第93話 蠱惑の魔術師メルフィナ その2
場の空気はまさに一触即発。いつ、魔術師同士の魔術合戦が始まってもおかしくはなかった。
このメルフィナという、マグノリア家600年の命脈と魔術の知識を継ぐという肩書の魔術師の実力は未知だ。だが、エルフィオーネの魔術の習熟度を知ってなお彼女を挑発するその姿勢、そして「あの」エルフィオーネが若干尻込みしている様子を鑑みれば、彼女と張り合える程の使い手であることは容易に想像がつく。
そして合戦が始まってしまったなら最後。この店を爆心地に、数百ミターは文字通り消し飛ぶだろう。
「果たしてその読みは、見事に的中したわ。あなたは私の読み通り、火薬庫にも似たこのアルマー王国に姿を見せた―――もっとも、付き添う男を既に見つけているとは、予想外だったけど」
「フン。読み通りとは、笑わせる。私がアルマー王国に来たのは、暇人ゆえの気まぐれ。それ以上でも、それ以外でもない」
「ふふ、私にそんな常套句(ウソ)は通用しないわよ? 一つくらいしかないですものね。この国に、あなたを呼ぶような因縁なんて……ねぇ?」
「……チッ」
エルフィオーネは舌打ちののち、押し黙った。
先ほどの美女を歓待するムードはどこへやら。不穏に過ぎる雰囲気が店中に伝播していき、そそくさと会計を済ませて立ち去る客も出始めた。
間違いない。このメルフィナという魔術師、エルフィオーネが隠したがっている「何か」を知っている。
「ねえ、白髪のお兄さん。先生は、あなたと一つ屋根の下で暮らしているのよねぇ?」
「……」
急に話題をこちらに振られたが、アルフレッドは慌てず、返答を無言で拒む。そして、続くメルフィナの言葉を、慎重に待った。
「だったら彼女の体くらい、見たことあるでしょう?」
アルフレッドは、グラスの酒を飲むことで一呼吸を置く。平常心だ。
エルフィオーネの生身の背中には―――生体には刻印できないはずの「魔術式」が複雑怪奇に仕込まれている。そのことを、アルフレッドはアリシアからの伝聞で、既に知っている。
そして、そんな質問を聞いてくるメルフィナも、同じくエルフィオーネの背中の秘密を、その正体を知っているはずだ。何故かは知らないが―――。
エルフィオーネの体(はだか)を見たことは無い。それは紛れもない事実であり真実だ。彼女との関係はあくまで―――売れない作家と、その売れない作家を力の限りサポートしてくれる美人で凄腕の助手。つまりは使用者と被使用者。雇用の関係。名実ともに、それ以上でも、それ以下でもない。
彼女(エルフィオーネ)に居留まってもらいたいがために、本人の合意の下で体を拝めた唯一の機会を自ら蹴った経緯(拝むどころか、欲望の赴くままその極上の女体美をむしゃぶり尽くすことだってできた)を彼女(メルフィナ)が知れば、どんな顔をするだろうか。
「その『だったら』ってのはちょっと心外だな。……レディの入浴や着替えを覗く趣味はねぇな」
「もう、そんな子供(ガキ)みたいなこと聞いてるんじゃないわよ」
「じゃあ大人の意味でか? だったら、俺は潔白だ。あんたが期待しているような関係じゃあない。それとも何か? あんたの中では異性の仕事仲間(バディ)や主従ってのは、みんなデキてるって思考回路なのか」
ぴしゃり、と。一切どもることなく、アルフレッドは言い切る。やましいことがあるならばともかく、事実をそのまま述べるだけなのだから、言いよどむ筈もない。
「……はあ。もう、わかったわ。一切の照れや慌ても見せずに、そんなくそ真面目な顔と声で言われたなら、納得する他ないわね。でも、私が男だったら、こんな綺麗な女の子、絶対に放っておかないんだけどなぁ。一も二も無くベッドの中に招待して、愛を語りながら熱く熱く抱き合うわ。騎士道なんていう黴の生えたような男のモラルや、紳士学だか草食系だか知らないけど、最近の男は甲斐性無しばかり。あなたもそんな男の一人だなんて、野性味ありそうな風体からは想像もつかないわぁ」
メルフィナは二本目のボトルを開ける。今度はナ国の火酒で、確かショウチュウという名前だった気がする。
