人体模型3/3

 赤。

 赤。

 赤。

 赤黒い液体だった。

 

 つまり、血だ。

 

 恐らく喀血だ。

 

 ということは一大事だっ!

 

 これが真実だとすれば、冗談抜きにやばすぎる。

 お化け屋敷でお化けを生産することになりかねない。

 僕は今、お化け屋敷に入って以来初めて驚いていた。

 こんなことで驚きたくなかったけど。

 僕が立ち上がって、八重樫さん、というか人体模型のほうへ駆け寄った。その途中で、八重樫さんが自分の頬に付いた液体に指を近づけていった。ゆっくりと、指で液体を拭う。その指を、夢遊病者のような危うい動きで目の前にかざした。

「――――っ」

 引きつらせた声が聞こえたかと思ったら、八重樫さんが足からその場に崩れ落ちた。

「って、八重樫さんっ!?」

 恐らく、自分に付いた液体が血だったことを確認して、ショックで失神したのだろう。

 なんだ、この状況。

 なんで、こうなった。

 僕はこれからどう動けば良いというのだ?

 混乱しそうになる頭を無理矢理冷静に戻すため、僕は数回頭を振った。

 落ち着け。

 落ち着け。

 落ち着け、僕。

 まずは、人体模型のほうだ。

 人体模型のほうが、明らかに致命傷だ。

 多分、八重樫さんは大丈夫だろう。崩れ落ちる時も不思議と頭を打っていなかった。もしかしたら、気絶するときでさえ、無意識に武道の心で頭を守ったのかもしれない。

 知らないけど。

 僕は人体模型のほうに駆け足で近づいていった。人体模型は依然としてくの字に身体を曲げたままだった。近くまでよると、ふらふらと身体が揺れていた。それに小刻みに震えている。大丈夫だろうか。

 駄目かもしれないな。

 僕は諦観の念もこめながら、人体模型の安否を確認するために声をかけた。

「あの、大丈夫ですか?」

「……ああ、何とか大丈夫みたいだ……」

 思った以上にしっかりした声で人体模型がそう言った。その声は太く低く響いてくる。恐らく男性なのだろう、それを裏付けるように体型もよく見るとがっしりとしていた。暗がりで判別が難しいけれど、腕も脚も僕よりかなり太かった。

「えっと、本当に大丈夫ですか? あんなに豪快に喀血していましたけど……」

「いや、……ああ、あれね。あれは本物じゃないよ」

「本物じゃない?」

「ああ。君たち、お客様を脅かすように用意しておいた血のりだよ」

「…………はあ」

 血のり、というとあれだ、血のような赤色に染められたのり状の液体だ。のりとはいっても、粘りけはあるけれど貼り付けるためのものではない。演出のために、あたかも本当に怪我をしているようにみせるために、演劇で使われる小道具だ。

 なんだ、それならば良かった。

 拍子抜けで良かった。

 事件にならなくて良かった。

 心から、そう思う。

 ……にしても、

「血のりを口に含んでいたんですか?」

 僕は怪訝な声音でそう聞いた。

 血のりは多少なりとも粘りけがあるものだ。ただの赤く染められた水とはわけが違う。そんなものを口に含んでいたというのか、この人は。

「ああ、そうだよ。確かに粘りけが強いから気持ち悪いけど、それをするだけの価値はあるんだ。口から血を流すとね、大抵のお客さんは驚いてくれるからね。驚きすぎて失神する人もいるくらいだ」

 この子のようにね――と、八重樫さんを見おろしながら人体模型さんは言った。

「……それはまた、見上げたプロ根性ですね」

「ありがとう。でも人を脅かすのが俺の仕事だから当然だよ」

 褒めてねえよ。

 先程八重樫さんが突っ込んだ言葉を、心の中で使用した。

「と、そうだった。八重樫さんっ」

 僕は人体模型さんが無事だったことは確認できたので、今度は八重樫さんの安否が心配になった。

 八重樫さんに近づく。その途中、何かを踏み砕いてしまった。足を上げて見てみると、青いプラスチックの塊が落ちていた。

「ああ、それ、俺の身体に付いていたやつだ」

 人体模型さんが自分の胸を親指で示しながら言った。見ると、そこには人体模型にあるべきものがなかった。つまり、内臓のオブジェだ。

 ああ、そういうことか。さっきの八重樫さんの掌底で何かが砕ける音がしたけれど、骨が砕けた音ではなかったんだ。これが砕けた音だったんだ。

 それに、いくら人体模型さんのガタイがいいからといって、八重樫さんの掌底をもろに受けてあれだけのダメージですんだのも、これのおかげだったのか。内臓のオブジェたちが衝撃を受けてくれたわけだ。

 いや、良かった。人体模型を偽装した人で良かった。これがミイラ男とかだったらそれこそ大変なことになっていた。防御力がない偽装だったら本当に喀血していたかもしれない。

 重畳重畳。

 剣呑剣呑。

 結果オーライ。

 後は八重樫さんが無事なら、全てが丸く収まるな。

 僕は八重樫さんの近くに寄った。その場で屈んで、八重樫さんに声をかける。

「八重樫さん。八重樫さんっ」

 軽く頬を叩きながら、声をかけ続ける。

 しかし反応がなかった。

 少し焦ったけど、失神した人間がそう簡単に起きるはずもないと気づき、心を落ち着ける。首で脈をはかると、ちゃんと心臓が動いていた。それに小さいながらも息をしていた。

 うん、一先ず安心だ。

 失神していただけのようだ。

 それに多分、そろそろ起きるだろう。何回か瞼を振るわせて、唇を動かしたところを見ると、覚醒は近いような気がした。

 でも、一つだけ心配なことがある。

 こんな目にあってしまって、八重樫さんは大丈夫だろうか。

 お化け屋敷が思い出どころか、トラウマにならないだろうか。

 起きたら、全部忘れていてくれるといいんだけど。

 世の中、そうもあまくはないだろう。

「……ん?」

 僕が戯言を考えていると、右腕の袖が引っ張られる感覚がした。見ると、八重樫さんの手が僕の右腕の袖を摘んでいた。

「……八重樫さん?」

「…………」

 八重樫さんは、うっすらと瞳を開けた。

 そして、辺りに視線を動かして、頭を動かして辺りを見渡して、言った。




「……ここは? ……あなたは、誰ですか?」

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思いつきの話 崎谷 @sakitanii

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