第10話どうかKawausoと発音して下さい
しかし硝子会社の社長のゲールは人懐っこい河童だったのに違いはない。俺はたびたび、ゲールと一緒にゲールの属している倶楽部へ行き、愉快に一晩を暮らした。その倶楽部はトックの属している超人倶楽部よりも遥かに居心地がよいことが多かった。のみならず、ゲールの話は哲学者のマッグの話のように深みを持っていなかったにせよ、俺には新らしい世界を、――広い世界を覗かせた。
決して、胸の大きいガラス会社の社長の豊満な肉体に誘われていったわけではない。いくら俺が性欲の塊だからと言ってもそうではない。いや、ほんとに。
ある霧の深い晩、俺は冬薔薇を盛った花瓶を前にしてゲールの話を聞いていた。それは確か部屋全体はもちろん、椅子やテーブルも白い上に細い金の縁をとった金のかかった部屋だった。
ゲールはふだんよりも得意そうに顔中に微笑を漲らせたまま、丁度その頃天下を取っていたクオラックス党内閣のことなどを話した。クオラックスと言う言葉は唯意味のない間投詞だから、「おや」とでも訳す外はない。が、兎に角何よりも先に「河童全体の利益」と言うことを標榜していた政党だったのだ。
「クオラックス党を支配しているものは名高い政治家のロッペです。『正直は最良の外交である』とはビスマルクの言った言葉でしょう。しかしロッペは正直を内治の上にも及ぼしているのです。……」
「だけどロッペの演説は正直と程遠いだろ。あれは公約を守った数の方が少ないんじゃないか?」
「まあ、わたしの言うことをお聞きなさい。あの演説はもちろんことごとく嘘です。が、嘘と言うことは誰でも知っていますから、すなわち正直と変らないでしょう、それを一概に嘘と言うのはあなたがただけの偏見ですよ」
そう言うと、ゲールは顎をこちらに向けるようにして、人間全体を見下げて見せた。反論してみよといわんばかりのその姿勢は挑発としては効果的なものだろう。だが、俺はむしろ、彼女が張った胸がよりその大きな双丘を強調させたことに釘付けだった。
当然、1対1の部屋で相手の胸を凝視すれば気づかれるものだ。
ゲールはこちらの視線に気づくと、今度は胸の下に自分の手を入れて寄せ上げた。
さらに強調された胸に俺が喉を鳴らすのをせせら笑うようにして、彼女は言葉をつなげていく。
「それはいいとして、わたしの話したいのはロッペのことです。ロッペはクオラックス党を支配している、そのまた、ロッペを支配しているものは Pou-Fou 新聞の(この『プウ・フウ』と言う言葉もやはり意味のない間投詞です。若し強いて訳すれば、『ああ』とでも言う外はない。)社長のクイクイです。が、クイクイも彼自身の主人と言う訳には行きません。クイクイを支配しているものはあなたの前にいるゲールです」
「け、けれども――これは失礼かも知れないが、プウ・フウ新聞は労働者の味方をする新聞だろう。その社長のクイクイが労働者の天敵の代表とも言えるゲール社長の支配を受けていると言うのは、……」
俺は頭の半分に巨乳の文字が埋まっていたが、何とか声を返した。
しかしゲールは鼻を鳴らして嘲笑って見せた。労働者をこき使って何が悪いと言わんばかりの様子だ。
「プウ・フウ新聞の記者たちはもちろん労働者の味方です。しかし記者たちを支配するものはクイクイの外はありますまい。しかもクイクイはこのゲールの後援を受けずにはいられないのです」
ゲールは不相変微笑しながら、純金の匙をおもちゃにしている。俺はこう言うゲールを見ると、ゲール自身へ嫌悪感をもつよりも、プウ・フウ新聞の記者たちに同情の起こるのを感じた。俺は机の上のコーヒーカップに手をかけると、それを胃の中へと一緒に押し込むことにした。
するとゲールは俺の無言にたちまち、この同情を感じたと見え、大きい胸をより膨ませて、さらに続けた。
「なあに、プウ・フウ新聞の記者たちも全部労働者の味方ではありませんよ。少くとも我々河童と言うものは誰の味方をするよりも先に我々自身の味方をしますからね。……しかし更に厄介なことにはこのゲール自身さえ、やはり他人の支配を受けているのです。あなたはそれを誰だと思いますか?それはあなたですよ。知識を持ち、腹の黒さに長けた人間です」
「ぶふぉっ!」
突然のカミングアウトに、俺は飲んでいる最中のコーヒーを盛大に気管支の中へと招き入れてしまった。
「ごふっ!ごふぅ……っ!ごほっ!……そ、そういう類の冗談は止めろ。」
この巨大な胸を支配できるのは俺の男の部分としてはありがたいが、ゲールを支配するのは無理だ。鯨漁に釣り竿一本で挑むようなものであった。身の丈を知ることが大切だ。
だが、俺の苦しむ様子を見ながら、ゲールはニマニマとふざけた笑みをこぼすばかりだった。このたちの悪い女はこちらの動揺を肴にして酒を飲みたいだけなのだ。
彼女は手の中のワイングラスをグイッと飲み干すと、それをテーブルの上に置いた。
