第5話
「――博士」
「なんですか?」
「この山全部を、本当に持っていくんですか?」
「ええ」
ノアはあっさりとうなずいた。
「頑張ってくださいね、ユーゴ君」
「――うう」
ユーゴ・ラリックは、恨めしげにうめいた。
「現地調達じゃいけないんですか?」
「それじゃ、おみやげになんないでしょうが。バカですねえ、キミは」
「はあ――ま、それじゃ、努力はしますけどね」
ユーゴは深いため息をついた。
「念のため言っておきますけど、えっらいこと運送費用がかさみますよ?」
「お金ならあります」
「――わかりました」
ユーゴは大きく肩をすくめた。
「ウェディング・ドレス、宇宙を行く。――SF作家さーん、このネタで、1本お願いしまーす!」
「ぼくはいったい、なにをしているんだろう――と、思うことがあります」
アークは、どこにもないものに瞳を据えてつぶやいた。傍らのジェイクは、わずかに身を起こした。
「なにを――って?」
「それは――うまく、言えませんけど。ぼくはなにをしているんだろう、なにがしたいんだろう、と、この頃よく考えます」
アークはゆっくりと息をついた。
「仕事がいやになった――とか、そういうことじゃありませんよ。そうじゃない。ただ――なんというか――」
アークは、軽く唇を噛んだ。
「ずれている――とでも、いうんでしょうか。もっと――もっとなにか、違うことができる――違うことがしたい――いえ、したい、というほどはっきりした感情じゃないかもしれませんが――なんと言ったらいいんでしょう」
アークは、隣のジェイクをほとんど見ずに話し続けた。だが、アークはやはり、ジェイクに向かって語りかけていたし、ジェイクも耳を傾けていた。
「ぼくは――ぼくはずっと、火星を地球のようにするために働いてきた。火星を第二の地球にする。それが目的だった。そう――ぼく自身、それを望んでいる――と、思ってきた。だけど――違う、ような気がするんです。火星のために働きたい。その気持ちは、今も変わっていません。でも――ふと、思ったんです。もし――もし、火星が本当に『第二の地球』になったら――」
アークは一瞬、声を詰まらせた。
「その時――その時になっても――ぼくは、まだ――ぼくは、まだ『人間』でいられるでしょうか?」
「アークは人間だよ」
ジェイクはきっぱりと言った。アークはかすかに微笑んだ。
「そう――ですね。そう――ぼくは、そんなことを――自分が『人間』かどうか、なんてことを、悩んだりはしなかった。――地球から、目を背けられるまでは」
「それが、地球なら」
ジェイクは真顔で言った。
「地球なんて、ろくなもんじゃねえな」
「ジェイク」
アークは苦笑した。
「自分の故郷でしょ」
「故郷だってなんだって、悪いもんは悪いんだよ」
「悪い――ですか。そう――ぼくにも、なんとなくわかりますよ。地球の人達だって、別に好きでやってるわけじゃない。――少なくとも、大抵の人はね。ぼくが『人間』かどうか、なんて、気にしない、というか、考えもしない人達もいます。このタイプは、二種類に大別できますね。ジェイクみたいに、ぼくが人間であることを疑いもしない、ぼくは人間であって当然だ、という人と、ぼくが人間かどうかなんて、別にどうでもいい――ぼくのことなんてどうでもいい、と、言い換えてもいいかもしれませんね――ぼくに対して完全に無関心な人。でも、そうじゃない――ぼくが『人間』かどうか、ということを気にする人達にとっては――ぼくが相手じゃ、居心地が悪いみたいですね」
「ふぅん」
ジェイクは、神妙にうなずいた。
「複雑だな」
「積極的にぼくのことを敵視してくる人もいます。これは、まあ、かえってわかりやすくていいですね。別に、敵視されてうれしい、ってわけじゃありませんけど。でも、まあ、なんというか――殴りあいをする気でいる相手に対しては、こちらも気兼ねなく攻撃ができますからね。でも――そう――ですね――」
アークは、わずかに眉間にしわを寄せた。
