第4話
『キミは結婚しないんですか?』
ビデオレターのノアは、唐突に問いかけた。アークは椅子の上で思いきりのけぞった。転げ落ちなかったのが勿怪の幸いである。
『しないんですか、結婚? 火星でも同性間の結婚は合法のはずですよ。しないんですか? ま、別に、結婚がすべてじゃありませんが、一生に一度くらい、ウェディング・ドレスを着ておいたって罰は当たりませんよ、アーク』
「いきなりなんの話ですか、まったく!」
アークは、相手に聞こえるはずがないことを百も承知のうえで叫んだ。
「だいたい、どうしてぼくがウェディング・ドレスを着なくちゃいけないんですか!?」
『似あうと思いますよ』
モニタの中のノアが、絶妙のタイミングでこたえた。
『純白のレースとフリルをふんだんに使ったウェディング・ドレス! ああ、いいなあ――』
「よくありませんよ」
アークはブツブツとぼやいた。
「仮にジェイクと式を挙げるにしても、ぼくは普通の礼服で出ることにします」
『もし式を挙げるなら、ボクも呼んでくださいね。雨が降ろうが槍が降ろうが隕石が降ろうが、万難排して出席しますから』
「え――」
アークは息を飲んだ。
初めてだった。
ノアが、火星に行きたいという意志を表明したのは。
『そのときには、ちゃんとウェディング・ドレスも持っていきますから』
「だから、どうしてそうなるんですか!?」
『――』
不意に、ノアが言葉を切った。
アークは、いぶかしげに目をしばたたいた。
空の――地球の空の青と、木々の葉の緑とが、分かちがたく結びついた色で染め上げられた二対の瞳が、互いを見つめた。
『――アーク』
ノアは、ゆっくりと、噛みしめるように言った。
『キミに――会いたい――』
「――」
アークは、じっと。
ノアを、見つめた。
「会いたいんなら、会えばいいじゃん」
ジェイクは屈託なく言った。
「アークも会いたいんだろ、ノア博士に」
「それは――そうなんですが」
アークは重いため息をついた。
「ただ――」
「ただ?」
「――ノアは、ぼくとは違うんです」
「――?」
ジェイクはいぶかしげに眉をひそめた。アークは再びため息をついた。
「あのひとは――ぼくとは違う。ぼくが世界を動かすことはできないけれど、あのひとは――その気になれば、世界を動かすことができる」
「……ふーん?」
ジェイクは首をかしげた。
「で、それだと――なにか、まずいの?」
「――そうですね」
アークは眉根を寄せた。
「ぼくが地球に行くのなら――いいと思うんです。でも、それは無理です。ぼくの身体は、地球の重力には耐えられない。月へ行って、そこで会う。これも、まあ、考えたんですが――」
アークは大きくかぶりをふった。
「そんなことをして、ぼくとノア、二人とも、月から出られなくなったら――と、思うと、おそろしくて、とてもとても――で、その――ノアが火星に来る、としたら――」
「――したら?」
「ノアは多分――そんなことはしません。あのひとは――ある意味世捨て人です。政治なんかには、まるっきり関心がない。だから、大丈夫なんです、本当は。でも――地球はそうは思わない。地球はきっと、こう考えるでしょう。『パワーバランスが、完全に崩れる』――と」
「パワーバランスが崩れる――」
「あのひとは、そんなことはしません。でも、問題は、するかしないか、じゃなくて、できるかできないか、なんです。――ノアには、できます」
「そうすると――どうなるんだ?」
「そうすると――」
アークは深く考え込んだ。唇から、誰に聞かせるでもない言葉が、ほろほろとこぼれ落ちる。
「地球は、火星に――ノアを火星に送り出したくはないはずです。だって、そんなことをしたら――もう帰ってこないかもしれないから。地球は、ノアに、優しくなかった。ノアは――あのひとは、未だに『人間』じゃ、ない。あのひとは、法的には――地球の法的には――存在、していないんです。あのひとは、でも、地球を恨んだり、憎んだりはしていない。――強い、ひとです。本当に、強いひとなんです。どこまでも――どこまでも、自分自身を信じている。あのひとは――あのひとには、邪気がない。無邪気、なんです、本当に。あのひとは、世界を壊そうとしたりなんかしない。――その力はありますけどね。――あのひとが、火星の側についたら――そう――どうなる――でしょうね? どうなるにせよ、世界は変わる。地球は、それを――おそれている――」
