第6話

「ささやき  ざわめき  歌い続ける

 ささやき  ざわめき  語り続ける」


 アークは、自分にしか聞こえない声で、『アルファ・ケンタウリ』の、『砂のささやき』を歌っていた。


「あなたの歌う  声が聞こえる

 あなたの語る  言葉は知らない

 ここに届くよ  あなたの声が

 だけどわからぬ  あなたの言葉

 あなたの声が  私を呼ぶよ

 だけどわからぬ  あなたの居場所




 ささやき  ざわめき  踊り続ける

 ささやき  ざわめき  招き続ける


 あなたとともに  踊ってみたい

 あなたのもとへ  駆けてゆきたい

 こんなにあなたに  焦がれているのに

 あなたの影さえ  見つけられない




 ささやき  ざわめき  歌い続ける

 ささやき  ざわめき  語り続ける


 わたしの歌は  どこまで届く

 私の言葉  誰に通じる

 何も知らない  だから知りたい

 何もわからぬ  だから見つめる

 あなたの声が  私に届く

 わたしの声よ  あなたに届け




 ささやき  きくため  耳をすまして

 あなたを  見るため  瞳こらして

 あなたの  もとへと  歩いてゆくよ

 あなたに  会うため  歩いてゆくよ」


「おっ、ご機嫌ですねえ」

「わっ!?」

 アークは、頬を染めてふりむいた。

「き、聞こえてました?」

「ええ、まあ、少し」

 レスターはニヤニヤとうなずいた。

「ご機嫌ですねえ」

「はあ、まあ」

 アークは照れたように笑った。

「いよいよ――ですから」

「なるほど」

 レスターは、胸ポケットから取り出した、古式ゆかしいボールペンを、指先でクルクルと器用に回してみせた。

「ご紹介願えますか?」

「あー……会いたいんですか、ノアに?」

「それはもちろん」

「はあ」

 アークはうめきながらうなずいた。

「いや……いいですけど……別に、いいんですけどね……」

「会いたい、ってやつは、かなり多いですよ」

 レスターはすました顔で言った。

「順番待ちの列は、伸びる一方ですね」

「これだけは言いたい。あのひととぼくとは、似てはいません、あんまり」

「見ればわかります」

「……ですね」

「大丈夫ですよ」

 レスターは、ふと目元を和ませた。

「アークさんは、アークさん。ノア博士は、ノア博士。それがわからない馬鹿は、火星にはいません」

「……当のぼくは、つい最近、それがわかったばかりなんですがね」

 アークは口の中でそうつぶやいた。







「薔薇?」

 アリス・セイヤーは小首をかしげた。

「そ。薔薇。ある?」

 ジェイクは人懐っこい笑みを浮かべた。

「薔薇はねえ……えーっと……あ、ミニ薔薇なら、なんとかなるかも」

「ミニ、かあ」

「大きいのはねえ、んー、無理すれば手に入るかもしれないけど……滅茶苦茶、高くつくよ?」

「ちょっとぐらい高くても――」

「えーと、ちょっと、じゃ、ないよ」

「……ちょっと、じゃ、ない、か」

「そうだねえ」

 アリスは気の毒そうに微笑んだ。

「造花なら、簡単だよ」

「造花、か」

 ジェイクは、少し考え込んだ。

「造花、か、ミニ……んー、どうしよっかな……」

「えーっと、あの、ミニ薔薇でも、本物は、高いよ、それなりに」

「あ、それなりに、なんだ」

「まあ、それなりに、ね」

「うーん――気は心、ともいうしなあ」

「見栄えだけだったら、造花のほうが見栄えはするけど」

「あ、そっか。えーと、それじゃあ――あ、もしかして、両方用意すればいいのか?」

「うん、まあ、予算が許すならそういうのもありかもね」

「よし、それじゃあ」

 ジェイクは、ポンと両手をうちあわせた。

「アリスの店に、一肌脱いでもらおう」







「プライベートなんです」

 アークはぶつぶつとぼやいた。

「普段着で十分です」

「ま、そりゃそうだけどさ」

