さらば不帰の客

 なばりさんに再会できたということは、私は心の奥で迷子からの脱却を望んだのだろうか。

 担当客である私に危険が迫ったからやむなく駆け付けた、と彼は説明してくれたけど、どうにも疑念は晴れない。

 この広大な遊技場の人混みの中で、孤独に耐え切れなかったのか。

 ――孤独。ひとりぼっち。

 嫌だ。一人は嫌だ。お父さんにもお母さんにもおばあちゃんにも桜にもふみにももう会えないなんて嫌だ。友達に会えなくなるなんて嫌だ。――嫌だったから。

(あれ?)

「どうかなさいましたか?」

 窓の外は空中だ。

 私は今、隠さんと二人で観覧車に乗っている。ゴンドラは今上昇中で、時計でいうと八時の辺りだろうか。

「なんでもない……」

 地平線の向こうまで、宝石箱をひっくり返したように広がっている明かりは、地球上の夜景を集めたと言っても過言ではないくらいに眩しく煌びやかだ。

 この美しさは、やはりこの世の物ではない故に。

「楓さま、一つ宜しいですか」

「……なに?」

「楓さまは、なぜ当園にいらっしゃったのですか」

 景色から案内人の顔に目を移した。

 彼の至極しごく真剣な表情から、冗談は言っていないことが分かった。

「私の死んだ理由、もう知ってるんじゃないの?」

「はい。存じております。しかし、楓さまから直接はお話いただけていません。

失礼を承知で申し上げます。あなたの死の理由を、わたくしに語って下さい」

「……どうして?」

(どうして、だなんて。私が一番話したがってるくせに、なんでそんな事言うのよ?)

「あなたは死んだ事に後悔なさっていませんが、死の理由に執着していらっしゃる。他のお客様とご自分を対比し、同じように楽しもうと無理をしていらっしゃる。その苦心が、あなたの心にのしかかっている。――――ご自分のお気持ちを整理されてはいかかですか。なぜ、死に至ったか。そしてそれを今、どうお考えなのか」

 ひゅーひゅーと、ゴンドラの中を夜風が吹き抜けていく。

 埒外らちがい常識外の世界においても、私の常識から少しも外れていない。

 生まれてから死ぬ時まで私を取り巻いていた風が、今も夜空を吹き渡っている。

「分かったよ。ちょっと恥ずかしいけど」

「ありがとうございます。それでは、お願いいたします」


 私は、幸せな家族のもとに生まれた。

 仲良しなお父さんとお母さんと、優しいおばあちゃんと、元気な妹と、可愛い猫と、一緒に暮らしてた。

 それが十歳の時までの話。

 夏休み、庭で妹と一緒に花火をした後、私の暮らした一軒家は赤々と燃え盛ってしまった。

 消し炭になってしまった。

 おばあちゃんと私を残して、家族も思い出も何もかも、死んでしまった。

 それで、小さな家におばあちゃんと二人で暮らしたの。

 最近までいた人が急にいなくなって、家の中が静かになった、あの静かさと孤独を知って、初めて怖いと思った。

 大切な人がいつか死んでしまう事を知って、すごく怖くなった。

 中学校を卒業する直前、おばあちゃんが肺を悪くして死んだ。

 とうとう私は一人ぼっちになった。

 友だちは私を心配して、たまに家に泊まりに来てくれたりしたけど、私の恐怖が晴れる事はいよいよなかった。

 夜、一人で過ごすことが、あんなにも恐ろしい事だなんて。

 隣に妹も猫もいないのが、あんなにも寒いだなんて。

 ああ、何で私は、花火の片付けを面倒くさがったりしたの。あの時ちゃんとしておけば、大切な物を失ったりはしなかったのよ。

 今更泣いたって戻ってきたりはしない。

 罪に対して、あまりにも重い罰。

 ……エスカレーター式に高校に進学してから、一層友達との付き合いを大事にした。

 買い物に出かけたり、家に招いたり、時間の許す限りに遊び呆けた。

 でもそれももうおしまい。みんな、将来の事で手一杯なの。春になったらみんなとは離れ離れになっちゃう。

 もう限界。

 私はもう、誰も手放したくない。

 一人ぼっちのまま社会に出る事が、すごく怖かった。

 孤独のままでいるなら、死んだ方がまし。

 だから私は――――だから私は、自殺したんだよ。

 一番好きな学校で死んだんだよ。

 卒業の前に屋上に登ってみない、って友達を誘って、先生に着いてきてもらって。


『みんな、今までありがとう。私幸せだったよ。この学校で、みんなと会えて』

 

