第9話 エピローグ~はじまりの物語~
漆黒のドレス、漆黒の髪、漆黒の瞳の麗しき美少女店主は、ルビーでできた炎が揺らめくランタン灯りを頼りに空から剥いできたばかりの
にゃあぁんと、相棒のエメラルドの瞳の黒猫が声を上げる。
「んん?」
首を傾げると、相棒はすでにほとんどが濃紺に染まって、火が消えゆくように小さくなっていく夕焼け空を見つめた。
「うん。あれも綺麗だね、剥いで来ようか?」
相棒は首を振り、耳をパタパタさせてからピンっと立てた。
店主が言われたとおりに耳を澄ますと、
りぃん りぃん……
かすかな――けれどとても美しい声がした。
「ん~、純銀の鈴虫が鳴く音みたいに綺麗な声だ」
店主のうっとりとした言葉に小さな籠に入れられた金や銀、赤銅などの七色の鈴虫が一斉に鳴いて抗議をし始める。
ごめんごめんと鈴虫達を宥めるうちに、闇に沈み始める空にふわりふわりと蛍のように頼りなく泳ぐ魂の光が見えた。
「水子……ではないね、まだ」
りぃん、とかぼそい光がそれに応えた。
「早くお帰り。今はまだ集まってきていないけれど、もう少ししたら店も客も溢れかえる。こんなところにいると捕まって売られてしまうよ」
地上から見る星のように弱々しく瞬く魂の光。
それは弱々しいけれど、美しい物を好んで集めている店主がゾクゾクするほど美しい魂の光だった。
その魂は震えながら泣いていた。
その魂の輝きが――涙が美しいのは、生まれることなく消えゆく自身の命を儚むのではなく、喧嘩している両親に心を痛めているからだ。
「そうかい、じゃあさ。君のその美しい声を私にくれるんなら、代わりに《希望》をあげるよ」
魂の泣き声が止まり、ふわりと一際強く光る。
「仮の魂の器だ。もし君が愛され、そして正体に気づいてもらえたなら、本当の人間として生まれることができるだろう。もし愛されることが叶わなければ水子としてあの川を渡ることになるけれど――それでも、運がよければ、両親の仲直りも、君が生まれる契機にもなるかもしれない一筋の《希望》だ。悪くない話だろう?」
魂はいっそう強くはっきりと輝き、満月にも負けないほどになる。店主はうっとりとその輝きを見つめてから、ゆっくりと頷いた。
美しい真紅の布と鋳溶かした銀のような糸と針をどこからともなく取り出すと、さっと人魚のシルエットを刺繍を施した。
「ふふん、童話の人魚姫みたいだからね――って言うと縁起が悪いかな?」
両手で空に広げ掲げてその出来に満足した店主は水子の魂にそれを掛ける。
ゆっくり、とろとろと、銀糸が溶けるように消えていく。
人魚の刺繍が完全に消えてしまうと、水子の魂は急激に重さを増して落下をはじめる。
店主はそれを両手で抱き留めた。
一抱えもある大きな丸い瓶と、小指くらいの小さい瓶。
丸い瓶の中には、一匹の小さな人魚。自分の体を不思議そうに眺めてはぺたぺたとなで回している。小さい瓶のほうには、朝日を浴びる蜂蜜のようにキラキラ輝くした液体が入っている。
「相変わらず、早いですね《黒猫貴品店》さん」
うっとりと小さい瓶を眺めていた店主はふいに声をかけられ振り返った。スイカ頭の主催者がふわりふわりと浮いている。
「おや、新商品ですか?」
「こっちは預かり物だから売らないよ」
「そうですか。かわいらしい人魚なのに残念です」
手元をのぞき込んできた主催者から隠すように丸い瓶を背中に回すと、あたりにぽつりぽつりと灯りが点りはじめる。
すっかり日が暮れたのだ。
「さぁ、はじめましょうか」
歌うように、軽やかに。
慣れた調子で、主催者が声をあげる。
よってらっしゃい みてらっしゃい
ここに来ればなんでもそろうよ。
そろわないのは、お日さまが苦手な商品だけさ。
昨日のものも、未来のものも、希望だって絶望だって
生き物だって概念だって、
よくよく探せば見つかるものさ。
主催者の一声ごとに光は数を増していく。
ある光は竜の血や妖精の羽、赤い骸骨なんかを売る店に。
ある光は籠に入った妖精や、燃えさかる火の鳥を売る店に。
ある光は胡散臭そうな音屋に。
ある光はガラス玉を売る怪しげな男に。
ある光は小さな船に乗った双子の店に、蝶々を閉じこめた花のランタンを売る店に――。
様々な店が現れて、客も集まりはじめる。
それはまるでランタン祭の空か灯籠流しの川のように。
無数の蛍の光のように。
《黒猫貴品店》の店主が背中に隠した小さな希望を届けるのは、少しばかりこの夜の市場を楽しんでからのこと。
瓶詰めの人魚 葵生りん @aiorin
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