「期待はずれで結構。そういう煩悩を、律して平常を保つことも、人(おとこ)としての格だと俺は思うがね」
「やせ我慢ね。本当に、滑稽」
はあ、と椅子の背もたれに凭れ、突き出た胸をさらに突き出しながら、メルフィナは肩をすくめる。
「じゃあ、質問を変えるわ。あなた、エルフィオーネ先生に見初められて、彼女の助力を得ているのでしょう? ということは、相当の人物(おとこ)なのでしょうねぇ。その願いは何? 地位? 名声?」
「……は?」
「それとも、実はその正体は王家の落胤(おとしご)で、不在の王座を狙っているとか? そういう理由なら、エルフィオーネ先生が肩入れする理由もわかる気はするけどねぇ。王国(こっち)の王宮の今のグダグダっぷりを思うとねぇ」
メルフィナは、無関心を決め込もうとするエルフィオーネに、ちらりと当てつけのような視線を密かに送る。
ふん。アルフレッドは一通り聞いてから、鼻で笑った。
「突拍子もないことをつらつらと。おまけに不敬が過ぎて小説のネタとしても採用はアウトだな」
「あら、表面上は作家さんで通しているのね?」
「まあ、『売れない』が但し書きについてくるんだけどね」
はは、とアルフレッドはメルフィナを真似るように背もたれに仰け反る。
「好奇心で聞くんだけどぉ。今書いているのは、どんなお話なのぉ?」
「王家の暴走を止めるために、廃嫡された皇太子が蜂起し、激戦の末に王権を奪回する……っていう、歴史英雄譚」
「ああ、確か―――聖武王の謚(おくりな)を持つエドワード王が、腐敗した王朝に鉄槌を下すっていう史実をもとにした―――通称『暗黒期物』だったかしらぁ?」
「アタリだ。……アルマー王国の救国の英雄にして中興の祖、エドワード聖武王。この国では知らぬ者無しの英雄王だ。別名義でやってるエロ本以外、出す作品出す作品が低迷続きでねぇ。ここはひとつ、巷の流行(リューコー)ってのを取り入れようと思って……」
「ああもう。そんな話はもういいわ。早く教えてよ、あなたの正体ってのを。エドガーとリカルド、どっちの王の落胤(かくしご)なの? それとも、この二人の年の離れた兄弟とか? 放浪の上位貴族とか?」
若干前かがみになり、豊満な胸をアルフレッドの前に突きだしてくる。
「さあて、どうしたものか……。教えてやれなくもないがなぁ……」
アルフレッドはその谷間を拝めるだけじっくりと横目で拝んだ後、焦らしながら、ゆっくりとグラスを呷る。フン、と若干忌々しそうにつぶやくメルフィナ。
「あら、交換条件ってわけ? ……いいわ。こちらもあなたが教えてほしそうなこと、教えてあげるわ」
「へぇ。たとえば?」
「例えば、そうねぇ―――あなたが何の気なしに従えているその女性が、一体何者かっていうこととかね」
「なに?」
アルフレッドは思わずメルフィナの胸から顔に視線を移す。こちらの心中などお見通しだと言わんばかりにニヤニヤと、まるで勝利を確信したような、したり顔でアルフレッドの出方を眺めている。
はっとして、エルフィオーネの様子を垣間見る。彼女は、無言で俯きながら、酒の入ったグラスと睨み合いをしていた。両の手はぐっと握られている。何かを―――「秘密」を白日の下に晒される覚悟を決め、腹を括っているかのようにも見える。
ふと一瞬、彼女が顔を上げ、視線が合った。少し驚いた様子だったが、すぐに、フッと寂しそうに笑うと、再び俯く。
(……やっぱり、そういうことか)
それを見た瞬間、アルフレッドの腹は決まった。
「……悪(わり)い、話にならねぇわ」
「は?」
思わずメルフィナが声を漏らす。
間髪入れずにアルフレッドは続けた。
「俺があんたに聞きたい事ってのはただ一つ。その、胸のサイズが何サンチなのかってこと。―――それだけだ」
何てこと言っちゃってるんだろうね、俺ってば。そう心の中で嘲笑しながら、唖然とする周囲の面々を尻目に、アルフレッドは、グラスを呷った。
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