#4 女装少年は彼女の妹に?

合流と秘密と……女湯ふたたび


 フォルトゥナは、山を登っていた。

「ここを越えたら、村が見えてくる――のかな」

 と、細く荒れた道なき道を進む。

 ――実は、彼女は道中、街道の分かれ道を間違えて、目的地をやや迂回する方角に向かってしまっていた。

「距離的には、そろそろだと思うんだけどなあ」

 時折、道を塞ぐ茂みや枝を斬って歩く。

 その速度は、常人より速い。

 振っているのは、いかにも質実剛健と思わせる幅広で肉厚な両刃の剣だった。華美な装飾は柄にも鞘にもなく、蒼白く鈍い輝きをほのかに放っている石が刃の付け根に埋まっていた。その刀身は曇りなく、石から伸びるように剣の中心に刻まれた溝には細かく紋様が彫られている。

 その剣で、くうを切るような軽さで、丸く固まった硬葉も鞭のようにしなるウーガルの枝もすぱすぱと、彼女の脚を傷付けるより前に地面へ落としてゆく。

 太陽が、稜線にさしかかっていた。

 フォルトゥナがそうやって山道をしばらく――やはり、並ではない歩調で登り続けて、開けたところに出た。

「うわ……ぁ」

 その光景に感嘆をもらす。

 湖があった。

 彼女のすぐ眼前ではなく、ひとつ谷を離れた先の景色だったが、視界を遮るものがなくかえって湖全体を見渡せる場所にフォルトゥナは出てきていた。

「綺麗なぁ……あ、そうだ」

 と、彼女は薄い荷物袋から地図を取り出す。

 広げた地図と湖を確かめて――「えっ」と、背後とその湖水たゆたう風景と山と空とを何度も見比べはじめた。

「湖これで、村こっち、って……」

 こくん、と喉が動く。

「ま、間違えた……?」

 険しい山道を踏破したことに疲れの素振りもなかったフォルトゥナの頬がわずかに引きつる。

「うそっ、どこで? うぅ、お祖母ばあさ――お師さますみません、またやっちゃいました……」

 何もないはずの虚空にしきりに頭を下げて見せて――それに気付いたのか、動きを止めた。

「ん? あれは……?」

 湖の畔に、人影があった。

 もちろんフォルトゥナの位置からは遠く、声の届くような距離ではない。

「なんだろう、あんな所に……」

 人影は、真っ黒な長い装束姿のようだった。

 フォルトゥナの存在は認識していない様子で両手を掲げて振る。

「っ!?」

 ざわっ、と湖面が騒がしく揺らぐ。

 水面はしばらく不自然な波を立ててから、元通りの静けさに落ち着いた。

「あれ?」

 人影が消えていた。

「今のは……?」

 フォルトゥナは穏やかになった湖とその周辺を十分ほども眺めていたが、それ以降変化が訪れないことに首を傾げて、持ったままだった地図に目を落とした。

「気のせいだったのかな……って、気になるけど日も暮れそうだしなあ」

 呟きながら地図を畳み、「よしっ」と顔を上げる。

「村、探そう!」

 そう、自分に言い聞かせるように強く言って、湖の方角に背を向けた。


 すっかり日の落ちた時間になって、フォルトゥナはジリエ村に着いた。

 境を示す程度の高さしかない柵を乗り越えて牧草地に入ったところで、彼女は大きく息を吐く。

「つ……っいた、ぁ……」

 星明かりの下、屋根のシルエットがぽつぽつと浮かんでいた。

「ごはんどうしよう……温泉も入りたいなあ。納屋でも、使わせてくれないかな……。あと情報も」

 ここまでの道中で、所持金は増えていなかった。

 小高くなっている丘を下り、村の中へ進んでゆく。

「それにしてももう、みんな寝てる……のか――――」

 な、と言う前に彼女は息を呑んだ。

「えっ――誰も、いない!?」

 足音を抑えて一軒の家に近付き、聞き耳を立てる。

 それから、扉を静かにノックする。

 反応はない。

「うそ……」

 彼女が山を越えてきた疲れも消えたように緊張感を走らせ――物音がかすかに、彼女の耳に届いた。

 はっ、と見回す彼女の視界の先に、一軒の建物があった。

 彼女から見える範囲でただひとつ、光が漏れ出ていた。

 それほどの距離ではなかったが、フォルトゥナは一気に駆け寄る。

 建物の入り口には『公衆浴場』と看板がかかっていた。

 中から話し声がわずかにこぼれる。

『――いよ、あたしこのままで』

『そうなの? でも――』

 大人と、子供のようだった。

「女の人が……二人?」

 意を決したように唇を結んで、フォルトゥナは扉を開けた。

 広間を抜け、声が聞こえる女湯へまっすぐ向かう。

『一応、ね。はい』

『え? え?――あれっ?』

 会話はさらにはっきりとしてきたが、

「すみませんっ!」

 と、フォルトゥナが脱衣所からカーテンで仕切られた先の浴場へ声をかけるとぴたりと止まった。

「――誰?」

 ややあって、声の片方――大人らしい方が尋ねてくる。

「旅の剣士です。

