第2話 ミシマコウイチ

三島こういちは布団に横になったまま腕時計を見た。「あと5分寝れる、、」

そう考えもう一度目を閉じたが、昨夜からの深酒の影響で気分は最悪に悪く、結局5分間は布団の上でもがいて終わった。

昨日、というか正確には今朝だ。三島の勤務する居酒屋は夕方6時から朝5時まで毎日営業しており、今朝はその営業後に店のスタッフと近くの昼までやっている居酒屋に入ったのだ。今日も午後5時から出勤のため、そろそろ家を出なければならない。

三島は連勤中にも関わらず昼まで飲んだことを酷く後悔しつつ、洗面台に向かった。もっとも、今まで何百回も繰り返している後悔だ。

自分でもわかるほどの口臭がしたので、入念に歯磨きをした。その後は軽く顔を水でたたき、財布と携帯をポケットに突っ込んですぐに家を出た。

居酒屋勤務は出勤時に必要な物はなにもない。毎日手ブラで出勤できる身軽さが三島は気に入っていた。

三島の家の最寄り駅から職場の池袋までは山の手線で5分足らずだ。池袋駅から三島の勤務する居酒屋までも徒歩3分程度で、三島は家から15分もかからず職場までたどり着く。池袋駅前の喧騒を通り抜け、路地を一本入った雑居ビルの3階にある店の前に到着すると、既に学生アルバイトの黒木が待っていた。

「店長、遅いっすよ〜」

黒木は呆れ顔と、それでも上司に対する愛想笑いは忘れていないよというような微妙な顔で話した。

「ごめんごめん、昨日もクローズさせた後みんなで飲んじゃってさ〜」

三島はそう言いながら店の鍵を開け、真っ暗な店の中を通り抜け、スタッフ用のバックルームに入った。三島が店長を務める居酒屋「ワイワイ」は、全国に200店舗程を展開する大手のチェーン店である。学生の頃に何気なくアルバイトとして入った三島であったが、気がついたら社員に登用され、更には店長まで任されるようになっていた。任されていると言えば聞こえはいいが、実際居酒屋というものはスタッフの9割をアルバイトでまかなっているようなもので、慢性的な人手不足から、三島のようにアルバイトから社員、そして店長まで駆け上がる若手は決して珍しくなかった。つまりは、経営する本部からしてみれば、誰でも良いのだ。

同年代は今頃どんな会社で、どんな役職に就いていて、どのくらいの給与を得ているのだろう。三島は時々そんなことを考えるが、想像してもあまり良い気分にならないことは明確なので、すぐに考えを打ち消すようにしていた。

自分の目の前で甚平のような制服に着替えている黒木も、そのうち自分と同じような道を辿るのだろうか。

三島も制服に着替えると、すぐに開店の準備に入った。厨房に入り、入念に手を洗い、鍋に水を溜めコンロに火をつける。自動で焼き鳥を焼いてくれるコンベアのスイッチを点け、まな板と包丁をセットする。黒木はフロアの客席の掃除をしている。今日は客入りがピークになる18時30分頃まで三島と黒木の2人体制である。今朝の酒が全く抜けていないので、三島は酷く憂鬱であった。「今日みたいな日に混んだら最悪だな、、」三島は心でつぶやき、こんな自分が店長を務める居酒屋が皮肉に思えた。

黒木と軽く朝礼を済ませ、18時ぴったりに開店した。

今日も一日がはじまる。

二日酔いの三島は今すぐ布団に横になりたい気分だった。

「いらっしゃいませー!」

開店してすぐ、黒木の元気な声がフロアに響き渡る。厨房にいた三島はフロアを覗き込むと、おそらくは大学の運動部であろう、全員体格ががっちりしていて、それでも顔は幼さが残る男6人組が入店していた。

6人組は席につくと、早速黒木に注文を入れ始めた。

「とりあえず生ビール6個と、唐揚げ3つ、チャーハン3つ、あと餃子とーー」

厨房にいた三島は黒木からオーダーが飛んでくる前に、既に聞こえた注文の準備に取り掛かかっていた。まずは生ビールだ。ジョッキを2つずつ専用のサーバーにセットし、ビールを機械が注いでいる間に冷蔵庫に入っているお通しの漬物を人数分小皿に盛り付ける。

店が混む時はだいたい体調が良くない日だ。それでも三島は、6人分の客単価を頭の中で計算し、出だしが好調な今日は何とか日割り予算は到達出来そうかなと思案した。

冷蔵庫から冷凍の餃子を取り出していると、また黒木の声が聞こえた。

「はい!10名様ですね!」

今度はスーツ姿のサラリーマンの団体だった。この時間帯であればこのサラリーマンたちも夕食はまだに違いない。

スタッフはまだ自分と黒木の2人しかいない。うまく注文を捌いていかないとこれはマズいなと、三島は気合いを入れなおした。

「すみませーん!!」

その時黒木ではない声が店の入り口から聞こえた。三島が目をやると、今度は若い男女の団体が入ってきていた。黒木はサラリーマンの席で注文を取っているので、仕方なく三島が入り口まで行くと、その人数に目を見開いた。

