第92話 蠱惑の魔術師メルフィナ その1




「先生……?」

「先生、だぁ?」

 その強力な単語に騒然とするアルフレッド。彼らをよそに、二人の妖艶な魔術師は、会話を進めていく。

 先生は逆なのではと野暮な横槍を入れる気は起らなかった。エルフィオーネの圧倒的な魔術の習熟度を一目見た者なら、跪き、教えを乞いたいと願う者の一人や二人くらい出てきても、何らおかしくは無いからだ。彼女、メルフィナも、サーノスのように、エルフィオーネの魔術に魅せられた一人なのだろうか。

 だが、それにしては、敬慕の精神の欠片もみられない、挑発するかのような、この慇懃無礼な態度は、一体いかなる事なのか。

「何年ぶりかしら。逢いたかったわぁ。こんなところでそれが叶うだなんて。運命の巡り会わせというやつに感謝ねぇ」

 メルフィナはルージュで彩られた唇に指を這わせた。

「私はこの不運極まりない運命の悪戯を、心の底から呪うが、な……!!」

 たん。少々乱暴にグラスを置くエルフィオーネ。場の雰囲気が更に険悪になっていくのを感じる。たまらずアルフレッドは、エルフィオーネに耳打ちした。

「……おい、何なんだよエルフィオーネ、あの女……」

「ふん。見てわかるだろう? 同性愛者レズで少女趣味のストーカーだ。数年前、しつこく粘着ストーキングされて困っていたのだが、国を越えてまで私のことを追ってきたようだ」

 エルフィオーネは、完全に相手に聞こえる声で、メルフィナの悪評を散々に垂れる。

「先生ってのは?」

「知らん。あちらが勝手にそう呼んでくるのだ。あたかも、私と繋がりがを持っているかのようにな。性的倒錯者の考えることは、よくわからぬ。ともあれ、このままでは私の貞操が危うい。警備員さん、早々にぶちのめして、検挙してやって下さい」

 サッと、アルフレッドの体の後ろに隠れるふりをする。

「ストーカーだなんて、そんな。私は先生をただただ慕い、その教えを請わんと、足跡を追ってきただけだというのに。あんまりですわ……」

 こちらは、誰がどう見ても嘘泣きと判る仕草で、さめざめと体をくねらせる。安いにもほどがある、だが阿吽の呼吸の茶番。この二人、実は仲が良いのではないか。

「メルフィナ……そうか、その名前、どこかで聞いたことがあると思ったら……やっと思い出したぜ。確か……そうだ!」

 記憶をひねり出すべく、ゼファーがコツコツと自身の頭を殴りながら矢継ぎ早に言う。

「第二次討魔大戦が終結した、今から600年前。失われた『魔法』の代替の技術として『魔術』にいちはやく目をつけ、その基礎原理を遍く広めたとされる、魔術の大家……! その魔術への探求心は果てが無く、異性を誑かすことも、聖陵を掘り起こすことも、秘術を奪取するために戦を陰から操ることさえも厭わなかったという、曰くつきの一族。その後継者に指名された人物は、『初代』のいみなである『メルフィナ』を襲名するという。……その一族の名は」

「……マグノリア。メルフィナ=N(ナターリア)=マグノリア」

 メルフィナは豊かな栗色の髪を手の甲で救い上げ、足を組みながら宣言した。

「そう。我こそはマグノリア家の現当主。34代目の『メルフィナ』。600年の魔術の歴史を受け継ぐ、近代魔術の創始者の末裔にして、初代メルフィナ『その人』でもある。……まあ、そういうワケなの。フフ、改めて、お見知りおきを」

 ここまで聞いて、ようやくアルフレッドも思い出した。酒が入っていなければ、もう少し早く思い出せたかもしれないが、さておき。

 魔術騎士学校従騎士時代。魔術の実技授業の時は、自主学習という名目のもと、魔術使用不能の自身と似た症例を調べに、図書館で魔術史の学術書を読み漁ったものだった。そのときに、何度も見た名だった。

 信憑性に欠けるが故なのか教科書の類には一切記載されていなかったが、学術書で魔術史を学ぶ上においてマグノリア家の暗躍の記述は、半ば御約束。それこそ、切っても切れないというくらいに頻出する家名だった。ついでに、その記事一つ一つを具に見るに、良い内容の物が、何一つとしてないのも特徴だ。

 そんな悪名まみれの近代魔術の父(母?)の末孫が目の前で媚態を晒しながら酒を注文オーダーしている。彼女がただ「メルフィナ」の名を名乗っただけなら、どうせ偽物カタリと、笑い捨てるところなのだが、エルフオーネのこの余裕の無い忌々しげな反応が、それが嘘でないことを、証明しているとも言えた。