 ここの村の――竜の噂を聞いて来てみたんですけど……」

 浴場がしばらく静まる。

「あ、あの……」

 待ちかねてフォルトゥナが呟くように言ったところで、返事があった。

「いいわ、敵意のないことを示して、入ってきて」

 フォルトゥナは両手を挙げて、カーテンをくぐった。

 浴場には、前髪の一房のみが黒い銀髪を巻き上げた女性と、まだ成長途上の少女のような茶寄りの赤髪の子供がいた。

 白い光球が、周囲を照らしていた。

 銀髪の女性は湯浴着に沿った肉感的なラインを見せていた。傍らにあった眼鏡をかけて、フォルトゥナを値踏みするように見上げる。

 湯から上がった様子で濡れた体の、湯浴着の上から股間を押さえていた子供は彼女を見て、赤面していた顔からじわじわと口を開けはじめた。

 怪我でもしたのか、左腕に血の滲んだ布が巻かれている。

「あ、あの……」

 対照的な二人の視線にフォルトゥナが何か言おうとして、それより先に子供の方が大きな声を上げた。

「あ――あああっ!!!」

 フォルトゥナは目を丸くする。

「どうしたの? アルテ」

 銀髪の女性が子供を見る。

「え、あ、あの――あたし、っ」

 アルテと呼ばれた子はしどろもどろになりながら、フォルトゥナを指差した。

「ほっ、っ! マルフィール、本物だよこのお姉さん!」

 フォルトゥナは首を傾げ、マルフィールという名らしい銀髪の女性はアルテとフォルトゥナを見比べる。

「本物?」

 アルテが、岩を積んだ湯船の縁に置いてあったものを取った。フォルトゥナに駆け寄って押し付けるようにする。

「え? 何、って――」

 それは、まだらに黒ずみ、汚れと傷が散りばめられたポーチだった。

「これ――っ!?」

 フォルトゥナはそのポーチを受け取り、慌ただしく開けて中からひとつの金属板を取り出した。

徽紋しるし……うそ」

 フォルトゥナは驚きでいっぱいの目で、アルテを見る。

「――女の子だったんだ」

「えっ!? あ、ちが……」

 アルテはさらに焦らせた言葉を走らせて――ばさっと頭を下げた。

「ご、ごめんなさいっ!」

「まさか――」

 マルフィールが上半身を出していた。豊かな起伏を伝って湯が流れる。

「本物、の――『北のノルテ』ミルム、どの?」

「そんな、かしこまらないでください」

 フォルトゥナはそう、苦笑を浮かべた。

「ただの、フォルトゥナでじゅうぶんですよ。えっと――マルフィール、さん」

「失礼いたしました。カルコス王宮付き魔術師『琥珀の』マルフィール・エブルと申します。先ほどのご無礼の段、何卒――」

 マルフィールが湯から上がって跪こうとするのを、フォルトゥナは慌てて制止する。

「やめてくださいっ。そんな大した者じゃありませんから。

 あの、それより――」

 ややためらいがちに、フォルトゥナは言った。

「私も、入らせてもらっていいですか? お聞きしたいことも多いですし」


   ▲▽▲▽▲▽


 少しあと。

 数日ぶりに、着の身着のままだった服と装備を脱いで、湯浴着一枚になったフォルトゥナは熱い湯に肩まで浸かって嘆息を吐いていた。

「――それで」

 フォルトゥナはマルフィールとは違い、しなやかな筋肉をまとった上に柔らかな女性の線を描いていた。

「単身、ここまで来られたのですか」

 フォルトゥナは頷く。

 お互い簡単に情報交換を済ませていた。

「『徽紋しるし』の有無にかかわらず、それが私に――我がミルム家に課せられた役目ですから」

 マルフィールは湯に潜るのかというくらい深々と頭を下げた。

「なんという高潔な使命感。これこそまさに【勇者】さま――」

「やめてください、って」

 困ったような表情でフォルトゥナはざぶざぶと寄って、マルフィールの肩に手をかける。

 そのまま、二人から離れて下向き気味で湯に半身入っていたアルテ――アルディを見た。

「アルテちゃん」

「はっはい!?」

 びくっ、とアルディが身を震わせるのを、フォルトゥナは他意のなさそうな微笑みで手招きする。

「こっちおいでよ。怒ってないから」

 いやいやするように首を振るのを「いいから、ほら」とフォルトゥナから近付いて手を引いた。

 もとの位置に戻って、アルディを後ろから抱くようにして腰を下ろす。

「あ、あの――」

「ん?」

 アルディはまた顔を赤くしていた。

「そういやこのポーチの染みって、アルテちゃんの血?」

 フォルトゥナの腕の中で、アルディが頷く。

「お湯で洗おうと思って、持ってきてた――の」

 フォルトゥナが中身を――『勇者の徽紋』以外のものを確認する。

 不規則に汚れた銀貨をいくつか取って「なるほどね」と呟く。

「その紋章? だけ、どうしてかんだけど……」

 フォルトゥナは目を丸くしてから細め、「ふぅん」と薄い笑みを浮かべた。

「勇者さま?」

