『石油』と『微小マシン』より
本作品は、マシュマロで戴いたお題と、Twitterのお遊びにより錬成したSSです。
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超高層ビルを建てるための地盤工事で掘り進めた穴から噴き出したから、最初それは地下水かと思われた。地下水もどきは見ている間にも確実に水位を上げていき、作業員の足が浸るまでほんの僅かな間しかなかった。現場監督は慌てて待避の号令を下す。重機をそのままに全員辛くも現場を逃れた。
水位は地面より遙かに低い位置で落ち着いたもののこのままでは工事が進められない。地下水噴出は珍しくなく汲み上げ機の用意もあったが、現場監督は困ってしまった。
『地下水』には色が付いていた。黄色くなり始めた陽光を反射する『水』は透明とはいえず、けれど不透明とも言い切れない。穴の底が見えたと思えば、パステルカラーに遮られてあっという間に見えなくなった。
汚染水。現場監督の頭に浮かんだのはそんな言葉だ。ピンクや水色、金属的なコバルト色や、夕日を映したような朱色。宝石のような緑の輝きが見えたと思えば、宇宙のような漆黒が現れる。――重金属による汚染だろうか。
それとも。あり得ないと思いつつ、現場監督は水面にそっと手を伸ばす。――石油のような地下資源か。
現場は都心からほどほど離れた地方中核都市の真ん中だった。駅前再開発と言う名目で歴史だけがやたらと古い地理上も視覚的にも平面的な土地を深く深く掘り進めている途中だった。事前に入念に調べた限りでは都市は扇状地と呼ばれる範囲の中にあり、街の東西と北には一級河川が流れている。水捌けが悪いのは織り込み済みだが、地下資源があるなど事前のボーリング検査でも解らなかった。
現場監督は水面に触れ首を傾げる。掬おうとして『水』はさらりと逃げてしまった。触れたはずの手を持ち上げる、平を見て甲を見る。指先を確かめ、親指で拭ってみた。――乾いた感触だけがあった。
現場監督の仕草を見た作業員は浸ったはずの自分の足をしげしげと眺めた。現場監督と同じように触ろうと試みる者もいた。しかし靴は全く濡れてはいなかった。水面に落としたはずのその手には水に触れた感触はなかった。ただ霧をかくような心許ない手応えだけを両手に覚え、掬ったはずの手を眺め、作業員同士で顔を見合わせた。
現場監督は無駄かも知れないと思いつつ、瓶で掬い取るよう指示した。意に反して水面より下に沈めた瓶には、透明で不透明なパステルカラーでメタルカラーの揺蕩うなにかが収まっていて。現場監督は首を傾げつつ本社と連絡を取るために携帯電話へ手を伸ばした。
『常温超臨界流体』という耳慣れない言葉を本社の上役から聞いたとき、現場監督はこの工事が始まって以来はじめて取得した休暇を謳歌している最中だった。『水』は汲み上げ機で吸い上げることが出来ず、濡れる感触がないとは言え、水面下で作業することが出来るはずもなく、さりとて工程を飛ばして他の作業をするわけにも行かず、現場は休工にせざる得なかったのだ。そうして、降って沸いた空いた時間を現場監督は自宅での映画鑑賞に費やしていた。今まで映画の『え』の字も興味を持ったことがなかったが、いつ工事を開始できるか解らない状態では迂闊に遠出することも出来ず、何気なく付けた民放のバラエティ番組の合間に流れてきたCMにふと目が留まり、そのまま一月の無料お試しを申し込んだというワケだった。
上司は電話口で今しばらくの休工を告げると早々に電話を切った。メールで資料を送ると言われ、現場監督は溜息を吐きつつ映画に戻った。メールは映画の後で見よう。それが妥協点だった。
超臨界流体とは、液体であり液体ではなく気体であり気体でもない状態だという。液体ほどの密度がありながら気体のように空間に広がるものだという。一般的に高温高圧下で発現する相であり、常温一気圧で見られるようなものではない、という文言を現場監督は字面でだけ理解した。つまり理解できなかった。
上役から送られてきたPDFファイルは分析機関から送られてきたファイルそのままであるようで、上役もよくわからないのだろうと言うことだけが現場監督にはよくわかった。現場監督は様子伺いで連絡をしてきた作業員数人にファイルをそのまま転送すると、すっかり定着した新たな趣味である映画鑑賞にいそいそと戻っていった。
現場監督からファイルを送られた靴を『濡ら』した作業員の一人は、ファイルの何やら難しい言葉が妙に気になっていた。作業員は高校を中退しこの業界に入ったので、学があるとは口が裂けても言えなかったが、知らない聞いたこともない言葉に妙に気を引かれた。それがなにかは知らなかったが、今は情報端末に文字さえ打ち込めばそれがなにかという解説をいくらでも聞くことが出来た。作業員は適当な解説を読み、解説の解らないところをさらに調べ、調べた先でも知らない単語を検索した。最初の言葉も、次の解説も、単語の意味も理解したとは言えなかったが、いくつもいくつも解説を読み事例を読み動画を眺め日常に思い当たることを発見していくうちに、知らないことがあることを知り、何やら楽しくなってきた。そのうち日は暮れ、付けっぱなしのテレビは朝のニュースを流し始め、作業員は携帯端末を抱えたまま、万年床に幸せな顔をして倒れ込んだ。
