09.マダム・ソフィー鬘及び変装用品一式


 朝食のカレーを食べ終えた星一とミーティアはカフェで時間を潰してから改札を出てすぐのところにあるショッピングモールへと入った。


「………綺麗」


 正面入り口のドアを抜けて中に入った所でミーティアは立ち止まり、その蒼い双眸を見開いた。

 入り口の向こうには広々としたロビーがあり、砥粉色とのこいろの大理石の床と壁が落ち着いた雰囲気を醸し出している。頭上には吹き抜けが全ての階層を抜き、天井から吊り下がった大きなシャンデリアが輝く。

 ショッピングモールは重厚で高級な造りになってはいるが、中はカップルや親子連れなど様々な層の客で溢れかえっている。


「とりあえずかつらを買おう」


 星一がそう提案すると、目の前の光景に見惚れていたミーティアがピシリと固まった。そして油の切れた機械の様な動きで星一の方へ顔を向ける。

 感動していた意識に割り込んだ無粋さへの非難と鬘はなるべく装着したくないという気持ちがフードの奥の表情からひしひしと伝わってくる。

 だがこれから洋服を買うのにフードを被ったままでは少々不都合である。試着もせずに買ってしまって後で合わないから返品、というのも面倒くさいし、何よりミーティアは女の子なのだからある程度ちゃんとしたものを着て貰いたいと星一は思っている。だから今のジャージのズボンと男物のパーカーで外を歩かせるのは心苦しかった。

 だがそんな気持ちを少しも知らないミーティアは不機嫌さを前面に押し出して桜色の唇を開いた。


「そもそも鬘はここで売っているの?」

「!?」


 雷が星一の頭頂部に炸裂する。

 よくよく考えてみれば、星一は鬘が売っている店を生まれてこの方見たことがない。実際に見たことがあるのも精々パーティーグッズの変装用のちゃちな代物くらいで、本格的なものになるとテレビで見た記憶があるような気がするといった程度。つまりほとんど分からない。

 ちなみにこのショッピングモールは過去に訪れたことがあるのと、それなりに大きいという理由で来ただけで、どんな店に入るかなどは完全にノープランだった。


「い、いや、仮にもここはショッピングモールなんだし鬘くらい売ってるって!」


 星一は今更気づいた事実に冷や汗をかきながら、不機嫌な青い双眸から顔を背けて側にあった店舗案内のパンフレットを手に取った。


「ええと、鬘かつらカツラ桂小五郎………あった!あった!?」


見つけたのは『マダム・ソフィー鬘及び変装用品一式』という何処かで聞いたような少し、いやかなり怪しげな名前の店である。

 最上階にある上に地図で示された場所は隅のそのまた隅の区画。胡散臭いことこの上なかった。


「あったの?」

「あ、あったよ。一番上の階まで行かなくちゃならないみたい」

「最後にするのは?」

「却下。洋服を隠れてこそこそ選びたいというなら別だけれど」

「むう………セーイチは意地悪よ」

「はいはい行くよ」


 エレベーターで最上階まで上がり、地図の示す場所まで歩く。だが何故か周りを歩いていた買い物客の人数が段々と減って行き、目的地に辿り着く頃には星一とミーティアの他には誰もいないという状況だった。

 ショッピングモールなのにそこにはたった1店舗しかなく、まるで隔離されているかのようだった。


「怪しすぎるよ戻ろうか」


 店の前に着いてその全貌を目に写した瞬間、星一は回れ右をして来た道を戻ろうとした。

 ミーティアは逃げようとするその裾を素早く掴んで引き留める。


「どうして?このお店なのでしょう?」

「そうなんだけど嫌な予感しかしないというかこの外装を見た瞬間に本能が今すぐここを離れろと叫んでいるというか」


 2人の前には鮮やかな紫色の外壁。大きなショーウィンドウの硝子の向こうには天鵞絨が敷かれ、その上にキラキラした宝石や鬘、仮面などが置いてある。そして開かれた扉の上には『マダム・ソフィー鬘及び変装用品一式』と書かれた真鍮の看板が吊り下げられている。

 まるで御伽噺の世界にに迷い込んでしまったかのような不思議な雰囲気が店全体から滲み出ていた。


「楽しそうなお店ね。鬘は嫌だけれど少し入ってみるのもいいかもしれないわ」

「いやいや絶対辞めた方がいいって水晶に手をかざす荒地の魔女とか出てくるって!」


 混乱してよく分からない事を口走る星一。

 ミーティアは星一が叫んだ単語がところどころよく分からなかった。だがその様子から面白いものが見られるのではないかと考え、店から距離をおこうとする少年の裾をがっちり捕まえてずるずると店の中に引きずって行く。


「嫌だっ離してミーティア!!」

「こんな面白そうな所を逃す訳には行かないわ」

「入りたくないっ!怪しげな薬でヒキガエルにされちゃうんだ!」

「セーイチの言うことはよく分からないわ。ともかく中を見てみましょうよ」


 星一は逃れようと必死にもがくが、どんなに力を込めて体を捻ろうともミーティアはびくともせず、掴まれた手を振りほどくことは叶わなかった。






 店の中は外見以上に珍妙だった。

 まず鬘及び変装用品一式と銘打っておきながら、何に使うかも分からない怪しげな雑貨が店内にひしめいている。

 鷲の剥製や髑髏しゃれこうべはまだいい方だ。ドアノブを繋げた巨大なネックレスや甲に緑色の宝石が付いた片方だけの手袋、七色に光るシャンデリア、底の抜けた試験管、急須とエッフェル塔が書かれたタペストリー……などなど奇妙で使い道がなさそうな物も沢山ある。そして付いている値段がどれもこれも恐ろしく高い。


