終章 arrival-C₃ 楽園の守り人

1

 真火炉まほろ町が未曾有の大災害に襲われて、数か月が経過した。

 TVニュースや政府の公式見解では、局地的大地震による災害と、地場の乱れによる集団幻覚と云う事で一応の説明がなされているが、それは【ヘルメスの庭】による情報隠蔽工作が功を奏した結果であった。全盛期の影響力こそないものの、未だその秘密組織は、世界をたばかる程度の力を有しているのだった。

 崩壊した真火炉の再建は急ピッチで行われたが、それは宗教法人スダトノスラム降臨教団が尽力した結果であった。

 多くの犠牲者が出た大災害であったが、結果的に死傷者は極少数であり、しかし建造物等が軒並み倒壊してしまったため、非常に多くのマンパワーが求められた。

 そこに、ボランティア活動で名をはせていたスダトノスラム降臨教団が、大手を振って介入したのである。

 もちろんその裏では、事の真相の、その一部を知る上位信者たちによる様々な思惑があったが、それでも何とかやっていくことが出来たのは、ひとえに教祖が無事だったからである。

 教祖――四方坂よもさか了司りょうじ

 彼は、あの大災害を生存していた。

 右腕を失いはしたが、そしてそれは特別製の彼であっても何故か再生しなかったが、しかし、生き延びた。

 彼はあの日、玖星ここのほし朱人あけひとに吹き飛ばされ高々度から落下した直後意識を失ったが、その時不思議な夢を見た。

 それは、生き別れた彼の妹、四方坂初音はつねの夢であった。


「まったく、あにーぃちゃんは、仕方ないなぁ」


 夢の中で、初音は微笑み、了司をその細腕の中に抱いていた。


「わたしのことなんて、ほっとけばよかったんだよ。何も知らないなら、知らないままでよかったんだよ。それなのに頑張るから、痛い目を見るんだよ?」

「……そう言われても、私はもう一度、初音の姿をみたかったのだ。何も知らされない立場にあっても、人類を裏切ってでも、この眼で初音をみたかったのだ。ともに、生きたかったのだ」

「しょーもないこというなぁー、この愚兄は。生きたかったって言って、それで死んじゃったら意味ないじゃない」

「…………」

「わたしがいなくて寂しかったなら、他に生きる理由を探せばよかったんだよ」

「初音以上の理由など」

「そうかな? 本当にそうかな? 気が付いてないだけで、兄ぃーちゃんの周りには、そういう人、いっぱいいたんじゃないかなー」

「……?」

「帰る場所があるってことだよ、兄ぃーちゃん」

「帰る場所?」

「そう、兄ぃーちゃんを必要としてくれる人のところに、帰らなくっちゃ」

「ま、待て! 初音は、初音は何処に行くのだ!? 初音もいっしょに――」

「わたしは、いつも兄ぃーちゃんと一緒にいるよ。この世界の、何処にでもわたしは居て、この世界の全部が、わたしだから。そうなるように【死神】さんが頑張ってくれたから」

「【死神】? それはいったい――」

「いいから。それはいいから。さあ、兄ぃーちゃん、目覚めの時だよー」

「待て、待ってくれ! 初音、初音ぇえええええええええ!!!」

「起きて、四方坂了司。人を導く――教主様」

「――――」


 そうして、彼の意識は闇の中に落ちてゆき――よく聴き知った声で、目を覚ました。


「教主様! 教主様!」

「――――」


 了司が目を開けると、そのぼんやりとした視界に巨石のような影が映った。それが、彼の身体を揺らし、だんだんとピントが合ってくる。見えたのは、巌のようなガタイを持つ強面の男性だった。


「……升中ますなか……?」

「そうです、升中です! 教主様、よくぞご無事で!」

「…………私は、どうして……いや……それ以前に、私はお前を」

「もとよりこの升中惣一そういち、教主様のためになら命を捨てる覚悟はできておりました! 教主様に救い上げられたこの命、使い捨てられることに、何の恨みが御座いましょう! ……もっとも、生き恥をさらしてしまいましたが……面目次第もございません」


 惣一の、はにかんだような笑みをみて、了司は「……そうか」と呟いた。溜息と共に、何か熱いものが両目から零れ落ちるのを感じ、彼は咄嗟にそっぽを向いた。


「あー! いたわねこのクソ教主! やっと見つけたわよインチキ坊主!」


 背けた視界に、ボロボロの女性が映り込む。

 ストッキングは伝線し所々穴が開き、高級そうな服は煤に塗れ、濃い化粧は涎やら涙やら鼻水でむごいことになっている。

 貴舩きふね深雪みゆきが、その相貌をやけっぱちな怒りに燃やしながら了司へと近づいてきた。

 呆然とする二人をよそに、ずかずかと歩み寄ってきた彼女は「責任! 責任とりなさいよこの馬鹿教主! 大変な目にあったのよこっちわ!」と、ぷりぷりと赫怒を露わにする。

 その剣幕があまりに凄まじかったので、了司は思わず惣一と顔を見合わせて

「――くふ」

 っと、笑った。


「くふ――はは、あははははははははは!」


 なによこのポンコツ壊れたんじゃないでしょうね!? という深雪の言葉を聴きながら、了司は笑い続けた。

 何もかもを吹っ切るような、清々しい呵々大笑だった。


(ああ、私にも、帰る場所があったよ、初音)


