縋れば、背く 13

 二十四時間営業のファミリーレストランは、夜遅くにもなると遊びに疲れた学生や話し込んでいる仲のよい者同士、何らかの作業に集中したい者などでそれなりの賑わいを見せるものだ。

 仕事を終えたカン君たちが利用した店でも同じことで、遠くの席に座っている学生たちの笑い声がこちらまで響いてきていた。

 筑紫がドリンクバーでミックスジュース遊びをしている中、カン君は答えがこないと分かりつつも呟いた。


「……結局、あの人は何者なんですか」


 先に一人で帰ってしまった人形師、日向のことを思う。

 隣に座るナギはまず聞こえないし、正面の筑紫はみっくちゅじゅーちゅで、アヤメは「どうせ本人もよく分かってねぇだろ」と鼻を鳴らし、安賀多は「僕にも詳しくはねぇ」と苦笑する。要するに誰にも分からないことで、誰もが特に気にもしていないのだった。

 それでもカン君は思い返してしまう。

 彼に刺された何かが、こめかみにまだ残っている気がする。

 相手の無念を知らないままで除霊可能になるスイッチは、安賀多や筑紫に『視て』もらっても何もないとのことだった。特に『視る』ことに特化した安賀多ですらそれなのだから、実際に痕跡はないのだろう。


 それでもにぶい事実が横たわっていた。

 自身の矜持――相手を助けるための憑依除霊という名目が、不必要になってしまう。無論カン君が使わなければそれで済むことではあるが、より便利な手法がいつでも使えるという余裕が生まれてしまう。人形に憑くことと同じ怠惰の萌芽――それよりもっと巨大な危機感が、背筋をなぞるのだった。


 ――だけど、助けられたのもまた事実、か。


 あれが無ければ、膨れあがった人形師の無念は判明させられなかっただろう。


「日向さんは、どこまで分かってたんでしょうか」


 彼が事件解決に身を乗り出すことも、あるいは予想通りだったのかもしれない。そう思えてしまうほど、すべてが滞りなく進んだ事件だった。

 結果として彼が事件と関わっていないことは分かったが、それが一層彼の言動を不可思議に仕立て上げる。

 カン君が悶々としていると、アヤメがグラスを空にしてから睨んでくる。


「さっきから日向日向ってよ、やけに拘るんじゃねぇのか?」

「まぁ、気にしてるのはずっと前からだったんですが……今回でさらに不思議だなぁと」

「そういえば日向さんって何者なの?」


 無邪気にナギが聞いて、場の流れを止める。


「いまカン坊とそれを話してんだよっ!」

「ありゃ、ごめん……で、アヤメさんは日向さんのこと、どう?」


 アヤメはドリンクバーを取りに行った。


「へへ、そう簡単には負けないんんだから」


 誇らしげにするナギだった。


「それでさ、カン君。全然見えなかったけど……人形事件は終わりなんだよね? 結局どういう話だったの?」


 決戦の行われた砂浜からここへの道程で、それを伝えようとしたところ日向は帰るし筑紫は再び寝ぼけ眼になるしで先延ばしにされた話題だ。休息を取った筑紫は元気だし、腰を落ち着けた今が、春日という人形師の悲劇を伝えるのに最適だろう。

 かといって、ナギに筆記で伝えるには長い話だ。

 カン君はテーブルに備え付けられたナプキンと一枚、ナギの前へと移動させる。

 それで理解したナギはペンを取り出してから、ナプキンを手で押さえた。


『ナギさんは あとでゆっくり』

「あら、やらしい」

『だまって』

「はい」


 ナギがドリンクバーと取りにゆくのと入れ替わりにアヤメが戻ってくる。

 ちょうどいい合図となった。

 カン君は、人形たちを動かした悪霊について語り始める。


「悪霊は、春日さんという人形師の方でした。日向さんの名前を知っていましたから、もしかしたら同業者だったのかもしれません」


 安賀多を見れば、彼は少し考えてから「いや」と挟む。


「知らない名前だな。おそらく、日向さんの表の顔しか知らないんじゃないのかな?」


 安賀多の元に名前が届いていないのならば一般人だと見て間違いないだろう。

 頷いてから続ける。


「春日さんの工場は倒産寸前だったみたいで、それでタチの悪い儀式のようなものに手を出してしまったようです。ところが呼び出したモノに殺されてしまった。しかも、そいつの誘導で制作物の人形に恨みをすりつけてしまったようです」


 先に要点だけ、掻い摘んで話す。


「なるほどねぇ、分霊わけみたまみたいなもんか。一人分の恨みが人形ぜんぶに憑いんなら、そりゃ集まればあそこまででかくなるわな」


 大量にコピー&ペーストしたものを一箇所に纏める作業。

 実際に相手をしたアヤメならではの感想だった。

 しかし、カン君が問題としたいのはそこではない。

 二つの不明点が、場合によっては次の仕事に直結するかもしれないのだから。

 あえて一拍を置いて、全員を見回す。それから告げた。


「この儀式というのは、霊能者が一般人を嵌めるために教えたもののようです。そして、おそらく呼び出されたモノは、怪異です」


 暗に告げた内容が、一同に不快感を与えた。


「……しょうもねぇことするヤツがいたもんだな」

「でも、呪い屋とかもいるもんね……」

「そういう輩には目を光らせていたつもりだったが……」


 ここに集ったような、あるいは安賀多と繋がりを持つような霊能者たちは、みな悪霊や怪異の脅威と立ち向かうために活動している。しかし同時に、霊障を誘導することで生者の恨みを晴らして金を毟るような悪徳業者も、また存在するのだった。

