百合の花で、サヨウナラ
桃月ユイ
百合の花で、サヨウナラ
「……え、付き合うの?」
「うん、そのつもり」
私の質問に、何事もないように返事をする彼女。不思議そうに首をかしげる彼女の姿が、私の異質さを際立たせているような気がした。
「どうしたの、鈴香? あ、もしかして驚いてる?」
「え、ああ……うん。かなり、驚いた」
私は上手く笑えているだろうか。目の前の彼女に、違和感を与えていないだろうか。不安だけが、私の中に募る。
「めぐ、そういうのあんまり興味ないかと思ってた」
「そう? 私だって、女の子だよ? そういう経験はしたいと思うじゃん」
彼女が私から離れてしまう。物理的距離は変化しないのに、そうじゃないものが大きく変わっていくのを感じてしまった。私の中の不安は、彼女に伝わっていないだろうか。私は、大丈夫だろうか。
「鈴香、ショック受けすぎじゃない?」
「え?」
「私が先に彼ができたからって、そんな顔しないでよ」
彼女が私の頬に、そっと触れる。きっと彼女にとっては何気ない動作なのだろうけれど、私にとっては大きな意味を持つ動作になる。
「大丈夫。私たちは、友達だからさ」
縛られる。優しさを持つ彼女の、その言葉に。
私たちは“友達”だから
その言葉に、どれほどの意味があるのかを、彼女は、知らない。
私とめぐ――恵実は生まれて間もない時からずっと一緒にいる、幼馴染で、親友で、かけがえのない存在だった。けれどいつからか、私と彼女の中にある感情にズレが生じてきていた。
私は、めぐが好き。
それはきっと、友情から逸脱した感情であり、めぐが私に抱いている感情とは全く異なるものである。逸脱した感情を修正しなければいけないことは解っているのに、私には、できなかった。私は、めぐが好きだから。
だから、めぐに彼氏ができたと聞いたとき、私は不安になった。
きっと彼女の心から、私の存在が消えてしまう。彼女の一番は、彼になってしまう。彼が、私から大切なものを――めぐを奪うのだ。
「それでね、昨日、そんなこと言って……鈴香?」
「え? あ、えっと、何だっけ?」
「もう。鈴香、ぼーっとしすぎだよ」
彼女の話が、――彼女がする、彼の話が、耳に入らなかった。耳が拒んでいた、と言う方が正しいのかもしれない。聞きたくない、と本能が音を拒絶していた。
「鈴香は、彼氏とか興味ないの? 理想とかさあ」
「ううん、全然」
興味なんてない。他の誰かなんていらない。ただ、私には、めぐさえいてくれれば。
「そっか。でも、もし鈴香に好きな人ができたら教えてね。私が応援してあげるから」
彼女の笑顔に、胸が痛くなる。私の好きな人は、目の前にいるよ、なんて言えないまま、私は笑顔を作る。
「じゃあ、私はめぐの恋を応援するよ」
私は、精一杯の嘘の言葉を吐き出した。
本当は私のそばにいてほしい。本当は私と二人でいてほしい。本当は私以外の誰かの隣にいてほしくない。けれど、めぐの幸せは――彼の隣にいることだから。
「別れたんだ」
ある日の帰り道、めぐは、唐突にそう言った。
「……別れた?」
「うん」
私の聞き返しに、めぐはすぐに頷いた。一見すると平気そうな顔をしているようだけれど、私にはわかる。めぐは、傷ついている。
「彼からね、別れようって言われたんだ。もう、私のこと、好きじゃないんだって」
「……そんな」
「いいんだ。私、彼に釣り合ってなかったから」
笑うめぐ。声も普通に聞こえるのに、全然そんなことない。
「付き合ってた時は、幸せだったの。すごいよね、あんな幸せくれる人なんて、そういないよ?」
めぐは、優しい人だ。自分を捨てた相手にすら、そんな優しい言葉をかけることができるほど、優しい。
「めぐ」
私が呼ぶと、いつものように「ん?」と返事をして首をかしげた。やめてほしい、平然を装うのは。
「泣いていいよ」
私が言うと、めぐは大きく目を開いた。
「鈴香? どうしたの、急に」
「めぐ、もういいよ。私の前で、そんな顔しなくてもいい」
めぐはいつも、自分が一番泣きたいときに泣かないで、一生懸命我慢している。どんなに泣きたくても、「私よりも泣きたい人がいるから」って言って、ぐっと涙をこらえていた。泣くときは、誰にも見られないような部屋の隅とか、そんな場所で。
「……本当に、鈴香は私のこと、よくわかってるね」
めぐが笑顔を作って目を細めた途端、めぐの目尻からぽろぽろと涙がこぼれはじめた。それをきっかけに、めぐは大きな声を上げて、泣き始めた。