 それが、了司に本来の自分を取り戻させた。

 そうして数か月、彼は贖罪の意味も込めて、真火炉町復興に尽力してきたのである。


「升中、何か新しい噂は入ってきているか?」


 失った右腕の代わりに、文字通り右腕となった升中惣一に、彼は仮拠点である教団本部キャンプで問い掛ける。

 升中惣一は、恭しく傅きながら、

「教主様の後見人を自称された深雪様が精力的に活動されておりますから……そのなんと言いますか情報は混乱しており」

「……ああ」

「しかし、ニグラレグムの噂は相変わらず――ああいえ、そいえば【救世主】殿の噂が、付け足されていましたか」

 と、肩を竦めながらそう言った。

 了司はゆっくりとため息を吐く。

 彼にはもう、何の憎悪も怨讐おんしゅうも残ってはいなかったが、しかしその【救世主】に関しては、思うところがない訳ではなかった。

 白い詰襟の、中身の無い右袖を揺らしながら、四方坂了司は遠く思いを馳せる。


(人間とは何とも罪深く、醜く、しかし不思議な生き物だ。【幻想】が充ちるこの世界では、人は生きる限り誰にも救われないというのに、救われずとも運命に抗う。その筆頭が、そしてそんな人間を救い導くのが――私を降した【彼】なのだろう)


 四方坂了司。

 秘密組織【ヘルメスの庭】の特別製ハイパービルド人造存在。

 もっとも人らしい人ならざる彼の眼は、その焔を見つめていた。

 朱色の焔を、遥か彼方に見つめていた。


(がんばれ、兄ぃーちゃん!)


 テント内に吹き込む風に融ける音に、了司はそんな声が混じっているような気がした。


◎◎


 小鳥遊たかなしつばさは、真火炉町随一のプレイボーイを自称していた。

 誑しこんだ女性の数はつゆ知れず、泣かせ貢がせた女性の数は本人にも分からない。博愛主義であり、女性だけでなく男性との親交も厚い。

 とにかく彼の周りには人が集まるし、その誰もが彼に好意的だ。

 幼稚園の頃からモテていた彼にとってはそれが当たり前で、何もかも、人脈を使い潰すようにして今日まで生きてきた。

 その日も、耳のピアスを弄りながら金髪から紫に染め直した髪を風になびかせ、町を歩いていた。

 学校に行くつもりはない。

 そんなものはコネでどうにでもなるのだと、小鳥遊は経験上知っていたし、実際これまでどうとでもなってきた。

 何もかもが順風満帆な彼は、鼻歌の一つでも歌いたい心地で、待ち合わせの場所へと急いでいた。

 今日は、とびきりの美人を兄貴分から紹介してもらう予定だったからだ。

 近道をしようと、裏道に一本入った時だった。

 翼は、見てはならないモノを見た。


 ――


「――――」


 翼は言葉を失う。

 小さな、翼の膝のあたりぐらいまでしかない幼児の腹が、食い破られて臓腑をまき散らしている。そこに、まだ若い女が、顔を突っ込んでフー!フー!と荒い息を吐きながら、無心で貪り喰っているのである。

 幼児と女性は、姉弟だったのかもしれない。

 他人だったのかもしれない。

 或いは、親子だったのかもしれない。

 ただ一つ言えたのは、いまの今まで日常というぬるま湯に浸り切ってきた小鳥遊翼という少年が、その瞬間非日常に足を踏み込んだという事実だけである。

 少年は、世界の裏側を垣間見たのだ。


「――――」


 恐ろしさに、カチカチとなりそうな歯を精一杯押さえつけ、翼はその場から逃げ出そうと、日常に必死で回帰しようと、一歩だけ後ろに下がろうとして――盛大に転倒する。

 足が言うことをきかなかったのだ。

 不運だったのは、倒れた拍子にその場にあったポリバケツにぶつかり中身をぶちまけ、大きな音を立ててしまったことだった。


「――ヒッ!?」


 と、情けない悲鳴を翼は洩らした。

 若い女――食人鬼の黄色いが、彼をギロリと睨んだからだった。「ミラレタ、ミラレタ、ミラレタ、ミラレタ、ミラレタ――」食人鬼は譫言うわごとのようにその言葉を何度も繰り返しながら、ゆっくりと立ち上がる。