「マルフィールさん――フォルトゥナでいいですって。近しい人にはフォル、って呼ばれてますし、なんならそれでも」

「ですが……」

 マルフィールは眼鏡を拭いては曇らせ、を繰り返すくらい戸惑いの色を漂わせていた。

 フォルトゥナはポーチを置いて、徽紋を仔細に調べる。

「アルテちゃんは、んだね、たぶん」

「――呑……まれた?」

 妙な表現に、アルディとマルフィールは顔を見合わせ、マルフィールがいかにも知らないというジェスチャーを見せる。

「あまり知られてない――というか、公表することじゃないですよ」

 でも、とフォルトゥナがアルディの腕を取った。

「アルテちゃんが本当にそうか、試しますね」

 包帯を解く。

 ざっくりと切った傷口が露わになる。

 化膿止めの膏薬が不器用にべったりと多めに盛られていたが、フォルトゥナがぎゅっと押すとじわりと膿混じりの血があふれた。

「痛っ――!?」

「ちょっと我慢してね。手当て、し直してあげるからねー」

 軽く言いながら、フォルトゥナは腕を伝う血を『勇者の徽紋』で受け止める。

 アルディの血はその金属板の上に伝ってゆき――じゅん、と消えた。

「えっ!?」

 フォルトゥナが「やっぱりね」と頷き、包帯を巻き直す。

「この徽紋しるしはただの手形じゃなくて、いくつかの『力』を秘めてるんですよ」

 そう言って、一片の血痕も残っていない金属板をポーチに入れて、傍にぽんと無造作に置いた。

「そのひとつがこれ。誰でもじゃないし滅多にないはずですけど、何かの条件でこうなるんです」

「条件?」

「魂が関係してる、とかお師さまなどは言ってますけどね」

 ともかく、とフォルトゥナはアルディを先ほどまでの姿勢に、腕の中に戻す。

「アルテちゃんは、どれほどかはまだ判らないけど、この徽紋の力を使えるようになってる――そういうことです」

「それはつまり【勇者】の――」

 息を呑むマルフィールに、フォルトゥナは小さく肩をすくめて見せた。

「これだけで、とまでは言いませんよ、さすがに」

 ふう、とアルディから手を離して伸び、関節をこりこりと鳴らす。

「それで、マルフィールさんとアルテちゃんは、その『竜』と遭遇したんですよね」

 フォルトゥナが、すっと声のトーンを切り替えた。

「そう、ですね」

「――敬語、やめてください」

 困ったような表情を浮かべ、手を振る。

「お師さま――祖母までの功名が大きいだけで、私はまだ何もしてませんから」

「噂では、キタイの下水道に巣くっていた異形のものを倒したとか、ダーカー荒野の妖魔を殲滅せんめつした、とか――」

「それ、私じゃないです」

 フォルトゥナが苦笑した。

「十年近く前のことですよ? 私なんてまだ、アルテちゃんより小さかったのにそんな、できませんよ」

 両手を股間にしたまま真っ赤になって湯面を見つめているアルディの頭をそっと撫でる。

「ついて行ってはいましたけど、それ、祖母です」

 だから、とフォルトゥナは再度言う。

「畏まらないでください。かえって恐縮します」

「そう、ですか……?」

 どこか不服そうな疑問形を残すマルフィールだった。

「アルテちゃんと同じように、お願いします」

 それで、と話の軌道を戻す。

「どんな竜でした?」

「すぐに逃げてきてしまったのですが――」

 マルフィールがかいつまんで説明する。

「アルテは、どう?」

「あたし?」

 アルディが首を巡らせて後ろのフォルトゥナを見上げる。

「私の代わりでそんなことになるなんて、驚いたでしょ」

「うん、でも――あたしのせいだから」

「そう思って、反省したならもういいんだよ。これからのことを考える方が大事」

「これからの、こと……」

 アルディはその言葉を繰り返して、マルフィールに視線を移した。

「あの巨体、火の球、それに何より、人語を解する知能――」

「厄介ですね」

 フォルトゥナは太めの眉をわずかに寄せた。

「それほどのが、今まで大きな噂にもならずに、この山中に潜んでいたというのは不思議な気もしますが、とにかく私も一度見てみたい――ですね。

 それにこの村の人や、マルフィールさんの話では王女さまも被害に遭われたかも知れない、とか」

 ざばり、と波を立ててフォルトゥナは立ち上がった。

「遭遇した場所は判りますよね。

 ともあれ明日、行ってみましょう」

 ぐっと拳を握り、宣言する。

 相変わらず赤面したアルディを引き上げ、またその頭を撫でる。

 アルディはもじもじと股間を押さえ、うつむくばかりだった。

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女装【勇者】の邪竜退治 あきらつかさ @aqua_hare

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