第2話
「ぼくはねえ、おかしいんですよ」
アークは深々とため息をついた。
「好きな人にほど、からんで、ぼやいて、愚痴こぼして、ふくれて、不機嫌な顔見せて――」
「別に、おかしかねえよ」
ジェイクは、ニヤッと笑った。
「要するに、甘えてんだろ」
「……むぅ」
アークは、ふくれっ面でうなった。
「ぼく、甘えてますか?」
「うん」
「……よくないですね」
「いや、俺はうれしいよ?」
「……どうして?」
「かわいいから」
「……むぅ」
あっけらかんと言うジェイクをにらんで、アークは再びうなった。
「かわいいですかね、ぼく?」
「うん、かわいい」
「ぼく、もう」
アークは口をとがらせた。
「かわいい、っていう歳じゃ、ないですよ」
「えーっ、かわいいのに、歳なんて関係ないだろ?」
「えー? あると思いますけど?」
「えーっ、ないってないって」
「そうですか?」
「俺はそう思う」
「じゃあ聞きますけど」
アークは、チロリと上目づかいになった。
「ジェイクは、『かわいい』って言われたら、うれしいですか?」
「うん、うれしい」
「……そ、そうですか」
「アークは、うれしくないのか?」
「……かわいい、って言われると」
アークはもぐもぐとこたえた。
「子供だ、って言われたような気になります」
「え、ほんと? いや、違うから。俺、んなこと思ってねえよ」
「ええ、それはわかっているんですけど」
アークは苦笑した。
「つい、そう思ってしまうんです」
「ふーん」
ジェイクは、焦げ茶の瞳をしばたたいた。
「アークは、子供じゃあ、ねえよ」
「ええ」
アークは、少し満足げにうなずいた。ジェイクは、しげしげとアークを見つめた。
「でも、やっぱかわいいと思うけどなー」
「それなら」
アークはクスリと笑った。
「ジェイクになら、かわいい、って言われてもいいことにします」
「やりっ!」
ジェイクは、うれしそうに笑った。
「うれしいですか?」
「うん、うれしい」
「ふーん」
アークは、クスクスと笑った。
「ジェイクは、いつもご機嫌ですね」
「だって、憧れだった火星で、好きな相手と好きなことだけして暮らしてんだぜ。機嫌が悪くなるわけないじゃん」
「条件的には、ぼくもたいして変わらないはずなんですが」
アークは、少し考え込んだ。
「ぼくはしばしば不機嫌になりますね」
「そりゃおまえ、背負ってるものの重さが違うから」
ジェイクは即座にこたえた。
「え?」
アークは、ちょっといたずらっぽく眉をあげた。
「気がついていないんですか?」
「え?」
ジェイクはきょとんと首をかしげた。
「何が?」
「ぼくはいろいろなものを背負っているかもしれませんが」
アークはチラリと笑った。
「ジェイクはそのぼくを、丸ごと背負っているんですよ」
「え!?」
ジェイクは、パッと顔を輝かせた。
「ほんと!?」
「い、いや、ですか?」
アークは、ちょっとおどおどと言った。ジェイクはブンブンとかぶりをふった。
「やじゃない、やじゃない、んなわけない!」
「よかった」
アークは、ほっとしたように笑った。
「あのね」
「ん?」
「ぼく、ジェイクのことが、好きです。すごく好きです」
言った途端、アークは頬を赤らめて、はにかんだように笑った。
「すみません、唐突でしたね」
「いつでもオッケー。そういううれしいことはどんどん言って」
「ええ、それじゃあ、まあ、二人でいる時には、どんどん言うことにします」
「えー、二人でいる時だけ?」
「他人の惚気を聞かされて、喜ぶ人はいないと思います」
「いやー、案外いるんじゃねえの?」
「えー?」
アークは、おかしそうに笑った。
「そうですか? ま、ぼくは違いますけど。ジェイクはそうなんですか?」
「ん? ……んー、割と、そうかも」
「割と?」
「んー……けっこー、かも」
ジェイクはすっとぼけた顔でこたえた。アークはふきだした。
「のぞき、立ち聞きはいけませんよ?」
「しないしない。おおっぴらにやってるのを観察するだけだって」
「そういう時は、見て見ぬふりが礼儀です」
「でも、つい目がいっちゃうんだよなー」
「我慢です」
「我慢だ」
「見る者がなくて退屈なら」
アークは、ヒョイとウィンクした。
「ぼくの顔でも見ていてください」
「了解」
ジェイクは厳かにうなずいた。
「確かに、それよりいいもんはないもんな」
「そ……それはどうも」