 用意しておいた遺書を渡して、みんなが呆気に取られてる隙に、躊躇しないように一気に柵を乗り越えた。

 あ、やっちゃったな、って感覚。

 正しく見えてた景色がぐるんと横向きになって、風と重力に引っ張られていく。地上がぐんぐん近づいてくる。

 私このまま地獄に落ちるのかな、家族が死んだのは私のせいだもんね。ごめんね…………とか考えてた。

 気づいたらここにいたの。

「隠さん。ここって地獄なの?」

「地獄ではありませんよ。天国でもありません。死してなお楽しく、そうあっていただくための世界です」

「でも、さっきの人とかはどうなの? 死ぬまでに誰かを殺した人も、ここで楽しんでいいの?」

「はい。死者は平等に扱います。罪を犯そうと犯すまいと、遊園地ここでは等しくお客様なのです」

 ですが、と一呼吸置いた。

「適性が認められた場合は、少々異なります」

「適性って」

「楽しませる適性でございます。――例えば先程一騒ぎを起こした、重野しげの克彦かつひこさま。彼は今後、劇場で働いていただく事になるでしょう」

 ガンマンの役がお似合いと存じます、と他人事のように。

「わたくしも、適性を認められた者の一人でございます」

「え……?」

 笑顔さえ浮かべて言う彼の目に、間抜けな顔の私がいた。

 それはつまり、何がしかの罪を犯したってこと?

「うそ……あんなに優しくしてくれてたじゃない」

「生前は詐欺師をしておりました。多くの人を騙し、結果死なせた事も多々ございました。この話術を買われた――と申しましょうか。今ではこうして、お客様を楽しませる立場におります。

あえて申しますなら、この仕事こそが、わたくしに課された罰かと」

「……罰」

「はい。わたくしは迷宮遊園地から帰る事ができません。永遠に、お客様に楽しみを提供しなければならない。気の遠くなるほどの長い時間を、お客様に捧げなければなりません。それがわたくし共の務めでございます」

 なんてこと。

 彼はどのくらい、ここにいるのだろう。

 彼がここに来てから遊園地はどれくらい広がったのだろう。

 彼がここに来てから何人の死者が来たのだろう。

 それでも罰は終わらない。

「隠さんは、悲しくないの?」

「とんでもない。悲しみという感情は、ここにはふさわしくありませんよ。楓さま、あなたは孤独である悲しみを忘れる為に、当園にいらっしゃったのでしょう? 少なくともわたくしは今、あなたの案内人となれたことを、嬉しく思っておりますよ」

 瞳の中の私が隠れた。

 なるほど、まったく口が上手い。

 嘘じゃないと信じさせるくらいに、上手すぎる。

「楓さまは、死を後悔されてはいませんね?」

「――うん。もう大丈夫。もう一人ぼっちでも大丈夫」

 ここにはたくさん人がいる。

 すぐに仲良くなるのは無理だろうけど、一緒にアトラクションを楽しむくらいなら簡単だ。

 スミちゃんも、カレタカさんも、楽しそうにしていた。

 死してなお楽しく。みんなそのモットーのもとに存在している。

「隠さん、もっといろんな所に案内して。私、まだまだ遊び足りないから」

「承知いたしました。楓さまのお望みのまま、いつまでもどこまでも、ご案内いたしましょう」

 家族や友達ともう会えないのは残念だけど、死んでよかった。

 迷宮遊園地で長い長い時間、狂騒と享楽に埋もれてしまおう。

 私の名前すらも忘れてしまうまで、ずっと。

 ここは迷宮遊園地ラビリンスワンダーランド


***


「……と、いうわけで、私がここにいるの。分かった?」

「はあ……まあ」

 ざっくりと説明を終えると、目の前の少女は、少し困ったような顔でそう返してきた。

「いやー、それにしても懐かしいなあ、その格好。私もブレザーだったんだよ」

「その……あなたが、案内人ってことですよね? そんな格好してるってことは」

「うん、そうだよ。鈴ヶ瀬すずがせ幸乃ゆきのさん、私があなたの案内人。えーっと、あなたの死因は……自殺かあ。なるほどね」

 それ以上触れられたくなさそうなので、突っ込むのはやめておいた。そんなことよりもこれからが大事だ。

「それじゃ幸乃ちゃん、行こう。今日からあなたは何にも遠慮しなくていいの。いろんな場所を回って、いろんな事を楽しもう。ここはそのための遊園地なんだから」

「は、はい……」

 おずおずと歩き出す幸乃ちゃんの手を取って、私は迷宮遊園地の門をくぐった。

 彼女に無限の楽しさを教えてあげよう。それが私の仕事であり、罰であり、楽しみなのだ。

「迷宮遊園地にようこそ。ずっとずっと、楽しんでいってね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

迷宮遊園地 ずほ子 @zuhoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