第10話 思い出の中のピアノ曲

「金が欲しいか竜胆くん?」

「え?」


 黄昏先輩はいつも唐突で、同時にいつも強引だ。

 そして突拍子もなく、持ち込んでくる話は大抵心霊現象が絡んでいる。


「金が欲しいか? と聞いたんだ、竜胆くん」

「ええ、まぁいろいろと欲しいものはありますし、欲しいと言えば欲しいですね」


 とは言え、僕は先輩のことをこう、一人の女性としてなんというか憧れとか思慕とか、とかくそういった感情を抱いているので無碍にはできない。

 つまるところ、惚れた弱みなのだ。

 だからこういったやりとりも、後々何か面倒ごとに巻き込まれると分かりつつも嬉しくなってしまうわけだ。単純な男だなぁ。


「そうか、卑しい奴め。金が欲しいのだな! 金の亡者め!」

「はいはい。欲しいですよ。それで、どうかしたんですか?」


 何がお気に召したのか、やけに嬉しそうに僕を指さしニコニコご機嫌に答える先輩に、僕は辟易としながらも内心の喜びを隠して返答を重ねる。

 しかし金とはえらく生々しい話が出てきた物だ。何かバイトでも紹介してくれるのだろうか?

 とある一件以降、彼女の実家である宵闇堂での知己を得た僕は、何かと表沙汰には出来ないような仕事――つまり心霊関係のバイトを斡旋してもらっているのだ。

 割は良いので正直助かってはいるが、なにぶん非常にゆゆしき自体に巻き込まれる事が大半なので、全面的には喜べない事情がある。


「いやなに、一緒にちょっとした仕事をしないかと思ってね。男手があると助かるんだ」


 どうやら今回もあちら関係の話だったらしい。

 僕の想像通りの言葉を先輩はその可憐な口から紡いでくれた。

 さて、受けるべきか受けざるべきか。

 先輩の表情から少しでも何か情報を得ることは出来ないかと悟られないように観察しながら、僕は今回の仕事内容について思案する。


「それって心霊的なあれこれは関係しているんですか?」

「うーん? まぁ解釈しだいだな。関係してないよ。ちなみに日給一万円」

「むっ、結構いい値段ですね……」

「そうだろうそうだろう。お金は大事だからな」


 学生が出来るバイトと言えば限られている。

 高校生ともなればなおさらだ。

 ファーストフードをはじめとした飲食店。場合によってはコンビニエンスストア。

 休日をめいいっぱい使って汗水垂らしたところで七~八千円が関の山だろう。

 その点で言えば一万円という金額は魅力的に映った。

 高校生にもなると欲しいものや興味をかき立てる物は山ほど出てくる物で、お金はどれだけあっても足りない。

 それ相応の理由があるからこその高報酬とは理解しつつも、僕はお金の魔力に勝てず、結局先輩の話に耳を傾けてしまう。


「一応伝えておくが、仕事自体はそこまで大変なものじゃない。ちょっとした掃除さ」

「掃除ですか……詳細は?」

「受けてからのお楽しみって奴だ」

「はぁ……」


 ニヤリと先輩が笑う。

 いたずらを思いついた子供のような、幼い笑みだ。

 先輩がこんな顔をする時は、決まって何か面倒な事に巻き込まれると相場は分かりきっていたが、何故かこの時だけは大丈夫なんじゃないかという根拠の無い安心感があった。


「分かりました。一万円には勝てませんよ」

「そうだろう、そうだろう! 楽しみだなぁ」


 無邪気に僕の背中をバシバシと叩きながら笑う先輩。

 ご機嫌がよろしくて何よりだ。

 そのままご機嫌に帰り支度を始めようとする先輩に、僕はことの詳細を一切聞かされていない事を思い出して慌てて問いただすのであった。



 ◆



「閉店したお店の掃除……ですか?」


 アルバイトの当日。

 今回の集合場所はN県の県庁所在であるU市のとある繁華街だった。

 最も人が集まるN駅から電車で二駅あり、やや不便が悪いその場所ではあったがそれなりに大きな繁華街が存在している。

 とはいえバブル崩壊後に時代の流れに取り残されたらしく、今ではかつての活気は何処へやら、いくつかの店舗が細々と地元の人間目当てで営業を続ける寂れた場所となっている。