 ゆっくり、ゆっくりと、時間を空ければかけるほど、翼の恐怖が増すことを知っているかのように。

 立ち上がった食人鬼が――笑った。


「ミラレタ――

「――――!」


 ゾッと、翼の背中が粟立つ。股の間にぬるいものを感じた。彼は失禁していたが、それを取り繕う余裕もなかった。

 翼が、掠れた声で、


「た、たすけ――」


 それ以上言う前に、食人鬼が飛びかかる。

 彼は死を覚悟し、目を閉じた瞬間――


『【踏破ARRIVAL】』


 そんな、凛然とした声を聴いた。


「――……?」


 眼を開き、彼は首を傾げる。

 食人鬼の姿がない。

 首を傾げていると、何かの匂いが鼻を突いた。

 それは、香りだけで分るような、美しい華の香り。そして、燃え盛るような熱い熱量を頭上から感じて、翼は視線を上げ――またも言葉を失う。


 食人鬼が両断され燃える姿を、彼は見た。


 朱色の焔が悪夢のような光景を燃やし尽くした時、彼の前には、一つの影が立っていた。

 朱色の外套を炎の熱気に翻し、朱色の髪を炎のように燃やす、白い左側だけの仮面をつけた、中性的な顔の人物――そんな奇妙極まりない存在が、翼の前に立っている。

 その存在の両手には、緋色と朱色の長大な刃が握られており、そこには焔の残滓がまとわりついている。


(――あれ?)


 翼は、首を傾げた。

 その存在に、何だか見覚えがあったからだ。


「あ、あんたは」


 もつれる舌で、それでもその存在に名前を問うと、


「【鴉樫あがし清十郎せいじゅうろう】――人の救世主、それが今の僕の名前だ。、その胸に刻んでおけ」


 朱色は、それだけ告げると、空へと向かって飛翔するように跳躍し、消えて行ってしまった。

 小鳥遊翼はそれを呆然と見送って、「――っ、やべぇー!」と、慌てて立ち上がった。

 兄貴分を待たせている。

 小便を洩らしているから着替えにも戻らないといけない。


(その超絶美人っての、逃がさないでくれよなぁ、兄貴~!)


 小鳥遊翼は人目を気にしながら走っていく。

 何もかも忘れて、満たされた彼は、日常へと戻る。

 二度と日常へ戻ることのない【救世主】との関係は、彼が気付くこともなく、そこで完全に途切れたのだった。


◎◎


 真火炉町から、ずっと遠い北の街のあるカフェテラスで、その少女は鼻歌を歌いながら、チョコクリームとカスタードクリームを同時に味わえるパンを齧っている。

 店は飲食物の持ち込み厳禁だったが、少女の美貌がその無理を通してしまっていた。

 ひどく快活な美少女である。

 あるかなしかの笑みを今は刻んでいるだけだが、もし微笑む事でもあったのなら、世の大半の男性は――そして女性さえも、思わず抱きしめてしまいたくなってしまうような、そんな美少女だった。

 ただ、そのファッションは聊か奇抜で、それだけを理由にして、誰もが高嶺の花である少女に話しかける事すら諦めていた。

 少女は、を纏っていた。

 白い、何処までも白い、何も残っていないような真っ白な白衣。

 少女はそれを、愛おしげに着込んでいる。

 その白衣の中で、携帯電話が着信を告げた。

 少女はそれになかなか出ずに、もくもくとパンを齧り続け、随分と勿体つけてから電話を耳に当てた。

 少女は空を見上げる。

 雲一つない抜けるような青空。

 彼女は、自分には相応しくないと笑った。


「うぃーっす。こちら姫禾ひめのぎ殺人サービスっす。あなたの愛する人を、さくっと苦しまずに殺してあげるっすよー」


 殺人姫は剣呑な言葉を吐き出しながら、立ちあがる。

 彼女には彼女の生き様があって、それに誰にも意見をさせるつもりはなかった。


(救われないっすね)


 彼女は思った。

 きっともそう言うだろうと、そう思って。


◎◎


 四方坂了司は、消えない罪を背負って贖罪に生き。

 玖星朱人は消滅し、新たな鴉樫清十郎は世界を救うために奔走し。

 姫禾希沙姫きさきは未だ殺人を続ける。


 誰もが救われず、どいつもこいつも救いようがない。

 それでも彼らは生きて存在していく。

 この世界を、歩んでいく。


 ――これは救いようのない物語。

 救われることのない幻想譚――


 その全てを見詰めながら、黒の王は微笑み続ける。


 この世界を、真に救う守り人が現れ――いまはまだ【幻想】でしかない楽園という未来に到達する、その瞬間を願って。

 踏破者達の、未来を祝福するように――




終章、終

arrival-C₃ 楽園の守り人 了

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arrival-C₃ 楽園の守り人 雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞 @aoi-ringo

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