3
◎◎
「みつけたっすよ――鴉樫、清十郎おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
燃え上がる真火炉町の中で、もう一つの運命に幕が下りようとしていた。
高層ビルの三階から窓を突き破って飛び降りた
その右手の中で山菜刀――妖刀
刃が閃く。
重い打突音。
【死神】の手刀が迅雷の速度で功刀を抜き打ち、その刃の腹を的確に射抜いて軌道を変化させる。
功刀に引っ張られるように半回転しながら、希沙姫はソバットを【死神】の腹部へと放つが、これを鴉樫清十郎は左膝と左肘で挟むように受け止める。
一瞬の
両者が同時に後方へと跳ね、間合いが生まれる。
希沙姫は蹴り足を極められた痛みに顔をしかめ、しかし歓び故に口元を半月にする。彼女は、やっと【死神】と再会を果たしたのだ。
(殺したくって、殺してあげたくって、どうしようもなくって、頭が狂いそうだったっすよ。でも、もうダイジョブっす。今ここで、殺してあげるっす!)
希沙姫が弾かれたように地を蹴る。
【死神】は迎え撃つように構える。
充分な速度の乗った功刀による刺突を、半歩ひいて体を最小限動かすことで【死神】は躱す。だが、希沙姫はそれを読んでいる。すぐさま功刀を半回転させ、呪いという致死毒の乗る刃を【死神】の顔面へと――その白い仮面へと叩き込む。
(浅い)
刃は届かない。
(届かないのなら――押して押して押すだけっす!)
演舞を描くように刃が旋回。【死神】の眼を十分に功刀へと惹きつけ、希沙姫は地面を蹴り飛ばす。
燃え盛る琥珀色の【根】が、【死神】の仮面へと激突する。
止まらない。
希沙姫はさらに舞う。
拳を、仮面に叩き込み、功刀の柄を仮面に叩き付け、思い出したかのように【死神】の右膝の裏に蹴りを叩き込み――そこまで技を織り交ぜて、万全の状態で刺突を放つ。
だが、それが及ばない。
その他すべての攻撃が通っても、功刀による致死の一撃だけは通らない。いや、【死神】が意図して通さない。
そもそも、他の攻撃が効いている様子はない。
打ち込む希沙姫の手には、奇妙な弾力が返って来るだけで――それは全く人体を打つ感覚とは異なり、空気を叩いているように手応えがない。
(
天才姫禾希沙姫から見ても、【死神】鴉樫清十郎の強さは計り知れない領域にあった。強さ、そんなものとは無縁の場所にあるように思えた。
実際に、【死神】は希沙姫の攻撃を苦にしている様子はない。
それどころか時によそ見をして、今まさに炎上している巨大樹木のてっぺんを見上げている。
その朱色を、仮面の下から焼き付けるように見つめているのが、どうしてだか希沙姫には分かった。
「よそ見は、やめるっすよ!」
裏切られたような心地になりながら、それでもそれを上回る昂揚感にせっつかれて、希沙姫は刃と拳を振るう。
全身全霊。
全力至力。
これまでの人生と、これからの人生すべてを賭して、姫禾希沙姫はこの一瞬に生きる。黒衣の【死神】を殺す。その為だけに彼女は
姫禾希沙姫は、
功刀の呪いが完全に解放され、彼女の全身がすべて致死の凶器と化す。
狂気に凡てを委ね、希沙姫の刃が
斬撃、刺突、裏打ち。
掌打、拳、蹴脚。
爪、牙、視線までも。
一切の
希沙姫は、楽しかった。
これ以上もなく、純粋に楽しかった。
楽しくって楽しくって仕方がなくて。
いつのまにか、身体が動かなくなっていることに気が付かなかった。
(…………あれ?)
