250話 エピローグ的な陽だまり亭の日常

『宴』から三日。

 いまだ、雨は降り続いていた。


「今日もお客さん、全然来なかったですねぇ」


 窓から外を眺め、ロレッタが呟く。

 降り注ぐ雨粒と、地面に当たって跳ね返る水しぶきが入り交じって、世界が少し白く見える。

 もう夜だというのに、日中に日光を浴びることが出来なかった蓄光レンガは光を発せず暗く存在感を消している。


 久しぶりに訪れた真っ暗闇。

 なんだか、停電した時のような気分だ。


「……ヤシロ、手を繋ぐ?」

「いや、さすがにこの程度で怖がったりはしないから」


 揺れるランタンの灯りの中、マグダが手を差し伸べてくるが丁重にお断りしておく。

 向こうでジネットがくすくすと笑っている。

 うっせぇ。笑うな。


「今日はもう店じまいしましょうか」

「そうだな。ウーマロも帰ったし」


 こんな日に来店するのはウーマロくらいのもので、そのウーマロも、たらふく飯を食って先程帰っていった。


「そういえば、ウーマロさん。屋台を片付けたそうですね」

「昨日のうちになくなってたです」

「……雨で視界が悪くなるから、放置するのは危険と判断した模様」


 この土砂降りの中、あれだけ多くの屋台を撤去するのは骨が折れただろうな。


「じゃあ、次来た時は、プチトマトを一つ多く添えてやろう」

「ウーマロさんの努力、評価が低いです!?」

「……大丈夫。マグダが添える」

「でしたら、きっと喜んでくださいますね」


 そんな他愛もない話で盛り上がり、陽だまり亭は本日の営業を終了した。

 なんとも穏やかな一日だった。


 客が来ないということ自体は、由々しき問題ではあるのだが……ここ最近、本当にあっちこっち動き回っていたから、こういう時間がありがたかったりもする。

 ホント、疲れてんだろうな、俺。

 今日なんか、ほぼ一日座りっぱなしだったもんな。


「はい、ヤシロさん。コーンポタージュスープです」

「ん?」

「温まりますよ。今日は寒かったですから」

「あぁ。ありがと」


 俺が動いていなかったから、気を遣ってくれたのかもしれない。


「みなさんもどうですか?」

「いたたくです!」

「……マグダは少し多めに所望」


 いつもの席に座り、温かいスープを飲む。

 体の芯がじんわりと温まり、疲れが抜けていくような気がする。


 厨房に入っていったジネットを待つ間に、マグダは俺の隣に、ロレッタが俺の向かいの席へと腰掛ける。

 なにも、みんなしてこんな端っこの席に座らなくてもいいだろうに。


「お待たせしました」


 ジネットが三人分のスープを持ってきて、ロレッタの隣へと腰掛ける。

 広い陽だまり亭の中で、すみっこに固まって座る俺たち。貧乏性が染みついているな。


 と、その時。


「ぅひゃああ!?」


 ドアの向こうから悲鳴が聞こえてきた。

 同時に、鈍い音と水しぶきが上がる音も。


「え、なに。アレって毎年恒例の行事なの?」


 その悲鳴の主の惨状を想像し、俺の口から乾いた笑いが漏れていく。

 ジネットも思い至ったようで、慌てた様子で席を立ち、ドアへと駆けていく。


「ロレッタ、タオルを持ってきてやれ。マグダは俺の部屋に行って……」


 残った二人に指示を出し、俺はドアの向こうからやって来たずぶ濡れのそいつに向かってお決まりの言葉を口にする。


「『ボクの貧相な体なんか見ても、君は楽しくないだろう?』」

「ふっ、一年ぶりに聞いたな、そのセリフ。……記憶って、時に忌まわしいほどに鮮明だよね」


 高そうな服をびっしょり濡らしたエステラが、顔を引き攣らせて入ってきた。

 この豪雨の中、周りに注意を払いつつ歩いてきて、陽だまり亭が見えた途端油断したんだろう、入り口付近で足を滑らせたと見える。足下と、尻と背中がぐっしょり濡れている。


「入り口のところに、エステラのお尻型の水たまりが出来るな」

「そんな、めり込むほどの尻餅はついてないよ……まったく」


 ジネットが、エステラが持ってきたのであろう傘をたたんでドアの横へと立てかける。

 そうか。傘立てがないのか。作らなきゃな。


「傘があるからって油断しないで、外套を羽織ってくればよかった」

「『後悔先に立たず、貧乳シャツが膨れず』ということわざがあってな」

「後半嘘だよね?」


 腕を真っ直ぐ伸ばし、俺を指差すエステラ。

 久しぶりに向けられたな、その敵意。


「はい、エステラさん。これ使ってです」

「あぁ、ありがとうロレッタ。まったく、ヤシロもこれくらいの気を利かせてほしいものだね。先輩店員を見習いなよ」


