第5話 許しがたいエロガキの妨害
その日の午後、俺は再び梢と立待橋を渡っていた。ただし、これまでとは立場が逆である。梢に連れて行かれるのではなく、自分から梢についていったのだ。
「わざわざいいよ、今更そんな他人行儀な」
「いや、けじめだからな」
1週間近く、夜遅くまで世話になったのである。仕事に出ている父親はともかく、母親に礼を言うのは当然のことだと俺は思っていた。
「子どもの頃はよく夕食食べて行ったでしょ」
「昔の話だろ」
冷たい川風が吹き上がり、梢の髪を乱していった。梢は面倒くさそうに、その髪を撫で付ける。
しばらく無言で歩いて、急に梢が口を開いた。
「沢宮さん……」
俺はぎくりとした。
白状すると、「けじめ」というのは半分、建前であった。
追試が終わってしまったら、梢の家にいく理由はなくなってしまう。すると、当然、沢宮さんの顔も見られなくなる。
俺の頭からは、どうしてもあのイメージがこびりついて離れなかった。
あの淵から上がってきた、青い月光の下に輝く女性の裸身……。
その姿と沢宮さんを結び付けてしまうことに、俺は何だか罪悪感を覚えていた。
それならば顔を合わせないで済むに越したことはないのだが、半分の建前の裏には、もう一度沢宮さんに会いたいという気持ちがあったのである。
梢にそれを見透かされたのではないか。そう思って、俺は縮み上がった。
だが、それは思い過ごしだった。
「あれ……」
梢は、橋に向かって流れてくる渓流を指差した。俺はその流れを目で遡るようにして、梢の示す先を見た。
子どもが、川遊びをしていた。
渓流はそこだけ浅瀬になっていって、小学校低学年くらいの子どもたちが、網を手に水飛沫を上げて走り回っていた。
子どもは5、6人いたが、その誰もが服をびしょぬれにしている。
その子どもたちと一緒に魚を追いかけているらしい若い女性がいた。
梢の言うとおり、沢宮さんだった。
白いパーカーをまとってはいるものの、子どもたちの弾いた水飛沫に濡れて、シャツも短パンも、びしょぬれだった。
梢も俺もしばらくその様子を見ていたが、やがて子どもたちの中に、見慣れた顔があるのに気がついた。
「あれ、うちの幹也だよね」
日に焼けた肌の、小柄な男の子が沢宮さんにじゃれつき、くっついて離れない。
梢が苦笑した。
「あのエロガキ……」
梢の家についても、俺は長居をするつもりはなかった。玄関で母親にお礼を言って、すぐ帰ろうとすると、浴室のほうからシャワーの音が聞こえてきた。
戸がガラガラと開いて、短パン一丁の幹也が飛び出してきた。
「よう、克彦」
両親のいないところではタメ口である。この辺の裏表は、梢と姉弟だなあと思わされる。
とととっと走ってきて、ちょいちょいと俺を指で差し招いた。
「何だよ」
腰を屈めて顔を近づけてやると、耳元に口を寄せて囁いてきた。
「お姉ちゃん、けっこう胸あるぜ」
俺は返答に詰まってむせ返った。梢に聞かれないように声を潜める。
「何で知ってんだお前」
へへへ、と幹也はいやらしく笑って言った。
「今、お風呂で体洗ってもらったらさ、巻いてたバスタオル外れちゃったんだ、ちょっとだけ」
「なんだとお!」
つい大きな声を出してしまい、何だ何だと梢がやってきた。
いや何でもないとごまかす俺と幹也を見比べて、呆れたように溜息をついた。
「何ムキになってんのよ」
「むきになってやしないけどさ」
幹也が俺の腰辺りをバンと叩いた。
「ムリすんなって」
何を、と幹也に尋ねる梢に、再び何でもないとごまかしていると、浴室の戸が急に開いた。
タンクトップとキュロットに着替えた沢宮さんが、タオルを肩にかけて出てくる。
俺の脳裏に、再びあの月下の幻が浮かんだ。
「あ、境君? こんにちは……」
「沢宮さん、あの、いいいいいいいつお帰りに……」
「私たち、びしょぬれだったので勝手口から……」
「失礼します!」
俺は大槻家の玄関を飛び出して、転がるように駆け出した。
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