第14話

「着きました、公園」


そう言って男は、鬱蒼とした木々の生い茂る、大きな中庭のような空間を指した。目を凝らしてみると、入り口のレンガの壁には、いくつか中にあるだろう建物の名札が付いている。


「公園と言うか、スポーツ施…」


「まぁ、固いことはよしとして」



男は警備の人間と顔見知りのようで、片手をあげて挨拶をするだけで、中へ進めた。


「学生の時から、ここに通ってて」


「そう…ですか」


見晴らしのいいところへ出たと思ったら、目の前にはテニスコートが、2面、3面と広がっている。そのそばにはお誂え向きのベンチがあり、二人はそこに腰を下ろした。


「近くに安くて、休日もやってる食堂があるから、お昼はそこへ行きましょう」


「はい」


食事場所は決まったが、では何を話そうかと、彼女は逡巡する。今更のように自己紹介をすべきだろうか。本来なら、もっと前に言うべきだった。でも今になって、何をどう言えばいいのだろう。



 彼女が考えている間に、男の方が会話を振る。



「僕は、結構失礼なことを言いましたね。あの、ちょっと勘違いをして」


「あ、いいえ。別に」


“失礼なこと”、が何か分からないまま、彼女も返答する。


「ん…と、要するに僕は、”良い人”をやりたかっただけなんです。当然、疑いましたよ。出来過ぎたシチュエーションで、美人だし。でも、話した感じが、嘘じゃない気がしたし、他人の面倒事に首を突っ込むのが、普段の仕事でも、あるわけで」


死にたがりの人間に関わるのが、男の仕事に範疇に入る。

それは、いったいどんな仕事だろう。浮かんだ疑問符に、彼女は内心で、ノーと言う。仕事なんて、どうでもいい。自分が尋ねられて不快な質問を、男に求める気にはなれなかった。


「訊かないんですね」


男はそう言った。その言い方は、少し残念そうでもあった。


「尋ねた方が、いいんですか?」


彼女は興味の眼差しを返す。男は、膝に置いた拳に力を入れ、はぁっと息を吐く。


「やめときましょう。お互いに」


「そうですね」


彼女も頷く。



「でも」


男は、物言いたげに自分の唇を舐めた。彼女は、その表情を良く知っていた。打ち明けてしまえば、楽になることを言えない時、言ってはならない時の「顔」だと。


「もし、恩返しになるのなら、聞いてあげてもいいです。少しだけなら」


 彼女の助け舟に、男は明らかに驚いた様だった。しばらく、「んー」と言いながら、腕組みをしたり、足を組んだりして、迷っていたが、男はようやく、ぽつりとぽつりと話し出した。


「具体的なことは言えません。もちろん、事前によく調べた上で、法律の抜け道の様な事をしているのは分かってはいますが、それでも、人助けには違いない」


彼女は、前屈みの姿勢に落ち着いた、男の後頭部を見つめる。


「それで?」


彼女のあいづちに、男は一呼吸おいて、言葉を紡ぐ。


「僕たちは、自殺者の支援から始めました。色々な理由で、死を選択する人たちのために、言葉以上の何かを、提供する必要があると思ったから。問題は、結局、生き死にじゃないんです。健康で長生きすることの価値は、ただ、を、肯定するものであってはいけないんです」


「支援って…」


彼女は言いかけたが、男の顔を見て、口を閉ざした。男は、少し険しい顔をして、組んだ指を動かす。


「現実に、いい方法が、ないんです。家族っていうのは、一つの閉じた社会です。人は誰でも老います。介護が必要になれば、相応の蓄えや支援で、他人の手を借りることも可能です。それでも、足りないんです。なぜなら人は、ただ生きているだけではダメだから。希望が必要なんです。命じゃなくてまず心が、救われる必要があるんです。それは、長く生きる程、必要なことなのに、誰もがそのことを、自覚的に準備していない」


「準備?」


何を、と続けたかったが、それは尋ね難い雰囲気だった。気付けば、目の前のコートでは、ダブルスのチームが、きれいなスポーツウェアを着て、練習を始めている。


打たれたテニスボールが、続くラリーで、規則的に地面を叩く音を聞いていると、まるで違う因果の世界が、そこに在るような気がした。


 

 男も、似たような感想を抱いたのだろう。こう、言葉を継いだ。


「ね。健康であるうちに人は、そうでなくなったときのことなんて、考えられない。誰だって、そうだから、責められないんです。誰が悪いとか、そういうことじゃない。でも現実に、渦中にある人間にとっては、それが生きるか死ぬかの、問題になる。だから僕たちは、その判断の場に、一つの未来を見据えた、選択肢を提供しています」


「選択肢…」


「えぇ、選択肢。選択肢に過ぎない。でも、人は誰でも、追いつめられて、本当に逃れられないところまで来ると、”例外的な赦し”を求めるのかもしれない。だから、僕たちがやっていることは、結局、”誘導”なのだと、そう言われれば反論できないですね」


「誘導…」


その言葉の示す状況と、男の言わんとすることが、彼女には痛いほど理解できた。それでも納得できないのは、自分が外ならぬ、”置いて行かれた人間”、だからだろうかと考える。


「倉田さん、でしたっけ?」


彼女は手元のカップの最後の一口を啜り、正面を向いて言った。


、おいて行かれたんですか?家族に」


男は答えない。彼女は、続ける。


「それでもあなたは、赦したんですね、その人を。私は赦せません、あなたのようには…できません」


彼女は母を想った。その、いつもどこか寂しそうな笑顔を思った。何より自分が、母の生きる理由ではなく、死ぬ理由になったことが、耐えられなかった。そんな自分の今に続く苦い日々を、じっと、思い返した。


「僕はただ…」


男は否定しなかった。彼女は男を見る。男も、顔を上げて彼女を見る。



「僕がただ一人の例外ではないと、証明したいだけかも。自分の生きている価値も…そうやって、そうしないと…何かが…」


男の瞳の光がみるみる失せて、木陰の中に沈んでいく。彼女はそれを掬い取るように、男の頬に手を差し伸べた。


「あなたが私を救ったのが、そういう理由であれば、いいんです。みんな間違ってても、生きていればいいなんて、そんな、私だって信じていなかった。けど、あなたのような人を知ってしまって、私はどうすればいいんです。私が死にたいって言ったら、あなたは」


「やめてください」


男は我に返ったように、彼女の手を取り、かたく握った。


「お願いですから、そんなことを試す様に、言わないでください」


小刻みにふるえた男の手に、自分がもし彼であったならと、羨望の様な感情を抱いた。こんな風に、純粋に自分の価値を見つめられたなら、きっと違う人生を送れる。


「私は死にません。死んだって、変わらないんです。何一つ、思い通りにならない。自分の命一つ、どうにかできたって、何にも嬉しくない。なんにも、いいことじゃない。ね、倉田さん。止めましょう、やめちゃいましょう。そんなに苦しいなら」


男は彼女の手を離し、考え深げに、あさっての方向を見つめた。その先に在るものが何であろうと、彼女はいっしょに見るだろう。そんな強い予感がしていた。



End.


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Tresor 諦めきれない理由 ミーシャ @rus

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