「うわっ、柄のないまだら模様の傘19万だって。こっちのレンズの大きさが歪な眼鏡は……はあ!?230万!!!?」


 値札を裏返す度に星一が目を剥き叫び声が店内に響く。

 その大袈裟な反応にミーティア冷ややかな視線を返す。


「『ここに入るの嫌だ〜』って泣いていたセーイチはどこに行ったのかしら?」

「いや泣いてないから!ちょっと躊躇ためらってただけだから!」

「どうだか……」


 星一の反論に呆れたように瞑目するミーティア。


「まあ本当のことを言うと1秒でもここから早く出たいというのが本音だね」

「開き直ったのね」

「そうだね。いざとなったら僕より圧倒的に強いミーティアを時間稼ぎに逃げればいいだけだしね」

「身体能力が高い私がセーイチを囮にして逃げるという可能性を考えなかったの?」

「あ………」


 まさかの見落とし、論理的破綻に呆然とする星一。

 確かにミーティアなら星一を囮にして逃げる事が可能である。というかそもそも囮にする必要すらなく逃走が可能かもしれない。


「だいたい男の子が女の子を盾にするっていうのは最低よね」

「ぐはっ!」


 きっちりトドメを刺されて星一は床に崩れ落ちるのだった。






「この人形も凄いわね」


 そんな驚きと感嘆の入り混じった声に星一が顔を上げると、ミーティアがすぐそばの椅子に座らされた何かを見ていた。立ち上がって近づくと、フードの奥の蒼い双眸が興味津々といった様子で見開かれている。

 ミーティアの視線の先にあったのは大きな人形だった。

 背丈は星一と同じくらいで、首に大きな宝石のネックレスを掛け、胸元の開いた輝く紫色のドレスを纏った大柄な体躯の女性である。分厚い唇には真っ赤な口紅が引かれ、大きな瞳は輝く銀色、波打つような紫の髪の上にはこれまた紫色の大きな羽根つき帽子。これが本物の人間と言われたら信じてしまいそうなほどリアルな人形だった。


「なんというか、あまり購買意欲をそそられないというかむしろごりごり削いでいくような容姿だね。もっと美人に作ればいいのにこれまた悪趣味な醜さだよね………」


 お世辞にも美しいとは言えない人形の容姿に苦言を呈する星一。だがミーティアは人形をジッと見つめたまま無言で動かなかった。


「ミーティア?」


 星一が怪訝そうな顔でミーティアに呼びかけるがしかし、彼女は動かない。そしてその表情だけがどんどん険しいものへと変わっていった。


「どうしたの?」

「セーイチ。この人形………」


 ぐっと腰を低くして身構えたミーティアに釣られてセーイチが人形に目を戻したその時だった。



「だぁああれが絶世の美女かしらぁああああああ!!!???」



「うをっ???!!!」


 突然大声をあげて立ち上がった人形に腰を抜かす星一。


「い、生きてる?!」


 混乱から抜けない星一は動いた人形を指差してミーティアを見る。

 ミーティアは手首の黒いリングを確認しながら答えた。


「………生体反応があったわ。微弱過ぎて最初は気づかなかったけれど」


 謎の人形もとい人物は星一とミーティアを交互に眺めてからその大きな口を開いた。


「まったく久ぁし振りにお客が来たと思ったら、急に目の前で立ち止まって熱い目で私を見つめながら絶世の美女だと連呼するものだから照れるじゃなぁい?」

「そんな視線を飛ばした覚えも絶世美女とか言った記憶も無いよ!!」


 額に手を当て悩ましげに瞑目する女に星一は思わず突っ込みを入れる。


「まぁ私の容姿ならぁしょうがない事だとは思うけれど、それでもやっぱりいきなり無遠慮にというのは勘弁して欲しいものだと思わなぁい?」


 話が全く通じていなかった。

 大柄な女はしばらくうんうん唸っていたが、勢いよく手を振り下ろすと星一とミーティアに向き直った。

 警戒したミーティアが低姿勢で戦闘の構えを取るが、それを全く意に介する様子もなく女は唇を開いた。


「本当に久ぁし振りなのよ?そもそもは珍しいわぁ。必要としても辿り着けるかどうかはまた別の問題だしね。まあ、そういうわけでここ最近はめっきりお客が減って暇ぁだったのよ」

「あなたは……誰?」


 笑顔も交えてマイペースに喋り続ける女とは対照的に、低姿勢で警戒を解かないミーティアが興奮を押し殺した声で問いかける。


「わたぁし?私は……ん?んん!!?」


 質問に答えようとミーティアの方を見た瞬間、その銀の瞳が大きく見開かれる。そして2本指で輪を作って前かがみになり、ミーティアが被ったフードの向こうを覗き込もうとした。

 ミーティアはフードを目深に下ろして素早く後ろに下がる。だがその時にはもう女は元の姿勢に戻っていた。ただその表情は興味深いものを見つけたといった様子で口端を釣り上げている。


「なぁかなか面白いお嬢さんじゃないの。そっちの坊やも何だか楽しそうだし、今日は久ぁし振りの上客になりそうね」


 そう呟いてにっこりと笑うと、女は厳戒態勢になったミーティアと状況をいまいち呑み込めてない星一に向かって胸に手を当ててお辞儀をした。


「ようこそ『マダム・ソフィー鬘及び変装用品一式』へ。ここのオーナーのマダァム・ソフィーよ。私の事は親愛を込めてソフィーちゃんとお呼びなさぁい」


 なんか濃いのがきた。

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流星のミーティア うろこ雲 @cirrocumulus512

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