第6話 嘘なんかつくなよ

 僕は、三十歳を迎えていた。

 会社でも係長に昇進し、一定の責任を持たされ、毎日忙しい充実した日々を過ごしていた。一週間の多忙な業務を終えた金曜日の夜に、一年振りに幼馴染の田島凌士に呼び出されて、バーのカウンターで待っていた。数分後に、田島は現れた。一年振りに再開した彼は、急に年を重ねたように見えた。「相談がある」と彼から言われたのは、一週間前のことだった。


 金曜日の夜だった。一週間の疲れを抱えながらも、何故か身体が軽くなった気がするのが金曜日だ。花金なんて言葉を思いついた人間に会う事があれば、言ってあげたい。「その通りだな」と。

 会社の同僚と居酒屋で飲んでる時に、携帯電話が鳴った。携帯電話を持つようになって何年も経つが、最近は会社からの急用か、恋人から声を聴きたいと言われる時くらいしか電話が鳴ることは無い。大半がメールで済ましているからだ。それにも関わらず、電話は鳴り続いていた。画面には田島凌士という名前が大きく表示されていた。(田島?何故?)と思いながら、恐る恐る僕は電話に出た。

「田島だけど、今、話しても大丈夫かな?」

「ああ、大丈夫だよ。どうしたんだよ、電話なんて珍しいな」

「いやあ、色々あってな。山崎、来週の金曜日空いてないか?ちょっと会って話したい。お前、忙しいかなと思ってさ」

「来週か?ああ、空いてるよ。何があったんだよ」

「いや、会った時に話すよ。じゃあ、来週の金曜日、いつものバーに八時で頼むよ。お前にしか話せないんだ」

「わかったよ、じゃあ、来週な」

「すまんな、じゃあ」

田島の声を聴くのは久しぶりだったが、明らかに元気が無いのはわかった。


 田島凌士は、小学生の時からの友人だ。いや、親友というのが正しい表現かもしれない。僕が初めて嘘をついた時に、何も無かったかのように振る舞ってくれたのが彼だった。それから、彼には何でも話せる自分がいた。進路に悩んだり、恋人と喧嘩したり、色々な話を僕はしたし、彼もしてくれた。そして、中学も高校も大学も別々の進路にお互い進んだが、ずっと連絡を取り合っている仲だった。

 田島は、大学は国立大学の医学部を卒業し、その後有名な精神病院に勤務した。そして五年の勤務を経て、個人で心療内科のクリニックを開業していた。ここ数年仕事は相当忙しそうだったが、順風満帆な生活を送っているように見えていた。それはいつも自信満々な彼の風貌がそう見せていたのか、職業柄そう見えていたのかはわからない。ただ、僕なんかよりよっぽど順調に人生を送っている、そんな印象だった。それなのに、急な相談とは一体何があったのだろうか。田島がどうしても会って話したい悩みなど、全く想像がつかなかった。


 先に店に着いた僕は、カウンターでビールをまず注文し、飲んでいた。田島は直ぐに現れたが、一年前に見た彼とは明らかに違っていた。「おう!待たせたな。久しぶり」

「いや、ほとんど待ってないよ。それより、どうしたんだよ?」

「実はさ、俺、訴えられたんだよ」

田島は自身が代表を務める田島クリニックで、患者から訴訟を起こされているのだった。田島の話では、その患者は生活保護を受けていて、うつ病を患っているのだと。

 その患者は田島が診療中に暴言を吐いたせいで、更に症状が悪化した、と訴えている。損害賠償額自体は少額だが、こんなのをいちいち認めていたらキリがないし、何よりもクリニックの信用を落とすのは避けたい、とのことだった。

「山崎には理解出来ないかもしれないが、こういう類の話は案外、誰にも言えないもんなんだよ。家族にも出来ないしさ。色々と心配かけるからな。だから、お前だけには聞いて欲しくてさ」

「それは大変だろうな。裁判なんて俺には縁が無いから、あまり詳しいことはわからないけどさ」

「で、頼みというのはほかでも無い、傍聴に来て欲しいんだ。平日なんだが」

「いつだよ?可能な限り、行くよ。お前の頼みだしな」

「来週の金曜日なんだ。昼の2時からだ。傍聴席に山崎がいてくれるだけで、安心すると思うんだ。頼む!」

「金曜日だな?わかった、必ず行くよ」


 翌週の金曜日、僕は午前中に仕事を終え、昼から裁判所へと向かった。裁判は平日にしか行われないせいか、行ったことなど無かった。田島は当該者だから当然だが、僕も初めてで幾分か緊張をしていた。

 傍聴席に座ると、向かって右側のテーブルに田島はいた。つまり、被告側に彼は座っていた。田島と対面する原告側には、髭を生やした六十歳くらいに見える初老の男性がいた。髪型はお世辞にも整っているとは言えず、服装もトレーナーにジーンズという法廷にはやや相応しくない恰好だった。

 まずは、原告の請求内容や主張の陳述が行われるが、田島の表情は強張っていた。自信に満ち溢れた彼とは別人のようだった。無理も無い。誰だって訴訟を起こされて平気な訳がない。原告の男性が訴えた内容と言うのは、以前に田島から聞いたものと変わらなかった。自分が患者として田島クリニックを訪れたが、田島に暴言を吐かれ、症状が悪化したといったものだった。