「嫌われるなら――まだ、わかるんです。でも――なんと言ったらいいんでしょう。火星と地球とでは、同時通信ができない。どうしても、通信には時間差が生じる。情報の伝達速度は、光速を超えることができませんからね。少なくとも、ぼく達が通常用いているような方法においては。つまりね、ジェイク、自分の感情をごまかしたり、取り繕ったりする方法も時間も、いくらでもあるんですよ。あちらが直接火星に来るか、ぼくらが地球に行くかして、お互い面と向かわない限りは。いくらだって、感情を隠せるはずなんです。――それなのに」
「それなのに?」
「地球の人達は――ぼくを相手にすると――ひどく――まごつく、というか、当惑する、というか、調子が狂う、というか――ああ、居心地が悪そうになる、って言えばいいのかな。とにかく――普通じゃ、なくなるんです。全員が全員、そうなるわけじゃありませんけど」
「なんでだろな? なんでそんなふうになるんだろうな?」
ジェイクは首をかしげた。
「これは、推測ですけど」
アークは、考え考え言った。
「たぶん――たぶんですよ――地球の人達は――どうすればいいのか、わからなくなってしまうんじゃないでしょうか?」
「えーっと……つーと?」
「ぼくは――外見的には、完全に『人間』です。しかし、ぼくのDNAは――遺伝的なものを基準とした場合、平均値からの逸脱をどのレベルまで認めるか、ということが、常に問題となりますね――まあとにかく、ぼくはDNA的に見れば『普通の人間』では、ない。ぼくは――人であって、人ではない。――地球の人達にとっては、そうなんですよ。火星は、ぼくを、『人』として認めてくれた。でも、地球はそうじゃない。ぼくがもっと――言いかたは悪いですけど、もっと化け物じみていたら、そうしたらかえって――もっと――なんと言えばいいのかな、もっと早くに、もっと騒ぎになっていて――良かれ悪しかれ、決着がついていたのかもしれませんね。でも、ぼくは――見た目は人間、中身は――」
「人間」
「――ありがとう、ジェイク。でもね――違うんですよ。ぼくは、『違う』。似てるけど、違う。違うのに、似てる。これはね――癇に障りますよ。ものすごく、癇に障る。――わかるんですよ。――ぼくも、そうだから。『だったから』って、言いたいところですけど――まだそこまでは、ふっきれていないみたいですから、ぼく」
「違う――っていったってさあ」
ジェイクは口をとがらせた。
「そんなこと言い出したらきりがねえじゃん。違う違うって言い出したら、完全な人間なんて、この世に一人もいなくなるぜ?」
「そうですね、まあ少なくとも、ぼくが、知能と感情、そして心を有していることを疑う人はいません。――いないと思います。でも、きっと――違和感、が、あるんでしょうね、たぶん。それに――そう」
アークは薄く笑った。
「ぼくを認めてしまったら――ぼくは、あらゆる意味で、『普通』じゃない。ぼくは、女性から生まれたんじゃない。人間から生まれたんじゃない。ぼくの遺伝子には、様々な操作が加えられている。ぼくは――ぼくは、『自然』じゃない。――火星では、そんなことは問題にならない。ぼくは、心を持っている。だから、人だ、って――違うけど、同じなんだ、って、認めてくれる。地球は――心だけじゃ、だめなんですね。火星の法律を作る時も、かなり苦労したみたいですよ。だから、ぼくを『人間』だって認めてしまったら――地球は、きっと、しっちゃかめっちゃかになっちゃうんでしょうね。――おかしなものですよね。こう言ってもいいのなら、火星は、地球よりはるかに多様性を認めている。だけど、本当に多様性があるのは、地球のほうなんです、圧倒的に。ぼくは――少なくともぼくは、生物ではあります。人工的に創られたものだとはいえ、ね。でも――『心』って、いったいなんでしょうね? 目には見えないし、数値化もできない。ぼくには、心がある。これは――このことは、ぼくを『人間』とは認めない人達も、認めてくれます。まあ、大抵の場合は。でも――じゃあ――」
アークは、熱っぽさの増す口調で続けた。
「もし、AIに、ロボットに、アンドロイドに、電子のプログラムに、『心』を感じてしまったら――その時――地球の人達は、いったいどうするんでしょう? 火星は、考えてますよ。火星は、考えてる。でも、地球は――」
アークは、ため息をついた。
「また――『見なかったこと』に、するんでしょうか――?」
「――考えたこと、なかったな」
