第二話 大きくなった二人

   よくできた息子  双子   忘却     


 光央は自宅の旅館「トノムラ」に運び込まれて広間に寝かされた。ふもと、県道脇にある奥医院の医者が駆けつけて診察を請け負った。

 医者は身を起こして皆に向き合うといった。

「ま、心配ない心配ない。折れたところもないし、内臓の損傷もない。丈夫な体でよかったですな。貫徹さん譲りの体ですかね」

 見守っていた父親が安堵の声をもらして礼をいった。

「奥さん、ありがとう。休みの日なのに悪かったね」

 医者は首をよこに振って笑っていた。

「柚夏、柚春、兄さんをみててくれ。わたしは先生をお見送りにいってくる」

 姉妹は父親にはなにも答えず広間を出て行く奥先生に黙って頭を下げた。二人は怒っていた。兄が戻ってくることも父親からは聞いていなかった。近々、新しい従業員がひとりやってくるかもしれない、としか聞いていなかった。

 双子の妹たちは初めてこの日会った兄を見下ろしていた。存在は聞かされたことがあったが、歳も知らなかった。写真も見たことはない。父親は母親が連れて出て行った、と一度だけ言ったことがあった。その一度を二人は強く覚えていた。

 どこか似ているところがあるだろうか、と二人はいろいろな角度から眺めた。

「兄貴って・・・いきなりいわれてもね」妹の柚春が言った。

 柚春はこんどは向こう側に回りこんで兄の顔を眺めた。

「こんな大きな兄貴がおりました、そして今、もどってまいりましたっていわれてもねえ」

 妹は柚夏の顔を見て言う。

「お姉ちゃんは、兄貴なんているの知ってた?」

 柚夏は首をふった。

 柚春はまだ眺めていたが「似てるところないね」と言うと立ち上がった。

「それじゃ、あとはよろしくね」

「どこ行くのよ」

「峠をぶっとばしてくるわ」

 妹はピシャっと音をたてて襖を閉めて出て行った。

「もうっ」残された柚夏は不満の声をあげた。寝息を立てている兄を眺めた。柚夏も兄がどこか自分たち・父親、そして母に似てるところがあるか、と思って探したが、やはりないように思えた。

 そういえば----。あたしたち、母親の顔、知らないな、と柚夏は思った。



 結局、光央は夜になっても目を覚まさず眠りつづけていた。さすがに心配になり貫徹はもう一度、医者に電話をしたが、「鎮静剤が効いて眠ってるだけ」とのことだった。早朝には起きてくるでしょう。そちらの宿で一番の早起きになりますよ、と笑いさえしただけだった。

 柚夏は、夜の就寝前に最後にもう一度、兄の様子をうかがいにきた。

 寝返りすらうっておらず光央は眠りつづけていた。柚夏は手のひらを光央の鼻の下にかざした。寝息がかすかに感じられた。

 旅館の玄関も閉じられ灯りも消え館内全体が眠りについた。

 月の灯りが窓から差込み光央の顔を照らしていた。

 光央のまぶたがかすかに動いた。光央は夢を見ていた。     

 とても息苦しい。光央はうまく呼吸できず、それを取り戻そうとさらに口を開けて息をしようとする。しかし、口を開けると入ってくるものは----




            帰国二日目 四月三十日


 早朝になってもまだ光央は眠りつづけていた。宿で一番の早起きになるよ、と医者は言っていたがもっとも早く起きたのは、柚春だった。

 柚夏が光央の眠る部屋にやってくるとすでに柚春が来ていた。

「早いのね」柚夏がいった。

「めずらしいでしょ」

 柚夏も妹にならんで光央を眺めた。黒い髪の毛の質が自分と似てるような気がした。日焼けのない肌には皺はなかった。いくつぐらいだろう? と柚夏は思った。

 その時、光央のまぶたが動いた。小さなうめくような声もあがった。

 そして目が開いた。

 柚夏と柚春がさらにのぞき込んで眺めた。

 三人はたがいにしばしの間、見つめ合っていた。

「のわっ!」と光央は切れ長の目を見開いて飛び起きた。姉妹もあわててのけぞった。もう少しで顔をぶつけ合うところだった。

 光央は布団を跳ねのけると窓辺に駆け寄った。見たことのない風景だ。部屋をぐるぐると見回す。そして、ふたつのそっくりの顔をした少女たち。

 姉の柚夏が手を差し出して取り乱す光央を落ち着かせるように言う。

「おちついて、ね。なにも危険はないから」

 そういいながらゆっくりと近づいていく。

「だ、誰だおまえは? おまえらは?」

「落ち着いて」

「ひ、ひとりか? 二人いるのか?」光央は手のひらで目をこすった。

「ひとりよ。忍法分身の術~」柚春が笑いながら言った。

「双子よ、双子。落ち着いて、あたしたちはね、双子なの」

 柚夏と柚春は、光央が留学した後に生まれた妹たちで、光央が知らないのもむりはなかった。



「思い出せない・・・・」光央は力のない声で言った。

 肩を落として床を見つめる光央に貫徹はつとめて明るく言った。

「なーに、短期的な記憶喪失だ。ゆっくり風呂にでもつかってこい。昼に先生にも来てもらうことになってる」

 動こうとしない光央を貫徹は「さあ」と手をとって引っ張り立たせた。

 息子はすっかりと大きな男に成長していて、アメリカに送り出した時には、肩口までしかなかったのが今ではゆうに貫徹を追い越していた。

「でかくなったもんだな。やっぱり向こうの食い物か?」

 貫徹は見上げながら、さあっと背中を押して廊下へと追い出した。

「久しぶりの日本の風呂だろ。湯船ってやつにゆっくりつかってこい」

 三人は廊下をゆく光央を見送った。

「お父さん、彼、重大な発明を持って戻ってくるじゃなかったの?」柚夏が言った。

「ああ」貫徹は小さな声でつぶやいた。

 柚夏は父親のつぎの言葉を待っていたがなにもなかった。

「天才すぎてバカになっちゃったのよ」柚春が言った。

 貫徹は妹の言葉を叱った。軽い冗談なのは分かっていたが、何も言わなければ、なにか嘘が真実になってしまうような気がしたからだった。










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kite kite クイック 七 かか nanakaka @nanakaka

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