 続いて、被告による答弁や主張の陳述が始まった。田島は原告を患者として受け入れたが、その時のことはあまり覚えていないといった答弁だった。カルテを証拠書類として持ち出しており、カルテに基づいて当時の状況を説明したが、それ以外についてはあまり記憶にない、と繰り返した。確かに年間数千人の患者と面談している田島にとって、原告は一患者に過ぎない。全てを覚えるというのは困難だろう。

 だが、何か腑に落ちなかった。それは田島の口調がいつもと違うからなのか、彼の表情がいつもの優しくて自信に満ち溢れたものと全く異なったからなのか、上手くは言えない。ただ、目の前で争っている二人は明らかにどちらかが嘘をついている。それは素人の僕でもわかった。

 裁判の最後に田島は法廷で裁判官に向かってこう言った。

「私は年間何千人もの患者を診ている。だから、その時の状況は少しは覚えているが、全てを思い出すのは難しい。だが、こういった訴えは心外だ。最初は示談も考えた。だが、医師としてこういう訴えを一度受け入れると、自分の診療を否定する事になる。だからこうして出廷しているのだ」

田島は、まるで政治家が街頭演説を行っているかのような答弁をした。発言の内容には説得力があったが、僕は最後までどうしてもすっきりしなかった。


 その日の法廷でのやり取りが終わり、次回の日程や新たな書類の提出日が裁判官から言及された。この裁判がこれから数か月かかる、長い闘いになることを意味していた。そしてその日の夜、田島から呼び出された僕はいつものバーへと向かった。店に着くと、数時間前に見た田島とは違い、いつもの彼がいた。

「山崎、今日はありがとうな。お前がいてくれて落ち着けたよ。しかし、あんな奴に訴えられるってたまったもんじゃないだろ?」

「そうだな、裁判というものがこれほど精神的に負担のかかるものとは思わなかったよ。これからも続くこと考えると、参ってしまうな」

「ああ、でもこれで負けたらウチのクリニックの評判が悪くなるだろ?だから勝たないといけないんだよ」

「なあ、一つ聞きたかったんだが、あの患者、本当に覚えていないのか?」

「山崎、俺を誰だと思ってるんだよ。記憶力には自信がある。覚えてるよ、あいつは。あいつな、病気を装って生活保護を受けてるんだ。あういう奴をみると、虫唾が走るんだ。だからそういった事を少し言ったんだよ。そうしたら訴えてきやがった、ふざけるなと思ったよ」

「え?じゃあ、田島、まさかお前嘘をついていたのか?」

「嘘?そう言われたら、そうかもしれないな。でも俺は正しいことをしている。あんな奴が勝つようだと、ウチだけじゃない。他のクリニックだって被害が広がってしまう。それでは駄目なんだよ」

「おい、田島。お前、間違ってるよ。嘘はついたら駄目だろ?ましてや、法廷の場なんて絶対に許されるものではない。お前の主張は理解出来るよ。ただ嘘をついたことは俺は許せないよ。だったら、正々堂々と真実を明らかにしてお前の主張を訴えれば良いじゃないか!」

「山崎、世の中綺麗ごとだけで乗り切れるか?嘘も方便って言うじゃないか?しかも、俺とあの患者どっちが正しいと思うんだよ」

「田島、俺はお前の味方だよ。だけど嘘をついたことだけは許せない。お前だって、裁判中ずっと辛かった筈だ。俺はな、小学校の時にテレビゲームを持っていると嘘をついた。だが、お前は嘘をついた俺を許してくれた。その時に思ったんだ、もう嘘は付かないと。俺に気づかせてくれたお前だから、だから嘘をついて欲しくないんだ!親友のお前だからだよ、田島!」

「山崎、お前らしいな。確かにお前の言う通りかもな。まあ、どちらにせよ、次は出廷しないでおこうと思ってたんだよ。それなら、嘘もつかなくて済むよな。今日はありがとう、裁判にも来てくれて」


 僕たちはバーを出て、別れた。田島は恐らく、次回の審理には出廷しないだろう。既に弁明を済ませている為、今後は相当事態が悪化しない限り、彼に不利に働くとは言えない。裁判所の判断がどうなるかはわからないが、田島にとって出廷しない事による不利益よりも目の前の患者一人一人と向き合う時間を持つ方が十分有意義かもしれない。嘘の無い彼の診療なら、何人も救えるはずだ。

 誰だって間違いはある。咄嗟に嘘をつくことだって、誰でもあるはずだ。だが、わかっていて嘘をつくのは如何なものか。裁判で勝つよりももっと大事な事だってあるんじゃないのか。しかも田島の様に大半が正しい診療をしていても、それを気に食わない人間だっているだろうし、そんなことをいちいち気にしていても仕方がない。それなら自分に正直に生きて欲しいと思う。優しくて、僕を救ってくれた田島のままでいて欲しい。


 自宅近くの公園に着くと、僕はベンチに腰掛けた。空を見上げると、すごく澄んだ星空だった。ついさっきバーに向かうまでに見た星空とは全く違う顔をしていた。

(佳代もこの空を見ているかな。僕は、あれから嘘を一度もついてないよ。佳代が幸せだったら嬉しいな。君には幸せになって欲しい、心の底からそう想うよ。僕には君以上の人はまだ見つかってないよ。まあ、その内見つかったら良いけどね。これからも正直に生きていけたら良いな。嘘をつかずにさ……)





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嘘つき‼︎ 岡本次郎 @yossy1211

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