「好きだったのに! 私、ずっと一緒に居たいって思うほど、好きだったのに!!」
「そう……だよね」
めぐの肩に触れようとした手が、止まる。
「だって、楽しかったもん! 一緒にいて、楽しくて、幸せで、ずっとこのままが良いって思ってたのに!!」
両手で顔を覆って泣きながら叫ぶめぐ。私はここで、彼女に優しい言葉を、励ますような言葉をかけなければいけないのに。
「彼と一緒じゃないなら、もう、死んでもいい!!」
――胸の奥底、何かの砕けるような音が、聞こえた。
「……なら、死んじゃおうか」
誰かの言葉に、めぐが顔を上げた。めぐの目は真っ赤に腫れて、頬は涙でぐっしょりと濡れていた。泣き腫らした顔って、きっとこんな顔のことを言うんだろう。
「……鈴香?」
嗚咽交じりの声が、私の名前を呼ぶ。どうして私の顔を、そんな驚いた表情で見ているのか、私にはわからない。
「めぐが生きたくないなら、生きなくてもいいよ。だって、彼はめぐをみてくれないんでしょ?」
そうだ、これは誰かの言葉じゃない。――私の言葉だ。
「鈴香、何、言って」
「だって、私、めぐが苦しい姿、見たくないもん」
違う。
これは、私が楽になりたいだけの提案。
めぐが苦しい姿を見て、苦しくなる自分から逃げたいだけの提案。
だって、どうあがいても、めぐは
――私を見てくれないじゃないか。
「……大丈夫だよ、めぐ」
私は、めぐの手を取った。涙で濡れている手は冷え切っていた。
「めぐを一人になんかしない。私がそばにいるよ」
「……鈴香」
また、めぐの目から涙が落ちた。けれど、めぐは、笑っていた。
部屋に、百合の花を置く。
貯金を全部使って買った白い花は、校舎の片隅の古びた倉庫に新しい色を与えているようだった。いや、むしろその古い色を消しているのかもしれない。どちらにしろ、関係のないことだけれど。
「ねえ、これで本当にできるのかな」
ぽつり、と仰向けになって寝転がっているめぐが呟く。
「わかんない。でも、だめだったら、その時はその時かな」
「……そっか」
私の答えに満足したのか、めぐはにこりと目を細めた。やっぱり、めぐは可愛くて、綺麗だ。
「ねえ、鈴香」
「何?」
「私、鈴香のこと、好きだよ」
「……うん」
めぐの言う「好き」は、私の求めているものとは全く違う。でも、めぐが私を「好き」だと思ってくれている感情は、大切にしたいと思う。だから、
「私も、めぐのことが、好きだよ」
「うん、ありがとう鈴香」
声が、弱々しくなる。そろそろ、睡眠薬が効く頃なのだろうか。
「おやすみなさい」
めぐの小さな声が、部屋に響く。おやすみ、と返すよりもめぐの寝息が立つ方が早かった。静かに寝息を立てるめぐは一体、どんな夢を見ているのだろうか。
「……ねえ、めぐ」
ずっと、言えなかったことがあるの。
「私ね」
胸に秘めていた思いを、今、伝えるね。
「めぐのことが、好きなの」
眠るめぐの手をそっと取って、自分の手と絡める。冷たい手、小さな手、綺麗な手。
「でもね、ここに居たらきっと、私の気持ちは許されないの」
めぐが好き。でも、この感情はきっとめぐには伝わらない。きっとこの世界では、
「めぐ」
名前を呼んでも、返事はない。当たり前の反応なのに、少しだけ、悲しく思う。
「好きだよ」
無防備なその唇に、自分の唇を重ねる。寝息が頬に触れて、柔らかな唇の感触が心地いいと感じた。
めぐの吐息、めぐの唇、めぐの体温、今は全部、私が独り占めできる。
「好き」
だから、
「私たちが結ばれない世界なら」
めぐの頬に、雫が落ちる。
「こっちから、お別れしてあげる」
めぐの首、めぐの呼吸、めぐの命。今は全部、私が独り占めできる。
初めて聞く、砕ける音は、部屋の中に静かに響いた。
「……めぐ、すぐに行くね」
せっかく白く綺麗になった部屋が、今度は赤くなるのかもしれない。汚れてしまうのかもしれない。どちらにしろ関係のないことだけれど。
痛みは、一瞬だけだった。
校舎の隅にある古い倉庫から見つかったのは、二人の女子生徒の遺体だった。
一人は首を何者かに絞められた痕が、もう一人は首を自ら切った痕があった。
部屋にはおびただしいほどの数の、白い百合の花が、咲いていた。
その、異様な光景の中、
少女たちは手を繋ぎ合って息絶えていた。
百合の花で、サヨウナラ 桃月ユイ @pirch_yui
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