「とにかく、あなたの支配下でも、わたしは満足しています。しかしこれもあなたの前だけに、――河童でないあなたの前だけに手放しで吹聴出来るのです」
国の中枢を指一本で動かす策士がその力を男心を弄ぶためだけに用いていた。男が「あなただけに」と言われたら、鍋の中に入れられた豆腐のように、なす術もなく熱せられるのを分かっているのだ。この比喩表現、自分でもいいのかよくわからんな。
「す、するとつまりクオラックス内閣は実は俺が支配しているのだな」
相手に話のペースを取られてばかりではおもしろくない。そう思った俺は、得意の冗談で流れを切ることにした。
カッパにこの冗談が冗談として通じたかはよくわからなかった。
だが、ゲールはただ一度だけ鼻を鳴らしてまた笑うと、自分のグラスに再度ワインを注いだ。
「そうも言えますかね。……しかし七年前の戦争などは確かにある雄の河童の為に始まったものに違いありません」
「戦争? この国にも戦争はあったのか?」
「ありましたとも。将来もいつあるかわかりません。何しろ隣国のある限りは、……」
俺は実際この時始めて、河童の国も国家的に孤立していないことを知った。
ゲールの説明する所によれば、河童はいつも獺を仮設敵にしていると言うことだ。しかも獺は河童に負けない軍備を備えていると言うことなのだ。俺はこの獺を相手に河童の戦争した話に少からず興味を感じた。(何しろ河童の強敵に獺のいるなどと言うことは「水虎考略」の著者はもちろん、「山島民譚集」の著者柳田国男さんさえ知らずにいたらしい新事実だった。)
「あの戦争の起こる前にはもちろん両国とも油断せずに、じっと相手を窺っていました。と言うのはどちらも同じように相手を恐怖していたからです。そこへこの国にいた獺が一匹、ある河童の夫婦を訪問しました。その又雌の河童と言うのは亭主を殺すつもりでいたのです。何しろ亭主は道楽者でしたからね。おまけに生命保険のついていたことも多少の誘惑になったかも知れません」
「ゲールはその夫婦を知ってたのか?」
「ええ、――いや、雄の河童だけは知っています。わたしの知り合いなどはこの河童を悪人のように言っていますがね。しかしわたしに言わせれば、悪人よりも寧ろ雌の河童に掴まることを恐れている被害妄想の多い狂人です。……そこでその雌の河童は亭主のココアのカップの中へ青酸カリを入れて置いたのです。それを又どう間違えたか、客の獺に飲ませてしまったのです。獺はもちろん死んでしまいました。それから……」
「それから戦争になったのか?」
「ええ、生憎その獺は勲章を持っていたものですからね」
「戦争はどちらの勝ちになったんだ?」
「もちろん、この国が勝ちました。36万9500匹の河童たちはその為に健気にも戦死しました。しかし敵国に比べれば、その位の損害は何ともありません。この国にある毛皮と言う毛皮は大抵獺の毛皮です。わたしもあの戦争の時には硝子を製造する外にも石炭殻を戦地へ送りました」
「石炭殻を何にするんだ?」
「もちろん食糧にするのです。我々河童は腹さえ減れば、何でも食うにきまっていますからね」
俺はそれを聞いて、冗談なのかどうか良く分からなかった。
この国の河童たちは明らかに人間とは食生活も確かに違う。それは確かに俺も理解していたものの、石炭を食える生物など聞いたことがない。もっとも、深海にいる生物の中には硫化水素を食う貝がいるとか何だかだが……。
「それは――なんというか――。それは戦地にいる河童たちには……あまりにもひどい扱いだな」
「私の行いは非道には違いありません。しかしわたし自身こう言っていれば、誰も非道とはしないものです。哲学者のマッグも言っているでしょう。『汝の悪は汝自ら言え。悪は自ずから消滅すべし。』……しかも私は利益の外にも愛国心に燃え立っていたのですからね」
なんとも無茶苦茶な理屈だ。しかし、石炭を実際に食う河童がいるのだとしたら、まあしょうがない。ある意味どこかでは河童助けの部分もあったのだろう。
俺は無理やりに、そう思うこととした。
丁度そこへ入って来たのはこの倶楽部の給仕だった。給仕はゲールにお辞儀をした後、朗読でもするようにこう言った。
「お宅のお隣に火事がございます」
「か、火事?」
ゲールは驚いて立ち上りました。俺も立ち上ったのはもちろんだ。が、給仕は落ち着き払って次の言葉をつけ加えた。
「しかしもう消し止めました」
ゲールは給仕を見送りながら、泣き笑いに近い表情をした。俺はこう言う顔を見ると、いつかこの硝子会社社長の泣き顔を見たいと思うようになっている自分に気づいた。
ゲールは気が抜けたのか、どこかに心を飛ばした様子でドスンとソファーの上にだらしなく座ってみせる。
自然と開いたその足の間からはやたらとゴージャスな白のレースのパンツが見えた。
芥川龍之介の河童町が美少女ハーレムでエロすぎる件について 機械男 @robotman
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