 タオルを受け取り、エステラが俺にしかめっ面を向けてくる。

 現在、俺は一番後に陽だまり亭に雇われた店員ということになっている。一回辞めたからな、一分ほど。


「あ、いや。これはお兄ちゃんが……」

「あぁ、ロレッタ。いいからいいから」


 別に恩を着せるようなことではない。

 いいんだよ、気が利かないくらいに思われていた方が。


「……エステラ。着替えを持ってきた」

「あぁ、マグダもありがとう。さすが、気が利くなぁ。頭撫でてあげようか?」

「……マグダを撫でるには資格が必要」


 相変わらず、マグダの耳をモフりたくて仕方がないらしい。

 毎度拒否されているが。


 そうして、気の利くマグダが持ってきた『俺が指定した』Tシャツを広げて、エステラは表情を固まらせた。


「…………また、懐かしいものを」


 エステラが広げたTシャツの胸には、『安いっ! 美味いっ! 可愛いっ!』という文字がでっかく書かれていた。


「俺も、マグダを見習って気の利いた店員になるよ」

「やめてくれる? 君の差し金であることはよく分かったから」


 重~いため息を吐いた後、タオルで濡れた体を拭いて、着替えるために厨房の奥へと向かうエステラ。

 ここで着替えてもいいのに。


「エステラ~。ズボンが濡れてるなら、『ぶかT』一丁でもこっちは別に――」

「ジネットちゃんに借りたから平気だよ!」


 こちらの言葉が終わる前に返事を寄越すとは……礼儀のなっていないヤツだ。


「まったく。親の顔が揉みたいぜ」

「なぜ揉むです!? 『見たい』でいいじゃないですか、普通に!」


 普通の権化ロレッタが普通を必要以上に推してくる。

 人類総普通化計画でも目論んでいるのだろう。恐ろしい野望を秘めた娘だ。


「……この中で、親の顔をすぐに見られるのは、ロレッタだけ」


 マグダの両親は要人警護のためにバオクリエアへ向かい、消息を絶っている。

 ジネットの両親は不明。祖父さんはもういない。

 エステラの両親は、静かな町で病気療養中だ。

 そして、俺の両親は……


「確かにそうだな。じゃあ、ロレッタの両親の顔を見に行くか」

「やめてです! とても見せられるような両親じゃないですので!」


 娘にこうまで言われる両親って……

 そういや、ウェンディも両親に会わせるのを嫌がっていたっけな。

 この街の娘は両親と距離を取りたがる傾向にあるのかねぇ。


「……あ~ぁ。なんだか着慣れた感じがするから、少しヘコむよね」


 見事な着こなしで、エステラが戻ってくる。

 ズボンは、ジネットの部屋着を穿いている。たまに見かけるヤツだ。エステラの方が少し背が高いとはいえ、言うほど寸足らずにはなっていない。

 だが、宣伝Tシャツの方はといえば、元は俺の服を使っているのでエステラが着るとぶかぶかを通り越してだぼだぼだ。……だぼ服、いいね。


「こうやって見ると、エステラって小さいよな」

「わ、悪かったねっ!」


 と、何を勘違いしたのか胸元を隠し、俺を睨むエステラ。

 こういうのを『自意識過剰』とか『被害妄想』っていうんだろうなぁ。


「胸の話じゃねぇよ」


 呆れながらそう言うと、三方向から指を差された。『精霊の審判』の構えで。

 はっはっはっ、いい度胸じゃねぇかエステラ、マグダ、ロレッタ。


「エステラさん。コーンポタージュスープです。温まりますよ」

「ジネットちゃん、大好き!」


 両手を広げジネットに飛びつくエステラ。

 危ねぇなぁ、スープ持ってる時に飛びつくなよ。

 よくこぼさなかったな、ジネットも。


「……『あぁ、ボクにはない膨らみが……羨ましい、妬ましい、でも気持ちいい』」

「思ってないから! 勝手なモノローグを付けないでくれるかい、マグダ!?」

「そうだぞ、マグダ。エステラが思っているのはだな……『ふっふっふっ、実はボクは、こうして抱きついていることで、おっぱいを何割か吸収出来るのだ!』」

「出来ないよ!?」

「……エステラ……まさか、そこまでの境地に……」

「だから出来ないって!」

「エステラさん、凄いですっ! ちょっと尊敬するです!」

「出来ないって言ってるよね!? 出来ないとしか言ってないよね!?」

「みなさん、ダメですよ。そんなこと言っちゃ」


 なんだよ、乗っかれよ、ジネット!

 にこにこ~じゃねぇよ!

 お前が乗っかって「エステラさんに巨乳は似合いませんよ」とか言えば、二度と立ち直れないくらいの深手を負わせることが出来たのによぉ!


