kite kite クイック
七 かか nanakaka
第一話 ウェルカムバック
浦和菓市 アポロン
1
「馬鹿な市にまかしていいものができたためしがあるか? 恐竜みたいにセンスが古い連中だ。われわれの財産、四十万市民の財産であったお城を見てみろ。あいつらがどうしてしまった?」
男の声にはいつ爆発してもおかしくない危うさがあった。目は瞬きもしていない。
「ぐるりと四方に醜いビルを建ててもはやなんの価値もなくなってしまったわ!」
殿村貫徹はそういってテーブルを叩いた。後ろになでつけていた白髪のひと筋がその衝撃ではらりと額に垂れた。六十三歳にしては髪の毛はたっぷりだろう。顔の輪郭もよく引き締まっていた。
殿村貫徹はそれを右手で撫でつけた。
「ここ(浦和菓)はわれわれが住んでいくところだ。虎城のあんな二の舞にはさせない!」
このような調子で貫徹はひとりでもう一時間ちかくもしゃべりつづけていた。ここ浦和菓で老舗旅館を経営しており、旅館組合長もしている。黄金週間の初日であるこの日、旅館主たちが集まって、浦和菓の将来を話し会う定例会議が行われていた。
かつて昭和と呼ばれた時代には、ここは日本でも有数の観光地として、とりわけ新婚旅行の場として名前をとどろかせていた。しかし、時は時代は流れる。すべてはうつろいゆく。変わらぬものなどはなかった。勝利を手にしたまま終えられるものなどはいないのだ。
「-----しかし、われわれは努力をしてこなかったのは事実ではないでしょうか?」
貫徹の声は少し落ち着きを取り戻していた。目の前に座った皆をみわたす。
「ここまで衰退してしまったのは時代の流れだけが原因ではないんです」貫徹は言った。「今日、集まったこの中の若い者もギリギリ覚えてるはずだ。ここが賑やかだったころのことを----」
旅館組合長の殿村貫徹が話をつづけている間、座の端に座っている二人の男が顔をよせて話をしていた。
「でもなあ。もうどうしようもないだろ。四十五の俺が一番の若手なんだぞ」
もうひとりの髭面の男もつづけた。
「選挙だろ。市議会に立候補するって噂だ」
二人はしゃべりつづけている組合長を眺めた。また興奮してきて声が大きくなっている。
「組合長の息子はどうしたんだ? ひとりいたろ。ひょろ長くて青白い顔した」
髭面の男はあっと思い出して自分のももを手で打った。
「いた。そう、アメリカだ。こっちの中学も途中で辞めて向こうの大学に入ったんだ」
「アメリカ? 大学? 初耳だな」
「ああ、うちのばあさんがトノムラに出入りしてたろ。その時に、いちどカンテツが話すのを聞いたとか言ってたな」
「中学生だろ?」
「飛び級とかなんとかっていう制度だろ。向こうは年齢じゃなくて、頭脳で進級できるんだろ」
話を聞いている男はしきりに感心した。
「戻ってきたら親父の跡を継ぐのか?」
「さーねえ。もう十年以上ちかく姿見てないからな。戻ってこないんじゃないかね。帰国したとしても、東京だろ。こんな田舎にいまさらな」
浦和菓から北に五キロほどいったところに市街地が広がっている。北を大きな川が流れていてその河口に広がった平野部が市の中心部になっている。
目が痛くなるような真っ青な空を、北から一機のセスナ機が飛んでくるのが見えた。その翼はふらふらと不安定にゆれていた。大きく右が沈んだかと思うと元に戻り、今度は左が沈むといった感じだった。酔っ払っているような飛び方だった。
セスナ機は見ている間にお城の上空をよこぎり南の空へ飛び去っていった。
旅館の大広間では貫徹がまだしゃべっていた。
「えー、私事ですが、奇しくも今日、アメリカに留学しておりましたわたくしめの息子が、帰国する予定になっております」
貫徹はそこで水をひと口ふくんだ。乾いた唇を湿らせて少しの間、口をつぐんだ。
「昨夜、息子より電話があり、とんでもない発明を持って帰国する。これはまだ誰にも言っていないことで、この自分の発明はとてつもない変革をもたらすだろう、と言われました]
そこまで言うと貫徹はふたたび黙った。自分の言葉が喉に詰まるとでもいうような顔をみせた。
皆はきょう初めて旅館組合長の言葉を、次に彼がしゃべることを待っているという顔になった。それを貫徹も感じ取っていた。自分でも芝居がかっていると思っていた。貫徹は声の調子は変えてつづけた。
「それをもってすれば、一瞬にして父さんたちの旅館も、故郷の街も黄金に輝くエルドラドに造り返ることが出来る、と」
静まりかえった大広間で見守っていた皆が尻動かしたので畳をずる音がした。
「今日、息子はその知識を生かしてこの街を復活させるために、帰ってくることとなっております!」
座の真ん中にいた誰かが拍手をした。
、すぐに皆がどっと沸いてつづいた。歓声をあげるものもいた。
殿村貫徹はきょうはじめて、このような歓迎と期待を身に受けたような気がした。はじめて会議が意味あるものになった気がした。いよいよ浦和菓が眠りから覚めたように感じた。
しかし、貫徹は自分に言い聞かせる。目が覚めただけだ。起き上がってはいない。
