僕はこの20年間、小説界隈を観てきましたけどね。タイトルにも書いたとおり、そもそも論として、出版社の契約社員になるだけが、つまりは小飼いの状態で小説家と呼ばれる職業作家になることだけがゴールじゃないと思ってるんですよ。例えば僕は、いわゆるインディーズといった切り口からカクヨムに目をつけ、利用しています。賞に応募するにはどう頑張っても尺が足りない短編ばかりを投稿し、それ以上何もしていません。自分がこれまでに書いてきた作品を読者様に読んでいただける、新たな読者様との出会いが得られる、それだけでもう、インディーズである僕にはカクヨムを使う意義が得られるんですよ。楽しいですよ、インディーズとして個人作家をやっていくのも。いろいろなやり方がありますので興味があれば調べてみてください。
まあそれが何ってわけじゃないですけどね。閑話休題。で、「ほとんどの人たちは結局小説家にはなれない」って話でしたっけ? 出版社の洗脳だ、寡占だ、搾取だ、っていう。あれ違ったかな。そういう根源的な話ではなく、単に、今回の選考のルールを変えて欲しいという喫緊の話でしたね。ネットの隅々まで検索すると、カクヨムはいろいろと批判されておりますねぇ、確かに。読者様の数が少ない、書き手ばかりだとか、あるいは無償で下読みをさせられているだけのサイトだとか、あるいはごく一部の権威から優遇されている?(ここは謎。どういう意味なんだろうか)作家のために、その他大勢の一般作家が底辺を務めさせられているだけだみたいな話もありましたねぇ。そのどれだけが完全に正しく、あるいは間違っているのかは分かりませんが、疑問を覚えている人たちは多いのでしょう。実際に僕の作品もあんまし読まれておりませんねぇ。
この作品から読み取れることで、カクヨム運営様が取り入れることが比較的簡単な要素がひとつあると気づきました。検索機能を充実させることです! 確かに、論ずるまでもなくこうしたランキングだけでは格差を拡大させるばかりです。たまにはランダムで一番上にピックアップ作品を表示する枠を設置するのもいいでしょう。レビューの枠を作ったのだからシステム的には可能であるはずです。検索機能を充実させ、例えばピクジブみたいに、多くの読者様がカテゴリごとに自由自在に好みの作品を探せるようにするのもありでしょうね。そもそも論として、一読もされずに落選する作品がある時点で、それは読者選考が成立している状態とはいえない、というのも確かにそのとおりだと思います。作品の趣旨にいちインディーズ作家として賛同します。
いやー何しろ、僕なんて、職業作家を目指してすらいないですから。お偉いKADOKAWAに対してでも何とでもいえますよ。もっといって欲しければまたぜひ呼んでください。僕も僕でいろいろとこの件について勉強しておくようにしますよ。もっと情報収集して。ではまた。
追記:ふと思ったんですけど、近い将来、いっそのことシンギュラリティ状態を達成した人工知能に新人賞の下読みをさせればいいんじゃないでしょうか。それでこそ全作品が人間の限界を超えて完璧に精読され、公平な審査となります。世間ではシンギュラリティ状態の人工知能なら小説を書いて一次を突破できるみたいな話もありますがそれは本末転倒。人間が書いてこそ小説ですからね。
一次が読者選考であることは最初から分かっていたこと。開設当初のサイトが何の問題もなく運営されるわけがないことは同種のサイトを見れば明白。それが分かっていて応募したなら黙って小説を書けばいい。たいして読んでもらう努力もせずに複垢だの相互だの批判する奴にも興味がない。仮に俺が新人のバンドマンだったら頑張って自分らのチケット売るよ? 路上で声かけるし身内にも頼むよ。そうじゃなきゃ新人なんて誰も見にきてくれないの。そんな奴、吐いて捨てるほどいるんだよ? 小説もそう。自分がめちゃくちゃ面白いと思える小説を一生懸命書いて、必死に読んでもらう努力をする奴だけが生き残るの。ただぼーっと書いて読んでもらえないようえーんてのはガキだ。甘ちゃんだ。不正に勝てないならその程度の三文小説てこと。めちゃくちゃ面白かったらどこかで誰かが拾ってくれる。それを信じて書くしかないの。必死に書いたら読んでもらう努力をすんの。くだらない批判してる暇があるならこんなもん今すぐ消して必死に次の小説書け。プロットを磨け。面白さの密度を上げろ。批評家になるのはもっと先でいいだろ?