アークは照れたようにうなずいた。ジェイクは小さく笑った。
「なあ」
「はい?」
「アイス、食べよっか」
「そうですね」
かくして二人の口は、しばし『マーズ・スペシャル』でふさがれることとなったのである。
「……あの」
「なに?」
「……します?」
「いいの?」
「……」
アークは無言でコクコクとうなずいた。ジェイクは手を伸ばして、アークの波打つ金髪をひっぱった。
「明日、仕事は?」
「ありますけど――でも、まあ、加減してくれれば。条件的には昨日と同じはずです。ただ、今日は、昨日ぐっすり眠って疲れが取れましたから、その……すぐ、できます」
アークは真面目な顔で言った。
「ん」
ジェイクは笑いながらアークのほうへと手を伸ばした。アークはあわててソファーの端に後ずさった。
「こ、ここではだめですよ!」
「えー、だめ?」
「だめです」
アークは顔をしかめた。
「どうしてこんなところでやろうとするんですか」
「たまには気分を変えようかと思って」
「汚れるじゃないですか、ソファーが」
「ふけばいいじゃん」
「……それでとれればいいんですが」
「洗う――のは、無理か」
「やってみます?」
「やめとく」
「賢明な判断です」
アークは、まだどこか疑わしげにジェイクを横目で見ながら立ちあがった。
「ぼくは、寝室以外の場所で、なんて、いやですからね」
「だめ?」
「だめです」
「それじゃ、ま、しょうがない」
ジェイクはあっさりと言い、そのまま立ちあがった。
「場所を変えよう」
「ええ、ぜひそうしてください」
「……ふーん」
ジェイクはアークを見上げ、うなり声とため息の中間のような声をあげた。
「どうかしましたか?」
「いやさあ、座ってると、俺とアークの目線って、割とちゃんとあうだろ? えーと、つまり、同じくらいの高さにあるだろ? なのに、立つと、こんだけ差がある、ってことは」
ジェイクは、ふぅっと吐息をもらした。
「俺達の身長差って、つまり要するに、まんま足の長さの差か」
「えーと……それはそうでしょう。内臓は、生命活動の維持に必要不可欠ですから、誰でも一定の大きさがあります。だから、胴体の長さには、そんなに個人差が出ないんですよ。差が出るのは、やはり、手足の長さですね」
アークはきょとんと言った。ジェイクは、しげしげとアークの手足を眺めた。
「ほっそー。なっがー」
「まあ……火星人なら誰だって、多かれ少なかれぼくみたいな体格になりますよ。確かにぼくは、その中でもかなりヒョロ長い部類に入りますけど」
アークは、チラッと自分の手足を見やった。
「もう少し運動したほうがいいのかな、ぼく?」
「いっしょに走ったりとか、する?」
「あの、言いにくいんですけど、ぼくとジェイクじゃ歩幅が違いすぎませんか?」
「その分俺が速く走る」
「ばてますよ」
「俺、スタミナならアークよりあるっていう自信がある」
「……ウォーキングにしませんか?」
アークは、ぼそぼそと言った。
「走るのは、苦手なんです」
「それでもいいよ」
「公園をまわったり、とか、どうでしょう?」
アークはほっとしたように言った。
「いろいろ行こうな」
ジェイクはにこにこと言った。
「そうですね」
アークも笑みを浮かべて言った。
「ジェイクって、割と新しもの好きですよね」
「ん? あー、そうかも。だって、新しいものがあると、試してみたくなるじゃん、なあ?」
ジェイクは意味ありげにアークの目をのぞきこんだ。アークは、激しく目をしばたたいた。
「普通が一番、ということも、世の中にはあります」
「えー?」
「あるんです」
アークは、ジロッとジェイクをにらんだ。
「新しいものを試すのはかまいませんが、ぼくを実験台にしようとは思わないでくださいね」
「実験台じゃねえよ。二人で楽しもうと思っただけ」
「何を、ですか?」
「言っちゃっていいの?」
「……すごくいやな予感がします」
アークはクシャッと顔をしかめた。
「その、新しいもの、というのは、知識ですか道具ですか?」
「両方」
「寝室に関係がありますか?」
「寝室じゃないといやだ、って、アーク言ったじゃん」
「……使うつもりですか?」
「いや?」
「……あの」
アークはため息をついた。
「どうしてそんなものを使おうと思うんですか?」
「好奇心」
「……はあ」
アークは、再びため息をついた。
