第94話 蠱惑の魔術師メルフィナ その3
「おいおい、アルフレッドちゃん、いきなり何を言い出すのよ。お前さん、そんな性格(キャラ)じゃないっしょ? 酔ってんの?」
凍てついた空気の中、引きつるような半笑いで、恐る恐るゼファーが問う。
アルマー王国辺境のこのアークライト領は、海と、複数の国と隣接している関係上、色々と過去があったり、脛に傷持つ者が多く集う。それを根掘り葉掘り探ったり、知ろうとすることは禁忌(タブー)とされている。
「その辺にしときなよ。メルフィナの姉さん。うちの助手(エルフィオーネ)が嫌がってるじゃあないか。人が隠したがってるものをこれ見よがしにチラつかせて強請(ユス)るなんて無粋だし、見ていて不愉快だ」
自身の経歴なら、つまらないものだから、いくらでも教えてやれるが―――彼女(エルフィオーネ)は、経歴を暴露されることを明確に恐れている。ならば、それを知ろうとするのは、土地の流儀に反しているといえる。それが、拒絶の第一の前提だった。
「それに―――俺が王様の落胤(かくしご)だの兄弟だの、さっきから荒唐無稽なことばかり言う……。何か勘違いされているようだから、この際ぶっちゃけてやるよ。俺の正体って奴をさ。どうせ情報交換の話は破談(チャラ)だしな」
眉根を吊り上げこちらを睨んでくるメルフィナを尻目に、アルフレッドは肩をすくめた。
「俺は決して、そんな大層なもんじゃあない。あんたが期待しているような御大層な身分や肩書など、これっぽっちも持ち合わせちゃいねぇ。俺はただの、イザキの町のお人よしな警備員さんで、趣味で『暗黒期物』を書いてるだけの売れない作家。本来なら、彼女のような才媛に見初められる要素なんて何一つない、つまらん男さ。諸事情で窮していた彼女に、一宿一飯の恩を着せ、拝み倒して無理矢理俺の下に繋ぎ止めているにすぎん」
「……窮して、いた……?」
ピク、とメルフィナの表情筋が動く。
「話してみるにつけ、彼女が歴史と魔術に深い造詣があるとわかった。『暗黒期物』を今後書いていくにあたり、魔術とその時代の知識がどうにも不足しているから、作品の品質(クオリティ)の向上のために彼女(エルフィオーネ)の知識は必要不可欠と思った。だから、作品の助手として、雇った。つまりは俺たちの関係は労使の関係。それ以上でも、それ以下でもねぇ。それでも、彼女は俺の作品の続きが早く読みたいからっていう理由までつけて、俺についてきてくれている」
「……」
しん、と、一瞬の静寂。
「わかるさ。一言で言えば、分不相応。その極み。あんたは、俺みてぇなどこの馬の骨とも分からん男が、尊敬する『先生』と一緒にいることが心底気に食わねぇってのは見てて分かる。俺に何か謂れを秘めた肩書きや血統があるならまだしも、それすらない、ただの凡夫でしかないとあらば、もどかしさはここに極まり、尚更許すことができない。いい女の―――才媛の無駄遣いと、そう言いたいわけだろう? そんなの、俺だって自覚してるさ」
はン。と自嘲しながら、アルフレッドは酒気を宙に吹き上げる。そのあと、瞳を閉じながら、深甚と語りだす。
「だが彼女は、こんな俺のどこがいいのか、不平ひとつ言わず俺を主(あるじ)と呼び、黙ってついてきてくれている。文字通りの掛け値なしで期待してくれてるっていうのなら、不肖の身ではあるが、それに応えなきゃ。俺にも男としての面子(みえ)ってのがあるんでね」
それに、ここで彼女の「正体」を知ってしまったが最後。振り向けば彼女という存在が、夢幻(ゆめまぼろし)のようかき消えてしまうような気がして―――。
「―――彼女の正体が何者だってかまわねぇ。実は俺みたいな庶民が触れることすら叶わぬ程の高名な術師でも、お偉いさんやお嬢様やお姫様だったと言われても驚かねぇ。あんたが俺に何をバラそうと、無知の愚を戒めようと、彼女を手放すつもりはねぇよ」
こちらは何を知らされようが覚悟はできているぞと虚勢を豪語し、秘密を暴露しようとするメルフィナの優越感をそぎ落とす。これで、彼女が興醒めと関心を失ってくれれば、御の字なのだが。
きっぱりと言い切った後、たん、とアルフレッドは酒気を吐きながらグラスを置く。
……くっくっくっ。はははは……。
それを合図にするかのように、エルフィオーネは腹を抱えて哄笑する。そしてその裏で、ヒュ、と口笛を吹いて囃すゼファー。少し上ずった口調で、エルフィオーネは宣言する。
「聞いたろうメルフィナ。恥ずかしながら、主の方は、そういうことらしい。私も、恩人であるこの男(アルフレッド)の男気に心底惚れ込み、そして、その筆(ペン)が紡ぎだす作品を心から愛した。だから、彼を崇敬し、仕えるべき主として選んだ。それだけのことだ」
「……は? 何、それ。意味わかんない。あなたほどの女が仕え、隣にいるべき男は、もっと―――」
すかさず反駁するエルフィオーネ。
「貴様の価値観を、あたかも世の真理であるかのように、勝手に押し付けようとするな。私が誰を好きになり誰に仕えようと、それは私の勝手だ。もっとも―――貴様のように、付き添う男に『格』や『値打ち』をまず第一に求めるような、損得勘定や打算だけで生きるような女には、一生分からぬ感情だろうがな」