 ジェイクは口をすぼめ、ためすすがめつアークを見つめた。

「でも、それ、地味じゃね?」

「ぼくは、地味なのが好きなんです」

 アークはむっつりとこたえた。

「だいたい、なにを着て行ったところで、どうせ相対的にはあの人より地味な格好になるに決まっているんです」

「まあ、そりゃそうかもしんねえけどさ」

 ジェイクは口をとがらせた。

「じゃ、せめて、胸元に花でも飾る?」

「花?」

「ほら」

「……それって、花というより、ブーケじゃないですか」

 アークは胡散臭げに、ジェイクの差し出した小さな花束を見つめた。

「俺もつけるから」

「あの、そういう問題じゃ……」

「似あうと思うけどなー」

「……はあ」

 アークは苦笑しながら、小さなブーケを受け取った。

「あ、この花、本物ですね。高かったでしょ?」

「それだけの価値はあった」

「そうですね」

 アークは目元を和ませた。

「ピンクの、薔薇。――あのひとが、一番好きな花です」

「ノア博士の分も、ユーゴさんの分もあるよ、ほら」

「あはっ」

 アークはにこりと笑った。

「おそろい、ですね」

「おそろいおそろい」

「『火星薔薇マーズ・ローズ』

 アークはそっとブーケをなでた。

「喜んで――くれるでしょうか?」

「少なくとも、俺は喜ぶ」

 ジェイクはうれしそうに目を細めた。

「うん、似あう似あう」

「ジェイクもつけるんですよ」

「うんうん」

 ジェイクは機嫌よくうなずいた。

「どう、似あう?」

「んー……派手、な、ような気もしますが」

「そっかー? 俺はむしろ、地味なんじゃないかと思うけど」

「……どこが?」

「いや、ノア博士には、地味なんじゃなかなー、って」

「ぼく達には、間違いなく派手です」

「いやあ、いいと思うよ、俺は」

「……ま」

 アークはクスリと笑った。

「綺麗、ですものね」

「うん、綺麗」

「では、まいりますか」

「よし、行くか」







「プライベートなんです」

 アークはうめいた。

「あの人達は、いったいどういうつもりなんでしょう?」

「でもさー、一応、それなりの距離は保ってくれてるよ」

 ジェイクは伸びあがりながら辺りを見回した。

「なんか、結界はってあるみてえ」

「思うんですが」

 アークはむっつりと言った。

「ジャーナリストだかなんだか知りませんが、なにもわざわざ地球くんだりからくることはないじゃないですか」

「あ、地球から来たやつらって、やっぱ見てすぐわかるのか?」

「ええ、やはり、なんというか、雰囲気や身のこなしが違いますね、火星の住人とは」

「そっか」

「まあ、ジャーナリストも大変ですよね。しかし――」

 アークはフッと小首を傾げた。

「どうせ火星からもこの会見の模様は発信されると思うんですが、やはり生の映像が欲しいんでしょうか?」

「ほら、あれじゃねえ、独自の切り口、ってやつが欲しいんじゃねえかな?」

「ああ、それは確かに重要ですよね」

 アークは幾分機嫌をなおしたようにうなずいた。

「じゃあ、まあ、仕方がない。よしとしましょう」

「なー、俺、ちょっと手ェふってみてもいいか?」

 ジェイクは伸びあがり、次いで、軽く飛び跳ねた。

「もしかしたら、地球のテレビに映れるかも」

「ああ、テレビに映りたいんなら」

 アークは肩をすくめた。

「ノアが来たら、かけて行って抱きつけばいいですよ」

「いや、俺がそれやっても意味ねえだろ」

「まあそうなんですが」

「アークは、やるのか?」

「なにを?」

「かけて行って抱きつく、っていうのを」

「ぼくのキャラじゃありませんよ」

「歩いていって抱きつく」

「いや、『かける』か、『歩く』かがもんだいなんじゃありませんから」

「じゃあ、どうすんの?」

「それは、まあ――普通に対応しますよ」

「つーと?」

「ですから、まあ、普通に歩いていって――普通に挨拶します」

「ふーん?」