「……店長の場合、一割もらうだけで即巨乳」

「そんなことないですよ」

「おまけに、一割取られてもまだ巨乳です!」

「いえ、ですからそんなことは……!」

「おまけに、ジネットなら減っても翌日にはぼぃんと完全復活している!」

「懺悔してください!」


 また俺だけ……拗ねるぞ。


「ぷーん、だ」

「はぁぁあ……ヤシロさんが……ヤシロさんが可愛いです……っ!」

「いや、錯覚だよ。ジネットちゃん」


 冷めた目でコーンポタージュスープを飲み始めるエステラ。

 散々騒いどいて、急に冷めてんじゃねぇよ。


 とまぁ、こんな感じで『いつもの』日常が戻ってきた。

 戻ってきたって感じちまったんだから、きっと、俺はこんな雰囲気が好きなんだろうな。


 人数が増えたので、机を二つくっつけて八人掛けのテーブルを作る。

 そして再び、思い思いの場所へと腰を落ち着ける。

 俺はいつもの席で、左隣にマグダ、右にロレッタが座った。

 俺の真ん前にエステラが座り、エステラの右隣――マグダの前にジネットが腰を下ろす。


「そして、ロレッタの前の席には、頭から血を流した見たこともない女が……」

「いないですよ!? えっ、いないですよね!?」

「…………あ、どうも」

「今、誰に挨拶したですか、マグダっちょ!? あたしの向かいを見つつ小さく頭下げるのやめてです!」

「ごめん、ジネットちゃん。ちょっとだけそっちに詰めてくれる?」

「距離空けようとしないでです、エステラさん! いないです! 誰もいないですから!」


 言いながらも、俺を逃がすまいと腕にしがみついてくるロレッタ。

 くっ、こいつも地味に獣人族なんだよな。ふりほどけない。


「獣人族(地味)め……」

「やめてです、そういうマイナスイメージ付けるの! お兄ちゃんのイメージ戦略、驚くほど効果あるですから!」


 それは、みんながお前のことを『そーゆー』風に見ているからだよ。

 それに、他人に勝手なイメージを付けてるのは俺だけじゃないぞ。

 マグダだって相当なもんだ。


 たとえば――


「魔獣・チチプルーン」

「もうっ、忘れてくださいってば!」


 これは、雨不足からミリィとデリアが諍いを起こし、それを目撃したジネットが仕事中にぼーっとしていた時にマグダが付けたあだ名だ。

 言わば、今回の騒動の発端となった日のメモリアルだな。


「けど、マグダが『魔獣・チチプルーン』って名前を付けたおかげで、水不足に関する事件は解決したんだよな」

「えっ!? マグダっちょの功績だったですか!?」

「……見えないところで、影響力を発揮する女。それが、マグダ」

「調子に乗らせないの、ヤシロ」


 テーブルの下で、エステラの足が俺のスネを軽く小突く。

 また俺を叱る。

 なんで調子に乗ったマグダじゃなくて、俺なんだよ。


「ぷーん、だ」

「可愛くないよ」

「で、でも、エステラさん。角度によっては、こう、堪らない感じで……か、かわ……っ!」

「ジネットちゃん、落ち着いてっ! 錯覚、もしくは幻覚だよ、それは!」


 あわあわするジネットを宥め落ち着かせようと試みるエステラ。


「ぷぅっ!」

「きゅん!」

「ジネットちゃん!?」

「……店長はちょっと疲れが溜まっているご様子」

「今日は早々に寝た方がいいかもしれないです!」


 お前らも言うよなぁ、マグダにロレッタ。

 言うよねー。

 どんだけー。


「す、すみません。あのですね……」


 乱れた髪を手ぐしで梳かし、視線を外すように俯いて――チラッとだけ俺を見て――ジネットが照れたように言う。


「『ヤシロさんが子供のころってこうだったのかなぁ~』と、思うと、その……無性に可愛く思えてしまいまして」

「ヤシロが子供だったころ?」

「あるです?」

「あるわ!」

「……女風呂覗き放題のボーナスタイム」

「うん……そのころは、そんなこと考えてなかったんだ、まだ」


 おっぱいに目覚めのたのは思春期、中学生のころだ。

 …………ごめん、嘘吐いた。小五の夏、バイパス沿いの車道の脇で大量の大人の絵本を見つけた時からだ。

 美しい思い出だ。


「いくつから腐ったんだい?」

「腐った言うな! 熟したんだよ」

「物は言いようだねぇ」


 大人の階段を上がったのだから、それは喜ばしいことに違いない。

 エステラだって、思春期のころから現在に至るまで、おっぱいのことで頭がいっぱいのはずだ。一日の大半を豊胸体操に費やしているお前ならな!

 まぁ、ただ。俺の方がベテランだろうけどな。


「十一歳のころにはもう、おっぱいのことしか頭になかったかもな」

「わたしが、陽だまり亭の子になるより前から……ですか?」

「……筋金入り」

「油汚れだったら、もう絶対落とせないくらいにこびりついてるです」


 何にたとえてくれてんだ。

 誰のどこに何がこびりついてるってんだよ。


「君の両親は何も言わなかったのかい、君のその奇行に対して」

「奇行になんぞ走っとらんわ」

「……ヤシロは自覚症状がないらしい」

「いよいよ末期です」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………おい、ジネット。フォローは?」

「へ!? あ、いえ……うふふ」


 ちっ、フォローがない!

 そこはなんとも言いがたいって感じか、くそ。


「まぁ、女将さんは見て見ぬフリしてくれてたなぁ」


 知らぬ間に部屋の掃除をされ、確実に隠していたトレジャーが見つかったはずなのに、一言も言及されなかった。

 のみならず、それ以降はその隠し場所だけ避けて掃除されるようになった。


 ……気付かないフリをされていることに気付いてしまった者のいたたまれなさと言ったら…………


「女将さん……天然で人の首を絞めてくるようなところがあったからなぁ……」


 むしろ、はっきりと言ってくれた方が幾分かマシだった。

 あの気遣いが、また…………


「……ごめん。過去の記憶がよみがえって、涙が……」

「なんてノスタルジーとかけ離れた涙なんだろう……一切感動出来る要素がないよ」


 俺の美しい涙を呆れまなこで見つめるエステラ。あぁ、いや、見つめてすらいない。チラ見だ。とことん興味がないらしい。

 状況だけ見れば、美しい光景だと思うんだがなぁ。故人を思って流す涙は。


「話を聞く限り、君は随分と甘やかされて生きてきたようだね」

「ん~……どうかなぁ」


 間違ったことをすりゃあ叱られたし、ルールや常識ってやつは徹底的に叩き込まれた。特に、人を思いやる心ってのに関しては、本当に毎日毎日言われ続けていたっけな。


「でもまぁ、よく褒めてくれたかな」


 厳しさの中にも、しっかりと愛情は感じていた。

 そして、よく笑う明るい家庭だった。


「……だからヤシロは、女将さんが好き」

「ん?」

「そういえば、何かにつけて話に出てくるですね」

「そうか?」


 そんな自覚はないのだが。


「女将さんの話をされる時は、ヤシロさん、いつも嬉しそうな顔をされていますよ」

「いや、さすがにそれはないだろう?」

「いいえ。こう、にっこりと、優しく」


 そう言って、穏やかな笑みを浮かべてみせる。

 俺がそんな顔をしてるってのか?


