第三章
その夜、僕は彼女から受け取った『Count Down Note』を読んでみた。
これは一番新しいノートなので、まだ数ページしか書き込まれていない。その最初のページには次のようなことが書かれていた。
『Count Down Note』
『私は退院するまでこのノートを書き続けます。
願わくば、私が今生きている理由が見つかりますように。
願わくば、このノートが退院へのカウントダウンとなりますように。』
それがこのノートの名前の由来だった。
入院中だけ記していくと言った彼女。その表情はとても強く、すこしでも早くこのノートから離れられるように、と願っている表情だった。
ただ……僕が最初にこのノートの名前を知ったときの感想は彼女とはまるで真逆のもので——。
それは僕自身が彼女の前で押し殺した本音を反映した様な考えで——。
Count Down Note——。
まさに死へのカウントダウンだと……。
こんな僕にこのノートを書く資格などあるのだろうか?
否、考えるまでもなく僕は除外されるべきだろう。
僕はどちらかと言えば、もう生きることに疲れ始めているのだ。
信じられないかもしれないが、人は病苦に喘ぎ、助かる見込みがまるで無くなった時、『出来れば早く死にたい』と本気でそう思うのだ。
どんな奇麗事でも報われない現実がある以上、倫理とか宗教とか、ましてや金銭的なものなど、そこでは何の役にも立たないのだ。
そんな状態にいる僕が紡ぐ言葉にどれほどの意味があるというのだろうか……?
一ページ目の彼女の言葉を深く噛み締めながらページを捲る。
『窓枠で切り取られた外の世界を眺め、
向こうとこちらの時間の流れの差を感じる。
何度繰り返してきたのか解らない儀式を
今日も繰り返し行う。
それでも私がここで生きているという現実は
決して覆らないのだから。
誰かにそれを認められたとして、
一体何の役に立つというのだろうか?
私自身の最期の時など——』
『泣くことは悪いことじゃない。
泣くことは辛いことじゃない。
泣くことは弱いことじゃない。
ただ、泣くことに逃げるのは、悪いこと、辛いこと、弱いこと。
それは人間だから?
それは私だから?
例えそれが私自身だとしても私は私を許さない。』
『例えばね、ずっと同じ時間が流れていたんだよ。
初めてここに来てから、今日まで。
ううん、もちろん、知り合った人もたくさんいるし、その人達とは
退院とか、死とか、そう言った理由で別れだってあったんだよ。
でもね、基本的には同じことの繰り返し。
だから退屈だって思うことは何度もあったんだ。
そう思えることが普通だって感じてたし……。
でもね、本当は違うんだよ。
退屈だって思える私は幸せなんだ——って。
同じ時間が流れる私は幸せなんだ——って。
そういうことってなかなか気付けないでしょう?
やっとそれに気付いたんだよ、私。
二年以上もかかって、やっと。
これからも退屈で同じ時間が続けば良いのに……。
いつか私にもチャンスが巡ってくるように——』
『私が私でいられるのなら、死んでも良い。
私が私でいられるのなら、受け入れよう。
痛いこと。辛いこと。怖いこと。
全部受け入れよう。
ただしそれを受け入れることを覚悟した私は
既に私ではない。
だから私は受け入れないし、死なない。』
ここまで読んで、こういった一連の言葉の中に彼女の強さの秘密が隠されている気がした。
自分で自分を励ます言葉。
自分が自分でありたいと願う気持ち。
そう言ったものが強く溢れ出ているのだ。
そして同時にその言葉たちからは、自分に対する厳しさが見え隠れしていた。
『君に逢えて本当に幸せだよ。
繰り返しの毎日にほんの少しだけ変化が訪れたし——
それに君が本当は死を認めているのも解るよ。
そう遠くない未来、僕のいない世界が訪れるんだ——って。
でもね、私は二人で助かりたいんだ。
君と私で。
だから一緒に抗おうよ。
こんな繰り返しから一緒に抜け出そうよ。
私の簡単な言葉が君に届きますように。
今日から一緒にこのノートに記そう。』
それが一番新しい言葉だった。
思わず苦笑してしまう。
彼女は最初から僕とこのノートを共有するつもりだったんだ。
そんな彼女の気持ちが嬉しかった。
僕にしても本当に幸せなんだ。
こんな田舎の病院で彼女に会えたこと。
僕には生きるための言葉なんて書けないと思っていた。
だからこのノートに記す資格はない——と。
でもそれはきっと違ったんだ。
彼女は僕に生きるための言葉を書いて欲しいんじゃない。
ありのまま、死にたがりの僕の言葉を書いて欲しいんだ。
そうして彼女の言葉に救われていく僕を——。
結局は二人だけの自己満足なんだから——。
外を見ると丁度駅の灯りが消えるところだった。
その灯りが消えてしまうと疎らな民家の灯りだけになるので、本当に暗くなってしまう。もちろん街灯なんてものはないのだ。
僕は窓ガラスに映る自分の顔を睨みながら、書くべき言葉を考えていた。死にたがりの僕が紡ぐべき言葉を——。
『僕はいつだってその足音に耳を澄ませていたんです。
ひたひた、ひたひた、と。
その足音は遠くから確実に僕に近づいてきて、
今ではすぐそこまでやって来ました。
ほら、そこのドアの向こう辺り——
いつそのドアを開けられてもおかしくない。
僕から開けて迎え入れても良いくらいです。
ドアを開けるくらいで終わるのなら、
いくらでも開けましょう。』
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