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◎◎


 少年は、心臓を貫かれた自分の肉体を見下ろしていた。

 まったく、どうしてこうなったのかと、その顔には皮肉気な笑みが浮かんでいる。自分がこのままでは間もなく消え去ってしまうだろうことを、少年は何となく察していた。


(そういうことなんだろう――なあ、あんた?)


 少年が思念を向ける先に、それはあった。

 引き延ばした影のような、強烈な逆光を背負うもののような、見通せない黒――千差万別に形を変えるその存在は、琥珀色の世界で、玉座に腰掛けている。

 その異質な黒色は、王冠を有する頭を、ゆっくりと頷かせた。


『いま、君に対してのみ、世界は静止している。選択の時だからだ』


(選択? これ以上、僕に何を選べっていうんだ? 何にもできなかった僕に、何かが選べるっていうのか?)


 呆れたような声でそう問い掛ける少年に――黒の王はその右手を向ける。


『ならば君は、選べないという理由で、何もかもを諦めてしまうのかな?』


(……それは)


『君は、未だ諦めてはいない。その心のうちに、まだ燃えるものが残っている。切なる願いがそこに在る。だから、君の前に姿が現れる。ただ、此度は少し、趣が異なるようだ。君は、他者のために祈るのではないのだね』


 ――そうか。と少年は頷く。かつて彼が見た、この黒き王は、化け物のような姿をしていた。それがいまは、人のように見える。それが、一つの違いなのだと、少年は理解した。この存在は、何処までも人間の一個体の事しか見ていないのだと。


(ああ、そうだ。僕にはまだ、やるべきことが残っている。僕の本分を全うしなきゃならない。それは、他の誰かに対する願いじゃない。僕自身の決意だ)


『【幻想】に至るほど強く、二つの願いを同居させた人間は、君達の言う有史以来で二人目か――知っているよ、君と同じ存在を。彼は世界のすべてを救おうとして、しかし夢に敗れ人に敗れた。【死神】の刃が届く必要もなかった。君は、どうなるのだろうね。彼と同じになるのか、それとも踏破し【死神】になるのか。或いは――』


(関係ない)


 少年は、黒の王の楽しげな言葉を、たった一言で斬り捨てる。

 そう、彼にとって、【踏破】だとか【死神】だとか、そう言ったことは少しも思い悩む必要がないものごとだったのだ。

 何故なら彼は、


(僕は――玖星朱人! 人類の救世主だからだっ!)


 静止した世界で、王が玉座より立ち上がる。

 その手が、倒れ臥す少年の肉体――その心臓へと当てられる。


『君の願いを聞き届けよう――切なる願いに応えよう』


 黒なる王――ニグラレグムは、こう言った。


『――君に二度目の【幻想ロマン】を授けよう』


「――ッ!」


 少年は。

 玖星朱人は――


「――だから、おまえは頭が悪いっていうんだよ」


 朱色の言葉と共に、開花した銀華の頂点に舞い降りる。


◎◎


「朱人ちゃん!」


 秕未しいなみ華蓮かれんは叫んだ。

 その光景が信じられず、我が目を疑って、それでも確かめずにはいられずに叫んだ。


「――おう」


 ぶっきらぼうに応じる少年――玖星ここのほし朱人あけひとが、いま、彼女と四方坂よもさか了司りょうじの前に立っている。

 シイナミ・エンブリオが開花し、世界が滅びへ向かう中、その白銀の舞台に、玖星朱人は降り立った。

 胸には傷跡が開いており、その衣服を真っ赤に染め上げている。手に持った緋色の刃を支えにして、どうにか体勢を保っているだけで、彼は今にも倒れ込んでしまいそうだった。


「――――」


 しかし、その瞳にはほのおが宿っていた。

 確かな意志が存在していた。

 それが、ただ華蓮には嬉しかった。


「朱人ちゃん! 朱人ちゃん!」

「分かってるよ、そう叫ぶなって。聴こえているよ、僕はちゃんと、おまえの事を覚えている」

「~~~~っ!」


 打ち震える心に、それまで流した涙とは違う暖かなものを零しながら、華蓮は朱人を見る。

 それを、快く思わないものがいた。


「玖星ィ朱人ォォォ!」


 覆いかぶさっていた秕未華蓮の身体を開放しながら、四方坂了司は立ち上がる。その眼が、妄執に歪んでいる。憎悪にも似た色が、渦巻いている。


「何故貴様が生きている! 何故貴様がここにいる!? 私の願いを阻むのか!? 貴様のような誇大妄想狂のいじめられっこが!」

「お生憎様、僕はそう言うことは言われ慣れているんで、ちっとも響かないや」

「――――」


 飄々ひょうひょうとした笑みをたたえる朱人に、了司はギリリと歯を鳴らし怨嗟をぶつける。


「愚者め、敗北者め。人間のために戦い、闘い抜いて人間に敗れ、その人間にしいたげられ続けてきたただの人間風情が! 私の想いを、初音の復活を妨げるのか!」

「……おっと」


 人間を超越した速度で殴りかかる了司の拳を紙一重で揺らめきながらかわし、だが朱人は笑みを崩さない。


「だいたい合っているが、人間ってのは間違いだ」


 その笑みを、未だ座り込み泣き続けているひとりの少女に向ける。


「なあ、華蓮」


 玖星朱人は、清々しい笑みで――最愛の少女にこう問うた。


「僕は――?」


「――――」


 秕未華蓮は。

 少年から命の【幻想】を授けられた少女は。

 花の乙女は。


「――やっちゃえ、朱人ちゃん!」


 愛する少年に、そう告げた。

 刹那、朱人の身体が、燃え上がる炎に包まれる。

 その炎の圧力に、殴りかかろうとした了司が吹き飛ばされる。あまりの爆風に、人造存在たる了司の右腕が燃え上がり消し飛ぶ。

 夜天に吹き荒れる焔が消える。

 新たな炎がそこに在った。

 その全身を包む服装は、丈のながい炎になびく朱色の外套コート

 その左手に緋色の刃を持ち、右手には朱色の刃を燃やす。

 髪の色は焔の如く燃え、そしてその中性的な顔の、左半分を白い仮面が覆っている。


『――【踏破ARRIVAL】』


 朱色の【死神】――否、、その両の刃を天へと突きあげ――



「さようなら、秕未華蓮」

「さようなら、玖星朱人」



 凄烈な決意と共に、振り降ろした。

 朱色と緋色の線が、ひとりの少女ごと巨大な華樹と化したシイナミ・エンブリオを斬り裂いて――そして、世界の破滅すべてを、ことごとく燃え上がらせ灰燼かいじんとせしめる。


「――――」


 救世主の右目が、一筋の涙を流す。

 真火炉まほろが、赫炎かくえんに燃えていく――

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