「それはアレだな。女将さんの話をする時は、大抵飯の話だからだろうな。美味い飯のことを考えると、人は自然と笑顔になる」


 つまりそういうことだ。

 それ以上の何かがあるわけじゃない。


「けど、フィルマン君に好きなタイプの女性を聞かれて、女将さんを挙げていたじゃないか」

「だから、アレは……」


 そう言うのが一番角が立たないだろう?

 あそこで下手に「じゃあ、目の前にいるエステラってことにしよう。あとで説明して誤解を解けば問題ないし~」なんて短絡的な行動に出ていたら、……どんな惨事を生み出していたか、言わずとも想像に容易いだろう。


「素敵なことだと思いますよ。自分の家族をずっと大切に思えるということは」

「まぁ、親不孝者よりかはね」

「ということは、お兄ちゃんはこれからもずっと身内に甘くしてくれるです!」

「……マグダは、未来永劫甘え続ける覚悟と自信がある」

「好き勝手言いやがって……」


 そう言うお前らだって…………いや、やめておこう。この言い合いは不毛だ。

 家族は特別。それでいいじゃねぇか。わざわざ否定するようなことでもない。


「うふふ……ヤシロさんの過去の話が聞けて嬉しいです」

「そういえば、珍しいよね」

「あたし、もっと聞きたいです、お兄ちゃんの昔話」

「……根掘り葉掘り」

「やなこった。過去の話なんぞ、弱点をさらすようなもんだからな」


 大抵の場合、人の過去なんてのは黒歴史満載なものなのだ。

 おのれが未熟だったころの話を進んでしようなんてヤツは、そうそういない。


「ごちそうさま。温まったよ」


 コーンポタージュスープを飲み干し、エステラが「ほふぅ」と温かそうな息を漏らす。


「お腹、それでは満たされませんよね? 何か作ってきましょうか?」

「そうだねぇ……」


 こんな時間にやって来たということは、エステラは飯を食っている暇もないほど忙しかったということだろう。

 そんな状態の時にコーンポタージュスープ一杯では足りるはずもない。


「でも、もう閉店なんだよね」

「構いませんよ。気にしないでください」


 ジネットなら、何時だろうと喜んで飯を作ってくれることだろう。

 だからこそ、気を遣ってしまう時があるのだが。


「じゃあ、またアレでもするか。材料も、確か揃っていたはずだし」

「『アレ』?」


 なんのことか分からず、ジネットが小首を傾げる。


「絆の料理だよ」

「あぁ! いいですね! あたし、お手伝いするです!」


 いち早く答えに至ったロレッタが元気よく立ち上がる。

 そういえば、以前もこのメンバーで食べたんだっけな、この席で。


「あたし、前回は賄いを食べた後だったので、あんまり食べられなかったです。お兄ちゃんたちも、途中で出掛けちゃったですし。河原では弟たちの面倒見てたですし」

「……河原…………ふむ。合点がいった」


 ロレッタの話を聞いて、マグダが思い出したらしい。

 そういや、途中で出掛けたんだっけな。

 その後、河原で大人数で食い直したんだよな、たしか。


「何を作る気だい?」

「わたしも、気になります」


 いまだ答えにたどり着けない二人がやきもきしている。

 ここ数週間で、ホントいろいろな物を作ったからな。

 最初の方の記憶が薄らいでいるのかもしれない。


「手巻き寿司だよ」

「「あぁっ!」」


 答えを聞いて、ジネットとエステラがぱっと表情を輝かせる。

 海漁、川漁、農業、行商、狩猟と、各ギルドから仕入れた食材をふんだんに使った料理で、ロレッタが『絆』という言葉で表現した料理だ。


「準備をするから手伝ってくれ」

「はいです!」

「……マグダも手伝う」

「わたしも、お手伝いしたいです!」

「じゃあ、エステラ。座って待っててくれ」

「いや、手伝うよ! ここで一人残される方が嫌だもん」

「いやいや、領主様にそのような雑務をさせるわけには」

「そーゆーセリフ、もっと別のところで聞いてみたいものだね!」


 で、結局全員で厨房に入り、あり合わせのものを切ったり焼いたりして具材にした。

 やっぱりジネットがいると早いわ。手際のよさが桁違いだ。

 刃物の扱いに期待が集まったエステラだったが、ヤツは『刺す』専門で『切る』はイマイチだった。まぁ、ナイフ使いだからな。ナタリアなら、『刺す』『切る』『貫く』『刮ぎ取る』となんでもこなしちまうんだろうけれど。


「……エステラは料理が下手」

「そ、そんなことないよ! 今回はちょっと手間取っただけで」

「そうですよ、マグダっちょ。店長さんとお兄ちゃんが常人離れしてるだけで、エステラさんくらい出来れば普通レベルです」

「うぅ……ロレッタに普通って言われると、凄いショックだ」

「なんでです!? フォローしたですよ、あたし!?」


 他の誰に言われるよりも心に負荷を掛けるロレッタの「普通」発言に落ち込むエステラ。

 丸まった背中を撫でつつ、ジネットが励ましの言葉をかけている。

「そんなに背中を丸めていると、ただでさえ無い乳が埋没してしまいますよ」……とか言えば面白いのに。言わないかなぁ…………言わないよな。


「そんなに背中を丸めていると、ただでさえ無い……」

「ボク、『刺す』のは得意なんだよね」


 魚一つ捌けないエステラだが、俺の命を刈り取るのは容易いのだろう。

 ヤツが刃物を持っている時は発言に注意するべきか。…………エステラが刃物を持っていない時なんかないんじゃないのか?