「――でも」
ジェイクは、そっと言った。
「ノア博士は、そんなことはしない――だろう?」
「――信じないでしょうね、地球は」
アークは、そろそろと吐息をついた。
「火星でなら、ノアは、『人間』になれる。――ええ、そう、実質的には、地球でだってノアは、『人間』として扱われています。でも――でも、それは――ただ傷口が見えないようにしてあるだけで、本当に傷が治ることは決してないんです――」
「――じゃあ」
ジェイクは真摯な顔で言った。
「傷を治すようにすればいいじゃん。傷はほっぽらかしといて、それなのによそへは行くな、なんて、そんなのおかしいって、絶対」
「そうですね。――まあ、でも」
アークはクスリと笑った。
「ノアがその気になったら、地球がいかに反対したところで、絶対に火星までやってきちゃうでしょうけどね。ええ、それはもう、絶対的に来ます」
「それじゃ」
ジェイクは、ニッと大きく笑った。
「式の用意、しとかなくちゃな」
「そうですね。あ――ねえ、ジェイク」
「ん?」
「ウェディング・ドレス、って――どう思います?」
「え!?」
ジェイクは、どんなに鈍い相手でも一目でわかるぐらいはっきりと顔を輝かせた。
「なに、アーク、ウェディング・ドレス着てくれるの!?」
「えーと……」
アークは、わずかに顔をひきつらせた。
「あー、その、べつに積極的に着たい、ってわけじゃ……」
「え、でも、着てもいいかなー、ぐらいは、思ってるんだろ?」
「えーっと……」
アークはしばらくのどの奥でうなり、ややあって深いため息をついた。
「はあ、まあ……そうすれば、ジェイクもノアも喜ぶわけですしね……」
「俺はすっげえうれしい」
「はあ……」
アークはがっくりと肩を落とした。
「それじゃあ、まあ……別に、着てもいいですが……」
「ぜってえ似あうって!」
ジェイクはあっけらかんと言った。
「ついでだから、俺も着よっか?」
「はあッ!?」
アークは素っ頓狂な声をあげた。
「ジェイクが!? ウェディング・ドレスを!?」
「うん。……だめ?」
ジェイクは、ちょっと上目づかいになった。
「前からちょっと、興味はあったんだ」
「はあ……」
アークは眉根を寄せて、しげしげとジェイクを見た。
「あの、それじゃ、ぼくが礼服で、ジェイクがウェディング・ドレスで、っていうのはどうでしょう?」
「えーっ」
ジェイクはがっかりしたような声をあげた。
「アークもドレス着ろよぉ」
「あーもう、いっつもこうなんですよね」
アークはふてくされたように言った。
「子供の時だって、義姉さん達にあれやこれや、とっかえひっかえ着飾らされたんです! ほんとにもう、ぼくは着せ替え人形じゃない!」
「似あうと思うんだけどなー」
ジェイクは残念そうに言った。
「どうしても、いや?」
「別に……どうしてもいや、というわけではありませんが」
アークは小さく苦笑した。
「まあ……着てもいいですよ、別に」
「やりッ!」
ジェイクは元気よくガッツポーズをした。
「じゃあさ、化粧は? 化粧もする?」
「……ま、その……ファンデーションぐらいなら」
「あ、ナチュラルメイク、ってやつ?」
「え、まあ……そんなところ……ですか?」
「やーっ、楽しみだなーっ」
ジェイクは機嫌よくコロコロと笑った。
「俺、ちょっと練習しとこうかな」
「……」
賢明にも、というかなんというか。
『何の』練習をするか、という微妙な領域にまでは、一切足を突っ込もうとはしないアークであった。
「火星?」
ガート・ロウは、その真円のレンズの瞳をくるめかせた。
「おまえが、火星に?」
「ええ」
ノア・イェールは機嫌よくうなずいた。
