照陽の神語
八枝
照陽の神語
「もう……びっくりしたのよ? あの子って昔から我侭で暴れん坊だったから……」
男の目の前に座った彼女はそう言った。
巫女装束のようなものを纏った、二十歳から二十代前半といったところの長身の美女だ。
抜けるように白い肌に腰の位置を軽く越えるぬばたまの黒髪、破綻なく整い切った容貌は人を魅せてやまない。
「本当に侵略に来たのなら困るから、わたし、武器を持って迎え撃ちに行ったの」
彼女は炬燵の中に入れていた右手を胸の前でぐっと握り締めた。
気合に満ちた表情。むしろ硬質な美貌であるはずなのに、どこか愛らしさを覚える。
「でも、試してみたらあの子にそんな気はなかったみたいなのね。だから安心して迎え入れたの」
安心して、と言うわりには彼女の表情は暗い。
むべなるかなと男は思う。次に何があったのであろうかは知っている。
「そうしたらね、あの子……調子に乗って暴れ始めたのよ。わたし、もう悲しくって……」
愁眉。
典雅な容姿であるはずなのにやはり愛らしく感じてしまうのは、訥々とした口調のせいもあるのだろう。
「それでもわたし、お姉ちゃんだし、信じてあげようって思ったのね。でもどんどん酷くなるばっかりで……」
彼女はお茶を静かに口に含む。
一度目を伏せ、ほう、と丸い息を吐いてから、再びまなざしを上げた。
「あんまり庇ってるとみんなに示しがつかないじゃない? だからあの子に怒ってるって示すために岩戸に閉じこもったの」
なるほど、と男は思う。
怖くなって、と傍からは言われているが、真相、少なくとも彼女の主観においては怒りを示すために隠れたらしい。
ただ、そのことによって最も迷惑を被るのが誰なのかまでは考えが回らなかったのだろう。
「でも今度はみんなが酷いのよ? なんだか楽しそうにしてるから、どうしたのって訊いたら、わたしより素晴らしい神が来たから喜んでるなんて言うの」
ね、酷いでしょう? と悲しそうに小首を傾げて彼女は続ける。
「わたし、あんまり要領よくないけど、一生懸命やってるのよ? そんなにすぐに手の平返さなくたっていいと思うの」
湯呑みに視線を落とし、少しだけくちびるを尖らせている。
どうしても微笑ましいと感じてしまう。
「それでもね、わたしも気になるからそっと覗いてみたの。そしたら無理矢理引っ張り出されて……結局お芝居に引っ掛けられたのね、わたし……」
彼女の愚痴はまだまだ続く。
信じていた子が遊び呆けていただとか、あれでは探女がかわいそうだとか、思惟金が口煩いだとか、日照りが続くのはわたしのせいじゃないだとか。
男は黙って聴く。
何故にこのような状況になっているのかは分からないが、ただ黙って聴く。
疲れ果てて家に帰ってきて、このまま夕飯も食べずに寝てしまおうかと思っていたのだが、それも忘れていた。
目の前の、まるで育ちのいいおっとりとした令嬢のような彼女を見ていると、心安らぐ。
と、彼女が不意に拗ねたように柳眉を寄せた。
「笑わないで。自分でも分かってるんだから」
いつしか笑みを浮かべていたようだ。
男は、馬鹿にしているわけではないとかぶりを振った。
彼女は少しだけ困ったように笑ってから、続いてさらりと髪を揺らした。
「聴いてくれてありがとう。お茶も、ごちそうさま」
ふわりと、暖かなものがあたりに広がるような微笑み。
まさに彼女が司るものに相応しい、そんな笑顔。
「わたし、また頑張るから……あなたも負けないでね? わたしはずっと、あなたたちを見てるから……」
やわらかな光が彼女を包む。
あえて譬えるならば、曙光だろうか。
いや、譬えなくとも、それは曙光なのだろう。
光が強まるほどに、彼女の姿が薄れてゆく。
彼女は彼女の在るべき場所に帰るのだ。
「またいつか……ね、遊びに来るわ?」
その言葉が最後だった。
彼女の姿が掻き消え、やわらかな光も急速に薄れてなくなってしまう。
残されたのは、窓から差し込む人工の光と空になった湯呑み。
男は小さく笑って窓辺に寄った。
何故、彼女が自分を愚痴の相手に選んだのかは分からない。
おそらくは無作為、ただの偶然だったのではあろう。
今日の邂逅は、もしかすると最初で最後の不思議との出会い。
しかし驚く気もしなかった。
心に温かなものがある。
どこか知らないところで、不器用だけれども優しい彼女が頑張っている。
それだけで、この世界も捨てたものではないと思える。
疲れても、また明日はやれると思える。
男は夜空を見上げた。
明日はきっと、いい天気になるだろう。
照陽の神語 八枝 @nefkessonn
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