 繁華街の本筋から一本離れた脇にそれ、さらに増えるシャッターを横目にとあるビルへと入る。ずんずん歩く先輩に先導され、僕らはその店舗の場所へとやってきていた。

 ガラスでできた扉は一人がようやく通れる位の小さな物。

 英字で描かれた華やかな店舗名は時間の経過によってくすんでおり、ガムテープで大きなバッテンが作られている。

 テレビで出てくるキャバクラのお店みたいだ……。


 そんな感想を抱いていると、黄昏先輩が手際よく鍵を差し込み店の扉を開く。

 のぞき込んだその先は、まるで昭和時代がそのまま取り残されたようなどこかノスタルジックな光景だった。


「ここは元々ピアノバーでね。昔は繁盛していたんだけど、バブル崩壊の影響をうけてね。採算がとれなくなって閉店したんだ」

「つぶれたって事ですか」

「いや、店じまいって言う方が正しいな。オーナーは別の事業で大成功している。今日は休日だし、今頃ハワイで暢気に観光でもしてるんじゃないかい?」

「へぇ、うらやましいですね」


 店内が持つ独特な雰囲気に圧倒され、僕はなかなか一歩を踏み出せなかった。

 薄暗く、外から入り込む光でなんとか分かる程度であったが、テーブルやソファ、椅子と言った調度品はまだ残っているらしく、それなりに雰囲気がある。

 スマートフォンの懐中電灯機能を起動し、もう少しはっきりと店内を確認しようとしたその時だった。

 店内に明かりが灯り、品のある空間が映し出された。


「電気は通ってるんだ」


 先輩の説明を聞く限り、どうやらある程度は定期的な管理が為されているらしく、店内は僕が想像した以上に清潔さを保っている。

 天井からはキラキラと穏やかな暖光を放つシャンデリア。

 椅子やソファーは深い赤みがかった色で品があり、カウンターバーと背後にある棚は素人目に見てもそれなりに質の良い木材と彫刻が施されている様に感じられた。

 そして店の奥にはひときわ目を引くグランドピアノ。

 まるでそこだけが今でも曲を奏でているかのように輝いて見える。


 恐らく高級なお店だったんだろうなぁ。

 別に掃除に来ただけなのに、何故か場違いなところへ来てしまったかのような居心地の悪さを感じてしまう。

 そんな僕の気持ちはつゆ知らずか、先輩は実に慣れた手つきで手近なテーブルに持ってきた掃除道具を置くと、腕をまくって気合いを入れはじめる。


「私たちがするのは換気と、備品のチェックとか、後は軽く埃落としだな」

「そういうのって普通は業者に頼むもんじゃないんですか? やっぱり出るんですか」

「いや、まぁ確かにそうなんだけど。ちょっと違うんだな。まぁいい、それなりに仕事はあるから、手分けして掃除を始めよう」

「納得いきませんが、まぁ分かりました」


 何の変哲も無いこのピアノバーで何が起きているのか。

 その事には非常に興味があったが、実際のところ僕らがここに来た理由は掃除のバイトだ。

 まかり間違っても心霊現象を調べたり、噂の真相を探って好奇心を満たしたりするような理由では無い。

 頼まれた仕事はキッチリとするタイプでもある僕は、先輩が持ってくる話は必ず何かあるという事実をすっかりと忘れて、仕事に精を出すことにした。


 ………

 ……

 …


 掃除も終わりにさしかかったころ、店の一番奥にどっしりと構えているあのグランドピアノが目に入った。

 はたきをぱたぱたと振りながら、僕は掃除ついでにピアノをのぞき込む。

 うっすらと埃が積もったその鍵盤は、はたきでさっと撫でるとふわりと埃が舞う。

 もちろん、誰かが弾いた形跡は何処にもない。


「どんな曲が弾かれたのかな」


 思わず興味本位で鍵盤を押してみる。

 壊れているのだろう。その先は何にも繋がっていないとばかりにスッと抵抗なく押し込まれた鍵盤は、どの様な音色も流すことはなかった。

 僕は何故かその事実が悲しくて、ほんのしばらくだけ、ピアノの前でじっと立ちすくんでいた。


「…………音楽?」


 ふと、音が流れてきた。

 ピアノの曲だ。

 どこかで聞いた様な曲で、初めて聴く曲のようにも感じられる。

 懐かしくて、寂しくて、なんともいえない気持ちになる曲だ。


 目の前にはグランドピアノ。

 もしかして、今まさに何者かがこのピアノを弾いているのだろうか?

