耳元でタマキヒロシの声がした。背後に立っていたのはもちろん、本物のタマキヒロシではなくキイだった。
「やだ、ビックリさせないでよぉ……」
「昨日は、矢沢さまと肉三昧の食事をなさいましたね?」
「うん。お昼はハンバーグランチで、夜はオシャレな居酒屋で焼き鳥とか角煮ばっかり食べてた。ご飯もパンも食べてないし、砂糖の入ったジュースも飲んでない」
「素晴らしいことでございます。敬服いたします」
「でも、ホントに体重が減ってた。あんなに、お肉ばっかり食べたのに……」
「実践でご理解になるのが、一番よろしゅうございます」
「続けていけば、これからもどんどん痩せていけるのね?」
「はい……と申し上げたいところですが、そう簡単にはまいりません」
――また何かウンチクが始まるの? と鈴花は思った。
「まあ、そう簡単に痩せられるわけないと思う……と思うけどさ」
「まさかとは思いますが、まさかその身長で、まさか40キロ台になりたいとかいう、まさかのふざけたお気持ちはございませんよね?」
「え、なれるんじゃないの?」
「無理でございます。ぜ――ったいに、無理! でございます」
キイはそう言うと、胸の前で腕を大きく交差させてバツ印をつくった。鈴花はどこかで見た……ていうか、やったことがあった。
「どうでもいいけど、その台詞といいポーズといい、もしかして昨日の私のモノマネしてない? 著作権を主張するぞ」
「あ……バレ……あ、いえ、とんでもございません」
鈴花は、クスクスと笑った。キイは、実は面白い人なんだと思う。――って、人間じゃないけど。
「キイさんって、ときどき冗談を言うとこがカワイイね」
「そ……そんなことは……ございま……」
「あはははは! 照れてるー」
その照れ方も、やっぱりタマキヒロシそのものだった。
「現在の日本人女性、特に20代の方はあまりに痩せすぎなのでございます。それによって、冷え性や貧血、悪くすれば無月経などに悩んでおられる場合も多いというのに、まったく無頓着な方も少なくありません。そんなバカ……あ、いえ、只今の失言を訂正いたしまして、室井さまの場合には、そのようなことのないようにご注意いただきたい、つまり痩せすぎはよろしくないのでございます」
「私の身長だと、何キロが最低ラインと思えばいいの?」
「どんなに減ったとしても、53~54キロ程度を下回らないようにしていただきたく……」
「それでも、あと8キロか9キロは痩せられるってことね?」
「左様でございます。ただ、こういった食事をしておりますと、タンパク質の適正摂取によって筋肉や骨がしっかりしてまいります。体脂肪が落ちるとともに筋肉がつき、その差し引きでの体重増加も見られますので、痩せすぎてしまう可能性はほぼないと考えてよろしいと存じます」
「なんか、至れり尽くせり、って感じねえ。それで、どのぐらい続ければいいの?」
「まずは、4ヵ月ほど継続していただければ、と思います。個人差がありますので断定はできませんが、首尾よく進めば4ヵ月後には現在の10パーセント減、つまり56キロ程度に減っている可能性がございます。その先は、この食事法の特徴として、体重は減らなくてもボディラインが引き締まるという効果も期待できます。そうなりますと――」
「なりますと?」
「体重は変わらないのにジーンズのサイズが落ちる、という不可思議な現象を体験できることになります。そうなれば、まるで別人でございます」
「わお! それ、最高だね!」
「はい。ダイエットにおける体重というものは、実はあくまでひとつの指針にしかすぎないのです。女性たるもの、体重の数値よりも見た目のラインのほうが重要でございましょう?」
「うんうん! 私、絶対に痩せてみせる!」
「いえ、『痩せる』ではなく『引き締める』を目指していただきたく……」
「あ、そっか、今その話を聞いたばっかりなのに、ごめんね」
「とんでもございません」
「私、キイさんの話、全部納得できたよ」
「それは、ありがたきお言葉でございます。では――」
「では?」
「これにて、ひとまず室井さまのご依頼にはお応えできたと判断いたしまして、ワタクシはいったんお暇いたします。経過をお聞きするため、4ヵ月後に再びお邪魔しとうございますが、そのようにさせていただいてよろしいでしょうか?」
「うん、わかった。待ってるから、絶対に来てよね!」
*
そして4ヵ月が経った、ある朝のこと。
「室井鈴花さま、オハヨウゴザイマス」
プーさんから声がした。
鈴花は、今度は1回呼びかけられただけで即座に飛び起きて、枕元のプーさんに向かって笑いかけた。
「キイさん! 約束、守ってくれたんだね!」
「ワタクシは、コンセルジュでございますよ? ご依頼主とのお約束は、どんなことでも必ず遂行するのが使命でございます」
この声を聞くだけで、可愛いプーさんが余計に愛らしく感じる。
「ねえキイさん、さっそくタマキヒロシになってもらいたいけど、今ちょっと困ってない?」
「な……何をおっしゃいますやら」
「ふっふっふ……」
鈴花は、不敵に笑ってみせた。キイの呪文の秘密を見抜いて以来、この4ヵ月ずっと言いたくてうずうずしていたからだ。
「だって、人間の姿になるには私の呪文が必要でしょう? だけど、今この部屋には呪文に使えそうなアイテムが何もないから、キイさん私に頼めんやん」
鈴花は、和歌山弁がちょっぴり顔を出してるのも忘れて、大きな声を出して笑った。
「う……あ……それは……ええと……バレておりましたか」
「うん、バレバレ。4ヵ月前のあの日、キイさんが帰った後に部屋の掃除をしてて気づいたの。そこのテーブルに、スジャータのコーヒーフレッシュと、森永のカフェラッテと、キリンのメッツコーラが置きっぱなしだった。だらしないけど、全部飲みかけの容器よね……。で、キイさんはそれを見て、最初の文字だけをPに変えてプジャータとポリナガとピリンって言ったの。そうでしょ?」
「……むむぅ……バレバレでございますね……」
「ねえ、なんでPなの? 何か理由はあるの?」
「それには、深い深い事情があるのでございます」
「わかった、聞いちゃいけないってことね?」
「そのようにしていただければ、助かります」
「じゃあ、今日はこれを呪文にして。ちゃんと準備しといたんだから」
鈴花は小走りで部屋を往復し、冷蔵庫から1本の缶コーヒーを出してきた。綺麗なデザインの、青いデミタスの微糖。
「これでいい?」
「さすが室井さま。完璧でございます」
その言葉を聞くやいなや、鈴花は間髪を入れずにプーさんの頭を3回撫でながら呪文を唱えた。大きな音と煙の後に現れる≪タマキヒロシ≫に、素晴らしい報告をするつもりで。
――第1話 了――
ダイエットは食事のあとで 真野絡繰 @Mano_Karakuri
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