数多の時代、数多の場所でゲームセンターを巡ってきました。
半ば廃墟と化した元インベーダーハウス、恐喝や自転車盗が頻繁に起こる郊外の店、すべてが店長の私物のバーのような店、落書きノートが置いてあって常連になるのが嬉しかった店……
そんな店の中に本編の舞台「ウッディ」もあったかもしれない、そう感じさせる作品です。
主人公はすべてに漠然とした窮屈さや違和感を感じている中学生の「ぼく」、その前に現れたのは白衣の飄々とした青年。
ゲームを通じて、知識や技術のみならず「世界との付き合い方」まで伝えてくれる青年に向ける「ぼく」の憧れはなんとも美しい。
ゲーマーとしては作中のゲームに「これはアレだ!」「これはアレかコレ」と突っ込みながら読む楽しみもあります。
一気に読んでしまいましたが読後感も良く、お勧めできる作品です。
90年代の、それもある特定の期間を舞台に描かれたであろう青春小説。
そう、まさにこれはゲームを通した青春小説なのです。
不良のたまり場であったそれ以前と、小さいゲームセンターは淘汰されより大型店に集約化が進んでいくそれ以後との、わずかな間に存在した、狭く閉じた牧歌的な空間。
そこは活動範囲が狭い学生でも、学校や学区や年齢を超えたオタクのたまり場であり、同時に見知らぬ同好の士と知り合える社交場でした。
現代では消滅したであろう作中に登場する場所は、ある世代にとってはノスタルジーを感じさせる原風景なのです(というかお店の雰囲気や稼働しているゲームなどが、自分がかつて通った空間とあまりにも似すぎていて、作者さんとリアルの知り合いなんじゃないかと思わず疑ったぐらいにリアルすぎです)。
この作品はフィクションです。
だけれど、真実に存在した空間なのです。
だからこそ事実と空想をまじえた物語作りと、展開の巧みさもあって、見事文章に騙されました。
この辺、やり方がうまくて最終話まで気が付きませんでしたよ。皆さんもぜひ騙されてください。
郷愁と温かみを感じる素敵な作品です。
題材も筆致もシンプルですが、描き出される世界は実に立体的です。狭くて寂れた、それでも居心地のいいゲームセンターという場所の空気がありありと伝わってくるのは、言葉選びや道具立ての適切さの成せる業でしょう。堂々と、しかし一周目ではまず気づけないように配置された宝箱のような描写は、ただ見事です。
それからキャラクターの奥深さ。ゲーマーらしい戦略性とテクニック、そしてあらゆるステージから楽しみを見出せる才能を併せ持った「教授」。子供と大人、ふたつの視点から「教授」を見つめる「ぼく」。この素晴らしいプレイヤーたちの織り成す物語は、読み手の心を震わせずにはおきません。
ゲームに夢中になったことのある人はもちろん、そうでない人にもお勧めできる、巧みで美しい短篇です。
「ゲームの達人とは人生の達人である」とは誰の言葉だったか。
今作を読んでそんな言葉を思い出してググってみたら『ジョジョの奇妙な冒険』第三部のテレンス・T・ダービーの言葉だった。
うん、存外にどうでもいいヤツの言葉でがっかりしたw
が、あいつはともかく、今作の『教授』と呼ばれる青年が語るゲーム論、そしてその人生論は間違いなくホンモノだ。
「ゲームの攻略とは自分にとって都合の良い空間を作りかえること」
「世界もちょっとした発想の転換で居心地の良い空間に作り変えられる」
わずか一万文字ちょっとの作品でこれほどまでのメッセージを伝えてくるとは思っていなかった。
これは多くの人に読んで欲しい。読むべき作品だ。