「それ以外にないでしょう?」

「待て待て、まだ考える時間はある」

「って、いったいなにを考えるっていうんですか。こういうことは、シンプル・イズ・ベストです」

「花束贈呈は?」

「花束なんて、持ってきてませんよ、ぼく」

「いや、俺達は持ってきてないけど」

 ジェイクは、ヒョイと後ろを振り返った。

「後ろに控えてる連中がさ――」

「ああああああッ!」

 アークはうめきながら天を仰いだ。

「だ・か・ら・プ・ラ・イ・ベ・ー・ト・な・ん・で・す・っ・た・ら!」

「まあまあ」

 ジェイクは肩をすくめた。

「あの連中だって、個人的にノア博士のファンだから来てるのかもしれないし」

「……ま、そういう人もいるでしょうが」

 アークは大きくため息をついた。

「知りませんからねー、ぼくは。あのひとはぼくみたいに、大人しくはないんですからねー」

「おおー! いけいけノア博士!」

「けしかけないでくださいよ、あのひと――ノアを」

「大丈夫大丈夫、ノア博士だったらきっと、俺の意見程度じゃびくともしないって」

「……いよいよですね。来ちゃうんですね」

「楽しみ?」

「ええ、まあ」

「緊張してる?」

「それはもちろん」

「叔父さんとか、叔母さんとか、アンとかアリスとか」

 ジェイクは人混みの中のセイヤー一家、アークを育てた人々、アークの家族を探して伸びあがった。

「呼んできたほうがいいか?」

「いえ――大丈夫です」

 アークは、幾分ぎこちなく笑った。

「子供じゃないんです。付き添いはいりません」

「俺はいていいの?」

「ええ」

 アークは小さく笑った。

「ノアからの御指名ですから。ただ、あれはやめて欲しかったですね」

「あれって?」

「きみのことを話した時、あのひとったらこう言ったんですよ」

 アークは顔をしかめた。

「『それはキミの、コレですか、コレですか?』って」

 そう言いながらアークは、『コレ』の部分で親指と小指とを交互にひらめかせた。

「で、どっちだって言ったの?」

「……あのですね」

「冗談冗談」

「とりあえず、ご想像にお任せしましたが」

 アークは長々と嘆息した。

「いったい何を想像していることやら」

「何を想像したのか聞いてみよーっと」

「……聞いてどうするんです?」

「参考にする」

「なんの!?」

「ナニの」

「却下」

「えー」

「却下です」

「ケチー」

「ケチで結構」

 アークは再び嘆息した。

「ああ、この会話、後ろの人達には絶ッッッ対に、聞かせられないなあ……」

「ま、大丈夫だろ」

 ジェイクは根拠なく請けあった。

「俺だって、御行儀よくしなきゃいけない時は、ちゃーんと心得てるし、さ」

「そう願います」

「大丈夫大丈夫」

「頼みますよ、本当に」

「まかせとけ」

「はい、まかせました」

 アークはすました顔で言った。

「ああ――時間、ですね」

「行くか」

「ええ」

 そして。

 出会う。







 アークは、ノアのクローンである。

 実際には、いささか込み入った事情がある。確かに、アークのDNAのベースとなっているのは、ノアのDNAである。だが、アークのDNAには、ノア由来のそれだけではなく、ノアの初めての恋の相手、ライド・スペンサーのそれが混ぜ込まれている。

 だから。

 アークは、実際にはノアのクローンというわけではない。

 だが。

 今のところ、世間的にはまだ、アークはノアのクローンである――と、思われている。別段、特に隠し立てした結果そうなったわけではない。ただ単に、誰もそれについて聞かなかったというだけのことだ。聞かれれば教えていただろう。アークの知人の大半は、すでにそのことを知っている。ただ、なんというか――火星ではそういう、いわば、出生の秘密、とでもいうべきゴシップは、まったく流行らないのだ。そしてまた、そういったことを地球に向けてベラベラ吹聴するような火星人もいはしない。

