第13話
寝不足のまま迎えた、土曜の朝。
彼女の感情とは全く別に、カーテン越しに分かる外の天気は、快晴だった。ため息をついてベッドを降りたが、すぐさま慌てて、鏡に向かう。時計を見れば、約束の11時まであと30分しかなかった。
真新しいサンダルの値札を切り、足を通す。仕事帰りに選んだせいか、少しサイズが大きいかもしれない。ストラップを一段余計に締め、中敷きを張り付ける。
『行ってきます』
既に仕事に出かけた叔母に、簡単なメールを入れる。空腹で鳴る腹をおさえて、彼女は家を出た。
待ち合わせの駅前に出て、周囲を見渡す。木陰が少ないので、目が行く場所は限られるが、そもそも、何を目印にすればよいのか、分からない。着信履歴から呼び出し、電話を掛ける。
「あ、あぁ。大丈夫です」
呼び出し音が背後で鳴り、驚く間もなく、今日の待ち合わせの男が、彼女の肩を叩いた。
「わりあい、せっかちなんですね」
そう言った男は、今日は眼鏡をかけておらず、前髪は、少し掻きあげたようにセットしてあった。額の見える部分が広がったせいか、断然若く見える。
「そんなことは、ないですけど」
そう応えつつ、本当にそうだろうかと彼女は自問する。
「会ってすぐですけど、喉、乾きますよね。買って来ますけど、何がいいです?」
「あ、あぁ。私もいっしょに行きます」
男が迷わず歩いていく方向に、小走りで付いていく自分を、彼女は客観視した。
不慣れなことをしている。ただ、会って話がしたいがために、こんな意味もない外出をしたのだろうかと、考える。
男の注文に合わせて、マスカットティーのブレンドらしきものを頼む。当然のように彼が財布を出して、彼女の分も払うと、カップを手渡す。男のほうに躊躇いが無い分、彼女も何も言わずに受け取った。
「いやー、久しぶりに私用で外を歩くなぁって、感動です。すみません、僕の都合に合わせてもらって」
「いえ、あの。よく考えたら私」
彼女は、甘く、冷たい液体を口にして、ようやく状況を把握した。このままでは、”この間の御礼に”なんていう口実が、ほんとうに嘘になる。
「御礼ですか?いいです、いいです」
男は察して、首を振りつつそう答える。一緒に彼の手の中のアイスミルクティーが、カラカラと鳴る。
「正直、面倒ごとに巻き込まれたのは、僕の勝手な嗜好のせいで、貴女のせいじゃないし。貴女も、僕のようなのに関わって、本当に良かったのかどうか、わかんないでしょ?」
そう言った男の口元は、少し緩んで、笑っているようにも見えた。信号は赤で、二人は並んで立ち止まる。
彼女は、男の言葉に嘘が無いように感じた。それに比べて自分が言うことは、どこにも真が無いような気がした。これが"恥ずかしい"という感情なのだろうかと、両足をそっと揃え直す。
「少なくとも私は、あなたで良かったんだと、思います」
男がさっと彼女の方を振り向き、彼女と視線がかち合う。折り悪くも、信号は青に変わった。
歩き出し様、彼女はするりと男の腕を取る。男は困ったように腕を抜こうとしたが、彼女がそれを許さなかった。
「お願いです。別に明日もこうしたいとは、言いませんから」
囁くように、急いでこれだけ口にすると、彼女は俯いて口を閉ざした。心臓はさっきから、耳にまで響くほど、強く脈打っている。苦し紛れの『言い訳』のようだと思いながら、カップを持つ方の腕を上げ、唇にストローを咥えた。
横断歩道で立ち往生も出来ない。男は頭を掻いて、彼女のしたいように腕を貸すと、さっきよりもゆっくりとしたペースで、歩いていく。
早くも靴ずれがはじまった、彼女の足元に気付いたのか、腕を組んで歩く速さを、前から心得ているのか。男の真意が読めないまま、彼女は半身を寄せて、道を行く。
日除けに被った帽子と、白いワンピースは、色を合わせて買った。無意識に男受けのするものを選ぶのは、いつの頃からの癖だったか。
触れている腕の熱さと、自分の腕の冷たさ。この温度差の意味するものは何だろうかと、彼女はぼんやりと男に身を預けながら考えた。
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