 おそらくそういった何者かが暗躍したのだろう。


「それで、怪異と言ったね? カン君、特徴は分かっているのかい?」

「かなり人間に近い形でした。綺麗な女性で『トグサ』と呼ばれているようです」


 他の特徴を伝えようとしたカン君だったが、続けることができなかった。

 それまでにない緊張が、場を支配したのだ。

 安賀多は額から汗を滲ませ、アヤメは目を見開き、筑紫は――少女は、ふるふると体を抱えて震え始めた。


「ど、どうしたんですか!? 筑紫さま、大丈夫ですか!?」

「なに、なんなの? みんな、どうしちゃったの!?」


 その言葉に含有されるあらゆる意味を知らぬカン君と、彼の無防備な一言を知覚できないナギが、取り残されてしまう。


「……カン君、すまないが帰らせてもらう。車は使ってくれて構わない、明日にでも返してくれ。僕は仲間たちに警告しないと」

「警告って、そんなに危険な……いえ、知っているんですか? その『トグサ』という怪異を」

「知らねぇ方がモグリだ……ていうか、カン坊。オマエが知らないっていうのは……いや、オマエだから知らないのか」

「アヤメさんも知ってるんですか? いったい何なんですか、それは」

「安賀多さん帰るの? どうしたのよ、カン君は何を喋ったの?」


 突如として慌ただしくなるも、誰も肝心の言葉については語ろうとしなかった。

 安賀多は数千円をテーブルに置き、青白い顔をしたまま踵を帰してしまった。

 それを見送るべきか否か慌てるナギと、爪をかみ始めるアヤメ。

 そして、筑紫は、震えたまま呟いた。


「……カン君。その話は、やめよう?」


 涙を溜めた大きな瞳が、見つめてくる。

 明らかに怯えていた。

 安賀多のものともアヤメのものとも違う、もっと根源的な、内から湧き上がる恐れに震えている。

 従者であるカン君は、筑紫の怯えが特別な意味を持つものだと瞬時に理解した。

 同時に、思い出されることがある。

 筑紫に母親の話題は禁忌である。

 二つの事柄を関連づけてしまえば、答えは早い。

 迫る危機への対処が半分、ひたむきに隠された事情への肉薄が半分、カン君はつい問うてしまう。


「筑紫さま……その方は、もしや……」


 全てを言ってしまうのが憚られた。

 筑紫は震えたままで、俯く。

 か細い声。


「カン君も、それを聞くの?」


 ――カン君「も」、と。


 他にも筑紫と『トグサ』なる存在の関連について調べる者がいたのだろう。

 きっと彼女はその度に、こうして震えて、それでも答えていたのだろう。

 だから「カン君も」と、従者ですら聞くのかと寂しく問うたのだろう。

 ならば従者は、主人のためにあるカン君はどう答えればいいだろう?


 ――出過ぎた真似をしてしまった。


 人形師は、知人に裏切られた恨みを無念に思った。

 あるいは人形怪談は、得てして人間の都合に振り回されるものである。

 自分は、主人をどうしたい。

 裏切りたいのか、振り回したいのか。

 隣に置いてくれた人を、三年前に救ってくれた人を。


 答える。

 今にも決壊してしまいそうな涙を止めるために。


「……聞きません」


 そして、右手を差し出す。


「……喉、乾きませんか? よければ一緒に、飲み物でも取りに行きましょう」

「……うん。ありがと。ちゃんと、筑紫から話すからね」


 涙を拭った右手が返される。

 周囲の目など、今は気にならなかった。

 目に見えない何者かと手を繋ぎ会話する電波少女だと、そう呼びたければ呼ぶがいい。

 それでも必ず隣にいよう、そう決めたカン君だった。


   ◆


 暗い部屋だった。

 蝋燭の踊るのみが光源で、それを反射する数々の玉がある。

 人形の瞳だ。

 照らされた人形たちは、世界各国のものが揃っていた。

 多種多様の人形たちが見つめる先は、部屋の中央である。

 古めかしい木製のテーブルに肘を預け、チェアに座っている男。

 日向だった。


「――針が交わるには、まだ早いはずだ」


 チェス盤に、指を伸ばしてカタリと。


「――焦燥か、偵察か……いや、お前の場合は酔狂か」


 すると、対戦者のチェアが血を滴らせてビチャリと。


「相変わらず失礼なのね、私の頼もしくて退屈な先輩さん」


 真っ赤な女が悠然と、駒を進めてまたカタリと。


「――笑えない冗談だ。私を笑わせるために来たなら失敗だな」

「あら、それもよかったわね。でも違うの、ごめんなさいね」


 日向の受けた駒はナイツ、防御の形でまたコトリと。


「――聞いたところで答えぬだろうが、あえて聞こう」

「答えても動かないでしょうけれど、あえて答えるわ」


 彼女の駒はビショップ、切り込むためにカタリと。


「仲間たちが騒がしいでしょう? あれ、私のせいよ。これからもっと増えるわ、怪異と呼ばれるあの子たちがね」


 ゲームはまだ、始まったばかりだった。

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死人が口を開いてもいい 仮巣恵司 @N_charis

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