あとがき

新着レビューを見るのが好きである。

物語よりも、それを紹介するのを読むのが好きというのは、私を形作って来たこれまでの経験に根ざしているものだからだと思う。


レビューを見ていて、紹介が上手いと読みたくなる。

読んで面白いと、私も何か書きたくなる。

ところが、どうにも書けないのである。物語を作りたいのに作れないこのジレンマ!

であるのに、不思議なもので、読んだ感想やらレビューはすらすら書ける。


作者が「書きたいもの」と作者が「書けるもの」は違う。

あるインタビュー記事において、少年ジ〇ンプ元編集長でDr.〇シリトのモデルにもなった編集者の言葉が思い出される。


書きたいものは所詮は願望であり、書けるものの方が圧倒的に作者の持つ強みがある。

何故なら「書けるもの」は作者の体験に根ざしたものからあらわれてくる、作者自身に通じるものでもあるからだ。

(もちろん、必死の努力で「書きたいもの」を「書けるもの」に練り上げる人間もいる)

そのように私は解釈した。


それでは、レビューは私の「書けるもの」にあたるのだろうか。

少なくとも、物語よりかは断然書ける。と思う。


それにしたって、他人の作品を語るのは結構な気をつかう。

距離感もそうだし、言葉遣いもそうだし、ネタバレに気をつけなきゃならないし、面白かったから(ピンときた。でもいい)書くのであって、ディスることなく、なるべくほめたい。

それじゃあただの感想文じゃないかと思う人もいるけれど、レビュー批評という言葉に拘泥するのもつまらない。


慣れあいのやさしさなど不要!酷評にも近い批評が欲しい!俺は上手くなりたいんだ!という人もいるけど、全員が全員そこまでガチでもない。

一方で、面白かったけど、ヘンな感想を書いて相手が不愉快になったらどうしよう。と気遣う優しい読者もいるわけで。


どちらの場合であれ、誰かに見せるつもりがひとかけらでもあるからこそ、作品は世に出でるし、真剣であれ、気楽であれ、まったく反応がない事のほうが残酷である。

それはすなわち「見られていない」事と同義であるし、反応の言葉が無い以上、相手によっては「反応するほどのものでもない」と受け取りかねないからだ。


ほめて伸ばすか、たたいて伸ばすか。

ストイックな方であれ、気楽に書く方であれ、リアクションがある方が良い。

そして、味方である方が良い。

本作品は、一貫してそうした立場をとる(とったつもりだ)。


重要なのは「やりとり」をすることだ。

厳しい意見が欲しい作者ならばはっきりと明示するべきだし、嫌われたくない読者ならば、その意志を言い添えるべきだ。

文意をくみ取るのは読書の常であるけれど、伝えるべきことは伝えなければならない。

それは作品、レビューといった立場以前に、作者と読者の、人としての付き合い方につながるものだからだ。


モニターの前で、ひとりキーボードを叩いていたとしても。

向こう側にはやはり一人の人間がいるのだ。

そいつがイイ奴であれイヤな奴であれ、面白いと思ったならば、その気持ちを見える形に示して、認めた人間がいる事を示そう。

人付き合いは面倒臭いのである。

であるのに、人は一人では生きていけない。

だからこそ、心得がいる。

と、私は考える。


君はどう考えるだろうか。

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