 だから。

 アークとノアが並ぶと――自然にこういう言葉が想起される。

 クローンと、オリジナル。

 オリジナル、という言葉を、原型、ととらえるなら、それはある意味正しい。だが――。

 クローンとオリジナル、というと、どういうわけだか半ば必然的に、クローンのほうが一段下、とみなすような風潮が、地球にはある。火星にも、まったくないとは言い切れないが、少なくともそういう考えかたは断じて主流ではない。

 だからして、地球人がアークのことを、クローン、と呼ぶ場合、それは往々にして事実の皮をかぶせた当てこすりであり、対して、火星人がそう呼ぶ場合は(そもそもそんなことを事々しく話題にのぼせること自体があまりないのだが)、それはただ単に事実、というか、その言葉を発したものが『事実』だと思っていることを述べているだけである。

 そして。

 現実に、その二人が顔を並べると。

 結論から言うと、アークとノアとは、どんなに迂闊な人間でも見間違えようがないほどに違っていた。そしてまた、この二人を同じ土俵に乗せ、どちらが勝っている、劣っている、などと、大雑把に批評することもまた、できようはずもなかった。何しろ――違うのだ。まず、一番瑣末で一番わかりやすい点として、外見が全く違う。それはもう、結婚式と株主総会くらい違う。花束と百科事典くらいに違う。見事に違う。まあ、基本的には、まったく同じ、とまでは言えずとも、かなり似通った容貌ではある。しかし、いくら土台が同じでも、その上に乗せてあるものが全く違うのだ。見様によっては、その土台からして違う。まあ簡単に言うと、ノアは人体の軽量化の極限に挑戦しているのか、と見る者が思いたくなるほどに痩せているのに対し、アークのほうは、細め、程度に収まっているのだ。それでもやはり、肉体的な共通点は多い。髪の色、目の色、肌の色、そして、その大本の骨格。

 しかし。

 端的にいって、二人のセンスには、見事なまでに共通点がなかった。地味と派手。この一言で、二人のセンスの違いを完璧に表現し切ることができる。念のため言っておくと、アークが地味、ノアが派手、である。

 具体的にいうと、アークのいでたちは、黒のタートルネックにベージュのズボン、茶色の靴、とまあ、こんなラインナップで、これで胸のブーケがなければ、総使用色数わずかに三色、ベージュと茶色を同色に勘定すれば二色である。蜂蜜色の髪を後ろで縛るために使っているのも、単なる黒のヘアゴムで、ここまで地味に徹した服装、というのは逆に人目を引く。

 さて、ノアのほうはというと、こちらは人目を引く、どころの騒ぎではない。ノアの服装には、ほとんど威嚇の一種とみなしていいほどの衝撃が、破壊力が、攻撃性がある。もっとも、当のノアには他人を威嚇しようというつもりなどさらさらない。ただ単に、ノアは他人の目と評価とセンスとを歯牙にもかけないというだけのことである。それも、まあ、広い意味での威嚇、そして、攻撃に他ならないのかもしれないが。とにかく、総使用色数、優に二桁、何かに例えようにも例えようのないファッション・センスは、もうここまで飛びぬけてしまうとほとんど畏敬の念さえをも生じさせるほどであった。えーと、とりあえず、布地の総面積とレース地の総面積とがほぼイコール、下手をするとレース地の総面積のほうが多いかもしれない、というのは、いかがなものであろうか。しかも、恐ろしいことにレース地の色は一色ではない。

 しかし。

 結局のところ、そんなことは所詮瑣末事である。いかに突飛な服であろうと、そんなものは、脱いでしまえばそれまでなのだ。

 二人の違いは、例えばその目線にあった。

 ノアは頂点からはるか彼方を見晴るかし、アークは地下から輝く星を見上げた。

 そして、また。

 ノアは玩具箱をひっくり返し、アークは積み木を一つ一つ積み上げた。

 二人の目が、空の青と海の碧と森の緑とを混ぜあわせた二対の瞳が、互いを映し出した。

 アークは、大きな瞳をゆっくりとしばたたいた。

 ノアも、同じことをした。

 そしてノアは、本当に驚いたように言った。

「――ボクより、背が高い」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る