共に弔砲の音を

 それにしても、綺麗な星空だ。

 地上がこんなにも明るいのに、空には一等星はもちろん、四等星以下の星まではっきりと見える。

 この光景は絶対に、地球のどこにも見られない。

「えーっと……あ、あれ夏の大三角かな」

 この世界の星がどういう周期で天を巡るのかは知らないけど、概ね地球と同じと見ていいかもしれない。

「お嬢さん。風船はいかが?」

「え?」

 急に声をかけられ驚きつつも振り返った先に、恰幅かっぷくのいいおじさんがいた。

 おじさんはクイッと口角をつり上げ、右手に持った風船を差し出してくる。

「ありがとう」

 どうせお金はいらない。素直に風船を受け取ると、おじさんは素早く別の風船を出して、私の隣に向かって声をかけた。

「そちらのミスターも、お一ついかがかな?」

 何の気なしにその人を見ると、今度ばかりは目玉が飛び出るほど驚いた。

 誰でも知ってる有名人――といっても個人ではなく、その服装が有名と言うべきだろう。主に悪い意味で。

 その人は無言で風船を受け取り、傍らの案内人に手渡した。

 ――ナチスドイツの軍服に身を包んだ、冷酷な印象を受ける碧眼の、大柄な男性。

 とんでもなく物々しい人物を見てしまった、と考えているうちに、彼と目が合った。

「あ……えっと……グーテンモルゲン」

「……グーテンアーベント」

 さっと青ざめたのが自分でも分かった。

 私の馬鹿、グーテンモルゲンだと朝の挨拶になっちゃうじゃないの。

「この少女も迷子かね?」

「はい。その通りでございます」

 あたふたしている私をよそに、赤い口紅の案内人が答える。

 突然こっちを向いた青い双眸に射抜かれ、思わず縮こまった。

「君はどこの生まれだね」

「あ、はい、えっと、日本人です」

「日本?」

「はいっ。一九九七年十一月三日生まれです!」

「それは、また」

 私の死からだいぶ時間が経っているな、と小さくぼやいた。

 ドイツ第三帝国と大日本帝国、両国が同盟を組んでいたのは昔の話。そしてナチスがホロコーストの下に非道な姿勢でいたのもまた、昔の話。

 目の前の彼は何十年もここで過ごしてきたのだろう、どこかで見た写真とそっくり同じ風貌ではあるけれど、よくよく見れば何となく角が取れているような気がしないでもない。

 よし。落ち着いて自己紹介してみよう。

「私の名前は、榎本楓です。ここには来たばかりなんです。えっと、あなたのお名前は……」

「ハイドリヒで構わない。一つ聞きたいのだが、黒い髪で口髭の男性を見ていないかね」

 咄嗟にその特徴をイメージして、すぐに思い当たる人物がいた。歴史の教科書の常連、独裁者の筆頭たる彼。そういえばあの人はまだお目にかかっていない。

「ごめんなさい、見ていません」

「……そうか」

 にわかに表情が曇った。

 どうやら、生前交流のあった人とはすぐに会わせてもらえないようだ。この人はもう何十年も、上官に会えていないことになる。

「失礼した。それでは、お楽しみを」

「はい。さようなら」

 去るハイドリヒを見送る傍ら、視界の端で風船が手渡されるのを確認した。

 そちらを振り向いてみれば、新しい客がおじさんと向かい合っている。

 けれどその客は、うつむいたまま風船を受け取ろうとはしない。

「お客さん、遠慮せずに。お代はいりませんよ」

 返答せず、上着の内ポケットに手を差し入れる。

 彼が右手に握ったそれをおじさんに向けた時、一瞬で顔から血の気が失せた。

 ナチスの軍服よりも危機感を煽るもの。たったの一発で人の命を奪うもの。ここがあの世だとはいえ、それに恐怖するなというのは無理な話だ。

 悲鳴すら上げられずに掠れた息を振り絞ったのとほぼ同時に、耳をつんざく破裂音が人々の注目を独占する。

(駄目!)

 反射的につむった目を恐る恐る開けてみると、想像していた光景はそこになかった。

 銃口からは弾でなく、色とりどりのリボンと紙吹雪が吹き出しており、腰を抜かしたおじさんの上に降り注いでいた。

 発砲した男は目を見開き、わなわなと震えている。

 帽子、黒縁の眼鏡、細い目、地味な色のパーカーという出で立ちの彼にはどことなく見覚えがあった。

もちろん知り合いじゃない。でも、私はこの人を知っている。

(……無差別発砲事件の指名手配犯)

 不意に脳内にそんな言葉が浮かび、腑に落ちた。

 思い出した。私が死ぬ少し前、そんな事件が起きていたんだ。

 白昼の街中、無差別に銃撃を受けた市民三人が死亡、五人が負傷という痛ましい事件。

 目撃者の証言と監視カメラの映像をもとに炙り出され、指名手配を受けていた人物が、確かこんな顔をしていた。

 彼がここにいるということは――まさか自殺を?

「なんだよ――――せっかく撃ったのに……撃ち損じゃねーか、おい!」

 興奮した様子で発砲するも、やはり弾は出ない。

 連続する破裂音に怯えて耳を塞ごうとしたその時、いち早く飛び出して彼を取り押さえる人がいた。

 赤い燕尾服の女性――ハイドリヒの側に控えていた、あの案内人だ。

「無事のようだな」

 見れば、ハイドリヒもこっちに来て、私の隣に立っている。目の前では乱射魔と案内人が数秒間の格闘を繰り広げていたが、あっけなく取り押さえられた。

 数人の赤燕尾服きゃすと達が、いつの間にか近くに停まっていた馬車に乱射魔を乗せて、さながらパトカーのごとく連れ去っていった。

「ヤオ、大丈夫でしたか」

 その声の主を目にして、私はまたも驚愕した。

「遅いわよ。近くにいたの?」

「いえ。緊急事態でしたので、急遽きゅうきょ駆け付けました。どうやら大事には至らなかったようですね」

 余裕の表情で肩をすくめるヤオ。

 彼女に微笑を飛ばし、彼はこちらに歩いてくる。

 そして間抜けな顔の私に手を差し伸べ、うやうやしくお辞儀をした。

「お待たせいたしました、楓さま」

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