地面に倒れ臥している彼女を、【死神】が哀しげな仮面の笑みで見つめている。
希沙姫は、力尽きていた。
そもそも、シイナミ・エンブリオに抗い続けて冴樫清十郎の姿を求めていたのだ。その精神の疲弊、肉体の損傷は尋常ではなかった。
そこに至ってのこの
もはや、希沙姫の身体には一滴の力も残されていない。
「――――」
それでも、
「――……」
それでもなお、
「…………」
姫禾希沙姫は、立ちあがる。
動けなくても、突き動かされる衝動のままに、強い強い想いのままに。彼女は、ふらふらと立ち上がって、緩慢な動作で、必死で、【死神】へと最後の刺突を放って――
「……ふぇ?」
優しく、抱きとめられる。
ぞぶりと、何かが何かを突き破る感触が、希沙姫の手に伝わる。
「あ」
見遣る。
「ああ」
妖刀功刀が。
「あああ」
鴉樫清十郎の左胸を、貫通していた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
絶叫し、暴れようとする彼女を、【死神】はしかし離さない。
優しく強く抱きとめて、更に自らの胸に、その刃を深く深く突き刺していく。
「なんで、なんで、なんで!?」
泣き叫ぶ殺人姫に、鴉樫清十郎は陰々滅々とした声で答える。
「この世界に、新たな【死神】が生まれた。【死神】は二人も必要ではない。そして、罪に塗れた鴉樫清十郎よりも、よほど
「だから、だからあたしの一撃を避けなかったって言うんっすか!? そんなどうでもいい理由で――」
「――そうじゃないよ。そうじゃないさ」
【死神】の声音が、変わる。
その漆黒の衣装が、色が抜けるように純白の白衣へと変わり、鴉色の髪が、ただの黒髪に変わる。
そして、仮面が。
「僕は、教師だから」
仮面が、砕け散る。
現れたのは、ひとを慈しむ精悍な、女性受けしないと言われ続けた
彼は、優しく言の葉を紡いだ。
「君が、人を殺す理由を、教えてあげたかった。僕が必要なくなった時、君に殺されてあげようと、殺されてあげたいと、そう願ったんだ。いいかい、よく聞くんだ、姫禾希沙姫君。君が、人を殺すのはね――」
――愛している人を、苦しみから救ってあげたかったからなんだよ?
「――――」
「君はいつの間にか忘れてしまっていたんだ、ただの殺人鬼に為り果てていた。そんなものは、救われないし救いようがない。だから、思い出して欲しかったんだ。その、人を愛する心を。殺意と同じぐらい強い、
「――あ、ぁあ」
希沙姫は、泣く。
引き攣ったように喉を震わせて、声にならない声で泣く。涙を零す。
清水義孝は、そっと少女の背中を撫でて、それから左手を功刀へと伸ばす。
彼の手に掴まれた妖刀は、一瞬だけ刀身を震わせ、そしてほどけるようにして光になって消え失せる。
義孝が倒れる。
引きずられるように希沙姫も倒れる。
白衣が舞い上がり、落ちる。
希沙姫は、義孝の血に染まる胸の中で、ずっと泣いている。
「泣かないで……?」
義孝は、霞む視界の中で、白衣へと懸命に手を伸ばし、それを取り出した。
そっと少女に、それを手渡し握らせる。
「に――二色パン……っ」
少女がそれを受け取るのを見届けて、義孝は笑みを浮かべた。
それは、生きているものが決して浮かべてはならない死出の笑みだった。
「最高に、冴えた食べ物だよ」
それが、清水義孝が、最期に残した言葉だった。世界の為に戦い抜いた男が、辞世に残した刻みつけるような言葉だった。
彼の瞳から光が消え、その手が力なく地に落ちる。
「せんせー? せんせー?」
もう、希沙姫が何度呼びかけても、彼は答えなかった。
「あ――」
姫禾希沙姫は。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――」
喉が裂けんばかりに絶叫した。
夜が明ける。
朝日が昇る。
暗い時代が終わる。
惨劇の過ぎ去った真火炉の街を、光が明々と照らし出す――
第十章、終
終章に続く
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