「ちょっと遠出をしてきます」
「重力の変化にはどう対応するんだ?」
「はあ、それなんですよね」
ノアは顔をしかめた。
「どうやら、地球に帰ってくるつもりなら、毎日運動しなくちゃいけないみたいなんですよね。ああ、やだなあ。ま、なんとかするつもりですけどね」
「電流を流す、というのはどうだ?」
ガートは真顔で言った。
「強制的に筋肉の収縮が起こるぞ」
「……遠慮しときます」
ノアはブルブルとかぶりをふった。
「キミはいいですね。その身体なら重力変化も関係ないでしょう」
ノアは、脳と神経系以外をすべてサイボーグ化したガートの体をうらやましそうに見ながら言った。
「地球から離れる予定はないぞ」
「まあそうですがね」
ノアは小さく肩をすくめた。
「火星のおみやげでも、買ってきてあげましょうか?」
「ありがとう――で、いいんだよな、こういう場合は?」
「正解です。キミもだいぶ進歩しましたね」
ノアはニヤッと笑った。
「なにかリクエストはありますか?」
「綺麗なものがいい」
ガートは即座にこたえた。
「探しときましょう」
ノアは請けあった。
「ガート君」
「ん?」
「キミ、火星は好きですか?」
「――好きとか、嫌いとか」
ガートは少し困ったように言った。
「考えたことがない」
「そうですか」
ノアは、ふと。
遠くを見るような目になった。
「ボクは、好きですよ――火星が」
「わ、わ、わ」
アークは、長い両手をパタパタとふりまわした。
「ど、ど、ど、どうしましょう!? 来るんですって、来るんですって、ほんとに来ちゃうんですって!」
「ま、落ちつけって」
ジェイクはのんびりと言った。
「今すぐ、ってわけじゃないんだろ?」
「それは――それは、そうですけど」
アークはようやっと、大きく息をついた。
「ああっ、もう! あの人は本当に、人の都合なんて全然考えないんだから!」
「え、都合悪かったのか?」
ジェイクは驚いたように言った。アークはプッとむくれた。
「悪いかどうかすらわかりませんよ。ぼくはね、ただ、来てもいい、ってこたえただけですよ。そしたらいきなり、『じゃ、行きますから』ですよ!? あーもう!」
アークはむくれたままため息をついた。
「あのひとときたら、いつ、どこに、どうやってくるつもりなのかを、そっくりすっ飛ばしてるんですよ!? それはまあ、宙港の予測ぐらいはつきますけどね。でも、いつ来るつもりなのか――それより」
アークは、ブルッと身を震わせた。
「どうやって、来るつもりなのか――あのひとなら、自家用宇宙船の一つや二つ、本気でつくりかねない――」
「あー、そういうのって、ほっといてもわかるんじゃねえの?」
「――わかった時には手遅れのような気もします」
「いや、事前にわかるだろ」
「どうやって?」
「ニュースになるんじゃねえの? そうすりゃわかるよ」
ジェイクは真顔で言った。アークも真顔で目をむいた。
「ニュース――あの人の場合、それが冗談じゃすまなくなるかもしれませんね」
「で、まあ、時期と手段はどうあれ、ともかく来るわけだ」
「ええ、それは、間違いなく来ます」
「でさ、火星にいるあいだ、ノア博士どうすんの?」
「どうすんの――って?」
「ホテル泊まるのか、アークの実家に行くのか、それとも――」
ジェイクはヒョイと小首を傾げた。
「俺達んとこに来るのか」
「う――」
アークは目を白黒させた。
「ぼく達のところに――来る――かも、しれませんね。うう――まいったな――」
「ノア博士ってさ、一人で来るの?」
ジェイクは何気なく問いかけた。アークは強くかぶりをふった。
「一人で? いや、それは暴挙ですね。なにしろあのひと、生活能力というものを根底から欠いている――らしいですから。直接見たわけじゃありませんけど、話半分にしても相当なもんですよ。助手の、ユーゴ・ラリックさんが同行するそうです」
「二人か。この家にあと二人――んー、ちょいきついか?」
「そう――ですね。ちょっとね――」