ジェイクは、真剣な口調で言った。
「考えたこと、なかった。俺――そんなこと、あたりまえだと思ってた。だって――だって、心って、目に見えないからさ――あると思えばあるし、ないと思えばないんだよ。だから――心がある、って思う相手を大切にするのは、そんなの、もう、当然のことだろ? だからさ――なんて言えばいいのかな――うまく、言えねえけど――」
ジェイクは、もどかしげに口ごもった。
「同じだろうと、違ってようと、相手に心があるんなら――だったら、一方的にこっちの都合を押しつけるのって、それってすっげえ失礼なことだろ? だから、俺は――うん、だから、俺は、心がある、って思うやつは、自分には心があるんだ、っていうやつは、みんな――みんな、大切にされて当然だと思ってたんだ。だって、そうじゃなきゃおかしいだろ? この心は大切だけど、この心はどうでもいい、なんて、そんなのはおかしいだろ? そりゃ、さ――そりゃ、人間には、好き嫌いがあるから、どうしてもそういうふうになっちゃうけどさ。俺だって、赤の他人よりも、アークと自分のほうがずっと大切だしな。でもさ、法律なんて、それこそ人間じゃねえだろ? 好き嫌い、関係ねえだろ、法律には。だから、法律は、絶対に依怙贔屓しちゃいけねえんだよ。法律は、平等じゃなきゃいけねえんだよ。――なのに」
ジェイクは悄然と言った。
「地球の法律は、そうはなってねえんだな」
「いえ――そう、なっていたんですよ。地球の法律は『人間』を対象にしたものです。『人間』に対しては、限りなく平等です。――でも」
アークは、苦く笑った。
「ぼく達が――生まれてきてしまった。『人間』に、似てはいるけど――どうしても、違うもの、異質なもの。今まで、ずっと――『人間』とはなにか、なんて、考えなくてもよかった。人間だから人間なんだ。それがすべてだった。それを、改めて定義しなおす、ということはね――」
「――」
「完成した家の土台に、もう一つ石を詰め込むようなものです。そうするためには――最初から建て直すしか、ない。でも――そんな大変なことをやりたがる人なんて、いませんよ、なかなか」
「でも――建て直すしか、ないだろ」
ジェイクはきっぱりと言った。アークはうなずいた。
「ええ。だって、ぼく達は、生まれてきてしまったんだから。これからも、生まれ続けるんだから。それは――とめられない、と思いますよ、もう。だから――だから、今ぼくを無視しても、結局は同じことなのに。いつかは現実に横っ面を張り飛ばされるのに。ああ――だから、かな」
アークは薄く笑った。
「だから地球の人達は、ぼくを見ると居心地が悪くなるのかもしれないな。たまりにたまった宿題の山を、目の前につきつけられてるみたいな感じなんでしょうね、きっと。――目をつぶったって、それがなくなるわけでもないのに」
「なくならないよ」
ジェイクはうなずいた。
「だから、やるしか、ねえな」
「それをやるのは、ぼく達じゃありませんがね、ありがたいことに。だって」
アークは誇らしげに言った。
「ぼく達は、もう、宿題を終わらせてあるんだから。――あ」
アークの頬が、パッと紅潮した。
「そう――か。そうだ、そうなんだ。ぼく達は、もう――地球の前を歩いているんだ。そうか、じゃあ――」
アークは大きく目を見張ってつぶやいた。
「それじゃあ、ぼく達は――地球の後を追いかけてるんじゃ、ないんだ。追いかけなくても、いいんだ。そう、それに――それに、地球と同じ方向に進まなくても、いいんだ――」
「あったりまえじゃん」
ジェイクは明るく言った。
「火星と地球とまるっきり同じだったら、俺、そもそも火星に来たりしなかったよ。火星が地球と違うから、だから俺は、火星に来たの。んで、アークに会えた」
ジェイクは破顔した。
「よきかなよきかな」
「よきかなよきかな」
アークも笑みを浮かべた。
「ねえ、ジェイク」
「ん?」
「ぼく、わかりました」
「なにが?」
「ぼくは、火星を第二の地球にしたいんじゃない」
アークは、噛みしめるように言った。
「ぼくは、火星に――火星のままで、いて欲しいんだ」
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