「んじゃ、酢飯を作るぞ」

「はぁぁあ……あたし、この匂い好きです!」


 確か最初は酢の匂いが好きになれないとか言ってなかったか、こいつ。


 俺が酢飯を持って再びホールへと向かうと、ロレッタとマグダが嬉しそうに具材を運んでくる。

 直火であぶった海苔を手にエステラがわくわくとした表情でそれに続き、ジネットはというと、全員分のお茶をお盆に載せてやって来た。


 準備が整い、久しぶりの手巻き寿司パーティー。


「の、海苔が届かないです!」

「……海苔が小さい」

「ヤシロォ、海苔がさぁ」

「お前らには学習能力がないのか!?」


 具材を載せ過ぎて海苔が巻ききれなくなった三人を尻目に、ジネットがてきぱきと具材を載せていく。


「おかしいです……これくらいなら巻けると思ったんですが……」

「お前もか、ジネット」


 どうしても、手巻き寿司ははしゃいでしまうものらしい。


「難しいなぁ……ねぇ、ヤシロ。ボクの分巻いて」

「お前は貴族か?」

「貴族なんだけど?」

「……どうも、貴族の友人です。巻いていただこうか」

「同じく、貴族の関係者です! お兄ちゃん、巻いてです」

「便乗すんな。俺ら全員そうだわ」


 どいつもこいつも、俺に作らせようとしやがる。

 自分で覚えろっつの。

 そして、会話に参加してこなかったジネットを見ると、なんだか必死に巻き寿司を巻いていた。

 それでも量が多い。

 意外だな、こいつが苦戦するなんて。


「難しいですね。コツが掴めません……」

「んじゃあ、試しにジネット、俺に食わせると思って作ってみろ」

「ヤシロさんに、ですか?」


 そんな注文を付けると、ジネットの目の色が少し変わった。

 海苔を手の平へと載せ、酢飯を適量取り、均等に広げて、バランスよく具材を載せて……巻く。


「……わぁ! 出来ましたっ!」


 それは、見事な手巻き寿司で、見た目も内容も申し分ない、ラッピングすればそのまま店に出せそうな手巻き寿司だった。


「人に食べさせると思うと出来るんだな」

「そう、みたいですね」


 えへへと、照れ笑いを浮かべるジネット。

 こいつは、自分のために料理をすることがそんなにないからな。

 自分用の料理が苦手ってのは、新発見だ。


「はい、ヤシロさん。召し上がってください」


 そっと差し出される手巻き寿司。

 ……なんとなく、目の前でジネットが巻いたものだと思うと、照れるな。

 いや、ほら、素手だし。

 まぁ、いつも素手なんだけど。


「お野菜もしっかり食べてくださいね。あと、よく噛んでください」

「お前は俺の母親か」

「うふふ。こんなに可愛い子だと、甘やかし過ぎて困っちゃうかもしれませんね」

「俺も、こんな母親だったら、二十歳越えるまで乳離れしないかもしれない」

「そ、それを食べてから、懺悔してください!」


 食った後でいいんだ。

 いや、先延ばしにされる方が面倒くさいか……


「あ、出来た出来た! ジネットちゃんのを見てたら、なんとなくコツが掴めたよ」


 エステラが、ようやく適量の手巻き寿司を作り上げる。

 ぱりっと音をさせて手巻き寿司にかぶりつく。

「ん~!」と、満足げな声を上げて握った拳をぶんぶん振り回す。


「自分で作ったって思うと、一層美味しいよね」

「いや、俺はジネットが作ってくれたヤツの方が美味いけどな」

「……マグダも、甘やかされたいと常日頃思っている」

「あたし、自分で作ると、なんだか普通の味がするです……」

「まさかここまで賛同が得られないとはね!」


 甘いな、エステラ。

 そんな万人が言いそうなことを、素直に感じてやるほど俺たちは甘くないんだよ。


「これ、メニューに加えないのかい?」

「値段がべらぼーに高くなるぞ。海魚がメインだからな」

「種類も多いです。これだけ揃えるのは大変です」

「……人気が出ると、準備が追いつかなくなる可能性大」

「では、これはお家パーティー用のご飯ですね」


 お家パーティー。

 ジネットの言うとおり、こいつは自宅でわいわいと食うためのものだな。

 準備の段階からわいわいとみんなでやれば楽しいだろうし。


 そして、各人が自分の好みで味を選べるのもいい。

「お前鮭ばっかだな」とか、「エビを独り占めすんなよ」とか、そんな他愛もない会話が自然と生まれてくる。


 実家でもそうだったな。


「親方がさぁ、手巻き寿司の時だけやったらと張り切ってな。手巻き寿司だけは、女将さんより美味いものが作れるとか言っちゃってさ……くくっ」


 酢飯にごまを混ぜたり、海苔にごま油を塗ったり、変なこだわりを持ってたっけな。


「で、実際どうだったんだい?」

「ん?」

「親方さんの手巻き寿司は、女将さんを越えていたのかな?」

「いいや。やたらデカいんだよな、親方のは。女将さんの巻いた手巻き寿司の方が食べやすいし、味に飽きが来ないし、断然美味かったよ」


 って言ったら、ヘコんでたな親方。……くくく。


「……女将さん、最強説」

「凄いです。お兄ちゃんの好みをことごとく理解してナンバーワンを獲得しまくりです」

「女将さんっ子だったんだね、ヤシロは」

「いやいや。俺の知識や技術はほとんど親方から受け継いだものなんだぞ」


 詐欺に関することは独学だけどな。


「お兄ちゃんの技術と言えば……」