そして『水』を掬おうとした作業員の一人は地球の裏側で休工の延期を知りホッとしていた。休みが決まってから二日、手慰み程度に続けていたゲームの風景があまりにも美しいことに気付き、貯金残高を確認すると学生時代に作らされたパスポートをひっつかんでそのまま飛行場へ直行した。この作業員も学があるとは言えず、母国語以外の言葉など話せるべくもなかったが、現地で考えれば良いとチケットを買い、機上の人となった10時間後、見知らぬ国の入国審査を通過していた。
降り立ったそこは知らない国で知らない街だ。知らない言葉で見慣れない雰囲気の人々が知らないルールに則って作業員の前を行き交っている。作業員は大きく息を幾度も吐いた。携帯端末を取り出して通信できることだけ確認すると、意気揚々と知らない街へと繰り出した。
本社から至急解析せよと厳命を受けた分析担当は、瓶の中身である試料に興奮を隠せなかった。水であり水でない。気体であり気体でない。瓶の中で重い霧のように揺蕩い、しかし、蓋を開けても即座に拡散することはない。常温超臨界流体は、本物であれば大発見である。
見た目もまた興味深い物だった。あらゆる色が見え、透明であり不透明でもある。臭いは特には感じられない。味は危険なのでさすがに控えた。
分析はガス分析から始まった。瓶の資料を検出器にかけ、無機・有機の分析をする。色や臭いで見当を付けることが出来なかったので、測定可能な全ての範囲で検査した。しかし、結果は芳しいとは言えなかった。――検出物質のピークが全く現れなかった。
次に分析担当は熱を加えた。試料は自然発火し後には何も残らなかった。
温度を低下させてみた。試料は凝集し液体を経ずに固体になったようだったが、ピンセットで取り出そうとしたながら、触れたところから崩れて壊れた。後には何も残らなかった。
分析官は困ってしまい、タブーと知りつつ試料へ指先を突っ込んでみた。重くまとわりつく何かを感じながら、引き上げた指に濡れた様子は見られない。指をさすり瓶を揺すり移りゆく色を眺めているうちに、ふと作業員は絵を描きたいと思い始めた。――色彩溢れる、絵を描きたい。
作業員は途中経過をまとめ上司に報告すると、定時を告げる鐘とともに分析作業室を後にした。
*
調べる楽しさに取り付かれた作業員は、目の下に隈を作りながら携帯端末をいじり続けた。地下を掘り抜いて吹き出してきてしまうものにはどのようなものがあるかを調べ、地下水、温泉、天然ガス、石油等が挙げられると知った。近年ではメタンハイドレートなるものが注目されており、石油に代わる資源となるかも知れないと知り興奮した。
そして、掘り出されるのはそうした資源ばかりではないこともまたはじめて知った。
例えば鉱床。例えば鉱山。例えば遺跡。例えば街。――街。火山噴火、土石流の発生、洪水、津波、もしくは人為的に。様々な理由で街が埋もれてしまうことがあることを知った。そうした街は人々の生活そのものを地下に埋もれさせ、何十年何百年何千年の後に掘り出される時を待っているのだと知った。
それと同時に、石油がかつて生き物であったことも知った。生命は海で生まれ、死ぬと海底に積もっていった。まだ分解するのもののない数多の生物の死骸は、地層を形成ッするほども積リ、いつしか圧力を得、熱を得、後から発生した微生物の作業により石油になったことを知った。そんな石油を現代人は掘り起こし、燃料に衣服に食器に様々な形で利用していることを知った。
ならば。作業員は考えた。『水』に触れる前であったら、きっと馬鹿馬鹿しいとか、自分には関係のない世界の話だと気に留めることもなかっただろうことを考えた。――街が分解されたなら、一体何になるのだろう。
例えば、古代文明が埋もれてしまったら。例えば、古代文明で生まれたナノマシンがその文明を『分解』したら。生物ではないナノマシンはきっと『街』を『生活』を分解できるに違いない。『街』は『生活』は文化であり、文化とは――要も不要もひっくるめた、生き物が織りなす『全て』ではないだろうか。
作業員はふと足を眺めてみた。作業員の足は、確かに『水』に浸かっていた。しかし濡れてはいなかった。何故濡れてはいなかったのか。蒸発したのか、それとも。
作業員は携帯端末を操作する。不思議に思ったことを打ち込んでみる。
仕事はまだ再開しない。ただ楽しいが、そこにある。今間まで気づきもしなかった楽しさが。
戯言 森村直也 @hpjhal
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