第11話 アヒージョの仮説

「あの人達はどうかしら?」えんがわは商店街の入口のあたりを指さしながら言った。彼女が示す方向には学習塾の看板があり、その看板の前で制服を着た女子学生が2人、背の低いブロック塀に腰掛けて、ソフトクリームを食べているところだった。彼女達のスカートの丈は明らかに正規の長さよりも短く、髪は頭頂部で派手な色のヘアゴムにより大胆にまとめられ、足元に置かれた鞄には統一感のないキャラクター人形のキーホルダーが複数個、まるで魂を抜かれたようにぶら下がっていた。

「いや、あれは若すぎると思う。もっと年上の方が…」僕が言い訳を終える前に、えんがわは僕の脇腹を肘で小突いた。僕が驚いてえんがわの顔を見た。えんがわは僕を睨みつけながら、声を出さずに口を動かした。その唇の動きは、『いいから行け』と言っているように見えた。僕はため息を付き、家まで宿題を取りに帰る小学生みたいに、背中を丸めて女子学生に向かって歩き出した。

 僕がゆっくりと近づいていることに、彼女たちは全く気付いていないようだった。向かって左側の女の子は、手足が細く切れ長の鋭い目をしており、左側の女の子は丸顔で愛らしい顔をしているが頬にいくつかニキビができていた。彼女達はそれぞれ、稲荷神社の狐と信楽焼の狸を思い起こさせる容姿をしていた。2人とも服装は乱れているが、見ただけで分かるくらいに髪や肌の水分量が豊富であり、人生のある時期までしか持つことができない、ある種の可能性のようなものをひしひしと感じることができた。おそらく地元の高校生なのだろう。彼女たちに近づきながら僕は、いったいどのように話しかければよいのかについて、考えを巡らせていた。単刀直入に言えば、『ここは日本でしょうか?』になるわけだが、いきなり知らない男にこんなことを話しかけられれば、さすがに不審に思うだろう。かといって、フランクに『そんなところで、二人で何してるの?』などと言えばそれはただのナンパだ。いっそのこと、観光客のふりをして『駅の方向はどこですか』を聞いてみるのが一番自然だろうか。考えてみれば実際に僕達は観光客のようなものであり、駅か、もしくは役場の場所を教えてもらえれば、きっと何かの手がかりがつかめるはずだ。僕は腹をくくって、彼女達の前で立ち止まった。 「お話中、すみません。ちょっとよろしいでしょうか?」僕はなるべく不審に見えないよう、笑顔を浮かべて話しかけた。何やら話をしていた女子高生2人は、僕の問いかけにほぼ同時に顔を上げ、まるで能のお面のような無表情な視線を僕に向けた。僕はなおも笑顔を絶やさず、続けた。「すみませんが、駅の方向はどちらか、教えてもらえませんか?迷ってしまって」

「はぁ?なん勝手に話しかけよんか、お前。キメェ。死ねし」キツネ顔の女子高生がこう吐き捨て、タヌキ顔の女子高生は僕の足元に唾を吐いた。僕の中で、何かが根本から折れて倒れるのを感じた。まるで、山伏が斧で巨木の根の片側を切り崩したみたいに。僕は呆然として、しばらく足元の唾液がコンクリートの染みこむのを見つめていたが、2人の視線に気圧されるように踵を返して来た道を戻った。背後で2人が笑う声が聞こえた。

「だっせぇ、何かし、今の。ナンパのつもりやったんかな?マジキメェ」10歳以上も歳の離れた女子高生からの心ない罵声を後頭部に感じながら、僕は振り返らずに歩いた。反撃の隙のない、攻撃的な罵倒だった。彼女達の言葉を頭のなかで繰り返しながら、僕はこの状況に対する一つの可能性について考えないわけにはいかなかった。今までに起こった不可思議な出来事の数々が、この仮説を当てはめてみると綺麗に一本の筋が通る。僕は、とにかくこの考えをえんがわに伝えようと思った。僕は顔を上げた。ちょうど僕の目線の先で、えんがわは腹を抱えて必死に笑いを堪えているところだった。僕がえんがわの前で立ち止まった時、彼女は僕の肩をポンポンと叩いた。顔を上げると、えんがわは涙を浮かべて喜んでいた。

「アヒージョくん、気にしちゃダメだよ、そんなこともあるわよ。私はアヒージョくんのことを素敵だと思っているのよ。ドンマイ、ドンマイ」彼女が思ってもいないことを口にしていることは分かっていたが、僕は怒るわけにはいかなかった。女子高生に罵倒された腹いせに彼女に怒鳴るなんて、こんな恥ずかしいことはない。

「えんがわ、僕、分かったんだ。ここがどこなのか、どうしてここに飛ばされたのか。ここで、僕達は何をしなければならないのか」僕はえんがわの目を見て言った。

「どうしたの、アヒージョくん?若い女の子に罵倒されて、おかしくなっちゃったの?」彼女は尚も笑いを堪えていた。

「違うんだ」僕はなるべく真剣な顔をして言った。「すべて繋がったんだ。誘導灯の言っていたこと、僕の抱えている問題、そして、あの女子高生の罵倒。突拍子もない仮説だけど、この考えなら、すべての筋が通る。まるで、エヴェレットの多世界解釈みたいに」

「エヴェレットって、あの量子論の?」僕は大きく頷いた。えんがわは驚いたような顔をしたが、僕は彼女が量子論を知っていたことに対して驚いた。多世界解釈の例えは、なんとなくカッコイイと思って言ってみただけなのだ。

「いいわ、あなたの仮説を聞かせて。とりあえず、あそこに入りましょう」彼女は再び商店街の入口の方向を指さした。そこには、黄色い大きなMの文字を象った、マクドナルドのエンブレムがあった。

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葛西のスペイン・バル 村上はがす樹 @murakamihagasuki

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