アークの大きな孔雀青の瞳を、怯えに似た影がよぎった。ジェイクはのんびりとソファーに横たえていた身体を、グイと起こした。
「アーク」
「はい」
「おまえさ」
「なんですか?」
「ノア博士に会うの、怖いの?」
「――」
アークは一瞬、呆然と立ちつくし、次いで、水底に沈んでいくかのようにジェイクのいるソファーへと歩み寄った。そのままソファーに沈みこんだアークの肩に、ジェイクの腕が回され、そのままジェイクはアークの体を引き寄せた。
「なんで――わかるんですか?」
アークは細い声で問いかけた。
「ん――なんとなく」
「――」
アークは無言でうなずき、自分からジェイクにしがみついた。
「怖い――ですよ。――怖い。ビデオレター相手にだって、ぼくは時々気圧されるんです。あのひとは――ノアは――ノア・イェールは、すごい。だから――怖い。あのひとは、がっかり、するかな。ぼくが、こんな情けないこと言ってたら」
「しないよ」
ジェイクは穏やかに言った。
「がっかりしたりしない。すごい、ってことがわかるのも、すごい、ことなんだよ」
「そう――なのかな。――でも――それだけじゃない」
「あと――なにが怖い?」
「――ライドさんのこと」
アークは、ポツリと言った。
「いろいろ、聞きたい――知りたい――でも――怖い。あのひとが何を言うか――ぼくが何を言ってしまうか――わからない、から――」
「――怒っては、いないんだろ?」
「でも――悲しんでは、います。とても」
「じゃ、おまえとおんなじだな」
ジェイクはアークを抱く腕に、わずかに力をこめた。
「もしかしたら、ノア博士のほうも、怖がってるかもよ?」
「――あのひとが?」
「怖がってる、っつーか、緊張? 緊張は、してるんじゃねえのかなあ。だって、会うのはお互い、初めてなんだろ?」
「緊張――しますかね、あのひとが?」
「しないかな?」
「――するかもしれませんね」
アークはクスリと笑った。
「それはちょっと見ものだなあ。緊張する、ノア・イェール博士! ま、フラメンコを踊るフラミンゴと同程度には、ありふれた存在ですね」
「そうそう。あと、針の穴を通るラクダと同程度には、な」
「あ、ジェイク、あの経典読んだんですね」
「うん、読んだ。でもあれってさ、かーなーり、凄い本だよな、うん。いろんな意味で」
「コメントは差し控えます」
アークは一瞬生真面目な表情をつくり、すぐにクスクスと笑った。
「ま、あの本も、読んでいて共感できる点とできない点があるというところにおいては、他の本と同じですね」
「あー、そうだなー。いいこと書いてあるなー、と思って読んでたら、すんごい無茶なこと書いてあったりなー」
「具体例をあげるのは自粛しますけどね」
「アークってば、控えめだなー」
「ええ、自己防衛本能が強いんです」
二人はのどを鳴らすように笑いながら、ソファーの上でじゃれあった。
「なあ」
「はい?」
「ノア博士たちがうちに来たらさ」
「来たら?」
「うちに来てるあいだは、こんなふうにイチャイチャしたりできなくなるのかな?」
「んー、それは、確かにちょっと無理でしょうね、イチャイチャは」
「そっか」
「あ、ジェイク、がっかりしてる」
「そらするべー。アークはしねえの?」
「少し、します」
「少し、か?」
「少し、です」
「ほんとかー?」
「信じなさい」
二人は、ケラケラと他愛なく笑い転げた。
「アーク」
「はい?」
「しよ」
「だめです」
「なんで?」
「場所が悪い」
「じゃ、場所変えよ」
「まだ宵の口ですよ?」
「だって、あんまり遅くなると、明日起きられなくなるじゃん」
「どうしてそこで、『じゃあやめておこう』っていう発想がわいてこないんですか?」
「だって、したいから」
「うわ、単刀直入に言い切りましたね」
「アークは、したくないのか?」
「――そういうわけでもありませんが」
「じゃ、しよ」
「――」
アークは黙って笑みを浮かべた。
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