『奪うもの』
世の中は、大抵がうまく回らないようにできているものだ。
たまたま雑誌に取り上げられて人気が出たときは、バブル景気ということもあって私の人形は飛ぶように売れた。
安価なわりに質がいいとか、可愛らしさと怖さが同居しているとか、人形師としての自尊心を心地よく撫でられたものだった。
当時は春日ブランドといえば人形を指すほどにまで売れたのだから私も天狗になっていた。
調子にのって工場と一軒家を買ってしまったのも、仕方のないことだったと思う。
愛する妻子も喜んでくれたのだから。
しかし、国民全てが銭に浮かれた地獄のような時代がパチンと弾けてしまったのだ。
それまで馬鹿騒ぎをしていた連中は揃って目が覚めてしまって、私の人形のような娯楽品は見向きもされなくなった。
いいや、やめよう。彼らを馬鹿にしても変わらない。馬鹿だったのは私なのだ。
それまでに築いてきた販路やコネを使って、なんとか赤字経営だけは避けるように調整した。
贅沢ばかりしていた生活も改めた。
娘は不満だったようだが、妻は理解してくれて銀行に再就職してくれた。
苦労続きではあったが、あの頃が一番幸せだったのかもしれない。
もう月末の資金繰りに耐えられなくなって破産手続きを真剣に考え出したころ、古い友人が会いに来た。
こういうときに美味い話を持ってくる奴など信用できないと思ったが、ひとまず話だけは聞いてみよう、怪しければ断ればいいと考えた。
彼の話では、本物の霊能力者を知っているとのことだった。
怪しい宗教には興味ないと帰ってもらおうとしたところ、祈祷料などは成功してからの後払いでいい、と彼は焦った。
その儀式を教えてもらうには条件があった。
霊能力者いわく、悪魔との契約のようなことをしてほしいらしい。
儀式はまだ実験例が足りないから、何が起こってどうなったのか逐一報告してほしいとのことだった。
そして成功した暁には、気持ちだけ払ってくれればいいと。
新薬の被験者になるようなものか、と私は納得した。
いかにも怪しげな話ではあるが、どうせこのままだと全て売り払うことになる。
私は儀式を教わることにした。
1,必要なものは「生娘の髪束」「注連縄」「刃物」「実行者の血」「無関係な者の爪」、そして真摯に願う心である。
2,用意した刃物を使って生娘から髪束を採り、同じように神社で実際に使われている注連縄を切り取る。
3,注連縄を藁にほどき、生娘の髪と縒る。
4,これを円形にし、新月の夜に交差点の中心へ置く。
5,円形の中へ無関係な者の爪をばらまき、最後に実行者の血を垂らす。このとき使う刃物は用意したものと別である。
6,願いを三度、口に出す。終えたらすぐに帰ること。
7,それは日の出前の薄明に現れる。
8,災厄が訪れるのと引き替えに、願いが叶う。
以上をメモに書いた友人は、渡すのと一緒にこう付け加えた。
これでトグサが来るはずだ。
それはなんだ、と聞いても彼は黙って首を振るだけだった。
どうやら失言だったらしい。
だが深く追求することもあるまい。
どうせ出会うらしいのだから。
生娘の髪束は、娘のものを使うわけにもいかず、仕方なく不審者の真似事をして手に入れた。
なるべく変装したつもりだったが、町内はしばらく警察が張り込んで慌ただしくなった。
注連縄は、こちらも適当な場所から切り取ってきた。
妻子が眠ってからこれらを縒って、小さな円形に仕立てた。
あとは別の刃物を用意して、カレンダーで新月の日を確認し、実行した。
儀式の「6」によれば、すぐに帰れとの指示だった。
しかし自宅に帰れとは言われていない。私は夜の工場で、それが現れるのを待った。
事務室で眠気と戦っていると、廊下から足音が響いてくる。
遂に来たのだ。私は廊下へ出る。
いったい何者が現れるのか、と唾を飲み込んだ。
しかしというべきか、現れたのは美しい女性だった。
真っ赤なドレスと、同じ色の大きな鍔を持つハット。