 僕の目の前で、この鳴らないはずのピアノを。

 そっと近づき、耳をそばだてる。

 この悲しげな曲を弾くのは誰なのだろうか?

 普段から心霊現象だの超常現象だのを信じないと公言しているくせに、僕はこのピアノ曲の弾き手を一目でいいから見てみたかった。

 けれども……。


「……あれ?」


 確かに鳴らされている曲は、けれども目の前のピアノから鳴っているものではなかった。


「竜胆くん」


 突然声を掛けられ、びくりと震える。

 自分の世界に入り込んでいたせいで、先輩がこの場にいたことをすっかり忘れてしまっていた。

 必要以上に驚いてしまったことを隠すように頭を掻きながら振り返ると、なんとそこにはソファーに深く座りながら、ガラス製のグラスを用意している先輩がいた。


「……何やってるんですか。仕事中ですよ?」

「ちょっとくらいだったらいいだろう? もうあらかた終わって後は片付けだけだし、なによりオーナーとも話は付いている」


 先輩が持ってきたリュックから次いで1Lサイズのペットボトルが顔を覗かせる。

 ラベルは僕もよく知るジュースの物だ。

 ほどよい甘さの果実系で、僕もたまにコンビニで買ったりする。

 先輩はちょいちょいと手招きして僕を強引にソファーの横に座らせると、さも当然の様にグラスにジュースを注ぎ始めた。


「ピアノが勝手に鳴っていると思ったんだろう?」

「違うんですか?」

「違うね。まぁ間違ってはいないんだけど。厳密には違う……」


 なみなみとジュースが注がれたガラスのグラスを僕の方へと手渡し、先輩は自らの手元にある琥珀色の飲み物をじぃっと見つめながら語る。


「物には思い出が宿る。楽しかった思い出、悲しかった思い出。長く使われた物は、その思い出をしっかりと刻み込み、時折懐かしむように過去の日々を反芻する」

「ピアノが、そうじゃないんですか?」

「これはお店の思い出なんだよ。――お店がまだ繁盛していた頃の、楽しかった思い出。毎夜ピアノが奏でられ、多くの人々が酒と音色に酔いしれる為に訪れた頃のね」


 先ほどからピアノの音色は止むことなく鳴り続けている。

 まるで、客がいるからにはもてなす義務と権利があるとでも言わんばかりに。


「ここにある全ての物。テーブル、照明、壁掛けの絵画、ピアノはもちろん。私たちが今座っているソファーも……」


 静かな音色はどこからともなく流れてくる。

 それは特定の場所では無く、確かに先輩の言うようにこの空間全てが奏でているように思われた。


「この店全てがね、楽しかった日々を懐かしんで、こうやって時折演奏会をするんだよ」

「じゃあオーナーさんはそれを知っていて先輩のところに掃除を頼んだんですか」

「みたいだね。確かにこれじゃあ普通の業者には頼めないな。まぁうちのおばあちゃんは『女々しい、女々しい』って言っていたけど。私は嫌いじゃないかな」


 先輩の言葉に僕も同意する。

 僕らはまだ未成年だから、このグラスに注がれた飲み物もあいにくとお酒では無い。

 でももし僕らが大人だったとしたら、

 もしこの場所がかつての様に人々を温かく迎える場所だったとしたら、

 先輩と飲むお酒はどのような味がするのだろうか?

 そんなことをふと考えた。


「もう、普段は誰も聞いていない演奏会なんだ。たまには私たちのような物好きが聞きに来てもいいと思うんだけど。君はどう思う、竜胆くん?」


「――乾杯」


 先輩がどこか機嫌良くグラスを掲げた。

 僕も彼女にあわせグラスを掲げ、軽く縁を重ね合わせる。

 コンという小さな音色が、ピアノ曲に紛れて穏やかな空間に溶け込んだ。

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宵闇堂の黄昏 鹿角フェフ @fehu_apkgm

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