妖精研究日誌編②

 これを読んでいる貴方は、妖精について知っているだろうか。羽根の生えたピクシー、いたずら好きのゴブリン、首のないデュラハン……これらの有名な妖精なら、貴方も聞き覚えがあるかもしれない。

 では、妖精の実在は、貴方は信じているだろうか。

 貴方はNOと答える。当然だろう。現代においては、狂人の戯言としかとられない。しかし私は、「妖精は実在している」と、確信を持って答えることができる。

 理由は2つ。1つは、私が彼の地アイルランドで、妖精を目撃したから。

 2つ目は、私が実際に捕獲し、妖精をこの手で育て上げたから。

 これから私が記述するのは、その妖精の育成記録だ。たとえ貴方がこれまで妖精の存在を信じていなかったとしても。どうかその眼で、確かめてほしい。そして、願わくば、この偉大なる記録を、後世に伝えてほしい。





 彼女――相澤玲奈が持ってきた紙に書いてあったのは、誰がどう見ても、狂人の妄想が書き綴られた『怪文』だった。

「……で、この文章が唯一の手掛かり、と」

 良一は、1枚の紙きれを前に渋い顔をしている。

「すみません。お父さんが残していったのは、本当にそれだけで、警察も取り合ってくれなくて」

「まぁ、確かに私たちはこういうものを専門に扱う探偵ですから。警察行くよりよっぽど賢い選択だと思いますよ」

 彼女の依頼は「失踪した父親を探してほしい」というものだ。事務所にたどり着くまでに相当な時間森の中で迷ったようで、出迎えた刹那「どうしてこんなところに事務所構えてるんですか!!」と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。父親が失踪したうえにひとりで森の中をさまようのは、相当な心的ストレスだっただろうな、と良一は想像する。

 落ち着いて話し出した玲奈によれば、父、正は赤峰市にある藤園ふじその大学で長い間教授を務めていた。しかし、アイルランド出張から帰ってきた日から、まるで何かに取り憑かれたように妖精の研究に没頭するようになっていった。何日も家に帰ってこないことなどザラであり、いざ帰ってきたとしても、家族と一言も口を利かずに部屋に引きこもる生活。妻は心配して病院へ連れて行こうとしたが、激昂して手が付けられなくなったので、もうそのまま放っておくしかなかった、という。

「今までも家を空けることは多かったので、最初は心配してなかったんですけど、さすがに、ひと月も帰ってこないことはなかったので、もしかしたら、部屋にいるのかも、と思ってドアを開けたら、空っぽで、その紙だけしかなくて」

 玲奈は悲痛そうな表情を浮かべながら、ポツリ、ポツリと絞り出すように話す。

「心配でしょうね……お気持ちお察しします。コーヒー、どうぞ。温まると落ち着きますよ」

 響子は微笑を浮かべながらマグカップを運んできた。その立ち振る舞いはまさに良家のお嬢様といった雰囲気だ。

「おや、響子さん。私の分は持ってきてくれないのですか」

「やぁね、。あなた、もう3杯は飲んでるのよ」

 響子は口に手を当ててフフッと笑うしぐさを見せ、そのままキッチンの方へと歩いて行った。

「ははは、これはお恥ずかしい。書類の整理などしていると、ついつい飲みすぎてしまいがちでね」

「はぁ……」

 玲奈はそんな二人のやり取りなど全く意に介さず、心ここにあらずと言ったようすだ。

「それで、あの。引き受けてはくれるんでしょうか」

 父がいなくなった不安が漏れなく声に乗って発されていた。しかし良一はそんな感情を受け流し、ただ一言、

「もちろん」

 と答えた。

 良一がそう言った瞬間、キッチンの方ではガチャン、という音が響いたが、良一は全く気にせずに話し始める。

「わざわざこんな辺鄙なところまで来ていただいて、追い返す道理もないでしょう。実はここだけの話、何か月か振りの依頼でしてね。ぜひ受けさせていただきますよ」

 そういった瞬間、玲奈の表情は少しだけ明るさを取り戻した。うつむきがちだった顔を上げて、良一の顔を見る。良一は目を細めて微笑む。まるで「安心していいですよ」と伝えるかのように。

「あ……ありがとうございます! ほんとうに、ここしか頼る場所がなくて……! 断られたらどうしようかと……」

「いえいえ。それより、今日はもう遅いですし、お帰りになった方がよろしいかと。街までお送りしますよ」

「あ、大丈夫です! もう道は覚えたので!」

 玲奈はカバンを手に取り、まるでステップでも踏むかのような足取りで玄関へと向かっていく。ドアノブに手をかけようとしたところで振り返り、満面の笑みで、「よろしくお願いします!」と言って、彼女は去っていった。