「やべぇ……写真カメラ担当者たんとーを呑みに連れてきてれば良かった……!! 半ば伝説の魔術師の家系の、それも後継者っつー大人物だぜ? それも、こんな美人とあっちゃ尚更……!!」

 やけに楽しそうに歯ぎしりをしながら、ぱちんと指を鳴らすゼファー。

「あらぁ。お兄さん、私の事を?」

「今は故あって、いち雑誌記者ライターの身とはいえ、いやしくも国家魔術騎士の爵位を戴く身なれば」

 芝居がかった紳士的な口上で、ゼファーは遜る。

「ふぅん。国家魔術騎士ともあろう方が、雑誌の記者を? 変わってるのねぇ」

「ははは。よく言われます。まあ、色々と訳ありなんですよ」

 腕を後頭部に回し、気障ったらしく流し目でメルフィナを見るゼファー。

「ふふ、あなた、面白いわぁ。気に入った。取材なら、後でいくらでも―――何なら、場所を変えて二人きりで、どうかしらぁ? ―――まあ、その前に、済ませてしまわないといけない用事があるからぁ、その後でよろしければ、ね?」

「フフフ……ご協力、感謝、感激……!」

 澄ました表情ではいるが、いきり立とうとしている下半身を必死に堪えているのが見え見えだ。

「ゼファー殿、気を付けられよ。その女は男の事を、金と子種が入った陰嚢きんちゃくとしてしか見ていないような、そんな人間だぞ」

 あまりにも酷い悪評を暴露されるも、メルフィナは事実を指摘されているだけと言わんばかりに、涼しい顔でオーダーした酒を待っている。

「……どういう意味だよ、そりゃ」

「聞いての通りだ。魔術の研究・開発の費用の足しにするため、その体と色香で金持ちを誑かし籠絡させてはパトロンにし、搾り取るだけ搾り取って、利用価値が無くなれば、用は済んだとばかりに跡形もなく姿を消す。障害となるなら、実力行使も厭わない。これまでに一体何人の男と関係を結び、破滅や不幸を与えてきたか、わかったものではない。そのくせ、後継者となる優秀な胤を残すべく、名の通った男の魔術師の子種を渇望しているときた。清々しいほどの悪女ビッチだ」

 一切の怒気を孕まさずに、メルフィナはニコリと笑う。

「丁寧な紹介ありがとうねぇ、先生。でも、危険とわかっていても、下半身の疼きには抗えないものなのよねぇ、男ってのは。こんな可愛そうになるぐらい、馬鹿で単純な生き物、目的のために利用しない手は無いわぁ。ねぇ? 先生もそうは思わない?」

 アルフレッドは尻込みしながら、ゼファーにひそひそと語りかける。

「おいおい……騙す気満々みたいだぞ、あっちは。確かにあの体はこの上なく魅力的だろうが、やめといたほうがいいんじゃあ……」

「わかってねぇなあアルフレッドちゃんも、メイドさんも。そういう、いかにもアブない香りのする女を侍らすのも男の甲斐性じゃん? 何より、たとえどんな罠が待っていようが、据え膳を食わぬは男の恥!!」

 鼻息を荒げるゼファー。

「あー……、はいはい。お好きに。朝起きたら下着パンツ一丁で、ベッドじゃなくゴミ箱の中に居たって事にならないよう、せいぜい気を付けるんだな」

 アルフレッドは呆れ、匙を投げた。

「……ふん。たかだか30年も生きていないような女が、男を語るとは滑稽だな」

「あら、いつも言っているでしょお? 私の知識は、受け継ぎ受け継がれた600年の情報の集合体。魔術だけじゃなく、私の中には、600年の男の知識が存在するのよぉ?」

「ふん。ならば34代と無駄に代を重ねても、結局ロクな男に出会えなかったと見えるな。悲しきことよ。―――さあ、これ以上回りくどい話をする気はない。貴様、何故このアルマー王国にやってきた。今回は一体、何をたくらんでいる?」

「あらあ、せっかちねぇ、先生せーんせ。折角久々に会えたのだから、旧交を温め」

「これ以上回りくどい話をする気はない、と言ったはずだが?」

 ぎろり、とエルフィオーネは眉を吊り上げ、凄む。

「……そんなの、決まっているわぁ」

 メルフィナはふぅ、とため息を吐くと、オーダーした火酒ウィスキーのボトルのコルクを歯で抜き、プっと吐き出す。そして足を組んだ体勢で、喇叭ラッパを吹くが如く、飲口を咥えると一息に逆さに呷り、ボトルの中身を一瞬にして飲み干した。

「昨今のこの国の情勢を鑑みれば―――起こりそうじゃない。暇人を自称するあなたが首を突っ込みたがるような、面白そうなことが……!!」

 ドスの利いた、低い声。酔いに任せたわけではない、すわった目つき。

先までの猫をなでるような間延びした喋り方とは人が違ったようだ。


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