「普通が一番、だと思うんですが、ぼくは。ああ、でも、それをいうと、ぼく達の関係自体、普通じゃない、というか、少数派なわけで――」
「ま、いやなら、やんない」
「……どうしてもいや、というわけではありません」
アークは、またもや嘆息した。
「ただ、なんとなく腑に落ちないだけです」
「なにが?」
「自分で使うんなら、まだわかるんですがね」
アークは、じとっとジェイクをにらんだ。
「どうしてぼくに使おうとするんです?」
「反応を見て楽しむ」
ジェイクは即答した。
「即答しましたね」
「だめ?」
「ま……いいですけどね、別に」
アークはあきらめたように言った。
「ジェイクにふりまわされるより、もっと、ずっと、ぼくはジェイクをふりまわしてますから」
「え、そう?」
「そうです」
アークはうなずいた。
「ぼくは、ジェイクには、ずいぶんとわがままですから。おかしいですよね。好きな相手ほど、自分のいやなところを見せてしまう、って」
「見せても大丈夫、って、信用してるんだろ」
ジェイクは事もなげに言った。アークは目を見開いた。
「あれ? ちがう?」
「いえ……その通りです」
「そうだろうそうだろう」
ジェイクは、機嫌よくうなずいた。
「よきかなよきかな」
「な、なんですか、それ?」
アークはプッとふきだした。
「誰かの真似ですか?」
「こないだ本で読んだ」
「何読んだんですか?」
「『タロット・カードの冒険』。『隠者(ハーミット)』のじいさんの口癖なんだよ」
「ふーん」
アークは面白そうにうなずいた。
「今度ぼくも読んでみようかな」
「あれ、面白いぜ」
「楽しみです」
アークは小さく笑い、ふとジェイクを見つめた。
「ところで……します、か?」
「します」
ジェイクは、強くうなずいた。
「……アーク」
「……はい?」
「……平気?」
「……ええ、まあ」
アークは、すねたように寝返りをうった。
「ああいう代物を見ると、人間の性(さが)は悪なり、とか言いたくなりますがね」
「あー、その……痛かった?」
「……別に」
「よかった?」
「……なんでそういうことを聞くんですか」
アークは、ポフッと枕に顔を埋めた。
「やっぱり、ジェイク、ぼくに対して怒ってません?」
「えー、ちがうちがう、ちがうって。だってまだ感想聞いてねえもん、俺」
「だから、どうしてそういうことを聞きたがるんですか」
「聞かなきゃわかんないから」
「……なるほど」
アークは枕に顔を埋めたまま、くぐもった声でこたえた。
「……積極的に使う気にはなれませんが、ジェイクが使いたいのなら使ってもかまいません。たまになら」
「たまに?」
「たまに、です」
「あんまりよくなかった?」
「自分で使ってみたらどうですか?」
「なるほど」
ジェイクが真面目にこたえるのを聞いて、アークはあわてて顔をあげた。
「あの、ちょっと、ほ、本気ですか?」
「『百聞は一見にしかず、百見は一触にしかず』っていうだろ」
「……ぼくは手を貸しませんからね」
「大丈夫。一人でできるから」
「……はあ」
アークは再び枕に顔を埋めた。
「もー、どうしてそういう変なことをやりたがるんですか」
「好奇心」
「好奇心は猫をも殺しますよ」
「俺は猫じゃないから大丈夫」
「屁理屈ですね」
「わかってる」
「もー」
アークは、あきれながらもおかしそうに笑った。
「かなわないなあ、ジェイクには」
「そーかー?」
ジェイクは、アークの蜂蜜色の髪をクルクルと指に巻きつけた。
「俺って、変?」
「変、と、いうか――ジェイクはいつもぼくの予想を裏切ります」
「んー、そうかー?」
「そうですよ」
「恋愛には、意外性が大事なんだそうだ」
ジェイクは真面目な顔で言った。アークは、コロコロと笑った。
「意外性、ですか?」
「うん、意外性」
「なるほど」
「俺から見るとさ」
ジェイクは、頬と頬とが触れあいそうなほどにアークに顔を近づけた。
「アークは、意外性のかたまり」
「えー、そうですか?」
「うん。常に俺の予想の上を行く」
「ふーん?」
アークは首をひねった。
「そうですか?」
「うん、そう」
「それなら、よかった」
アークは、少し笑った。
「ぼくは……何が一番嫌いといって、ひとの期待を裏切るほど嫌いなことはありませんから」
「えー?」
ジェイクは目を丸くした。
「いつアークがそんなことしたよ?」
「しょっちゅうですよ」
「うっそだあ」
「うそじゃ、ありませんよ」