エルフィオーネを先生と呼び、背を追うメルフィナ。彼女はエルフィオーネの実力に対し、憎悪にも似た、尊敬と、嫉妬とを抱いている。
そして、メルフィナの中では、実力を持つ女とは、格式的な意味であれ金銭的な意味であれ利用する意味であれ、価値のある男の側(そば)にあることこそ真理と。そういった図式が、確固として成り立っているらしい。その意味で言えば、彼女の中では、メルフィナとエルフィオーネは、同列の存在だ。
だからこそ、エルフィオーネが、いち警備員兼売れない作家でしかないアルフレッドに仕えていることが、心底もどかしく、許せないのだろう。あたかも、同列の存在であるメルフィナの価値までもが、否定されているようで。
現に―――そういう表情を、されている。
「……堕ちた、わね」
エルフィオーネは応えない。「堕ちているのは貴様の方だ」とでも言いたいかのようだった。
「さっきの会話を聞いていて気づいたわ。『窮していた』ところを助けられたって。この男、そう言っていたわよね? ……つまり、この男に弱みを握られている。だから、こんなつまらない、みすぼらしい男に付き従っているわけね。―――だったら」
メルフィナは、立て掛けた錫杖をおもむろに手にすると、アルフレッドの顔面めがけて横薙ぎに振るった。机上の酒瓶が二本、そして三本と破壊され、カウンター内に酒と瓶の破片がばらまかれる。店主が怯んで腰を抜かす。
「―――この男の口を封じれば。始末してしまえば―――先生は自由の身。しがらみなど、何もなくなる。そういうことで、いいのよね?」
メルフィナの錫杖は、アルフレッドの眉間の紙一重でぴたりと止められている。そして、その先更に僅かな距離に、エルフィオーネがとっさに展開した、「防護」の障壁が、アルフレッドを守っていた。
錫杖は、いつでも魔術が射出できるように、先端に設えた宝玉が、魔術式が展開される光を放ち続けている。
だが、アルフレッドは動じない。酔いもあり、眉根一つ動かさず、とろんとした目つきで、その魔術式の展開光を茫洋と眺めていた。そして、ややあって、ぽつりとアルフレッドはつぶやく。
「―――魔術師がこの状態になったってことは、得物を抜いたってことに等しい。今はこの店の用心棒が全員出向いてる。つまりは、俺がこの場を収めなきゃならない。喧嘩は勘弁してくれよ。今日は呑みに来ただけなんだよ」
「……白髪のお兄さん。今すぐ彼女を解雇(かいほう)しなさい。死にたくなければね」
かいこ、か、かいほうか。どっちを言ったのか、うまくは聞き取れなかった。
「やめてくれよ。『死にたくなければ』なんて。立派な脅迫じゃないか。このままだと、いち警備員として、あんたみたいな美人をふん縛って牢にぶち込まなきゃならなくなる。散々にこき下ろされたが、それでも、あんたみたいな美人をコイツでぶん殴るのは心が痛むよ。だから、その魔術式を」
ボゴッ。
完全なる死角。アルフレッドの座る椅子の下より音を立てて、尖った石筍が、板張りの床を突き破ろうとしていた。先端が目指す先は、アルフレッドの臀部から脳天に通じる一直線―――。
ドガッ!!
だが、せり出そうとする石筍を、鋼鉄の塊が粉々に破壊した。その正体はアルフレッドの得物である、呪符と鉄鎖にまみれた、鋼鉄の鞘に収まれた両手剣である。
「なんて所を狙いやがる。処女(ケツ)は、墓まで持っていく予定でいるんだぜ?」
「な……!?」
完全に虚を突いたと勝利を確信していたメルフィナが動揺する。
「いかにも無学そうな見た目してるから、意外に思うかも知れんがさ。こう見えて、魔術騎士学校の図書館の魔術関係の書物は粗方読破してるんだ。俺が不足している魔術の知識ってのは、魔術史や心理描写の面での話。展開された魔術式が何なのかを解読できれば、こうやって対処するのは難くない。―――あんまり、ナメるなよ?」
「クッ……小癪な」
「それ、今から完膚なきまでにノされる、三下の悪役が言うようなセリフだぜ?」
アルフレッドは立ち上がると、両手剣を片手に、メルフィナに突きつける。
「今のは酔った勢いと不問にしてやる。だが、次に何か別の魔術式を展開したなら最後だ。町の平和を守るいち警備員として、あんたを拘束する。痛い目見ても恨みっこはナシだぜ」
メルフィナも席から立つと、自身を奮い立たせるように、錫杖を振る。
「へぇ。面白いじゃない。そうやって大言を吐いた男達を、何人消し炭にしてきたか分からないわ。そんな鉄塊一本で、私に勝とうとするその浅はかさ―――」
「なら、表へ出な。ここじゃ店に迷惑がかかる。浅はかかどうか―――もっとも、あんたがそれを知るのは、牢屋の中でだろうがな」
にらみ合う両者。いつでも、魔術で援護に回る準備を整えるエルフィオーネ。
「俺は、やると言ったらやるぜ?」
脅しではない。アルフレッドがメルフィナに向けているのは、紛れもない意志だった。そして、その瞬間。アルフレッドの右腕には、剣から無理矢理引きずり出した怨念の瘴気が蠢きだす。
その異様な気配を、メルフィナも感じ取った。それが、メルフィナへの燃えたぎる怒りへの冷水(ひやみず)となった。
与え姫奇譚 天流貞明 @04110510
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