「あのですね、新賀美さん。本当にあれの父親を探す気ですか? まさかとは思ったけどマジで二つ返事で了承するからびっくりしてコップ落としましたよ。え? 探せると思ってます? だって手がかり、あれが持ってきた脳味噌にハッキングかけてくるような紙きれだけですよね? いや文章自体はなんかこじらせた中学生が書きそうな内容でしたけどあれ書いてんの子持ちの大学教授? マジ? 世も末ですよ。ほんとうもうわっけ分かんなくて怖いわ」

「いや君の豹変の方が怖いよ……」

 響子は早口でまくしたてながら、机を爪でコツコツと神経質そうに叩いている。額に手をあてながら、眉間にはしわを寄せている。一方で、良一は苦笑いを浮かべながら、自分の分のコーヒーをカップに注いでいる。

「っていうか、新賀美さんがやれっつったんじゃないですか!」 

 響子と良一は、育ちはいいために、人と応対するための最低限の立ち振る舞い方は身に着けている。が、響子の方が傍若無人な依頼人に我慢できずに暴言を吐いて、怒らせて帰らせてしまったことがあるのだ。響子としては追い返してすっきりした、というところだが、せっかくの依頼をパーにされた良一はたまったものではない。なのでそれ以来、依頼人が来たときは普段の倍以上に丁寧にしろ、ということを良一は言いつけたのだが……

「だいたい何ですか、僕のことは良一くんと呼びなさい、って。言った瞬間舌噛み切って死んでやろうかと思いましたよ。っていうかそこは普通に新賀美さん呼びじゃ駄目だったんですか?」

「いや、なんていうか、探偵と助手が仲良く見えると依頼人も安心するかなー、って……」

 響子の剣幕に良一は若干引きながら答える。それ以上に、先ほどの玲奈のようすを見る限り、その作戦は失敗したとしか思えないのだから、強く出られないこともあるのだが。

「はい、まぁ、それはともかく」

 響子はパチン、と手を叩く。それを合図に、二人の顔はスッ、と真剣さを取り戻す。

「どうせ新賀美さんのことだから。探すあて、あるから引き受けたんですよね」

 良一はそれには答えず、胸ポケットからタバコを取り出して咥える。響子は机の上に置いてあったライターを良一に向かって放り投げた。

「そもそもさぁ、大学教授が煙みたいに失踪したっていうのに、警察が取り合わない方がおかしいんだよねぇ」

 見事にライターをキャッチした良一は、それでタバコに火をつけながら低い声で語り始める。

「それは私も思いました。あの街のおまわりさん、別に職務怠慢って感じでもないですし」

「だからそれはおそらくウソ。そもそも警察にも行ってない可能性の方が高いよね」

「ニュースや新聞にも特に取り上げられたようすはなし、と」

 響子がスマートフォンでネットニュースや電子新聞を眺めながら答える。

「藤園大学って言ったら地方の大学とはいえ他県からも受験しにくる子がいるほどだよ。そんなとこの教授がいなくなったってのにどこも騒がない。調べる価値、ありそうじゃないかな?」

「……また、かもしれませんよ」

 響子は良一の目をちらっと見てから少しうつむいた。その表情は、響子が今まで見せていた表情とはかけ離れた、ひどく沈痛な面持ちだった。そのようすを見た良一は何も言わずに、響子の頭にポン、と手を置いた。掌の温度を感じた響子は、きつく結びかけた口元を少しだけ、やわらげた。

「まぁ、その時はその時だよ。それじゃあ、明日から調査だからね」

「……はい。内容的に、この紙の続きがあるはずですから、まずはそれを探すところからですね」

 響子はしっかりと良一の目を見てはっきり答えた。良一はそれを見ると、うんうん、とうなずいてから事務所のソファへと寝転がった。「今日はもう店じまい」の合図だ。それを見た響子は苦笑いを浮かべながら、クローゼットにかけてあるコートをとって帰り支度を始めた。





「……あ、ところで、さっき『助手と探偵が仲良く見えたら』って言ってましたけど、私たちって仲良くないんですか?」

「……じゃあ、次のお客さんはメイド服で応対してくれる?」

 響子はふん、と鼻を鳴らし、左の中指をピン、と突き立てた。

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怪文書探偵・新賀美良一事件譚 一ノ瀬ケロ @ichinosekero

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