「……おっぱい鑑定」

「ヤシロ……君のとこの親方さんは、とんでもない人だったんだね」

「そこは引き継いでねぇわ! 独学だよ、俺のおっぱい学は!」


 親方の名誉のためにもそれだけは断言しておく!

 …………名誉のためにもってなんだよ!?

 おっぱい好きでも名誉は傷付かねぇっつの!


「うふふ。ヤシロさん、嬉しそうです」


 ジネットがくすくすと笑い出す。


「手巻き寿司は、思い出話に花が咲く食べ物なんですね」


 出来のいい美味そうな手巻き寿司を両手で持って言う。


「いつか、みなさんが別の方と手巻き寿司をする時には、今日のことを思い出して、『あの時はこうだった』とお話をするのでしょうか」


 このメンバーが、別のヤツと手巻き寿司を……

 それは、いつか訪れるかもしれない未来。


 マグダやロレッタが陽だまり亭を巣立っていくかもしれない。

 エステラなんかは、どこぞの貴族に見初められて上流階級に入り浸るかもしれない。

 ジネットだって、どこかにいいヤツがいれば……

 こいつなら、自分の子供には甘々で、いちいち自分で巻いてやったりするんだろうな。


 ……それはどれも、なくはない未来。


 いつまでも今のままで――なんてことは、きっとあり得ないのだろう。

 未来なんて、一切想像が出来ないけれどな。

 ジネットやエステラが、誰かと結婚している姿なんか想像出来ないし、マグダとロレッタがいない陽だまり亭も、今は想像が付かない。

 そもそも、俺自身の未来がまったく見えてこない。


 俺は一生、ここに居続けるのか。

 それとも、もっと興味を引かれることを見つけてここを飛び出していくのか。

 ヘッドハンティングされて、陽だまり亭のライバルになっていたりして……


 どれもこれも、ないとは言いきれない未来。


 そもそも二十年前の俺は、二十年後に異世界で二度目の十七歳を過ごしているなんて、想像もしていなかった。出来るわけがない。

 未来なんか分からない。

 だから、よく知っている過去の話で盛り上がったりするのだろうか。


「あたしは、またこのメンバーで手巻き寿司をして、またこんな風におしゃべりしたいです!」

「……このメンバーはみんな、マグダを甘やかしてくれるので、非常に心地いい」


 未来に離ればなれになっているなんて思いたくなかったのだろう。

 ロレッタもマグダも、少し真剣な声でそんなことを言った。


 そして、ジネットも当然、そんな未来は想像していないようで――


「はい。もちろん、またみなさんでやりましょうね」


 自信たっぷりにそう断言した。

 だから、俺からも少しフォローを。


「前に河原で手巻き寿司をやった時、みんな喜んでたろ」

「それはもう! ウチの弟妹が大はしゃぎしてたです!」

「……マグダはあの時から、一部地域で手巻き寿司の女神と呼ばれているとかいないとか」

「どんな女神だよ……。でまぁ、楽しかったろ?」


『別のヤツと食う』ってのは、そういうことも含まれる。

 飯なんてのは誰と食おうが自由だし、誰とだって食える。


「ジネットが言ったのは、そういうことだ」

「いろんな人に教えてあげるのは、楽しそうです!」

「……マグダのカリスマ性をもってすれば、布教の波は瞬く間に四十二区を覆い尽くす」

「なるほどね。それで、それぞれが教えてあげた人たちの感想とか、その時の面白い話を持ち寄って、またこうしてこのメンバーで食べる……うん。いいね、そういうの」


 エステラのまとめに、マグダもロレッタも満足げな表情を見せる。

 少々依存が過ぎる気もしないではないが……


「陽だまり亭は、いつでもここで、みなさんの帰りを待っています」


 だから、みんな自由に、思いのままに飛び出していけばいい。

 そんなことを、ジネットは言いたかったのかもしれない。……違うかも、しれないけどな。


「わたし、手巻き寿司大好きです」


 そんな言葉を口にしたジネットは、何も変わらないように見えるのだが……やっぱり少し変わったんだろうな。

 たぶん、こいつも少しずつ大人になっていっているのだ。


 他区の領主たちとやり合って、領主としての力や自信を付けつつあるエステラと同様に。


 実に面倒くさい目に遭わされたわけだが……

 まぁ、やっただけの価値はあったのかもな。


 ニュータウンに新たな通路が出来、街門の向こうに小さいながらも港の建設が決まった。

『BU』を通る際の通行税は軽減されることになったし、外周区で豆の生産を行う用意も進んでいるらしい。

 エステラが不眠不休で働き続けた成果は、そう遠くないうちにどんどん実を結んでいくのだろう。


 街は変わる。

 人も変わる。

 俺たちの関係性も変わるし、俺たちを取り囲む状況も、一秒ごとに形を変えていく。

 それを、良くするか悪くするか、その二択しか俺たちにはないわけで、だからこそ必死になっていい結果に結びつけてやろうと足掻いたりして。

 そんなもんの積み重ねが、いつか振り返った時にちょっとびっくりするくらいの功績を残していたりする。


 だからこそ。

 そうやって変わっていってしまうからこそ、いつでも変わらずにここに建っていてくれる陽だまり亭は、こんなにも落ち着くんだろうなぁ……なんてことを、しみじみと思ってしまうわけだ。


