『明日こそは、いい日になりますように』
渡葉たびびと
本編
明日こそは、いい日になりますように。
毎日そう祈りながら眠りにつくのに、一度もうまくいったためしがない。
* * *
カーテンからの日差しが眩しくて私は目を覚ました。寝覚めはあまり悪くないほうだ。規則正しい時間に寝るほうではあるし、一人暮らしの私には起こしてくれる人もいないので、自力で起きようという力が何か働いているのかもしれない。
すばやく制服に着替えて髪をとかす。若干パーマぎみで長さも背中まであるこの髪は櫛の通りが悪くて少しうっとおしく思うのだけど、そのためにわざわざショートにする気もおきないのでここ数年はこのままだ。
朝食は面倒くさいのでゼリー飲料で済ます。何も食べないのは流石に昼休みまで持たないので良くない。午前中に体育とかあると、もうアウトだ。
鏡の前で身だしなみを最終チェックし、そうして私は家を出る。起きてからだいたい二十分。けっこう早いほうかもしれない。かといって他にする事も思いつかないし、まあこれで良いのだろう。たぶん。
朝の営みは平淡なルーチンワークそのもので、感情すら僅かたりとも動くような事はない。爽やかな朝、とか言い出した人間は何を思ってそんな表現を使ったんだろう。朝に良いも悪いも無いだろう、と思う。
それは電車に乗って学校に着くまでも変わらない。この地域の電車は前いたところより少し混んでいるなあ、とは思うけど。
* * *
「長瀬志保です。よろしくお願いします」
黒板の前で自己紹介をして、軽く頭を下げた。転入初日に随分そっけない挨拶だとは我ながら思う。けど、他に言うこともないのだから仕方ない。
「……えっと、終わり?」
「終わりです」
担任教師が少し戸惑ったように言うので、そのまま終わりだと伝えた。何を期待されていたのか知らないが、私に人に言うほどの特徴は何も無い。世の中の大半の人はそうでしょう? 特別な人が見たいのなら、教室なんかで生徒見てないで家に帰ってユーチューブとかを見ると良いのではないでしょうか。
教室は少しざわついていたが、気の弱そうな男性教師はひとまず、すんなりとホームルームを終えてくれた。彼が転校生への質問コーナーとかを始めてしまうタイプの教員でなかった事は、私にとってちょっとした幸運のひとつだったとは思う。
「長瀬さん、だっけ。美人だよね」
「ね。何か良いケアとかしてるなら教えてよ!」
「そんなでもないし、何もしてないよ」
昼休みには二人の女子生徒と机を囲むことになった。二人とも最初に名乗ってはくれたのだけど、どっちが川原さんでどっちが田畑さんだったか、既に私は思い出せないでいる。
「えー、でも、自己紹介で名前言っただけで教室ざわついてたじゃん」
「転校生自体が珍しいんじゃないの?」
「うーんまあそれはそうだけど。美人は美人っていうか。よく言われない?」
「テレビとか見なよ。もっと美人いっぱいいるよ」
「そういうんじゃなくてさあー」
なんだかむず痒いから勘弁してほしい。あと、最後に喋った眼鏡をしている君は川原さんなのか田畑さんなのか。
「いやーでも、この物件は男子なんかにゃもったいなくて渡せないね」
「長瀬さん、帰りにサイゼ行かない? 女子会しようよ女子会」
「うん、いいよ」
どちらかはわからないが、とにかく仲間に入れてくれるらしい。いい人だなあ。ありがとう、川原さんか田畑さん。
* * *
テレビの話はそこそこ盛り上がった。漫画の話は田畑さんのほうが若干ついてこれなかったようだった。ティラミスがうまいという話は満場一致で採択された。
途中、森川くんと小山さんが付き合いそうだという話が盛り上がりのピークを見せたが、その間は私は黙っていた。その二人がどれだかわからなかったからだ。でもまあ概ね楽しかった。いい時間だったと思う。
川原さんと田畑さんは自転車通学なので、電車で来た私とは店の前で別れた。ひととおり見送った後、私はあてどなく歩きだす。さて、今日はどうやって帰ろうか。
一人で歩いていると色々な事を考えてしまう。手を振って「また明日ね」と笑う二人はいい笑顔をしていた。幸せなことだなあ。明日を楽しみに笑うなんて、贅沢な暮らしだと思う。
今日の私はどうだっただろうか。朝から夕方まで高校生の生活をして、授業は出席こそするものの記憶はひとつもなく、仲良くしてくれるクラスメイトは二人いて、寄り道は楽しかったが、別れてしまえばもうあの時の楽しさは消えてしまう。話してくれた二人など、元々いなかったかのように。
今日はいい日だっただろうか。たぶん、違う気がする。
何もなかったわけじゃない。今日は今日でイベントがあって、それなりの動きがあって、決してつまらなかったわけではなくて。でも、こうして振り返ってそれがいい日だとは思えなくて。何かもっと特別な事でもあれば良いのだろうか? それも違うと思う。
この疑問は何年もずっと止むことなく私の頭の中を占拠し続けている。答えは一向に出る気配がないが、せめてもの抵抗として私は毎晩、星に祈るようにしている。
いや、もちろんわかってはいる。星とは、天体です。よく知らないけどとにかく宇宙に浮いている物理的な何かの塊で、特別な力とかそういうものはない。筈だ。
だからこれは大げさに言えばちょっとした信仰のようなものだ。小さかった頃から続けている習慣で、当時の私は他に祈る神も思いつかなかったのでお星様にお願いしたのだろう。
明日こそはいい日になりますように、って。
もちろんそれで日々が変わったりはしなかった。今日過ごしたような毎日がただただ回り続けた。でも、やめる気にはならなかった。祈る事すらやめたら、本当に日々に埋没してしまう気がして。お星様も迷惑だろう。何が出来るわけでもないのに勝手に祈られて。
今日もそろそろ時間だろうか。時計を見たその時、ちょうど風が吹いて、遠く耳鳴りがした。あ、やっぱり。音は数秒のうちに大きくなり、飛来した質量が地面に衝突すると同時に私以外の周囲すべてが吹き飛んだ。
景色が地平線だけになった。
方位磁石を取り出して私は方角を確認する。これをやらないと家にも帰れない。学校を選ぶ時は住んでるアパートから数キロ離れていないと駄目で、私はいつも行きは電車で帰りは徒歩だ。だから行きよりも帰りのほうが、色々な事を考えてしまう。かかる時間も長いし。
いい日ってなんだろう。特別なイベントがあればいいってワケじゃない気がする。もっと、過ごす日々自体に自分が納得できるような、継続的な充実感が必要なのだと思う。どうすればそうなるのかは、わからないけれど。考えても具体的なものは何も見えなくて、ただモヤモヤするばかりだ。
いつか答えがわかる日がくるのだろうか。それを私は待ちきれるだろうか。何か行動すればいいのかもしれないけれど、何をすればいいのかすらわからなくて、結局私は星に祈る事しかできないのだ。物理的な塊にすぎない星にできる事は限られているのに。
今夜も私は祈るだろう。私だって明日を信じてみたいのだ。「また明日」と笑える日々に出会いたいのだ。明日が楽しみだなあ、と微笑んで眠りにつけるような毎日に。だから、お願い、お星様。
明日こそは、いい日になりますように。
『明日こそは、いい日になりますように』 渡葉たびびと @tabb_to
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