アークは、疲れたようにため息をついた。
「ぼくは……学べば学ぶほど、仕事をすればするほど、いかにぼくの力、ぼくの才能が、ちっぽけで取るに足りないものなのかをどんどん思い知らされる。なんだか……空を求めて、深い穴を掘っているような気になる。見上げると、空はとても綺麗で、どんどん高くなっていって――だけど、どんどん遠くなる。ぼくは、空を飛んでいるんじゃない。空を見ているだけ――見ることができるだけなんです。だけど、みんなは、ぼくが空を飛べると思っている。ぼくも――あのひとのように、空が飛べると思っている。――ちがうのに。そうじゃ、ないのに。――あのね、ジェイク」
アークは、重く、寂しげに笑った。
「ぼくはね――天才じゃ、ないんですよ。どう頑張っても、あのひとには勝てない。それはね――それは、いいんですよ。それは仕方がない。ぼくとあのひととは、別の人間なんだから。ぼくはあのひとに嫉妬しているわけじゃない――それとも、しているのかな――ねえ、ジェイク」
アークは、すすり泣くように息を吸い込んだ。
「ぼくは天才じゃないのに、みんなはぼくを天才だと思っている。期待しているんですよ――ぼくに。だから、ぼくは――だけど、ぼくは――」
「……」
「いつも裏切っている」
「――アークは」
ジェイクは、そっと、アークの細い体を抱いた。
「一度も、俺を裏切ったこと、ねえよ」
「でも――期待にこたえられていますか? いない、でしょう?」
「そんなことない」
「――どうして愚痴になっちゃったんでしょうね」
アークは力なく苦笑した。
「どうしてぼくは、自分の感情を抑えきれないんでしょうか?」
「――他でずっと抑えてるからだろ」
「――え?」
「今までずっと抑えてきたからだろ」
「え――」
アークは、どこか怯えたように身じろぎをした。
「ジェイク、それ、どういう――」
「俺さ――俺、いろんなひとからおまえの話聞いたし、ネットや新聞や雑誌に載ったおまえの記事も、いろいろ読んだ。でさ――誰に話聞いても、どんな記事読んでも、一つもないんだよ。アークのことを、わがままだとか、感情的だとか書いた記事。どんなにアークのことを悪く言ったり書いたりしようとしても、それはできねえの。だって、アークは、そんなところを他人に見せないから」
「それ、は――それしか、できなかったからですよ」
アークは、泣き出しそうな声で言った。
「どんなに努力しても、あのひとと同じ土俵で戦ったら、ぼくは負けるんです。絶対に負けるんです。だから、あとは、もう――なんでもいいから、他で勝つしか――品行方正、という評判なら、努力で勝ち取ることができましたからね。――かろうじて」
「偉いな」
ジェイクは、素直に賞賛した。アークは身を縮めた。
「偉く、ありません。全然偉くありません。いくら外面がよくても、身内に当たり散らしていたらだいなしじゃないですか」
「俺、身内?」
ジェイクは、うれしそうにたずねた。
「の、つもりですけど」
アークは、少し照れながらこたえた。
「よきかなよきかな」
「何がいいんですか?」
「あのな、アーク」
ジェイクは、コツン、とアークと額をあわせた。
「身内には、甘えていいの。だって身内なんだから」
「でも――」
「お互い様じゃん、そんなの」
「ジェイクがぼくに甘えたことって、あります?」
「えー、あるじゃん。たとえば今日とか」
「今日――?」
アークは、きょとんと考え込み、ややあって真っ赤になった。
「あっ――さっきのあれって、ぼくに甘えてたんですか!?」
「うん、そう」
ジェイクは、ケロリとこたえた。
「ご好意に、甘えました」
「――うぅ」
アークはうめいた。
「とんでもない甘えかたをしてくれますね、まったく」
「納得した?」
「ま、一応」
「つまりそういうこと」
「はあ、そういうことですか」
アークは、クスリと笑った。
「なるほど、お互い様かもしれませんね」
「だろ?」
「でも、今日はもうだめですよ」
「だめ?」
「明日も仕事ですから」
「そっか」
ジェイクは、クシャリとアークの髪をかきまわした。
「じゃ、もう、寝よっか」
「ええ――そうですね。おやすみなさい」
「ん。おやすみ」
そして。
時と闇は、ゆるやかにからみあう。
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