「予約してないんですけどおー、今から15人はいれますかあー?」

先頭にいた茶髪の男が粘っこい口調で聞いてきた。三島は店の奥の団体用の席に15人組を通した。大学のサークルか何かだろう。

予想外の開店からの入店ラッシュに、アルバイトの黒木は軽いパニックになっていた。黒木は普段は仕事は出来る方なのだが、忙しくなるとパニクる癖があった。

「佐藤が来る18時半までが正念場だな…」

もう1人のアルバイトの佐藤はあと10分ほどで来る。佐藤はフリーターで、適当な性格ではあるが仕事は黒木より容量良くこなす。

三島はとりあえず厨房に戻り、既に山のように溜まっているオーダーにとりかかった。集中すると、二日酔いの気分の悪さはどこかに消えたようだった。

「三島くん」

いきなり呼びかけられ、キャベツを千切りしていた三島は思わずビクっとした。

顔を上げ声の主を確認すると、三島は冷や汗をかいた。

「早くから賑わってるね」

声の主は本部のエリアマネージャーの長谷川だった。なんというタイミングだろう。長谷川は売上の悪い店舗と自分の気に入らない店長を罵るのが仕事のようなやつだった。

「今黒木君と二人だけ?」

「あっ、はい、18時半から佐藤が出勤します。」

三島は腕時計を見ながら答えた。時刻は18時27分である。

「いま何分?アルバイトの子にも最低5分前には出勤するよう、徹底してるはずだよね? オーダーもたまってるみたいだし。ひとりで捌けないんじゃないの?」

長谷川は散らかった厨房と、山と溜まったオーダーの紙を見ながら早速説教を始めた。天下のエリアマネージャー様は客がいようがいまいがお構いなしだ。

これでいて、「お客様は神様である」という時代錯誤も甚だしいスローガンを会社は掲げているのだから呆れてしまう。

「それにしても、佐藤は何をしているんだ…」

三島は顔だけは長谷川の方に向けながら、両手を動かし何とかオーダーを捌こうとした。しかしこれでは効率よく捌けるはずもない。

この状況で説教を続ける長谷川に対する恨みと、出勤してこない佐藤に対する怒り、またそれに乗じて復活した二日酔いの気分の悪さで三島は吐きそうになった。

結局長谷川は20分程で帰って行った。オーダーが溜まりに溜まり、注文した料理を持ってくるのが遅すぎると客が大激怒した声が聞こえてきたときに、

「ほら、店長がなってないからこうゆうことになるんだよ。ちゃんと収めてね。

それじゃあ。」

と言い残し、逃げるように帰っていったのだ。激怒した客は、最初に来店した体育会系の学生たちのグループだった。

黒木に掴みかかりそうになっていたところを、三島が止めに入り、必死になだめた。すでにかなり酔っているようであった。

「てめーら濃い酒ばっかり持ってきやがってよう。こっちは腹減ってんだよ。さっきから枝豆しかこねーじゃねーか、あ⁉︎」

学生は激安チェーンの居酒屋のスタッフに対しては専ら強気だ。自分たちのおかげでチェーン居酒屋がやっていけると勘違いでもしているのだろう。自分より確実に5つ以上は歳下であろう男に三島は必死に頭を下げ続けた。

途中からこのグループの酒を作っていたのは黒木だったが、どうやら予想外の他の客の来店数にパニックになり、故意に濃くした酒ばかりを運んでいたらしい。

黒木よ、それは深夜に二次会や三次会として来る酔っ払い客相手に使う手だよ…と三島は呆れた。

三島は枝豆以外にも学生たちの注文の料理を出していたはずだったが、何を思ったのか黒木が他の客のテーブルに持っていってしまったようだ。

「どうやったら間違うんだよ、、」と、三島は黒木を今すぐクビにしたい衝動に駆られた。「しかし今黒木をクビにしたら、佐藤も来てないし1人になっちゃうな…。」などと場違いだが呑気なことを考えた。

結局学生たちには今まで頼んだ酒は無料にするということで話がついた。酒だけは順調に提供していたはずなので、売上的には痛手だが仕方なかった。というのも、別のサラリーマンのグループからも酒や料理が遅いと、クレームが入ったからだ。三島は対応に追われた。

厨房に戻ると、佐藤が出勤していた。

「すみません。オーダーやりますね。」とだけ言ってきた。三島は激しく叱責しようと思ったが、とにかくオーダーをこなさなくてはならないので、「おせえよ」とだけ言い、2人で黙々とオーダーをこなしていった。

ようやくオーダーが落ち着いてきたころ、客に呼ばれて席にいくと、いつの間に入店していたのか、男の3人組の姿があった。男の1人は常連だった。見た目は田舎のヤクザといった風貌の、タグチという男だ。残りの2人はいかにもタグチの舎弟といった感じであった。

「店長、元気? 相変わらず二日酔いですって顔してんな。」

とタグチは笑みを浮かべながら言った。

三島は愛想良く返事をしたが、内心は暗い気持ちになった。タグチは酔うと、他の客と揉め出すなど、よくトラブルを起こすからだ。「しかしいつ入ってきたのだろう。佐藤が出勤した時くらいか…?」と考え、そうだ遅刻した佐藤を叱らなくてはと三島は思い出した。だが厳しく叱って辞められたりしても困る。三島は怒れない店長であった。

厨房に戻ると、何事もなかったように佐藤が小休憩がてら水を飲んでいた。

三島は怒りを通り越し、疲れ果てた感覚になった。

「嫌なことが重なる日だなあ…」と憂鬱な気持ちになった。

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