女性の肉を強調する体つきは妖艶で、長く伸びた髪もまた艶やかだった。
官能的な笑みを浮かべる彼女は、廊下で待つ私に手を振った。
その仕草が緩やかで、また色っぽい。
非常灯の緑が照らす無機質な廊下で、彼女はあまりに浮いていた。
彼女の指が、指揮棒を振るように軽く動く。
肩が突然軽くなり、私の左腕が千切れていたことに気付いた。
どす黒い血が――出ていない。
マネキン人形のパーツが外れてしまったかのように、あっけなかった。
もはや私のものではない腕は、ころころと転がって彼女のもとへ。
拾われて、食べられた。
顎が外れたかのように大きく開いて、腕が飲み込まれてゆく。
そこから先は、よく覚えていない。
工場を逃げ回って、耳が取れた。
建物の出口を開け、脚が取れた。
敷地の外へ跳ねて、鼻が取れた。
気付けば家にいて、脚が取れた。
廊下を這い蹲って、腕が取れた。
江戸川乱歩の芋虫を思い出す。
だけど、彼のように負傷したのではない。
血も膿も出ずに、ただ取られて食べられるだけだ。
助けてくれ、という悲鳴が出ない。
気付けば喉も、奪われていたのか。
そこへ彼女が来る。
居間への扉を背中にして、彼女はふくよかな笑みをした。
「ねぇ、あなた」
しっとりとした声だった。
「どうして私を呼ぼうとしたの?」
そんなことを聞かれたって、もう願いは伝えたはずだ。
そう心の中で伝えると、彼女は幼子の我が儘に困惑する母のように。
「でも、私は都合の良い願望機じゃないわよ?」
どういうことだ。
「どうと言われても、ねぇ? 人違いじゃないかしら?」
話が違うぞ。
だったら、どうして私をこんな目に。
「私はそういうモノだから」
私を喰ったのなら、願いを聞き届けてくれよ。
「もう、そういうのじゃないって言ったのに」
何のために、ここまでしたと思ってるんだ。
この嘘つきめ。
「嘘をついたのは私じゃないわ」
そうか、あいつらか。
実験のために、私を利用したんだな。
「可哀想に。そうだ、だったら願いを叶えてあげる」
本当か。
そうこなくっちゃ。
「特別よ? ええと、あなたの願いは……」
もう一度、私の人形が世に出回ってほしい。
抜群の知名度で、誰もが欲しがるように。
「そう、それよ。でもね、どうしてあなたの人形は売れなくなったの?」
それは。
流行が私から離れていったからだ。
「違うでしょ? それじゃあ、日向伝九郎は知っていて?」
ああ、知っている。
彼の作品はいつでもプレミアだ。
いつだって、そう、いつだって。
「そう、流行なんて関係ない。あなたの人形は面白くないの」
「じゃあ、彼の作品にあってあなたの作品にないものって?」
「簡単なことよ。魂が込められていないのよ。それが原因よ」
「どうやって魂を込めるかなんて、難しい問題なのかしら?」
「簡単なことよ。あなたが一番強く思っていることはなに?」
「ほら、見て? 居間に服があるでしょ? あれは誰かしら」
「奥さんと娘さんよね? ふふふ、もう全部食べちゃったわ」
「どうしてこんなことに? ああ、私のせいじゃないわよ?」
――騙されたから。
「その通り。あなたは騙されたの裏切られたの嵌められたの」
――騙されたから裏切られたから嵌められたから。
「そうよその調子。さぁ、その恨みを強く持って念じるのよ」
「あなたの可愛い出来損ない人形たちに、強く願えばいいの」
「そうすれば、あなたの人形はきっと全国で人気になれるわ」
「魂の込もった、春日最後の大傑作! 素晴らしいじゃない」
――騙された裏切られた嵌められた!
「はい、よくできました。それじゃ、さよなら。お馬鹿さん」
そして、私の目も消える。
最後に彼女の声が――どこから聞こえてきたのだろう。
「さ、これで人形は全国へ。せいぜい恨みを晴らしなさいな」
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