「いい店だな……陽だまり亭は」


 思わず漏れた言葉に、俺以外の全員が目を見合わせる。

 そして、異論はないとばかりに晴れやかな表情で頷く。


「もちろん。ボクの行きつけだからね」

「……マグダがいるお店なのだから、当然」

「あたしも、陽だまり亭大好きですっ!」


 そして、ジネットは少しだけ泣きそうな顔で。



「そう言ってもらえて、嬉しいです」



 照れ笑いを浮かべた。



 残った酢飯と具材を全員で平らげ、夜遅くなって手巻き寿司パーティーはお開きとなった。


 泊まっていったらどうかというジネットの誘いに、明日も朝から仕事があるからと館へ帰っていったエステラ。

 本当に、わずかな時間を利用して陽だまり亭の飯を食いたかったらしい。

 帰り間際に「本当にリフレッシュ出来たよ」とにこにこ顔で言って、いまだ降り続く雨の中を傘を片手に帰っていった。……陽だまり亭宣伝Tシャツを着たままで。

 さて、あいつはいつ自分の服装に気が付くんだろうか。


 エステラって、頭いいのか悪いのかよく分からないよな。

 まぁ、頭のいいバカなんだろうな、きっと。


 ロレッタはというと、この大雨に怯えている妹がいるとかで、夜一緒に寝てやるのだと帰っていった。

 しっかりお姉ちゃんしてんだよな、あいつも。


 そしてマグダは――


「……後片付けはマグダが手伝むにゅう……」


 ――と、寝ぼけ始めていたので部屋へと連れて行って寝かしつけた。

 満腹になると眠たくなるもんな。……ここまで極端にはならないけども。


 時刻はそろそろ夜半かというところ。

 ジネットも眠たくなってくる頃合いだ。

 厨房へ戻って片付けを手伝い、さくっと終わらせて寝てしまおう。


「お疲れ様です。濡れちゃいましたね、はい、タオルです」


 厨房に戻ると、すぐにジネットがタオルを出してくれる。

 中庭に、屋根が欲しくなってくるな。

 せめて、濡れずに行き来出来る範囲で。豪雪期までに何か考えるかなぁ。

 二階に行くのにいちいち傘が必要とか、匠が見たら劇的にビフォーアフターしたくなっちゃう案件だぞ、これ。


「片付けは?」

「あと少しというところです」

「じゃ、手伝う」

「はい。ありがとうございます」


 どんな些細なことも、当たり前とは思わずに礼を寄越してくる。

 それを負担だとは考えないんだよな、ジネットは。

 また、口癖のように言っているわけでもない。それくらいは口調で分かる。


 ジネットの言葉には、いつも心がこもっている。


 結構しんどいはずなんだけどな。

 一言一言、全部に心を込めるってのは。

 それを、こいつは苦労だとは思わずに普通にやってのけている。

 他人の話を聞き流したり、茶化したりせず、しっかりと向き合って話を聞いてくれる。

 だからなんだか、安心してしまう。


 たぶん、そういうところなんだろうな。

 ジネットがジネットっぽいのは。


「はい。これでおしまいです」

「お疲れさん」

「ふふ。お疲れ様でした」

「何かおかしかったか?」

「あ、いえ……ふふ」


 水を切るために両手をぴっぴっと振りながら、俺はジネットに問う。何を笑ってんだ?


「わたし、ヤシロさんのそういうところ、好きだなぁと思いまして」


 んん――!?


「わたしが、『あぁ、今結構頑張ったなぁ』と思うようなことをすると、ヤシロさんは必ずそれを見ていてくださって、そしてきちんと『お疲れ様』って言ってくれて……。それが、凄く嬉しいんです」