髭面の男も立ち上がって力いっぱい拍手をしていた。皆が熱にうかされたようにはしゃいでいた。
「これは期待できるんじゃないか?」髭面の男は言った。
2
市街地上空をかすめてきたセスナが浦和菓の上空に姿を現した。あいかわらず翼はふらふらと安定せずいつ落ちてきてもおかしくない飛びかただった。
セスナは旅館の上空にさしかかると旋回をはじめた。かなり低く飛んでおり、開け放した窓からエンジン音がしゃべりつづける貫徹の声もかきけすほどだった。
大騒ぎなっている中、ひとりの男が音に気づき窓際にかけよって空を見た。
一機のセスナが北館の上を飛んでいる。
「飛行機だ。北館の上をぐるぐる回ってる!」男は大声で言った。
浮かれた男たちには聞こえず、男はさらに大きな声で叫んだ。
みんなも窓辺に集まってきた。そして空を見た。
セスナは翼を傾けて左周りに北館をすっぽりと囲むように旋回している。
「なんだ、酔っ払ってるんじゃないのか?」
あきらかに何か意図をもって飛んでいるに違いなかった。
「おい、どんどんおちてきてないか?」
セスナはそのとおり、ぐんぐんと高度を落としてきていた。描く円も小さくなってきている。
その時、貫徹の表情がさっとと変わった。そして身を翻すと広間を飛び出していった。
セスナはとつぜん旋回をやめると、こんどは海へと向かいはじめた。
「おい、海へ飛んでいくぞっ」釣り具屋のおやじが叫んだ。
みなが見守っている中、セスナは沖合いに向け数百メートル飛ぶと、くるりと向きを変えた。そしてこんどは一直線に引き返してくる。
釣り具屋のおやじが隣の男の肩を叩いた。「おい、」
セスナは、まっすぐに、旅館に向かって飛んできていた。
獲物を見つけたようにセスナ機は北館ではなく、こんどはこちらの本館に向かってきた。
「に、逃げろっ」誰かが叫んだ。全員はいっせいに窓から離れると大広間を横切って出口へと駆け出した。
セスナは吸い寄せられるように旅館目掛けてぐんぐんと突っ込んでくる。
旅館は山を登る県道沿いに建ち窓からは水平線が見えた。
山肌には松の木々が生えそろい美しい海岸線を作っている。その松の中に一本、ここ県の記念樹となっている立派な一本があった。その木は崖から大きく海側に飛び出していて、まるで腕を伸ばしているように見え、夕暮れ時などは海岸線に沈んでいく太陽と重なって見える瞬間もあり、アポロンの松と呼ばれていた。そしてちょうどその瞬間の角度が見える部屋が、ここトノムラ館の本館にはあった。名前も「腕松(うでまつ)の部屋とつけられている。
セスナは、その松の木に吸い寄せられるように、突っ込んできた。
そしてスピードを落とすこともなく、セスナはみごとに松の木にぶつかった。
県の記念樹の松は、セスナの衝撃をすべて受け止めた。松の幹と太い枝の間に突っ込んでとまったセスナは本館からは目と話の先だった。
セスナは割り箸に挟まれたような形で松の幹と太い枝に挟まっていた。落下していくセスナを、巨人の太い腕がつまみ止めたように見えた。
コクピットに人影はなかった。
機体は爆発をおこすこともなかった。
旅館の中庭に避難して頭を抱えてうずくまっていた男たちが固まった身をほぐしはじめた。男たちは旅館を飛び出し駐車場から崖を見た。
一機のセスナが崖の腕松にひっかかっている。そして、機を脱出したパイロットは、真っ青の空にオレンジ色のパラシュートを広げてゆっくりと海へと落ちていくのだった。
「おい、木村屋の沖合いだな!」
数人の男が掛け声とともに県道へと飛び出していった。
ゆらゆらと降下していくパラシュートを眺めながら男が言った。
「しかし松の木どうすんだ?」
この松の木は県指定の、そしてこの街が提供できる数少ない観光資源のひとつだった。木は折れていないとはいえ、衝突の衝撃で枝がいくつかはヘし折られていた。
「飛行機も取りのぞかなきゃいかん」
「いっそ、ひっかからずに下に落ちてくれてりゃな」
「撤去するの金かかるぞ・・・・」
「また集金がくるんか」さんちゃん旅館のおやじが言った。
全員はためいきをついて、ひっかかったセスナをうらめしげに眺めた。
パラシュートは木村屋旅館の沖合いに着水した。ボートはそこにむかって漕がれている。音頭をとる釣り具屋のトヨさんの声が小さく聞こえてきた。
セスナ男はボートに引き上げられると同時に気を失った。
釣り具屋トヨさんが男のゴーグルとヘルメットをはずしてやった。「おい、しっかりしろ」
額にかかった濡れた髪の毛をのぞいて頬を叩く。顔があらわになり、それを見た貫徹が言った。
「みつおっ!」
傍らのトヨさんが言う。
「カンさんの息子さんかいなっ」
オールを握っていた若者が力強く陸に向かって漕ぎ出した。もうひとりの高校生は一生懸命に水面のパラシュートをボートにたくし上げていた。
それは帰国一日目、四月二十九日のことだった。
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