第3話

十四歳の夏


僕はイラついていた。なぜ、こんなにもイラつくのだろう。

「そんなにイライラするなよ、ふふふふ。暑いからか?」ベッドの端に座るフレムスが言った。

「なんで笑うんだよ。人がイライラしているのに! それに暑さなんて関係ないだろ! 部屋はカーテンを閉めきって涼しいんだから」僕はイライラして怒鳴ってしまう。本当な大きな声なんて出したくないのに。

「だって、可笑しいだろ。勝手に一人でイライラしているなんて」

壁にも押入れの扉にもドアにも穴が開いている。イライラして殴りつけたり、蹴ったりした跡だ。

フレムスはイライラして暴れている僕を、止めることもせずに、なんだかニヤニヤしながら見ている。

でも、フレムスに怒りをぶつける気にはならない。何故なんだろう。

こんな僕を両親は怖がっているように見える。

前のように学校に行け、と強く言うことが減ってきた。僕がどれほど、あの世界に戻ることに嫌悪感を抱いていれのかが、暴れることで伝わったのだろうか。

「そんなにイライラするのは、何故なんだい?」

「理由がわかれば苦労しないよ。わからないイライラだってあるんじゃないかな」

「でも、不安なことが何かあるんじゃないのかい?イライラを壁にぶつけたり、押入れに当たったりするくらいなんだから。もっと自分の心の声を聴いてみなよ」

「自分の心の声?」

「そうさ。心の声。心の声は、もっと自分に正直になって、ネガティヴな感情も認めないと聴こえない。格好をつけていたら心の声は聴こえない」

「格好をつけているかい?」

「多分ね。だからイライラの理由が見つからないんだ。ネガティヴな感情だって自分の感情なんだから大事にしなきゃ」

自分のネガティヴな感情を認める?僕は……格好をつけている?

心の声に耳をすます。

僕は今の状況を、心の底から受け入れているだろうか。

みんなが普通に通えている学校に行けなくなった今の状況を。

「そうだね。君は今の状況を心の底ではネガティヴに捉えている」フレムスは静かに言った。

「うん。なんだか、一人だけ世界から置いてきぼりになっていくような、そんな不安があるんだ。本当にこれでいいのかっていう。多分、お父さんもお母さんも同じ気持ちで、僕を学校に行かせたいんだと思う」

「じゃあ、学校に行かないと、どんな不利益があるか考えてみようじゃないか」

「うーん。このままじゃ中学校は卒業出来ないんじゃないかな。ずっと中学生のままで」

「本当に? 三十歳や四十歳の中学生はいるかい? 」

「いや、いない。おじさんやおばさんの中学生って見たことないよ」

「じゃあ、休んでいても中学校は卒業出来るんじゃないかな」

「そうかなぁ。でも、中学は義務教育だよ。義務を果たさなくちゃ駄目だろ?」

「逆じゃないか。義務じゃなくて権利があるんだろ、子どもには」

「義務じゃなくて、権利がある??」

「だから、君みたいに学校教育を放棄することも権利だから大丈夫だと思う」

「じゃあ、義務教育の義務って何?」

「大人や社会の義務。子どもが教育を受ける権利を保障する義務が大人や社会にはあるのさ。義務があるのは子どもじゃない」

「じゃあ、僕みたいに学校で教育を受ける権利を放棄するのは間違いじゃない?」

「あぁ! 間違ってない。自分の意思で放棄したっていいのさ」

「てっきり、義務だから学校に行かなきゃならないと思い込んでいた」


「じゃあ、他に考えられる不利益は?」

フレムスは足を組み替えて言った。 僕はしばらく考えてから答える。

「高校に……行かれない?」

「本当に?」

「そう言われると自信がないな」

「ほら、見てみろよ」

フレムスは、ゲームとしてしか使っていないお父さんのお下がりのパソコンのスイッチを入れて、何か調べ始めた。

「高卒認定資格」

「何、それ?」

「試験を受けて合格すれば単位がもらえる。必要な単位が取れたら高校卒業と認められるそうだ。就職でも高校卒業程度として高卒扱いされるし、専門学校や大学にも進学できるって書いてある」

「へぇ。高校卒業になるんだ」

「通信制高校という手もある。通信制であってもスクーリングといって学校に行かなきゃならない期間もあるけど、基本は自宅で勉強が出来るみたいだ。ほら、ここみたいに少人数の学校みたいに通いながら勉強するスタイルのところもある。中学時代に学校に行けなかった子どもも多そうだから同じ悩みを共有出来るんじゃないかな」

フレムスは通信制高校のホームページを、パラパラとクリックして開いた。

「なんか、楽しそうだね」

「それに、内申点がないだけで受験は出来るだろう。学校は選べないけど、普通に受験して高校進学する方法もあるしね」

「あんまり不利益なことはない感じがしてきたよ」

「高校卒業の資格があれば、専門学校や大学で自分が知りたいことを学べる可能性も広がるしね」

「学校的には不利益はないんだね」

「そうさ。そして学歴と人の幸福感は比例しないだろ」

「えっ?」

「えっ、てなんだよ。幸せは学歴が運んでくるなんて考えてやしないだろうな。幸せと学歴の相関関係なんて、ありゃしないのさ」

「うーん。なんか、そんな気になってきた。今の状況はマイナスな要素はあまりないんだな」

「あまりじゃなくて、全然ないんだ」

フレムスは、そう言うと壁に空いた穴を撫でた。

「だから、もう物にイライラをぶつけるのは止めなよ。生き物じゃないかもしれないけれど、壁やドアだって、こんなにされたら、いい気はしないと思う。君だって、後でこれを見ると虚しくなるだろ」

フレムスの言うとおりだ。部屋中の穴を見ると虚しくなる。

「もう、やめるよ。やっぱり心の奥底で、学校に行かないことに罪悪感があったんだ。学校に行かないのは悪いことだって思っていたからね。だから、イライラもした」

「今はどうだい?」

「そんなに簡単には気持ちは変わらないけれど、フレムスと話をして、悪いことをしているわけじゃないって、少しは思えるようになったかな」

「それは良かった。これ以上、壁が壊れたら部屋が崩壊してしまうところだったよ」と言って、フレムスは笑った。

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下弦の月を照らす星 @koh-0410

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