 いや、「お疲れ」くらい言うだろう、誰でも。


「なんだか、お祖父さんみたいで」

「お前はよく俺をジジイ扱いするよな」

「うふふ。見た目の話じゃないですよ」


 分かってるっつの。

 お前の大好きな祖父さんと、なんとなく重なるような部分が俺にあるってんだろ。

 前からちょくちょく言ってるもんな、「お祖父さんに似てる」って。


 でも、それな。

 お前が懐いていた、大好きだった祖父さんに似てるって……

 お前が祖父さんを好きだったのは、その温厚な性格だったり、優しさだったりする祖父さんの性格面が理由だろうから――


 それはつまり、お前の大好きだった人間に、俺が似てるって言ってるようなもんじゃねぇか。それも、お前がそいつを大好きだった根幹が。


 ……ま、そんな深い意味はないんだろうけどな。


「加齢臭には気を付けるよ」

「うふふ。わたし、ヤシロさんの匂いも好きですよ」

「……否定してくれ、加齢臭」


 あと、好き好き連呼しないでくれ。

 他意がないことは分かってるんだが……むず痒い。


「俺もジネットの匂い大好きだなぁ、一日中くんかくんかしてたいぜ」

「ひぅっ!? も、もう、ヤシロさんっ」

「ふふん、仕返しだ」


 無自覚に人をどぎまぎさせた罰を速やかに執行してやる。

 自分の言動が相手にどう捉えられるかを、その身を以て学ぶがいい。


 匂いの話をした後、人は自然と距離を取りたがる。

 ……いや、ジネットの場合は分かりやす過ぎるんだが。

 半歩、俺から離れていった。匂いなんか、ほとんどしてないのに。してたとしても、美味そうな飯の匂いだ。


「そういや、マグダが『店長の匂いを嗅ぐとお腹が鳴る』って言ってたな」

「へっ……ふふ。わたし、そのうち食べられちゃうかもしれませんね」


 マグダに言われる分には問題ないらしく、ジネットはくすくすと肩を揺らす。

 ジネットにかじりつくマグダ。それはそれで見てみたい気もするがな。


「じゃあ、俺もお裾分けを……じぃ~」

「懺悔してください」


 とある一部を凝視していると、にっこりと懺悔を強要された。

 信仰心の押しつけはよくないと思います。えぇ、思いますとも。


「よし。じゃあ、俺たちも寝るか」

「はい。明日もありますしね」

「ま……客は来ないんだろうけどな」

「それでも、明日はやってきますから」


 おそらく明日も大雨なのだろう。

 それでも明日はやって来る。


 ジネットが言うと、「客も来ないのに仕事はあるんだぜ」って意味ではなく、「どんな状況でも、きっと楽しい日がやって来ますよ」という意味に聞こえるから不思議だ。

 こいつの基本姿勢が前向きだからだろうな。

 きっと俺が言えば、また違った意味に聞こえるのだろう。


 言葉ってのは、捉え方一つで意味合いを変えてしまう。

 そんなあやふやなものだからな。



 だから、あんまり迂闊なことは言わない方がいい。

 たとえば、そう――


「ところでヤシロさん――」


 ――こいつみたいに。


「わたしって、女将さんに似ているんですか?」

「へ?」


 思わず、変なところから声が出た。

 そんなことを気にも留めず、ジネットは続ける。


「いえ。以前フィルマンさんが、その……ヤシロさんの好……大切な方を、わたしと勘違いされて……あぅ」


 自分の発言で照れるくらいなら言わないでもらいたい。


「でもそれは、女将さんのことで」


 そう。女将さんだ。

 恋バナ大好き浮かれ片思いヤロウの面倒くさい絡みをかわすために俺が放った、華麗なるスルースキルの一端だ。


「ねぇねぇ。好きな人誰~?」

「お母さん~」


 みたいなもんだ。

 ガキでもやってる程度のことだ。


「ヤシロさんは、女将さんのことをとても大切に思われていて、それは見ているこちらもどこかほっこりとするような感じで……ですからあの……」


 だから、そんなに真に受けるな。

 そんなに――


「わたし、女将さんに似ていますか?」


 ――期待したような目で、俺を見るな。


 俺が『大切な人』を聞かれた際に逃げの手段として名を挙げた女将さん。

 その際、相手を騙すために大切だと思える部分を挙げている。

 それは、恋愛にも錯覚出来るような内容で、まんまとフィルマンは騙されたわけだが……おかげで、その相手をジネットだと誤認した。


 それはつまり、俺の『大切な人』が大切である条件に、ジネットが合致していたということであって、だから、つまり、女将さんに似ているってことは、つまり……俺がジネットのことを、つまり、その…………


「か……顔は、全然似てない……な」


 ……ダメだ。

「つまり」って言葉の後に結論を言えなかった時点で、俺には語る言葉なんかないってこどだ。


「そうですか。……ふふ」


 ジネットは静かに笑って、そして、少し嬉しそうな顔をした。……ふうに見えたのは、俺の勘違いか?

 きっと俺も疲れてるんだな。うん。暇疲れだ。それか、ここ最近の疲れが抜けきってないか。

 どちらにしても、さっさと寝てしまうに限るな、こんな日は、うん。


「それじゃあ、ヤシロさん。行きましょうか」


 それ以上、その話題には触れずに、ジネットはいつもの笑顔で語りかけてくる。

 厨房から廊下に出て、裏庭に続くドアの前に立ち、傘を開いて、その傘の半分を空けて、俺を待っている。

 二階までの短い距離を、雨の降りしきる中庭を、二人で一つの傘に入って歩きましょうと言わんばかりに。


「お、おぅ。もう、寝る時間だしな」


 そんな、どこに向けたものなのかも分からない言い訳を無駄に付け足し、ジネットの持つ傘を受け取る。

 歩き出すと、何も言わずにジネットが付いてくる。

 隣で、同じ歩調で。


 雨は叩きつけるように激しく、こんな中で会話をしてもどうせろくに聞こえはしない。そう自分に言い訳して黙って歩く。

 あっという間に濡れていく右肩の冷たさよりも、隣から聞こえる穏やかな息づかいばかりが気になって――


 誰かを騙そうとすると、その反動がきっちり俺の方に返ってくるよな、この街は……ったく。


 ――そんなことを考えながら、ジネットの左肩が濡れないようにもう少しだけ傘を傾けて、中庭をゆっくりと歩いていった。







☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


あとがき


『異世界詐欺師のなんちゃって経営術』ご覧いただきましてありがとうございました。

カクヨム様での更新は今回で完結となります。

ここまでお付き合い下さいました皆様、

感想、レビュー、☆、いいねをくださった皆様には心より感謝申し上げます。


またどこかでお会い出来ます日が来ますことを祈って。


本当にありがとうございました。

宮地拓海

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異世界詐欺師のなんちゃって経営術/著:宮地拓海 角川スニーカー文庫 @sneaker

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